日向市キャリア教育支援センター ブログ

2026.04.06

ハナミズキ

 一青窈さんの大ヒット曲で有名になった花木ハナミズキは、桜が散ったあとに寂しくなった街路や山を飾る可愛らしい花です。下の写真は、2年前の6月にボランティアで石川県珠洲市に行った際、能登空港(のと里山空港)で見かけたときの写真になります。震災以降、空港に隣接している日本航空高校石川の校舎も被害を受けていて、校舎は鉄筋コンクリート作りながら学生の使用には十分ではないとの判断から閉鎖されていました。それでその校舎がボランティアの宿泊施設として利用されていたのです。珠洲市での一日のボランティア活動後に送迎バスで高校校舎まで帰り、隣にある閉鎖中の空港敷地をブラブラと散歩していると沢山のピンク色のこの花が目に留まりました。曲『ハナミズキ』の通りの薄紅色をしていて大変可愛らしく癒される色合いをしていました。

 

のと里山空港にて

 

 薄紅色の可愛い君の」で、「ね」と対話するような可愛らしい花びらです。この花はこれからの季節に長く花を楽しませてくれます。花期が長いのは総苞片(ソウホウヘン)と呼ばれるものだからだそうです。調べると、タンポポやアザミなどのように、花が咲く前に花びらをしっかりと包む部分で花が散るのを遅らせ長い期間保つ働きがあるということでした。人間にとっては長く愛でることができるのですが、花は長い期間の中で受粉を確実に行うために準備期間を必要とし咲いているのでしょう。

 

 10年ほど前に、私は自宅の庭にハナミズキを植えました。翌年の春先には蕾をつけたので花が咲くのを楽しみにしていました。

昨日のハナミズキ

 

 ところが、咲いた花はでした。ピンクを楽しみにしていただけに初めは残念でしたが、よく見ると写真のように白と言うより薄い緑がかり、何とも言えない淡い美しさがあります。

写真を見比べてお気付きの方、あるいは、初めから花木に詳しい方なら、これまでのこの話がおかしいことに気付いておられるかもしれません。

 実は、2枚の写真の花は違う種類だったのです。色としては、どちらにもピンクと白があるので問題ないのですが、1枚目の能登空港の花はヤマボウシだったのです。そして2枚目の自宅庭の花がハナミズキでした。どちらもヤマボウシ属であるので似ているのは当たり前なのかもしれませんが、私は能登空港の花もハナミズキだと思っていたので違いを知った時は驚きでした。

 

 ヤマボウシとハナミズキの一番の違いは、花の先端にあります。ヤマボウシは尖っていて、ハナミズキはクルッと丸まって(へこんで)います。ハナミズキは和名を「アメリカヤマボウシ」と言うそうで、なるほどよく似ている訳だと納得します。さらに調べると、日本のハナミズキは、明治時代に米国へ寄贈したサクラに対する返礼として大正時代に日本に贈られたものだそうです。

 

 頭の中に『ハナミズキ』のメロディが浮かんでくるくらい綺麗な歌ですが、よく歌詞を聞くとなんとも不思議な解釈の難しい歌であることが分かります。一般的に「夢」というものは、追いかけるような、追い続けるようなイメージがありますが、この曲では違います。「果てない夢が」「ちゃんと終わりますように」なのです。夢は追いかけるだけでは確かに終わりはありません。

一人一人の夢を夢で終わらせず、きちんと捕まえる、達成する。可憐な花が長く咲き続ける覚悟ができるのも、総苞片という下支えがあるからなのだと感じさせられました。

夢は「いつかを結び」そして「百年続きますように」。

2026.04.02

任せる~慶應高校野球部

 

日向市駅 今日のお昼

 

2023年といえば、WBC侍ジャパンのクローザーとして大谷選手がエンジェルスチームメイトのトラウトを三振に打ち取り14年ぶりの優勝を決めた瞬間が目に浮かびます。そして昨日はその大谷選手がドジャースの試合で勝利投手になりました。もう一つ野球の話題として2023年は、夏の甲子園で慶應義塾高校107年ぶりに優勝した年でもあります。当センターのスタッフの方が野球は得意なのですが、今日はその慶応高校にまつわる本のお話です。すでにご存知も振り返りと言う意味でお付き合いください。

 

『慶應高校野球部―「まかせる力」が人を育てる―』(新潮新書) 加藤弘士 ()

 

この本は、著者が歴代の監督や選手に取材を行い、同野球部が自由校風、丸刈りなし、学業重をベースにしながら「エンジョイ・ベースボール」を掲げて甲子園で優勝できた背景を時系列で書き記したものになります。

 

意味のない上下関係の撤廃。1年生には雑用よりウエイトトレーニング。グラウンド整備も全員で。ナインの知的好奇心をくすぐり、質の高い練習を求めたそうです。ある年の練習後、部員はセカンドへの牽制サインを自分たちで考え、遅くまで議論をして結論を監督に報告します。すると監督は「よし、やってみよう。」と部員が自分たちで決めたことを尊重します。生徒からは「自分で決めさせてもらうのは楽しいし、やりがいになる。でも決めたからには自分たちで責任を持たなくちゃいけない。」という反応があり、任せられることへの責任と自覚が起きてきたようです。

 歴代の監督は「エンジョイ・ベースボール」の根底としては「たかが野球じゃないか」と、それよりも長い人生を歩くための人間づくりが重要であることを伝えたそうです。スポーツだけではダメ。勉強も大事。そういう人間としての成長という長期的視点に立って、野球の先を考えて勉強も必死にしていくことを大切にされていたのです。事実、慶應高校にはスポーツ特待という制度はなく、一般入試、推薦入試、(中等部からの)内部進学の3色の生徒が入っているのですが、入ってからはどの制度で入ったかはまったく関係なし。先輩後輩の上下関係もなく、監督を「森林さん」と呼ぶところにも表れています。

 

 慶應高校野球部がここまで来るのには何十年という歴史があったことが本から分かります。これを読んで地元の学校にそのまま当てはめても効果が出るというものでもないでしょう。ではこれをどう生かすかと考えた時、私は自分の仕事としての人づくり組織づくりの観点から読み解いていきました。

野球で目指す明確な「勝ち」と歴代の監督たちが掲げる「価値」に照らした時、では今の日向市キャリア教育に例えるとどういう将来像が描けるのかを考えました。一人の人生の中でのキャリアの積み上げ、本当にやりたい生き方を支えること、児童生徒の想い、事業者の目指す方向、育てる親の願い・・・。

答えは出ませんが、そういう当事者の求める未来に沿うように試行していくことには意味がありそうです。トライアンドエラーが大事で、考えたらやってみる、そこが可能性を拓く一歩になると思います。しかし一方で、一生懸命に与えようとすると、そのことがマイナスになる可能性があるということを常に考えておく必要があることも改めて学びました。人を育てるにあたって必要なのは「ちゃんと失敗させるシステム」だと本に書かれていた通り、子どもには任せて考えさせ、苦悩の中で出した結論はそれが成功でも失敗でも彼らの学びになるので、指導者、保護者、関係する大人は、余計な口出しはせずに「見守り」に徹することが成長の一番の近道だということになります。「今の時代、社会全体に失敗させる余裕や体力が失われつつある。」とありましたが、他人に対する寛容さをもつ生き方が子どもたちに背中で教えることに繋がると思います。

 

私どもが支援している日向市のキャリア教育では、子どもたちに本物の職業人と出会わせながらキャリア教育の目指す4つの力(かかわる力、見つめる力、やりぬく力、見通す力)に近づくために、その道の達人を巻き込んで学校を支援していく方向性を発展させたいと思います。そこでスローガン「出会い爽快!エンジョイ・キャリア教育!!」はいかがでしょうか・・・

塩見川 今朝の朝焼け

2026.04.01

令和8年度のはじまり

 

 本日から令和8年度が始まりました。

昨日の日向市駅前

 

 毎日このブログを読んでいただいている方々のためにも、年度初めの本日に、日向市のキャリア教育支援センターは何をしているところなのかを明記したいと思います。

■ 日向市キャリア教育支援センター ホームページアドレス

→ https://hyuga-career.jp/

 

1 よのなか教室の開催:社会人講話

 ◆ 基本的には、学級で実施する1コマの授業スタイルを「よのなか教室」としています。

  〇 学校の依頼に基づき、「よのなか先生」を派遣するためのマッチングを行います。

  〇 約1週間前に、事前学習として私が該当学級へ出向き、視点作りの授業を実施します。

  〇 「よのなか先生」との事前打合せを行い、写真などの資料を提供していただいた上で、当センターがプレゼンテーションを作成します。校正をやり取りし本番を迎えます。

  〇 当日のコーディネーター役(進行)を担任の先生に依頼するためのシナリオを準備します。

  〇 当日、「よのなか先生」に学校まで来ていただき授業が行われます。

  ◎ 年に1~2回、「よのなか先生」のための研修会を実施します。

 

2 14歳のよのなか挑戦のサポート:課題解決型職場体験学習

 ◆ 協力事業所とのマッチングに不備があればサポートを行います。

  ○ 年度初めに、市内の協力事業所、複数校がお世話になる事業所に対して各校の体験日程のお知らせをします。

  ○ 実施する上での各校の課題の調整を行います。

  ○ 体験学習前の生徒に対する事前学習に出向きます。

  ○ 体験学習日に事業所を数か所巡回します。

  ○ 学校の成果発表会に参加し評価支援を行います。

  ○ 事業所に対して事後アンケートを行い、結果を各中学校に提供し、次年度計画時の参考にしてもらいます。

  ◎ 年に1回、協力事業所と中学校職員との合同研修会を実施します。

  ● 次年度からは、全中学校で完全に自走化していただき、当センターは後方支援に回ります。その分、よのなか教室やその他のキャリア教育拡充にシフトしていきます。

3 研修の実施

 ○ 教育委員会主催の研修会でキャリア教育に関する講話を行います。

○ 学校の職員研修へ出向き、キャリア教育についての研修会を実施します。

 ○ 学校の保護者に対する研修に出向きます。

 ○ 学校の家庭教育学級の研修に出向きます。

 ○ 県内の各種研修会に参加し、有効な施策は日向市への導入を検討します。

4 各校のキャリア教育担当者の支援

 ○ 各校の授業計画段階からの支援をニーズに基づき、電話相談、来所相談や学校での

相談に応じます。

5 広報事業

 ○ 年に2回、キャリア教育通信を発行します。

  ・ 各学校や「よのなか先生」協力事業所などに配布し、啓発活動を行います。

 ○ HP(ホームページ)による活動の発信や教材の提供を行います。

 ○ 公式LINEによるブログ発信で、日々の活動や想いを広く伝えます。

 ○ 各メディアへの情報提供を行います。

6 視察対応

 ○ 県内外、他市町村からの視察に対応し情報交換を行います。

 ○ 新しい視点は日向市のキャリア教育に積極的に取り入れます。

7 連絡調整

 ○ 教育委員会と定期的に連絡を行い、日向市が目指す総合計画と教育委員会からの具体的目標に沿って、日向市のキャリア教育のプランを推進します。

 ○ 事業所を訪問し、協力の継続依頼や日向市が進めるキャリア教育の方向性の伝達に努めます。

 

 以上、思いつくままに書き出しました。細かなところでは他にも実施している部分はありますが、大まかにこのような活動を行っております。課題は多くあります。あくまでも各学校の支援を行っているので、学校の実態にマッチしなくてはなりません。先走りしてもニーズに合わないし、かといって時代が求める児童生徒像は刻々と変化しているので、事業所の変化を肌で感じやすい当センターでこその強みもあります。そこを十分に生かして、学校へアプローチをしていきたいと思います。そして、そのことが結果的に事業所への好循環を生み出すものと信じて、今後とも進化し続けていきたいと考えておりますので、どうぞ新年度もご理解とご協力をお願いいたします。

今日の日向市駅

2026.03.31

よのなか教室 卒業・進学学習~財光寺南小6年感想文

  卒業シーズンが過ぎ、次年度への準備が加速している本日だと思います。私も現役の頃に、331日と4月1日の両日が平日であれば相当プレッシャーがかかり「働いて、働いて」の状態でした。切り替えが十分にできないままに新年度を迎えてしまい、そのまま軌道に乗る5月まで猪突猛進でした。

 

 さて、昨日、34日に財光寺南小学校6年生で私が実施した卒業・進学の学習に対する児童の皆さんからの感想文をいただきました。授業で活用したワークシートとその後、作成していただいた感想文集になります。

 ワークシートは2種類ありましたが、その中でも以下の「生き方宣言シート」が「自分らしい生き方の実現」のためには重要になります。①中学校で挑戦することから、②そのためにやり通す具体策を考え、では、③自分の信念としてどんな力を身に付けたいのか、キャリア教育の4つの力に焦点化します。そして、その力を追求することで、④将来なりたい仕事に結び付けて、では、⑤今からどう生きるのか、という将来のイメージ象を通して自己を見つめ、これから中学へ向けて自分が努力する具体策を考えるという学習を展開しました。

 最終的には、学担の先生に完成をお願いしましたので、児童の皆さんがどんな受け止め方をしたのか気になっていました。こうして全員のワークシートと感想文を読むことができてほっとしました。6年生の皆さんは実に良く自己を理解し、将来の目標を決めて、それに対する現在の努力目標を設定していることが伝わりました。

 一部ですが紹介します。(スマホだと読みづらいと思いますので拡大をお願いします。)

 

 次は、感想文集からの抜粋になります。「深く考えた」「前を向く」「未来をしっかり考える」「看護師になるために頑張ります」などの強くたくましい言葉が光りました。

 

以前読んだ本の中で「君は、なぜここにいるのですか?」と質問された人の話がありました。半年かけて「3つの奇跡」に気付いたとのことです。それが、「この世に生まれたこと」「今まで死なずに生きて来られたこと」「目の前の人と出会うことができたこと」だそうです。この3つは確かにその通りだと深く納得しました。

 

本日で2025年度、令和7年度が終了します。日本独特のの季節での節目であり、明日からまた新しい1年が始まります。6年生の皆さんは、すぐに中学生生活が始まります。これからは3年ごとに節目が訪れ、そのブロックごとに大きく成長することでしょう。これまで12年間生きてきて、3つの奇跡が連続して今があるということを噛みしめながら中学の階段を昇って欲しいと願います。次の3年後にはどんな未来予想図を描いているのか楽しみにしておきます。

 

財光寺南小6年の皆さま、大変お忙しい中に先生や児童の皆さんが心を尽くしていただいたことに深く感謝申し上げます。そしてキャリア教育を前任の日知屋東小時代から強力に推進していただきました校長先生、本当にお世話になりました。

2026.03.30

生と死の分岐点

表題の本は文字通り、山岳遭難の教訓のための技術本になります。ですから、過去の遭難事例を事実に即して記述してあるものです。

Wikipedia

エベレスト(英語)チョモランマ(チベット語)サガルマータ(ネパール語)

 

ジョージ・マロリーはご存知でしょうか。192468日に、同じイギリスの登山家アンドリュー・アーヴィンと共に、エベレストで消息を絶った登山家です。「そこに山があるから」という言葉の人というならご存じでしょう。実際には「Because it's there.」と発言していて、エベレストの記者会見ですから「エベレストがそこにあるから。」の方が意味はより近いと思いますが・・・。1999年に、そのマロリーの遺体8100m地点で発見されました。この本の中で発見時の画像が紹介されています。あまりにも生々しいので紹介するのはやめておきます。記述だけすれば、うつ伏せで背中の肌が露出しているのですが、75年経過したその背中がなんと綺麗なことか。真っ白でツルツルなんです。私は恐怖より、その肌の白さに驚きました。

 

Wikipedia

                 ジョージ・マロリー

 

また、相棒のアーヴィンの遺体らしきものが、2024年にエベレストで発見されました。片方の古い登山靴とそれに繋がった靴下です。靴下には「アーヴィン」の文字が縫い付けられていました。しかし、マロリーの遺体の傍にも、アーヴィンの体の付近にもコダック製のカメラは見つかりませんでした。つまり、見つかればフィルムに登頂シーンが写っている可能性があるのです。未だに、二人が登頂した後に遭難したのか、登頂していないのかは登山界最大のの一つになっています。

Wikipedia

                アンドリュー・アーヴィン

 

二人が遭難したのはエベレストの頂上から約240メートル下の地点だと言われています。一体そこで何があったのでしょうか。生死を分けたものは何だったのでしょうか。

 

北極圏を犬橇(ぞり)縦断するなどの極地探検家の角幡雄介氏は著書で「死の余白」と書いています。冒険家、探検家、登山家などは、「猛烈な吹雪や大雪などの悪条件に苦しめられて、死の危険をひしひしと感じながら、そのなかで技術と経験を総動員して危機を乗り越えられ何とか成功を勝ち取ると、そのときはただの成功以上の満足感があり、すごい冒険をしたという思いに震える。」しかし時間が経つと、「すべてのエネルギーを使い切るほどやり切っていたのか」という「完全燃焼ポイントはまだ先にあったのではないか」と、「距離がのこっている」思いに駆られるそうです。「生きている以上、かならず残存する不完全燃焼感、これが<死の余白>である」そうです。

 

レベルは違いますが、私が冬山で猛吹雪の中登り続けていた時、時折、風の音が何もしなくなり、ただ自分の足だけが右、左と交互に前に少しずつ動いている、この繰り返しだけが下を向く目に入っていました。吹雪でまつ毛が段々と凍りだしてが開かなくなるのですが、なぜか静かなのです。実はこれは危険な状態です。フッと我に返り、「ゴーッ、ガーッ、ザザーッ。」という猛烈な風の音と強烈な吹雪が片方のをたたいているのに気づきました。考えるモードになり、ここが撤退地点だと自分に強く言い聞かせて、思い切り180度ターンして下山にかかります。ほかの屈強な登山家からすれば、北アルプスくらいの標高の山のそのような場所で、何を大げさなことを言っているのかと笑われるかもしれませんが、それは、その時の私の生と死の分岐点だったのでしょう。

色々な場所で遭難した人が残念ながら命を落とすことがあるのも、「突っ込んでみよう」「もっとできるかもしれない」と「死の余白」への挑戦にまとわりつかれたからかもしれません。そんな心中を察すると、私はその方々を非難する気にはなれません。

 

 日本の若く有名な登山家が数年前にヒマラヤで単独登山中に亡くなりました。この時も凄い数の批判があったようです。「力量にあっていない」とか「そんなメディアにアピールなんかして」など耳を覆いたくなるほどでした。一番悲しいはずのお父様の記事がありました。「悲しいですが、息子はよく頑張ったと言ってやりたいです。」と。大切なのはそこではないでしょうか。

 

仏教の話を取り上げる必要はありませんが、「和顔愛語(わがんあいご)」という言葉もあるように、批判的な言動は自他ともにストレスを与える「」とみなされるそうです。いわゆる寛容の精神です。自己の信念(人生の目的)に基づく行動を重視し、感情的な否定よりも調和を大切にするそうです。

人生の目標を決めて走っている人に対しては、応援はしても批判をしてはいけないと思っています。を落としては元も子もありませんが、万が一亡くなったとして、挑戦は称えるべきであり批判することはやめたいです。それがその人の生きる道、その人の生き方であり、自己実現なのですから。しかし、だからこそ、生きているうちは、生と死の分岐点は見極めたいと思っています。山の話のみなならず、「行くべきか。からでもいいのではないか。」とか、いつでも分岐点は存在しています。

本日はコアな話で失礼しました。

2026.03.27

介護面談

 

 昨日、休みを利用して高齢の親に関する面談(アセスメント)のために宮崎へ出向きました。ケアマネージャーの方は以前からお世話になっていてよく知っている方です。もう一人の施設看護師の方は初めてでしたが、親は以前からデイサービスでお世話になっています。

 

 初めに、在宅介護支援センターからの評価結果の報告があり、「転倒なく活動ができる」や身体機能についてなど、実に細かく見てもらって本当に有難いことです。

また、親についての課題分析結果が資料と共に提示されました。そして、それをもとにして、今後の総合的な援助の方針が打ち出されました。親は色々な病気も持っていますが、日常のサポートは近くのきょうだいが行っており、そのことについても介護支援センターの方と情報を密に共有できています。その上で、専門的なアドバイスのもとにリハビリを兼ねた運動を継続し、自立が継続できていくこと、そして通所での交流の活性化によって認知機能の進行を防止することを目標とする方針が話されました。

 また、居宅サービスの計画書も多岐に渡って細かく示されており、長期目標短期目標、サービスの内容などが聞いている私たちにも分かり易く伝えられました。

 最後に、これからのデイサービス送迎時刻の計画表が示され、認知機能が低下していく高齢者にとって、通所する日によって送迎車の到着時刻が変わるのは不便なので、一定の時刻にしていただいており大変助かります。施設のスタッフの方が送迎まで行っているということから、人手不足や体制の方針など様々なことが影響して、そういうやり繰りをされているのだと実態をよく把握できました。

 これらの評価分析を一通り見させていただき、学校における一人一人の児童の評価内容より細かいと感じました。高齢者は健康が第一の課題であり、少しの手違いが本人に大きな身体的ダメージを与えてしまうという危険があるため、大変な緊張感のもとに仕事をされているのだと、こういう細かな書類作成からも受け取ることができました。

一人の高齢者に対してこのような面談が行われているので、実際にはスタッフの方は、担当するすべての家族とこうして面談をし、困りごとニーズを吸い上げて方向性を探る仕事をされているので頭が下がります。

80歳以上では25%の人が要介護状態になると聞いています。人は老いると必ず誰かの世話になります。その現実を受け入れるのは容易ではないと思いますが、こういう介護サービスを受けることで段階的に自分の老いと、一人では生きられない現実を受け入れる準備をすることに繋がるのだと思います。

介護サービスでは高齢者一人の単なる世話だけでなく、一人の人間としての尊厳生き甲斐人生そのものを支えていただいていると感じます。ですから、世話になる本人も生きている実感を抱きながら人生を幸せに下れることになるのではないでしょうか。

 

戦国武将・斎藤道三は辞世の句で、「捨ててだに この世のほかは なきものを いづくか終(つい)の 住処(すみか)なりけむ」と残しました。あまりにも現世への無常観諦念がこめられ過ぎていて受け入れがたいのですが、では現代の高齢者の「終の棲家」はどこだろうと考えたりもします。介護職の方々が利用者一人一人の人格を尊重しながら献身的にお世話をしていただいているので、施設が終の棲家になったとしても温かい人が周りにいるという実感を持てます。過去に遡れれば斎藤道三さんに、現代はいいよと伝えたいものです。

 

 とはいうものの国全体としては私の場合のように親が介護職の方々に頼って自分の生活を成り立たせることができていますが、自分で高齢の親を介護しておられる方々も多いと思います。また、その身内すらいなくて一人で路頭に迷っている方々が多いのも現実です。国の仕組みを何とか充実したものに立て直してほしいのは山々ですが、身近な地域のこういう仕組みにも関心を寄せていかなければならないと、改めて向き合う一つの課題となっています。介護職の方々なしには私の今の仕事はできなくなるので、人口が少なくなる中でも需要の多い高齢者のためにも若者が目を向けるような働き甲斐遣り甲斐を少しでも紹介していきたいと思います。

2026.03.25

教科書に見る学習内容の配列~算数2

 

 先日は、6年算数「割合としての比」について、その概念と「比の値」の捉え方、そして現在の教科書の学習配列についてお話ししました。簡単に言えば、以前の教科書は、比の値を教えてから比の概念に入り、現在の教科書は、比を教えたあとに比の値が出てくる、という順序になっています。

そこで本日は、現在の教科書(啓林館)で、「比の値」が登場してからその後の内容をどう扱っているかについて触れてみたいと思います。

 

比の値の後には「等しい比の性質」として「比を簡単にする」を学習します。「比を簡単にする」とは、「等しい比で、できるだけ小さい整数比になおすこと」を言います。懐かしいのではないでしょうか。

たとえは、40:50なら4:5という訳です。さらに、小数比分数比も学習します。1.51.210倍して15:12とし、更に3で割って5:4となります。では、双方に8を掛けてもよいし、通分してもよく、6:5となります。

ここまで2時間つまり2日かかります。その次の時間(翌日=3日目)には、それまでの復習をするように練習問題が1ページの分量で設定してあります。練習問題をこなして定着を図る訳です。この2時間(3時間)の中の「比を簡単にする」を扱う中で、40:50も120:150も比の値で、「2つの比は等しい」と「比の値が同じであれば、大きな整数であれ、小数、分数であれ同じだ」ということから「簡単にできる」(以降、数学へ向けて「比は簡単にしておくこと」)を学習することになります。ですから、教科書の学習順序としては、比の値の意味を深めていくことの大切さを、時間をかけて理解できるように配列していることになります。

 

ここで注意したいのは、その「等しい比の性質」であっても、小数比、分数比になると、通分や最大公約数などを利用し数学的計算が中心になるので、子どもの思考から比の値の概念が消えてしまうことに留意しなければなりません。ですから教科書は3時間目に練習問題を設定して、定着させようと狙っていると思われます。しかし、先ほどから3時間(3日)と書いている通り、6年になると算数は一日に一時間しかないので、3時間は3日間ということになります。そこへ行事や休日が入れば、間が5日間も空く場合があります。

ですから、次の「比を使った問題」では教科書通りの順序で「比の値」を利用した解決方法の理解がスムーズにいくのかという疑問が私にはあります。具体的な問題は以下の通りです。

そして、次の時間の問題がこれです。

 

 これらの問題を解決するにあたって必要になるのが、等しい比比の値の考え方になります。これらを活用すると、3×30=90や120×=90、第2問目は、3.5×=2.1や3.5×=1.4 と求めることになります。

 

そこで、比の値という児童にとって難しい概念の学習から間が空くことを憂慮する私なら、児童の思考の流れ、連続性を考えて教科書の配列を次のように変更し指導します。

先日紹介した単元導入時の「マヨネーズとケチャップの問題」で2:3と比の概念を教え、abでは「ab倍であるこの比の値という」ことを教えた次の時間に(教科書では4時間後の)上記「砂糖・小麦粉3:4、小麦粉120gなら砂糖は何gか」の問題をさせてみます。

その次の時間は「等しい比の性質」を学習し2時間(2日)目に「練習問題」まで一気に進め、さらにその次の時間にもう一度「砂糖・小麦粉」の問題を解かせてみるのです。そうすると、「なあんだこの前と同じ問題じゃないか」という子どもは「比の値」で解くでしょうし、前日の「等しい比」が頭に残っている子どもは「3:4=x:120」を利用して解くでしょうから、学級全体が「おお~っ、どちらからもアプローチできるぅ~!!」となる訳です。もちろん、異議はあることでしょう。この「砂糖・小麦粉」の問題で、それ以前の「等しい比」と「比の値」の考え方が理解できているか双方を問う訳なので、その提示の仕方は短絡的だとの批判もあるかもしれません。

 

すでにこのような独自の配列で進めている先生もおられるでしょうし、また違ったアプローチをする先生もおられることでしょう。このように、教科書の単元の内容配列をよく精査すれば、学習内容をどことどう結びつけていく方が、子どもの理解はより進むのか、あるいは、前時の内容をうまく活用できるかという数学的な思考力を育てやすいと思っています。さらに、単元の中で、どこに比重を置き、ここでは時間をとって深く主体的に考えさせようとグループ学習を取り入れるなど、軽重をつけることが結果的には効率よく学習が進むことになります。そのような教材の研究はどの教科でも必要となってきますから、教員はその時間にこそ時間を確保したいのですが現実は厳しいです。

 

すべての学習内容を同じ比重で取り掛かっていては、教科書をなぞるだけで終わってしまうし疲弊してしまいます。そこへ来て学級内の諸問題への対応が入ると学習に集中できない環境ができあがり、これまた重労働になってしまいますので、経営というマネジメントを学習以前に成立させることはなかなか難しいものです。

 

 私はキャリア教育というカテゴリーで再び現場に立ってみて、「この時間の後に(学級・教科)担任は次の授業が続くなあ。」と、教科指導だけではない日常のやり繰りに想いを巡らせました。しかしそれでも、学問を教えるということと、子どもが新しい定義や概念に触れていくことの学ぶという原点は実に面白いと改めて教育という営みの深さを感じたものでした。

2026.03.24

キャリアプラン

 「あなたのキャリアプランを聞かせてください」と聞かれたとき、何と答えますか?

 私が教職現役中でしたら、「仕事では子どもたちが確実に成長できるような教育課程を編成し、毎時間70%力量の授業を提供していき、オフ時には自然と共存できるライフスタイルで進みたい。」とでも答えるでしょうか。

 

 キャリアは単に、職歴・経歴のみを指さず、自分の生き方をも含めているのはご存知の通りです。しかし実際には、何ができるのか、どんな貢献ができるのかを明確にしないと、組織としても、個人で展開するにしてもビジョンがぼやける印象があります。そういった意味では、資格にしても特技にしても、まずできることが明確であることは否定できません。子どもたちで言えば、「書道何段」「テニスで優勝」「将棋何段」「英検何級」「挨拶NO1」「バク転できる」「姿勢(背筋)誰より美しい」など、資格とは限らなくても、これをやったら誰からも称賛されるものを持ち合わせていることは、自分のキャリアプランにとっても自信になります。

 

 いきなりですが、私は相撲観戦が好きです。霧島関が優勝してほっとしました。もっぱらテレビでの観戦をしますが、相撲やサッカーの選手がセカンドキャリアに関して現役中からかなり不安に感じている選手が多いと聞いたことがあります。

サッカーの場合はキャリアサポートセンター(CSC)が充実していて、退団後のセカンドキャリアについて選手のサポートを行っているようです。一方、相撲の場合は人格が高く評価されて、ツテを頼った引退後の道筋が一般的らしく、それゆえに不安定な将来を考え入門に二の足を踏む力士志望も多いそうです。

 

 力士の給料については考えたことはあるでしょうか?横綱でさえプロ野球の活躍選手に比べると10分の1程度になります。幕下の力士には給料はなく、手当としてアルバイトに満たない額が支給されるのみです。勿論、食費や生活費は部屋で見てもらえるので、その心配はいらないのですが、早く十両に昇進しないと道は厳しいのが相撲の世界です。

 また、日本の相撲には、複数の組織があり育成の過程から違うので、キャリアをどう重ねていけばよいのかは、上記給与の部分を含めて自分のキャリアプランとしては悩むと思われます。元若乃花親方が相撲界の改革として話に出すのは、「組織の複雑さと収益に関する部屋としての在り方が難しい」ということのようです。

 

 格式ある日本の伝統文化である大相撲に品格を求める人は多いと思いますし、私自身も古来の作法と1対1の真っ向勝負が面白いと感じている一人なので、今後もこのまま続いて欲しいと願います。しかし一方で、時代は変わり、入門する力士も自分の生き方としてのキャリアを重視する時代ですから、引退後もスムーズにセカンドキャリアを獲得してもらいたいと思います。

別の資料では、引退した力士は運送業界で重宝されるという話がありました。それは、①体力があること、②集中力と規律正しいこと、③コミュニケーション能力が高いことがその理由だそうです。なるほどと頷きますが、視点を変えれば、この3つは一般人でも鍛錬によって十分に獲得できる能力ではないかと思われます。体力は部活などで頑張ってもらって、それ以外は、いつも提示している「キャリア教育の4つの力」に含まれると見ることができます。ここでもキャリア教育の重要性を改めて確認することになりました。

 

 本日は、資格を持った方がよいという話ではなく、自分に確たる自信をもつ意味でのキャリアプランの考え方についてお話ししました。教職ではなく今の私の立場を考えたキャリアプランはと言いますと、「が市内の学生になったときにキャリア形成が確実にできるよう一定の道筋を付け、自然と共生していくこと」と考えます。

2026.03.23

むかばき

お彼岸の墓参りを済ませ、休みを利用して延岡市にある行縢(むかばき)山に登りました。実に10年ぶりくらいではないかと思います。昔はよく登っていました。冬山のトレーニングも兼ねて40kgの荷物を背負い一日に2往復したことも懐かしい思い出です。

山頂では心地よい風に吹かれ、霞んだ延岡市街地や太平洋と、南方には尾鈴山系、西側には五ヶ瀬方面の九州脊梁山地、その北西にはうっすらと阿蘇の山なみを見渡すことができました。岩の隙間からは、固有種のヒュウガミツバツツジが、ここは自分の縄張りだとばかり鮮やかに咲き誇っていました。

 下山後、帰路に着くと集落の先に神社がありました。鳥居が菜の花畑に囲まれていてなんとも美しい光景です。この神社周辺の舞野町の有志の方々が地区活性化のために毎年菜の花を植えられているそうです。有難いことです。

下舞野神社

 

 行縢と言えば、宿泊学習を思い出された方も多いのではないでしょうか。県北に住んでいれば、ほとんどの小学校5年生で登山を中心にした宿泊学習に参加した経験があるのではないかと思います。昔は中学1年でも実施されていました。登山の苦しさと達成感やキャンドルの集い天体観測工芸教室などが2泊3日の中にプログラムされていて、人生の思い出の一つになっていることでしょう。

 

 現在、宮崎県ではほとんどの中学校で宿泊学習は実施されていないようですが、一部の私立中学校は実施していて、東北の山中にある豪華な施設で3泊4日の英語宿泊研修をする学校もあるようです。やはり中高一貫としてのキャリキュラムの余裕と経済面より内容重視の方向性がなせる業かもしれません。公立の中学校は忙しく余裕がないのが現実なのでしょうか。

それにしても、こういう自然の中に児童生徒を送り込みながら、学級の垣根を越えて学年の絆づくりを目的にした宿泊学習は、人間関係が薄くなってきた今の子どもたちにこそ必要なプログラムではないかと思います。他県では現在も公立中学校の全学校で実施しているところもありますが、一度止めてしまってから復活させるのは簡単ではないでしょう。また、実施するにしても昔とは違い、より多くの配慮が必要になってきた感がします。

 

ところで、忘れもしない約30年前。私が小学5年の担任だった時、一人の児童が行縢(宿泊学習)には行けないと言ってきました。費用が理由のようでした。夕方、私は自宅を訪ねました。父子家庭のその家では、5年の子が台所で洗い物をしながら私を迎えてくれました。お父さんは、周辺が散らばった畳間のテーブル前に座り怪訝な顔で私を見ていました。5歳ほどのがいて、訪問者が嬉しいのか私に飛びついてきました。洗い物をしていた5年生の子がひび割れた手で、少し汚れた茶碗にお茶を注いでもってきてくれました。私はお茶を有難くいただきながら、幼い妹をあやして少し間を置きながら、お父さんと話し始めました。お父さんは家庭の状況などを語ってくれ、私が来た理由も分かっていたので費用の捻出は経済的に無理だと言われました。しかし私はこのままでは引き下がれず、その5年生の子が学校でとても頑張っていること、宿泊学習の目的意味などを熱く語りました。1時間くらいして、お父さんが折れてくれました。「先生がそんなに言うなら分かった。お金はなんとか集めて子どもに持たせます。よろしくお願いします。」と言われ、私は子を持つ親の思いに触れ胸が熱くなりました。

 

 そうやって学級全員が宿泊学習に向かうことができたのを昨日のことのように覚えています。それから10数年が経った時、その子の結婚式に呼ばれました。がんばって来たんだ、本当によかったと思いました。さらに約10年が経ち、今度は私が赴任する学校で、その子が保護者という立場で再会しました。色々あって苦労してきたことが分かりましたが、なんとか子どもたちを真っ当に育てているようで安心しました。私は、教え子の子どもから「先生はお母さんの先生だったんですか?」と言われることが嬉しかったです。

 

行縢という一つの地名には山や神社だけの景観だけではなく、これまで幾千人の人生ドラマまで包含している思い出が詰まっていると改めて思った春の登山でした。

2026.03.17

置かれた場所で咲きなさい

 ミラノ・コルティナパラリンピックは閉会しました。競技はご覧になったでしょうか。パラアルペンスキー女子スーパー大回転(座位)で銀メダルを獲得した村岡桃佳選手が、度重なるけがを乗り越えて4度目の冬季パラリンピック出場を果たしたことはニュースでも大きく報道され、日本に歓喜をもたらしました。

 

私は休みの日に「クロスカントリー男子10kmクラシカル立位」の放送を見ました。この競技の面白さと強靭な肉体や精神まで感じ取ることができ大変感動しました。この種目には、日本の川除大輝、新田佳浩、岩本啓吾、佐藤圭一の4選手が出場し、川除選手が最高の4位でした。説明するまでもないのですが、彼は、北京大会時は20kmで優勝し、冬季パラ日本最年金メダル少記録保持者です。

 

 クロスカントリーの選手区分は15クラスにもおよび、複雑で私もよく分かっていないのですが、川除選手はLM5/7というクラスのようでした。ストックを持たずに腕の振りだけで加速する独特の技術を磨いて、上り坂で他の選手を追い抜いていく姿には胸が熱くなります。

 大会そのものは、ほかのクラスの選手も同時に競技するため、障害の程度がまったく異なる中での順位争いとなるので、ハラハラドキドキしたり、そのクラスでの現在の順位をテレビの表示で確認したりして、見る側もとても緊張します。

 

 

 同じクロスカントリーの女子の部で出場した阿部友里香選手は、妊娠、出産を挟んでの大会出場となり、そのエネルギーはどこでどう調整しているのか信じられないパワーだと恐れ入りました。

 

パラサポWEBより

 

本人は御主人や娘さんに対し、「パラリンピックという特別なところで滑っている姿を見せられたのは良かったと思いますし、(娘は)覚えていないかもしれませんが、将来写真を見返したときに伝えられたらいいなと思います」と、強いアスリートとして愛娘への思いを語っていたのが印象的でした。

 

 このほかに、パラリンピック・スノーボードクロスに出場したイタリアのエマヌエル・ペラトナー選手は、過去2回の冬季オリンピックに出場したものの、大けがをしてパラリンピックに転向した選手です。どのようなモチベーションの持ち方、高め方で方向転換できるのか、並の人間では切り替えることすら難しそうです。彼には「どんな出来事の中にも希望を見いだすという人生哲学」があるそうです。これを聞くと、10年前に亡くなったキリスト教カトリック修道女の渡辺和子さんの有名な「置かれた場所で咲きなさい」という言葉を思い出します。

 

 パラリンピックの選手たちは、スポーツに向かう以前に自分の障害と対峙する長い期間を持たなければなりません。自分の心身との葛藤だけでなく、世間という難敵との闘いがあったことだと推測します。それでもなかなかパラアスリートとして開花する人は一握りなのでしょう。その難関を突破してスタート地点まで漕ぎつけた道のりは、単に努力というだけでは見えてこない苦難の遠い時間だったと思われます。

 一般には、置かれた場所で咲けないままに散ってしまう人の数が多いのでしょうが、道を変えてまたとなり咲く努力をするところに生きる価値はありそうな気がします。古代ローマの哲学者であるルキウス・アンナエウス・セネカが「困難だからやろうとしないのではない。やろうとしないから、困難なのだ。」と言うことと共通するものがあるのかもしれません。

 

岩登りの場合は、岩の弱点を見つけながら登ります。それは逃げているのではなく、全体の何百メートルにもなる巨大岸壁を攻略するために、目の前の一瞬の壁をどうクリア、攻略するかを考えた決断なのです。ですから、目の前の難しい仕事を放りだすのは「逃げ」でしょうが、どうすればうまく解決できるか、自分の力量に照らして判断し、許せる時間内にベターに処理することは「逃げ」とはならないでしょう。ベストならなお更よい結果をもたらすことと思います。

置かれた場所で咲く。難しいですが、トライしてこそ自分に厚みが増すのだと思います。

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