Hyuga City Career Education Support Center
2026.04.22
本日は年度初めに当たり、当キャリア教育支援センターについてHPとは別にお知らせします。
日向市キャリア教育支援センターが日向市駅隣りの商工会議所内にあることはご存知だと思います。これは設立当初の理念で、学校と事業所をつなぐ役割を果たすためには市内事業所の動向をよく知っている商工会議所の機能を生かしてキャリア教育を支援した方がよいとの考えから設置に至りました。平成25年のことになりますから、13年前ということです。

我々の事務所が商工会議所にあることを学校側から見ると、商工会議所の事業として動いているように感じるかもしれませんが、設置理念がそうであってあくまでも日向市教育の一環として活動しています。すなわち、教育委員会との連携のもとに動いているのです。ですから、教育委員会との連絡会議も定期的に実施し、決して本センターが独自に走っている訳ではありません。学校に提案やアンケートなどを行う場合も教育委員会に確認をとった上で各校に連絡するようにしています。
もちろん、ご挨拶という名目で各校を訪問したり、授業前の打合せや事前学習、そして、よのなか先生によるよのなか教室に関しては当センターで積極的に動いています。しかし事後報告として教育委員会に状況を知らせています。
2年前からキャリア教育支援センターでは、基礎的・汎用的能力の「4つの力」の育成をキャリア教育の中心的な課題として掲げています。これも文科省の方針に沿った形で、日向市において汎用していく文言に整理したものを教育委員会に確認をとり提示しています。

どのよのなか先生によるよのなか教室であっても、どの中学校のよのなか挑戦であっても、ねらう目標がこの「4つの力」になるように支援していくのが我々キャリア教育支援センターの担う学校への役割です。昔、出前授業として事業所の方に十分な打合せもなく来ていただき、結果的に生徒の消化不良を起こした苦い経験があります。現在はこのような状況に児童生徒が陥ることのないよう、依頼のあったよのなか教室の前に、事業所との事前の打合せは当センターが丁寧に行っているところです。
また、よのなか挑戦は各中学校が自走していただくようにしておりますが、上記「4つの力」の視点作りとして、全中学校で事前学習を展開していただきたいと思います。そのためにも年間を通してよのなか教室では特に、事前に児童生徒が「4つの力」を意識するような事前学習に力を入れて、翌週によのなか教室本番を迎えるというプログラムを提供しています。さらに、よのなか挑戦に関する「事業所の会研修会」や「よのなか先生研修会」には事業所の方々にご参加をいただき、日向市のキャリア教育の方向性や「4つの力」についてお示しし、ご理解をいただいているところです。
もちろん、学習内容によっては速効性のある地域人材の活用が有効な場合も多々ありますので、その場合には地域の人脈に明るい地域コーディネーターをご活用ください。我がスタッフには地域コーディネーターを兼務する者もおります。

よのなか教室やよのなか挑戦は、商工会議所から協力していただく事業所への働きかけがあってこそ、事業所の皆様が「子どもたちのためなら」と業務を一部中断し、事前の資料準備や当日訪問などを快く引き受けてくださっている現状があります。学校内からは市内事業所の日々のご苦労は見えませんが、現在の大変厳しい社会状況が引き起こしている事業所への多種多様な圧迫は、打合せの時間にでも懇意に話をしていただくと伝わってくると思います。そのような状況で児童生徒のために時間を割いて学習を引き受けてくださっていることも考慮しながら、学校だけでなく地域で子どもを育てるという観点に立って、教員、事業所員、センター職員などが一丸となる必要性をひしひしと感じます。

あくまでもキャリア教育の実施当事者は学校、学年・学級ですから、「キャリア教育は分かっている。きちんとやる。」と言っていただくのはとても心強い事ですし、将来的にはそうなっていただきたいと思っています。現時点で、「そういうことか、それならセンターに頼んでみるか。」と思われたなら、ぜひともご利用いただきたいです。よのなか教室について、一カ月以上前にまず電話をいただけると対応できます。夏季休業中の学校職員研修であれば、遅くとも6月中旬までには連絡をください。
以上、日向市キャリア教育支援センターが文科省・教育委員会の路線で論理的・積極的に支援活動を行っていること、基礎的・汎用的能力の「4つの力」を目指した学習構成を提供していること、地域コーディネーターと協力し活動を棲み分けていること、事業所への働きかけを行っていることなどをご理解いただけたでしょうか。
手厚く、目的的な日向市キャリア教育として支援して参りますのでご利用をお待ちします。

2026.04.21
昨日はこのタイトルのもとにお話を書こうと思っていましたが、少しでも早く「亀井さんの記事」を書きたくて変更しました。ところが、夕方、東北・北海道地方で大きな地震があり、また現実味が増してきました。一人でも多くの方が準備・対策を考えられるように話題提供ができればと思います。(防災士として何の活躍もできませんが、この場をお借りして普及していきます。)
今から25年前に、「南海トラフ地震は今後30年内に70%の確率で発生する」と聞いたことがあります。科学が進歩するにつれ、その確率は修正され続けてきました。あれから25年が経過したのですからいよいよ現実味が増してきて緊張します。
地震調査研究推進本部
南海トラフ巨大地震はマグニチュード(M)8~9程度の地震で、調べてみますと、前回は昭和南海地震になります。1946年(昭和21年)12月21日未明4時19分、紀伊半島沖を震源とする巨大地震が起き、約9分間の震動時間だったようです。南西日本一帯では地震動、津波による甚大な被害が発生しました。9分間というとさぞ恐ろしい時間だったのではないでしょうか。しかも寒く暗い時間帯で不安は増大したことと思われます。震源地に近い場所では震度6でしたが、宮崎では震度4だったので戦後の混乱期とはいえ、宮崎県の直接の被害は少なく後処理も比較的迅速に進んだとの記録がありました。

南海トラフ地震の間隔はおおむね100~150年で、昭和南海地震から今年はちょうど80年が経ちます。そのため発生確率が年々上がるのは当然で、現在では、「今後30年以内の発生確率が60〜90%程度以上に引き上げられ、非常に高い水準でいつ発生してもおかしくない状況」です。ここで注目したいのは、私が25年前に聞いた「70%の確率」より「60%」は下がっているのですが、逆に最大確率が「90%」になっていることには着目しないといけません。ですから、「地震発生の切迫性は極めて高い」と評価されるのでしょう。大切なことは、「日ごろからの備え」を再確認することだと思います。一方で「必ず起きる訳ではない」と強調もされているので、あまりに深刻に考えず、平常の備えとして準備することが大切だと思います。
2年前の8月8日に発生した日向灘地震では、初めて「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」が発表され、宮崎はもとより、四国、東海地方などの地域が大慌てになったことが思い出されます。
気象庁
私が本日お話したいのは地震に対する予備知識よりも地震後のイメージです。過去に熊本、佐賀、延岡、能登、天草と、水害も含めた被災地でボランティアをした現場のその後の情報を集めてみますと、復旧、復興には大変な時間と労力と諦めが積み重なっていることを目の当たりにします。
自分が被災したことをイメージすると分かるのですが、応急仮設住宅には2年しか住めませんし、その仮設住宅に入るまでは、何カ月も避難所生活。あるいは、親戚を頼るか、自力で民間施設を借りるか。そこからまず問題が発生します。その避難所は不衛生になりがちで、それだけに「自助」「共助」の名のもとに、被災者が自ら運営しないと衛生環境は維持できません。
さらに、体育館や公民館などの避難所から仕事に向かわないと収入を維持できませんし、それだけで疲れるので、自宅の片付けや解体、建設などに思考も行動も回らないという現実を突きつけられます。そうして時間だけが経過し、自宅の処理や復旧に個人差が出て、今度は「地域に迷惑をかける」というプレッシャーに追われることになります。
そんなストレスの中でやっと仮設住宅の話(抽選)がやって来るのです。当選して入居しても、そのコミュニティはまったく新しい見ず知らずの人たちとの生活になり、そこにも新たなストレスが発生します。ようやく落ち着き始めた頃には2年が経過し、今度は退去することを求められることになります。
実際に能登では、入居者の退去で空いたところから仮設住宅を一般に貸し出すという計画が上がっているようで、現在の住民からは、知らない人が入ってくる不安や募集要件の不透明な部分の不満が出ているそうです。また、仮設住宅に住んでいると「新築しませんか」というチラシが山ほど届くそうですが、多くの人は資金(支援)不足で家を再建できないのが現実です。「生まれ育った場所に帰りたい」と思っても家を再建できず、チラシを眺めるのはつらいと言われていました。また、ほとんどの小学校のグラウンドには現在も仮設住宅が建っているため、子どもたちは学校の運動場が使えない状態が続いています。これが震災から2年が経過した被災地の現状です。
自分が被災者になった時、どう立ち直っていくのか。そのイメージを持っておくことが大切ではないでしょうか。考えても答えは出ないかもしれませんが、被災してからでは考える気力も湧かない場合があるので、平常の今こそ考える時間を持つべきではないかと思うのです。それが、被災し尊い命を失った方々に対する自分の務めではないか、そしてそれが教訓だと思っています。防災、減災のために個人レベルでは何をするか。学校は、事業所は、地域は。
起きていないことに時間を費やすのは大変な労力が必要ですが、災害大国日本に住む宿命であることは間違いありません。次回は個人レベルでの具体的な内容についてお話しできればと思います。
2026.04.20
イメージです
最近読んだものの中で一番感動的だった記事をどうしても紹介したかったので、お付き合いください。
亀井史巠(ふみひろ)さんは現在85歳の広島県在住の元刑務官です。下半身不随の父と片目失明した母の元に生を受けた亀井さんは、5歳の時に広島の爆心地からは20km離れた場所に住んでいましたが、黒い雨の水により生死の境を彷徨う貧しく厳しい生活を送ってきました。

その亀井さんが語る、昭和40年4月に出会った死刑判決を受けた被告人Sとのお話は、心を揺さぶられるものがありました。護送されてきた死刑囚Sさんについて、「入所手続き中、Sは殺気立って全身を激しく揺さぶり、警察官の制止を振りほどいて立ち上がると、我々に唾を吐きかけ、続いて体当たりを仕掛けようとして、これを制止されると辺り構わず周囲にある物を蹴散らしながら『なめるなー!』と怒鳴り散らす狂乱状態となりました。この時の怒り狂ったSの怒髪天を衝く形相はまさに鬼、猛獣そのものでした。これがSとの出会いであり、生きた鬼に出会ったのは後にも先にもありません。」との語りから始まりました。
亀井さんの真正面からの対応は「生きた鬼」と呼ばれたSさんに劇的な変化をもたらしました。ある日の体操の時間にSさんを呼び出し、地面に漢字を書きながら、その読み方と意味を教えるとSさんは飛びついて喜び、それから毎日その時間に教えてもらうようになりました。というのも、Sさんは刑務所で生まれ、極貧の祖母が育てることになり、貧しさから盗みをして祖母との生計を立てていた幼少期だったそうです。ですから当然学校には通っておらず、文章の読み書きができないまま育っていたのです。
そんな亀井さんとSさんとの交流が順調に進んでいた頃に亀井さんは転勤になり、数年したある日にSさんの刑の執行を知ることになります。そして亀井さん宛に届いたSさんからの手紙は大変綺麗な文字でしたためられており、「以前は自分を生んだ母親を恨んでいましたが今は感謝しております。罪を犯した相手の方への謝罪の気持ちで一杯です。このような気持ちにさせていただけたのは亀井先生のおかげです。今はただ、祖母の安否が気がかりです。死ぬ前に人としての幸せを掴ませていただくことができました。ありがとうございました。」というような内容の文章が丁寧に書かれていたとのことでした。
亀井さんの年譜を考えてみますと、Sさんと出会ったのは亀井さんがまだ20代半ばの頃になります。そのお年で「生きた鬼」と対峙されたのですから、ご両親から「人を幸せにするために生まれてきたのですから人を助けなくてはなりません」という生き方の教えが源流としてあったのだろうと思いました。掲載されたお話のテーマ「どんな犯罪者でも必ず立ち直れる」はテーマだけ見ると一般論のように思われがちですが、Sさんを立ち直らせた亀井さんが言われるので大変説得力があります。もちろん生半可な覚悟では当人の心に入り込むことはできません。それでも覚悟をもって接すると、このような「生きた鬼」の心にさえ入り込むことができるのですから、まだまだ成長過程にある児童生徒には入っていけるのかもしれないと考えさせられました。根本的なことを言えば、Sさんという人格を作らない世の中であるべきですし、そうするには親としてどうあるべきか。また、どうしても人の育ち方(育て方)には個人差が出てくるので、迎える学校としてはどうあるべきか。さらに地域としてはどういうコミュニティを作るべきか。それぞれの立場で覚悟をもって考え、立ち向かわなければ世の中はよくならないのでしょう。私自身を振り返ってみてもまったく不十分だったと反省すると同時に、今からも自分の置かれた立場で尽力したいと思いました。
当事者の生き様や実際の言葉などはもっと人間の深い部分に突き刺さるようなものがありますので、興味のある方は全文をこの本で読んでいただければと思います。
2026.04.16
今朝の塩見川
久しぶりに晴れ、朝外を見ると苺が真っ赤に実っていました。早速、孫の手を引き庭に行くと、孫は苺を見つけて大喜びでもぎ取りました。手に二つの苺を持ち一口食べると「オイシイー。」とニコニコ笑顔になりました。
本日はその「食べる」についての話題です。
「生きるために食べる」のか「食べるために生きる」のか。「食べる」をテーマに「生きる」を考えたとき、どちらが基準になるでしょうか。文化人としては一人一人生きる目的がありますから、そこへ向かうために食べるのだから、「生きるために食べる」でしょう。あるいは、我々も哺乳類の一種なので、サバンナの野生動物と同じように、寝て起きたらお腹がすき食べ物を探す行動をします。そうしないと生きていけないので、まず食べることを先に考えます。そうなると「食べるために生きる」でしょうか。
別の視点から。旅行が好きな人は多いと思いますが、人はなぜ旅が好きなのでしょうか。冬山に登る際によく聞く「非日常の体験を得る」のと同じではないかと思います。「未知なる土地に触れる」ことでアドレナリンが出る感じの心地よさを人間は本能的なDNAとして持っているのではないでしょうか。それは、グレートジャーニーと言われる人類の大移動がアフリカから始まり、約10万年前のホモ・サピエンスからヨーロッパ、アジア、北南アメリカ方面へ移動していった歴史を考えると、そういうDNAが刻まれているのかもしれないと考えます。
少しそれましたが、人間が移動するという本能をもっているなら、それは移動したいからそうしたのではなく、食べ物を探すために移動していったと考える方が自然ではないでしょうか。新しい土地に行けばきっと食べ物がある。そう考えても不思議はないと思います。そこから極北探検家の角幡雄介さんがどこかで書かれていた「食べたいから生きる」がフッと浮かんできたという次第です。さらには、うまいものを食べたいからうんと働く、まで考えが行きつきますがいかがでしょう。
こうして当たり前と思っている語順を逆にしたとき、食べることがとても大事な生きる上での中心的行為になるような気がします。ここでは食の大切さという観点での話ではなく、人間の原点に帰って、シンプルに「うまいものを食べること」を第一義に「納得いくように働く」を考えてみると、毎日が生き生きと感じられるのではないかと思うのです。そう考えてみると私自身もなるほど、色々思い当たることがあります。好きだから趣味だから野菜の苗を植えたのではなく、無農薬で美味しい野菜を食べたいから苗を植えたのだと思い当たりました。美味しい実りを得るために、皆さん様々な家庭菜園の工夫をされているのではないでしょうか。
(どう読むか難しいですが)角幡雄介北極圏犬橇縦断やキャッチ・アンド・リリースの開高猛の本などを読むと特に、「食べる」と「生きる」が人間本来の旅する者の姿としてシンプルに捉えられるように感じてきます。「食べるために生きる」と考えると、田舎から都会に上京した生活でも方向性を見失うことなくがむしゃらに突き進んで行けそうです。ですから親の贈る言葉が「ちゃんと食べんといかんよ。」となるのでしょう。
朝の孫は、美味しそうに苺を半分食べると「カワリバンコ。」と言って私に苺を差し出しました。その優しさが嬉しくなると同時に、その言葉はどこで覚えたのかと感動しました。人は食べることを基準に様々な言語、知識、技能、感情など実に多くのものを獲得しながら生きていくのだと改めて感じた庭の朝でした。
庭の苺
2026.04.15
最近、入学式後に校長が保護者に伝えた話が話題を呼んでいるという記事がありました。もちろん、記事は断片的なのですべてを事実として鵜呑みにはできませんが、あくまでも話題の二点についてどう考えるかという視点を皆さんで考えてみたいと思い紹介します。
論点は二つで明快です。その公立中学校の校長先生が入学式後に保護説明会で話した要旨は、「学校への連絡は勤務時間内に」「スマホトラブルは保護者の責任」。この二つになります。その話の背景には、勤務時間の早い時間や夜遅い時間にまで、子どもの問題について電話でやりとりすることで教師が疲弊してしまうことや、親が買い与えた携帯電話に関するトラブルがあった際にその解決を学校がしなければならなくなり、同じく教師が後処理で疲弊してしまうということがあったそうです。「スマホのトラブルで悪質な場合は警察に通報してください。」と明言もされたようです。その校長曰く、「教師が疲弊すると、そのしわ寄せは子どもにいく」という信念があるとのことでした。本来重視すべき授業準備や生徒との対話の時間が、事務作業や対応に追われ削られていく現実があるので、その校長は「元気な教員が子どもとしっかり向き合える環境を作るため」と丁寧に説明して多くの保護者から拍手を受けたそうなのです。
もちろん反対意見もあり、保護者の働いている時間内では学校に夕方5時前までに連絡することは難しい、と時間を伸ばしてほしいとの意見もあったようです。確かに、仕事をしていると、どうしても昼休みか、勤務時間終了後にしか個人的な内容で連絡を取れない場合がありますし、世間の昼休みと学校の昼休みはズレているので時間を合わせることは厳しいかもしれません。
ここで考えたいのは、どちらの側にも言えることをキャリア教育的に言えば、何のために働いているのかということではないかと思います。教師と保護者の共通する明確な立場は「子どものために働いている」ということです。キャリア教育で言う「働く」という目的は勿論「子どものため」だけはありません。「自己の生き方そのもの」です。今はそのことではなく、この事例にある場合で「子どものために働いている」という点に焦点化してみると、何かしらの落としどころがあるのではないかと思った次第です。
教師は子どものために生き生きと学習指導、道徳・行事指導、校内生活指導などを行うのが仕事です。一方、保護者は子どものために働き稼ぎ、生き生きと子どもの衣食住を満足させなければなりません。この2つの文章からお分かりの通り、学校で働く教育関係者は、「生き生きと働く」ことを求められますが、保護者は、子どもを「育てるために働く」ことになります。そうすると、どちらも同じ子どものために働いているということになり、どちらが欠けても子どもの成長に悪影響を及ぼすことが容易に分かります。であれば、単純に「お互いさま」あるいは、「相手へのリスペクト」これに尽きるのではないかと思うのです。相手への敬意があれば、教師も保護者も「常識的な時刻に、常識的な時間内で」連絡をするでしょうし、学校指定物であれ個人の持ち物であれ、主導した側でトラブルへの責任をもつのが健全な社会ではないかと思います。(ここで常識論を振りかざすと、もはや議論は成立しませんが。)
テレビのリポーターは突撃が仕事とは言え、大谷選手の自宅を探るような放送をすれば、当の大谷選手のパフォーマンスが落ちて結果的に仕事としての野球の成績が悪くなる。そういうことを一般の人は望まないし、彼には生き生きと活躍して欲しいと願うはずです。その大谷選手も一般的な取材やファンの期待に応えようと、許す範囲でインタビューに答えたり、サインに応じたりする訳です。
私が以前勤めた平岩小学校(現平岩小中学校)には「三力一心の教育」があります。これは「学力、気力、体力、心(誠心)」を意味していますが、一方で私は、「子ども、教師、保護者が心を一つ」にして当たらないと教育は成立しないということも表していると思っています。私の好きな儒学者佐藤一斎が「克己の工夫は、一呼吸の間にあり」というように、納得いかないことがあった時、まずは「お互いさま」、「相手をリスペクトする」と一呼吸置いてから、冷静に話すことが肝要ではないかと思います。教師も保護者も同じ子どもを育てていくのですから、寛容の精神で主張とリスペクトをバランスよく持ち合わせたいものです。

力を合わせて
2026.04.14
11日土曜は朝からテレビに釘付けでした。アルテミスII計画のオリオン宇宙船が月を周回し地球に帰還するのです。午前7時から11時までNASAのYouTubeチャンネルのライブ放送をずっと見ていました。初めは「アンパンマンがいいっ!」と抵抗していた孫も頑固ジジイには勝てないと分かったのか、観念して一緒に見ていました。
そもそも、「アルテミス」はギリシャ神話に登場する月の女神です。「オリオンは神様の放った大サソリに刺されて死んだ。だから、オリオンとさそり座は同時に天空には輝かない。」という神話は有名ですが、もう一つの話があるのは知りませんでした。「アルテミスがオリオンを好きなことを快く思わなかったアルテミスの兄アポロンは、アルテミスに嘘をついてオリオンに矢を放ち死なせてしまった。」という話です。アルテミスとオリオンには切れない関係性があるということですね。
それはともかく、このアルテミスⅡは地球から38万km離れている月を周回して約40万km離れたところ飛んでくるという大飛行の計画です。月は自転と公転が同じなので、常に同じ面を地球に向けています。ですから、地球から月の裏側を観測することはできないのです。
NASA
ISS国際宇宙ステーションは地球の上空400kmを周回軌道で飛んでいるのですから、40万kmという、新幹線でも約2か月間はかかる位置まで行ってくるのですから、大変なミッションを行っているのが分かります。
人類最遠到達記録を、1970年のアポロ13号から57年ぶりに更新したのです。この数字を聞いて一気に当時に引き戻されるのは同世代の方でしょうか。その前年、私が小学2年生の時でしたか白黒テレビでしたが、月面に着陸したアポロ11号の映像をはっきりと覚えています。その翌年、大阪万国博覧会が行われ、アメリカ館には「月の石」が展示されました。残念ながら私は、小さいのを理由に気の遠くなるような行列並ぶことを親から止められて見ることはできませんでした。
アポロ11号
今回の有人宇宙飛行の中で最も印象的だったのは、「最遠記録を更新すると、船長のワイズマン飛行士ら4人は互いに抱き合い、何度も目元を拭った。」とか、「ワイズマン飛行士は、涙ぐむ他の3人に目元を拭うための紙を渡した。」という涙の部分に魅かれました。どんなに科学が進歩しても、人間は感情を完全にコントロールすることはできず、それがロボットではない人間たる所以ではないかと思うのです。その人間的な部分と、すぐに切り替えて最遠記録に溺れず「何よりも重要なのは、これを現世代や次世代が挑戦のきっかけにして、そう遠くないうちに記録が塗り替えられることです」とジェレミー・ハンセン飛行士が語ったことで、感情と使命感が行き来している部分にホッとするのかもしれません。
4月6日のブログで庭のハナミズキが薄い黄緑色をしていると紹介しましたが、綺麗な真っ白に変わりました。早とちりを失礼します。日陰を背景に純白のドレスを纏ったダンサーのように可憐な花びらが踊っています。花びらと書きましたが、以前お知らせしたように、それは総苞(そうほう)と呼ばれる特殊な葉で、実際の花は中心に直径5mmほどの小さなものが20個ほど見えます。花びら(総苞)はこのあと地上に落下しますが、しばらくの間は色褪せずに短い一生を逞しく生きながらえます。小さな命、途方もない人類の営み、双方に生きる力、生き抜く努力を感じます。
2026.04.13
今日は雨。すぐに井上陽水さんを思い出します。肌寒い中、小学校の入学式が行われました。雨で寒い日に新入生は可哀そうですが、入学の日が雨であれば、この先はいいことが多いはずだと切り替えると良いかもしれません。
さて、私の県外の孫は2年生になり、スマホやタブレット、或いは今後SNSとどう向き合っていくのかは大きな課題になりそうです。そこで今日は、この点について気になる記事からお知らせしたいと思います。
川島隆太研究所(東北大学)によると「スマホ、タブレットの利用が思った以上に学力を引き下げている」「インターネットを毎日のように利用している子供たちの脳は、かなりの部分で発育が止まる」「マイクロソフトの調査で、カナダ人成人の2割が10秒しか集中力が保てない」などと恐ろしいような調査報告がなされています。では今からどうするか。一つは勉強する時と寝る時は電源を切らせるようにする。「本は紙」というのは科学の世界ではすでに決着がついているそうで、二つ目に読み聞かせや読書の習慣化を図るために親子で読書の時間をつくることが大切だと言われます。無理をしてでも親が本を音読している姿を見せてあげると本好きの子どもになるそうです。読書がコミュニケーション能力を強化することに繋がるのですね。幼児期という母国語獲得に最も大切な時期を絵本や本で広げてあげることが重要だと川島氏は言われます。

私も毎晩孫に絵本をせがまれます。それも同じ本ばかりです。子どもは大人の「面白かったから次を読もう」ではなく、「面白いからまた読んで」となることを実感しています。「カラスの森には大きい木が200本。中くらいの木が400本。小さい木が800本あります。」この200、400、800という数の響きが大うけします。数の語感が面白いのでしょう。なるほど、こうして文字も、数も、言葉の感覚も獲得していくのだと私自身が体感しているところです。
TheSurfNewsより
またTheSurfNews記事では、SNSでは世界で最も成功したフリーサーファーの一人ジェイミー・オブライエンが、YouTuberとしての苦悩しているとありました。「一度コツを掴んだと思っても、翌日にはルールが変わっている。それが今のYouTubeの厳しい現実なんだ」「今はすでに市場が飽和している。視聴者を惹きつけ、チャンネル登録を促すのは数年前より何倍も難しい。」と、このインターネットの世界は尋常ではないスピードで進んでおり、読者もそういうスピード、変化を求めているため、発信者側はそのスピード感を保たないと波に乗れないことになります。これでは疲れ果ててしまいそうです。その彼自身も「業界を狭く捉えず、人間関係を大切にすること」と言い、このニュース記者は「目先の数字やアルゴリズムを追う以上に、自分自身の役割と責任を果たすことが、結果的に長くキャリアを築く唯一の道なのかもしれない。」とまとめています。
豊かな感性、寛容の精神。そういう人間関係に必要なことはアナログの中にこそあるような気がします。
2026.04.10
今日は県立高校の入学の日です。日向工業高校の入学式に参列してきました。

新入生は93名で、昨日の中学校の入学生からすると3歳年上になるので、当然ながら新入生といえど身長も風格も違います。後方に控えている2、3年生になるとさらに大人びてきます。紺を基調とした制服に身を包み、数名の女子生徒も混じって新入生は氏名点呼を無事乗り切り、校長による「入学許可」で晴れて高校生となりました。
校長先生の式辞では、校訓の「自発、創造」について話をされました。自らに問い、調べ、継続していく過程が大事であること。無を有にすることで、ものづくりでの社会貢献を果たしていく使命感を培って欲しい。そういう内容のお話でした。
「自らの問いを立てる」という点でタイムリーな番組が昨夜ありました。たまたま付けたチャンネルがEテレで、5人ほどのパネリストがちょうど討論している場面でした。見ていると、どうもそれぞれが個性的な佇まいなので、しばらく食い入って見ました。
番組のテーマが「“当たり前”って難しくないですか?」です。こう「問い」を立てたのは、介護職に就くブラジル国籍のサマラ・ブラガ・チャベスさんという方でした。1994年に日系ブラジル人の配偶者として来日、様々な仕事を経験しながら不慣れな日本の言葉や文化になじみ、2人の子どもを育てあげました。しかし、日本に住み何年たっても立ちはだかるのが、暮らす場所や職場ごとに変わり続ける“当たり前”という壁。様々な“当たり前”とどう向きあえばいいのか、出演者と共に考えるという内容です。
NHK Xより
パネリストとしての出演者の一人が、私もカタカナ名称は初めての「アルビノ白子症」の女性。からだの色素が生まれつき不足している状態の方で、視覚にも不自由をされていて、その方は「見えないことを主張すると、その考えを押し付けないで、と言ってくる」ほかの人は「見ててて当たり前、できてて当たり前」そういうことに息苦しさを感じる、と言われていました。
二人目のトランスジェンダーで社会保険労務士の方は「人からしたらきっと当たり前って思われないだろうなあ」と。また三人目の日韓ミックスルーツの男性は「当たり前を崩したい」と。四人目の薬物依存症で随筆家の女性が「すべての人に当てはまる当たり前はない。」と発言すると一同は頷きます。しかし、車いすの男性で先天性筋疾患・日本アメリカのミックスルーツの方は「ぼくはあると思う」と発言しました。
私は「エッ、何だろう」と番組内の出演者と同じ目線で彼の言葉を待ちます。すると彼は「『人に優しく』っていうのは、すべて人に対して当たり前でいい」と言うのです。うーむ、深い。その通りだ。
すると、先ほどの随筆家の女性は「なるほどね」と頷くのです。ここには違う意見を述べた男性が言う「違うこと、を分かりあう」空間、文化が存在していました。パネリスト皆が同調しています。社会において、組織において最も重要なのは「違いを受入れる文化」ではないかと思います。自分を基準にする姿勢からはこの文化は生まれません。そして受容、寛容の精神も生まれません。
NHK HPより
たまたま付けたテレビ番組で、一人が立てた「問い」を出演者と共に考える、そういう次元に思考が発展できたのは良い収穫だったと思った昨夜でした。Eテレのその名も「toi-toi」という番組です。日向工業高校の入学式辞にあった「自らに問い、調べ、継続する」この姿勢は、この番組の締めで出たテロップの「当たり前に正解はない」という言葉に代弁されるように、一生をかけた自らの問いへの正解探しになるのだと思います。
日向工業高校の入学式では懐かしい顔に出会いました。新入生が入場する際に、先導していた担任の先生がこちらの席に向かってくる際に目が合い、「オオッ。」とお互いにアイコンタクトを取ったのです。以前、高体連山岳競技の大会で競技役員として一緒に活動していた宮崎市の高校にいた先生です。日向に赴任されていたのだと、久しぶりの再会に二倍嬉しい参列となりました。
高校正門の正面にある石碑に刻まれた「自発 創造」の二文字が、これからの三年間を見守ってくれることになります。「時流に流されることなく自発的に行動し、豊かな創造性を発揮しながら、たくましく生きてほしい」この言葉通り、三年後には進路決定を行う今日の新入生が、自分の果たすべき道を見つけながら人生を歩んで欲しいと願います。
2026.04.09
本日はなかなか気温が上がらず、肌寒い日となりました。そんな春の日に中学校の入学式があり、富島中学校の入学式に参列させていただきました。

入学式は厳粛な中にも温かな感じでスムーズに執り行われました。新一年生の態度も式全体を通じて好感がもてました。校長先生の「夢を追い続ける努力すること」や「人との繋がりを大切にすること」をお聞きしながら、曲解かもしれませんが、矛と盾、攻めと守りにも通じるお話かと感じました。攻め続けることの大切さと、一旦立ち止まって自分に人が付いてきているのかを振り返ることは必要だと改めて思います。
中学の新入生がそんな深掘りをする必要はありませんが、「夢には人との繋がりが必要である」「人との繋がりで夢がある」のどちらも響いたのではないでしょうか。
自分の中学一年生の頃を思い直してみると、昨日のブログの通りボーッとしていました。毎日をいかに楽しく過ごすか、それだけだったように思います。しかし、その遠いと思った未来の時間はいつの間にか、取り返せない過去のものになってしまいました。「人生は長いようで短い」まさにその通りだと感じるこの頃です。
本日の宮日新聞『くろしお』欄に、岡山県の小学5年生が算数・数学研究でテーマを「犍陀多(カンダタ)が蜘蛛の糸をつたって極楽へとたどり着くまで、どれくらいの時間がかかるのか」にしたことが紹介されていました。『蜘蛛の糸』は小学校の道徳の時間に習った方も多いのではないでしょうか。岡山の小学生は、芥川龍之介の著書『蜘蛛の糸』で犍陀多が地獄から登りきる距離を40万kmと設定し、自分で実際に登り棒を3m登って、その時間から犍陀多は127年かかると計算したそうです。なぜ距離が40万kmなのかは分かりませんが、厳しい修行の年月という時間の結論を得る辺りは、なかなか面白い発想と数学的思考だと思いました。
私は、この数値40万kmに食いついてしまいました。実は、今日のブログでは、NASAのアルテミス計画を紹介するつもりでした。今回のオリオン宇宙船が地球から月の裏側の約40万7000km離れた地点を回って、アポロ13号以来57年ぶりに記録更新となった記事です。これについてはまたほかの機会にしますが、時同じくして40万kmという距離が世間に登場するあたりは、この距離がもつ何かしら不思議な力があるのかもしれません。私の知り合いの高校地学の先生は「私は自分の車に月までの距離と同じ38万kmまで乗るのです。」とおっしゃっていたことも思い出しました。(ちなみに私の車はまだ19万kmです。あと2倍…)

3年前の月
犍陀多が一生を賭けて地獄から這い上がろうと求めた極楽は、人との繋がりを無視してはたどり着けない夢の着地点だったはずです。人類が目指す月へのアルテミス計画において宇宙飛行士が船内で感情を吐露している部分は、人類が見失ってはいけない人との繋がりを意味しているのかもしれないと一人納得しました。古来から人々の思いを乗せる月への「あくがれ」を見上げて悦に入ろうかとするも今は下弦の月で、代わりに木星の輝きに若者の夢を託せないものか。そんな想いも巡ってくる入学の日でした。
2026.04.08
今日は市内小中学校の始業の日です。

散る桜 隠す名残の 影桜
令和8年度がスタートします。そして明日は中学校の入学式、明後日は小学校ではなく県立高校の入学式。ということで、小学校の入学式は来週13日になります。小学1年生は入学を今か今かと待ち遠しくキリンの首のようにして待っているのかもしれません。
親御さんとしては、新1年生が入学しないことには、仕事と子どもの留守番のバランスが難しく、預ける所探しで苦労されている家庭もあるかもしれません。しかし、入学してからも暫くは大変で、給食がすぐには始まらないので、その辺りも心配の種になります。給食がすぐに始まらないのは、学校にそのものに慣れさせるためと、まだ慣れない通学路で、危険個所や車なでの交通量を回避しながらの下校にも慣れてもらうために給食なしで下校させているのです。
30年ほど前までは、4月の一か月には小学新一年生は給食がなかったので、一年担任はもとより、専科の教師や管理職まで総動員して、方面別に一定の場所まで連れ帰っていました。私もその経験がありますが、途中で家に向かう子どもが分散していき、遠い最後の一人になるまで送っていると、帰校するのが遅くなり、自分の給食時間が危ぶまれることも多々ありました。
現在はどうでしょうか。入学式後、割と早い時期に給食が始まっていると思われます。それでも、上記の理由で、給食後に昼休み、清掃をせずに下校させている学校が殆どでしょうから、やはり方面別の下校指導は行われていると思います。手厚い指導になりますが、一方では、教職員への負荷がかかっていることも事実です。昼休み(休憩)の時間が他の職員と異なってくるため、不規則にならざるを得ませんが、そのあたりは学校によって工夫して確保していることだと思います。
そんな教師側から見た新年度の始まりでしたが、児童生徒側からはいかがでしょうか。小学1年生とはいえ、最近は、ほぼ100%の子どもが保育園、幼稚園などで集団教育を受けている場合がほとんどですから、そういう意味では、保育園の年長さんで給食の配膳をしている場合も多いので、「ピカピカの1年生」扱いではなくとも、できることはさせていくのでしょう。昔は、何から何まで6年生がお世話をしていた頃がありました。成長の過程を十分に見極めた指導が時代にマッチしていることも大切です。
中学新入学生はいかがでしょうか。給食については当たり前に自分たちで準備しますが、小学校とはまったく違った体制に目を丸くしているのかもしれません。全校生徒(先輩)たちとの対面式があったり、生徒会活動の紹介や部活動紹介もあったりするので、先輩達の大人ぶりに圧倒されることも多いのではないでしょうか。最も目まぐるしく感じるのは完全教科担任制ではないかと思います。小学校でも専科があり学級担任外の教師が授業を受け持ちますが、中学生になると完全に教科担任になるので、教科の先生の顔を覚えるのも一苦労かと思います。

駅空を 春夏交代 桜舞う
私の苦い思い出です。福岡県のマンモス中学に入学した私の担任の先生は理科の先生でした。当時、理科は現在とあまり変わらず週に2~3時間だったと思います。担任の先生は、朝と帰りのホームルーム以外で顔を合わせるのは、「学級活動(当時は、「学級指導」)と道徳くらいなので、理科も道徳、学活もない日は、一日中ほとんど顔を合わせないことが続きます。一か月くらいして、何かの用で担任の先生を訪ねて理科室まで行ったことがありました。遠い理科室へ行き、ノックすると、「いいぞ、どうぞ。」との声がします。ソーッとドアを開けて、「あのう…」と覗き込むと、3、4人の先生がいてこちらをじろっと見ました。さて困りました。どの先生が担任の先生なのか分からないのです。そうやってモジモジしていると、「おう、お前たちか、何だ?」と振り向く先生に(この人だ!何か見覚えある!)と反応したのでした。一か月経ってもそんな調子ですから、呑気な中学生活のスタートだったものです。といっても、福岡のマンモス校ですから、話題には事欠きません。想像に難くないと思いますが、そこは省略します。
最後は自分の恥ずかしい昔話になってしまいましたが、これから70年以上を生き抜く新入生らに自分の目指す道筋を歩んで欲しいと心から願います。ブログ『ハナミズキ』の回では、夢の実現も書きましたが、自分らしい生き方と言っても、その場その時に修正を図り切り替えていくのも、それはそれでその人らしい生き方になると思います。すでに、苦難の道を歩んでいる児童生徒がいることも知っています。だからこそ、一人一人に何とか響くように学校と市内事業所の皆さまの連携を深め、私たちキャリア教育支援センターとしても効果のある学習を提供し続け、手を取り合いながら進めていきたいと改めて気を引き締める新学期でした。
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