Hyuga City Career Education Support Center
2026.04.30
ハワイのノースショアが生んだプロサーファー、ジェイミー・オブライエンはご存知でしょうか。世界で最も成功したフリーサーファーの一人で”JOB”と呼ばれています。今回YouTuberとして苦悩しているという記事を見つけ、キャリア教育の本質にかかわる部分を感じたのでお伝えします。
THE SURF NEWSより
彼のYouTubeチャンネル登録者数は約130万人いるそうで大変な規模のYouTuberです。その収益は月4万ドル(約600万円)に達することもあるそうです。この話だけが独り歩きすると、「よし俺もYouTuberになろう。」と追いかけようと夢見る子どもが増える訳です。しかし、動画の中でも運用の難しさが出てきますが、カメラマン雇用、ドローン運用、遠征費などの経費が膨大になるため、YouTubeを収入の中心にはできないと言っています。
かつてのYouTubeは、その投稿が目立てばそれがそのまま収益につながるような節もあったようですが、現在は大変複雑化し、目立てばよいという単純な構造ではないとのことでした。そのような状況に適応していくことを強いられ、経費も心身も追いついていけないようです。
THE SURF NEWSより
「一度コツを掴んだと思っても、翌日にはルールが変わっている。それが今のYouTubeの厳しい現実なんだ。…今はすでに市場が飽和している。視聴者をひきつけ、チャンネル登録を促すのは数年前より何倍も難しい。サーフィンだけで食べていけるのは、今や世界でほんの一握りだ。」
最後に彼が強調した言葉に、キャリア教育につながる話がありました。「業界を狭く捉えず、人間関係を大切にすること。目先の数字やアルゴリズムを追う以上に、自分自身の役割と責任を果たすことが、結果的に長くキャリアを築く唯一の道なのかもしれない。」
曽山寺
私は、ある時ソロ登山でYouTuberとして活動している人がいることを知りました。そのうちの一人に女性でソロ登山をする人がいました。たまに見ると、以前より登る山のグレードが厳しくなっていました。単独で日本の最難関と言われる北アルプスの縦走路に挑戦していました。やはりYouTuberとしては登録者数を伸ばし、より多くの人の目を引くサムネイル(縮小画面)が自身の成長のためには必要なのでしょう。その時は無事に下山したようですがハラハラしました。また、数年前に事件として有名になった同じくソロ登山YouTuberが冬の富士山に登り、山頂直下から滑落死亡してしまったライブ中継がありました。挑戦に対して批判はしませんが、SNSを専業として自己アピールをしている人たちの中には一層多くの人の目を引きつけるサイクルに入ってしまう人もいるのかもしれません。
どんな自己アピール、アウトプットの手段を講じようとも、自分のやっていることに対してはブレずに、ジミー・オブライエンが言っているように、結局は「自分自身の役割と責任を果たすこと」が「キャリアを築く」道になるということではないでしょうか。しかも彼は「それが唯一の道」と言い切っています。
曽山寺
生徒にとっては今の自分の学業、部活、習い事、趣味など。社会人にとっては今の仕事、家事、趣味など、やっていることに対して、「Like what you do」(やっていることを好きになること)が結局はキャリアを大きく形成し、人の生き方として共通する部分だと思われます。
大型連休です。お休みの方は十分にリフレッシュしてください。お仕事の方、本当にお疲れさまです。
2026.04.28
先週、地域コーディネーター(Co.)との情報交換会が開催されました。我がスタッフにもCo.がおりますので兼務の形での参加になりました。昨年12月にブログで紹介した内容より一歩踏み込んだ形で紹介します。
とにかく熱い!これが全てを物語っているのかもしれません。順序良くお話します。
子ども家庭庁HP
まず、教育委員会からお話がありました。改訂された「日向市の教育」というパンフレットに関するお話でした。日向市では新たな学びとして、「自律的な学びの推進」、「居場所づくりの推進」、「インクルーシブ教育の推進」の3つの重点を実現できることを目指しています。
日向市の教育
「自律的な学び」というのは一般にはなじみが薄いので少し補足します。文部科学省が推進する「自律的な学び」は、子供が自ら目標を設定し、学習方法や内容を選択・管理し、振り返りを行う「自己調整学習」のことになります。‥‥益々、分かりづらくなってきました。‥‥ 「自己調整学習」とは何かと言うと、自分の指向や行動を客観的に把握し認識(メタ認知)しながら学習を自ら調整し、思考や行動を修正したり次の思考や行動に繋げたりする学習を指します。‥‥さらに、迷宮入り‥‥
簡単に言えば、勉強したことを友達に伝えたり、意見交換したりする授業のスタイルが自己調整学習になります。「自立学習」は、他者の助けを借りずに自分だけで学びを進めることで、指示がなくても調べ、考え、解決できる力を指します。 一方、「自律学習」は、学習の目標設定から計画・実行・成果の評価までを自分で管理すること。 必要に応じて環境やフィードバックを活用し、成果につなげる主体性が求められます。💡これなら少し分かり易いかもしれません。「協力して学び、必ず振り返りをする」と言えばもっと簡単かもしれません。
イメージCo.
日向中校区Co.からは「芋掘りや草刈りに協力してくれる人がいて助かる。」、「1年生がコマ回しに挑戦することになって鹿児島から講師を呼ぶと、年度末の参観日発表会に向けて子どもたちが秘密練習を自主的に始めるような動きが見られた。」という感動エピソードをいただきました。
大王谷学園校区Co.からは、「小学生が宮崎市への遠足で、作成した細島岩ガキのPRパンフレットを配布した。」、「Co.が入れ替わる管理職を区長に紹介している。」などの強力な提言もありました。
東郷学園Co.からは「お茶や米づくりなどの関りで小学生が地域に積極的に入っていること」、「中学生が地域学習から踊りの練習、祭りの企画・生産物販売という実践に繋がる学習をしていること」などを報告していただきました。
平岩小中校区Co.からは「ミシンのお世話や凧上げの指導」や「学校林に関する調査・管理のお世話」、「中学生を含めたボランティア活動での金ヶ浜ビュー園地の整備」など多岐に渡る支援の報告がありました。
美々津中校区Co.からは「今後の義務教育学校に関する教育委員会からの説明会あること」、「地域住民が高い関心をもっていること」など、今後学校が統合されることを中心に話題の提供がありました。
財光寺中校区Co.からは「自分自身が民生委員をしていることが有効で、地域の実情をよく理解できているから、それが学校と地域を繋ぐ強みになっている。」と深い話がありました。
富島中校区Co.からは、「地域の区長の協力が得られやすいので学校も助かっているようだ。」、「地域Co.は強力で、先日も美々津中校区で『よのなか先生』を探している時、校区Co.に紹介してもらって講師を探すことができた。」と、地域Co.ならではの人材発掘の話をしていただきました。

先週の金ヶ浜ビュー園地
私は小学5年生までは鹿児島県で育ちました。地区では一年を通して様々な行事で溢れていました。小学5・6年生は福岡県でした。ここでは小学校区の地区対抗ソフトボール大会や夏季プール開放が思い出に残っています。中学は1年途中から佐賀県でした。この町は地区活動が盛んで、地区対抗のソフトボール大会は、なんと小学3年生から中学3年生でチームを編成するという形でした。2カ月間の練習の日々が思い出に残っています。また、祭りも地区を上げて綱引き大会に参加しました。祭りを通じて当時の皇太子ご夫妻(現上皇ご夫妻)に面会したのは良い思い出です。
日向市も以前は、「シコレン」(市子連)という響きのもとに6月から各地区ではソフトボールの練習が始まり、8月にお倉ヶ浜運動公園で大会を行っていました。また、プール開放は暑い中、保護者として当番に当たりました。一体いつから地域活動は衰退していったのでしょう。私は上記のような過去の体験から「子どもは地域で育てる」と思っていましたし、実際に自ら子どもに背中で見せようと、財光寺五十猛神社の厄年「ひょっとこ踊り」に参加しました。その後は、地区の壮年部に入会し活動に参加しています。「価値観の多様化」と言ってしまっては、あまりにも今の子どもたちが可哀想に思えます。昔お世話になった子どもたちが今は「責任世代」として、子育てと同時にまちづくりをしていかなければならないはずなのですが厳しいでしょうか。いや、地域コーディネーターや地区の力を借りて、それぞれの地区を子ども中心の地域に復活させることは、まだ間に合うのではないかと思います。
本論に戻して、地域コーディネーターに対しては活動依頼だけではなく、その方の仕事の背景についてもお話を聞く機会をつくり、地域で共に子どもを育てる議論ができるとよいのではないかと思います。学校では職員が入れ替わりますが地域の学校をずっと見てこられた方々ばかりなので、まずは地域の実情を知ることは学校にとっても有益ではないかと思います。キャリア教育支援センターも地域コーディネーターのお力をお借りしながら、共に地域の学校づくりを支援していきたいと改めて感じた情報交換会でした。
地域とともに
2026.04.27
標題のように聞かれた場合、「う~む。」と唸るようではきっと楽しくないのかもしれません。私の場合、現役教職時代なら「う~む。」と首を捻ったかもしれませんが、現在はそうでもありません。それでも「楽しくてたまらん。」とまではいっていないように思います。
デイル・ドーデン氏の『仕事は楽しいかね?』は2001年に記事として連載され、それが2014年にアップデートされたものが現在、復刊・新版として発売されています。すでにお読みになった方も多いのではないでしょうか。

「肝に銘じておくれ。売れ残ったテント用の帆布を使って、何をすべきか考え続けてこそ、リーバイスのジーンズを思いつくことができるんだってことを。」と、あの有名なジーンズ「リーバイス」の誕生秘話も書かれています。リーバイ・ストラウス氏は元々、ケンタッキーの行商人でした。カリフォルニアの金の話を耳にしてサンフランシスコへ行き、お金がなかったので鉱山労働者のための必需品をそろえ、まずそれを商売にしようとしていろんな商品を船に持ち込み船の乗客に売ろうとしました。全部売れたのですが、テント用の硬い帆布だけはまったく売れなかったのです。彼は、サンフランシスコの市場でズボンが品薄ということに気付くのです。彼は、仕立て屋を雇い、帆布を使ってオーバーオールを作らせました。これが売れに売れて『金』を掘り当てたという話です。
Wikipedia
よくある成功話ではないかと思われるかもしれませんが、この本では、計画はうまくいかなくて当たり前、身の回りにいくらでもあるチャンスに気付いて行動できるかということを教えてくれます。つまり、「『思いつき』と『偶然の出来事』は異母兄弟だ。」ということであり、「必要は発明の母かもしれない。だけど、偶然は発明の父なんだ。」そうです。
本書は仕事で悩んでいる人に対してどういうスタンスでいるべきかを示唆する内容で書かれています。特に、人材育成や配置などと言った環境整理の点で参考になることが多いと感じました。自分自身に置き換えた場合にも、あらゆる職場でいつの時点でもチャンスが転がっているように感じられるようになれば読んだ価値があるのかもしれません。いずれの場合も、訳者が言われている「チャンスに気付いてものにできるかどうか。問題はそこなのだ。成功は努力の賜物。」ということであり、文中で主人公マックスが語る「完璧の上を行く素晴らしさ。完璧とはダメになる過程の第一段階。」は、常に出てくる「試すことに失敗はない」と一致するものだと思います。
昔、徹底的に教材研究をしている時、楽しいと感じたことを覚えています。さて今後はいかに・・。
2026.04.23
一昨日、地震、災害のお話をしました。本日はその続きになります。
ちょうど先週末にラジオを聞いていると、どこかの市民に防災準備についてのインタビューがありました。しかし回答には「つい忘れてしていない」とか「時間がない」という理由が挙げられていたことは残念に思いました。被災したあとに「準備しておけばよかった」と後悔することが目に見えているからです。少しでも多くの人が日常の中で少しずつ準備をしていくにはどうすればよいかを考えますが難しいものです。

2024年6月珠洲市
私の場合「災害を教訓にする」というのは、「行動に移すこと」だと考えています。つまり、災害が地元で起きた時、必ず生き延びるように対処することです。たとえば、家具の倒壊でケガをしないように固定することは皆さんもされていることとは思いますが対策の一つになります。突き上げる地震では、家具は倒れるのではなく跳んでくると思った方がよいです。エアコンも壁から外れ落下すると思い、エアコン直下に頭を置いて寝ないようにしています。
現在私は、避難グッズ置き場所を鋭意改善中です。初めは枕元としていましたが、果たして夜中の大地震で飛び起きた場合に、荷物を背負う方が先になるのか、別室で寝ている孫を含めた身の安全を考えた時には脱出が先ではないか。そう考えると、停電しガラスが割れ、物が散乱した室内を一階へ降りるためには、まず靴を履かなければ外へ移動することができないので、枕元には靴とライトがあれば良いという現時点での判断になりました。もちろん、電話と貴重品は同時に携帯しなければなりません。(それらを含めて「避難グッズ」とも呼ぶ場合もあります。)

2024年6月輪島市日本航空高校石川:ボランティアベースとなった教室内テントの窓から
状況にもよりますが、家の中が荒れても何とか玄関から出られると想定すると、避難グッズは玄関そばで良いと考えました。グッズの中身は季節に応じて変えています。体育館避難の場合に備えて、最近出番が少なくなった小型テントや役立ちそうなものを入れています。こういうときに、山で培った経験はかなり役に立つようです。私も持っているアマチュア無線機は東日本大震災の時には、繋がらない携帯電話に代わって活躍したようです。しかし、あれもこれも入れてしまうと重くなるのが難点です。グッズと一緒に孫も担ぐとなるとグッズの重量を減らさなければ、徒歩で避難所までたどり着けないかもしれません。再度精選しようと思います。被災後の長期避難生活を考慮すると車での避難がベストですが、実際に機能するかはその時でないと分かりません。

2026年4月珠洲市(知人のSNSより:まだ未解体)
玄関については、家が傾くと玄関のドアは開きません。そうなると、玄関そばの避難グッズは手に取ることができません。しかし、それほどの大災害の場合は皆が無事に脱出することが先決になります。2階に取り残された場合に、外に下りられるようにするには脚立が必要ですが、流石に常設は無理です。幸いロッククライミングで使用していたラダー(縄梯子)があるので、折りたたんで2階に置いています。
無事避難し、翌日以降、余震が収まりつつある頃に家に戻ってみて取り出せるものがあれば幸いです。そんなこともあろうかと、一部は車の中にも入れています。車は家とは違い、転倒しても家よりは中のものを取り出し易いのではないかと思います。いずれにしても、最近は被災地をねらう不届き者がいるので、被災したあとも盗難に気を付けなければならないという情けない心配も頭に入れておきましょう。

2026年4月(同上:遊具もそのまま)
地震は実際には予測不能なので過度に恐れても窮屈になりますが、かといって被災してから途方に暮れるだけではなく、今できることはしておきたいと思うのです。2年前の突風(竜巻)災害で、私の知り合いの家はベランダが吹き飛び、どこへ行ったかさえ分からない状態でした。また、その際、南側一階の窓ガラスが木っ端みじんになり、北側の室内まで一瞬にしてガラス片が突き刺さりましたが、間一髪で逃れたそうです。
地震が起きるとホームセンターの防災品や食料が底をつく状況ですから、比較的落ち着いている今のうちに少しずつ揃えておきたいと思います。私は、ホームセンターやスーパーに買い物に出かけた際には、時々、長期保存の水や食料、缶詰などを購入するようにし、いわゆるローリングストックを心掛けています。それでも、やはり皆無事に脱出することが一番です。夜間の場合は動線を確保にすることが大事ですし、昼間の場合は連絡手段、集合場所の共有が第一ではないでしょうか。
今一度、「備えあれば憂いなし」を徹底したいと思います。
2026.04.22
本日は年度初めに当たり、当キャリア教育支援センターについてHPとは別にお知らせします。
日向市キャリア教育支援センターが日向市駅隣りの商工会議所内にあることはご存知だと思います。これは設立当初の理念で、学校と事業所をつなぐ役割を果たすためには市内事業所の動向をよく知っている商工会議所の機能を生かしてキャリア教育を支援した方がよいとの考えから設置に至りました。平成25年のことになりますから、13年前ということです。

我々の事務所が商工会議所にあることを学校側から見ると、商工会議所の事業として動いているように感じるかもしれませんが、設置理念がそうであってあくまでも日向市教育の一環として活動しています。すなわち、教育委員会との連携のもとに動いているのです。ですから、教育委員会との連絡会議も定期的に実施し、決して本センターが独自に走っている訳ではありません。学校に提案やアンケートなどを行う場合も教育委員会に確認をとった上で各校に連絡するようにしています。
もちろん、ご挨拶という名目で各校を訪問したり、授業前の打合せや事前学習、そして、よのなか先生によるよのなか教室に関しては当センターで積極的に動いています。しかし事後報告として教育委員会に状況を知らせています。
2年前からキャリア教育支援センターでは、基礎的・汎用的能力の「4つの力」の育成をキャリア教育の中心的な課題として掲げています。これも文科省の方針に沿った形で、日向市において汎用していく文言に整理したものを教育委員会に確認をとり提示しています。

どのよのなか先生によるよのなか教室であっても、どの中学校のよのなか挑戦であっても、ねらう目標がこの「4つの力」になるように支援していくのが我々キャリア教育支援センターの担う学校への役割です。昔、出前授業として事業所の方に十分な打合せもなく来ていただき、結果的に生徒の消化不良を起こした苦い経験があります。現在はこのような状況に児童生徒が陥ることのないよう、依頼のあったよのなか教室の前に、事業所との事前の打合せは当センターが丁寧に行っているところです。
また、よのなか挑戦は各中学校が自走していただくようにしておりますが、上記「4つの力」の視点作りとして、全中学校で事前学習を展開していただきたいと思います。そのためにも年間を通してよのなか教室では特に、事前に児童生徒が「4つの力」を意識するような事前学習に力を入れて、翌週によのなか教室本番を迎えるというプログラムを提供しています。さらに、よのなか挑戦に関する「事業所の会研修会」や「よのなか先生研修会」には事業所の方々にご参加をいただき、日向市のキャリア教育の方向性や「4つの力」についてお示しし、ご理解をいただいているところです。
もちろん、学習内容によっては速効性のある地域人材の活用が有効な場合も多々ありますので、その場合には地域の人脈に明るい地域コーディネーターをご活用ください。我がスタッフには地域コーディネーターを兼務する者もおります。

よのなか教室やよのなか挑戦は、商工会議所から協力していただく事業所への働きかけがあってこそ、事業所の皆様が「子どもたちのためなら」と業務を一部中断し、事前の資料準備や当日訪問などを快く引き受けてくださっている現状があります。学校内からは市内事業所の日々のご苦労は見えませんが、現在の大変厳しい社会状況が引き起こしている事業所への多種多様な圧迫は、打合せの時間にでも懇意に話をしていただくと伝わってくると思います。そのような状況で児童生徒のために時間を割いて学習を引き受けてくださっていることも考慮しながら、学校だけでなく地域で子どもを育てるという観点に立って、教員、事業所員、センター職員などが一丸となる必要性をひしひしと感じます。

あくまでもキャリア教育の実施当事者は学校、学年・学級ですから、「キャリア教育は分かっている。きちんとやる。」と言っていただくのはとても心強い事ですし、将来的にはそうなっていただきたいと思っています。現時点で、「そういうことか、それならセンターに頼んでみるか。」と思われたなら、ぜひともご利用いただきたいです。よのなか教室について、一カ月以上前にまず電話をいただけると対応できます。夏季休業中の学校職員研修であれば、遅くとも6月中旬までには連絡をください。
以上、日向市キャリア教育支援センターが文科省・教育委員会の路線で論理的・積極的に支援活動を行っていること、基礎的・汎用的能力の「4つの力」を目指した学習構成を提供していること、地域コーディネーターと協力し活動を棲み分けていること、事業所への働きかけを行っていることなどをご理解いただけたでしょうか。
手厚く、目的的な日向市キャリア教育として支援して参りますのでご利用をお待ちします。

2026.04.21
昨日はこのタイトルのもとにお話を書こうと思っていましたが、少しでも早く「亀井さんの記事」を書きたくて変更しました。ところが、夕方、東北・北海道地方で大きな地震があり、また現実味が増してきました。一人でも多くの方が準備・対策を考えられるように話題提供ができればと思います。(防災士として何の活躍もできませんが、この場をお借りして普及していきます。)
今から25年前に、「南海トラフ地震は今後30年内に70%の確率で発生する」と聞いたことがあります。科学が進歩するにつれ、その確率は修正され続けてきました。あれから25年が経過したのですからいよいよ現実味が増してきて緊張します。
地震調査研究推進本部
南海トラフ巨大地震はマグニチュード(M)8~9程度の地震で、調べてみますと、前回は昭和南海地震になります。1946年(昭和21年)12月21日未明4時19分、紀伊半島沖を震源とする巨大地震が起き、約9分間の震動時間だったようです。南西日本一帯では地震動、津波による甚大な被害が発生しました。9分間というとさぞ恐ろしい時間だったのではないでしょうか。しかも寒く暗い時間帯で不安は増大したことと思われます。震源地に近い場所では震度6でしたが、宮崎では震度4だったので戦後の混乱期とはいえ、宮崎県の直接の被害は少なく後処理も比較的迅速に進んだとの記録がありました。

南海トラフ地震の間隔はおおむね100~150年で、昭和南海地震から今年はちょうど80年が経ちます。そのため発生確率が年々上がるのは当然で、現在では、「今後30年以内の発生確率が60〜90%程度以上に引き上げられ、非常に高い水準でいつ発生してもおかしくない状況」です。ここで注目したいのは、私が25年前に聞いた「70%の確率」より「60%」は下がっているのですが、逆に最大確率が「90%」になっていることには着目しないといけません。ですから、「地震発生の切迫性は極めて高い」と評価されるのでしょう。大切なことは、「日ごろからの備え」を再確認することだと思います。一方で「必ず起きる訳ではない」と強調もされているので、あまりに深刻に考えず、平常の備えとして準備することが大切だと思います。
2年前の8月8日に発生した日向灘地震では、初めて「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」が発表され、宮崎はもとより、四国、東海地方などの地域が大慌てになったことが思い出されます。
気象庁
私が本日お話したいのは地震に対する予備知識よりも地震後のイメージです。過去に熊本、佐賀、延岡、能登、天草と、水害も含めた被災地でボランティアをした現場のその後の情報を集めてみますと、復旧、復興には大変な時間と労力と諦めが積み重なっていることを目の当たりにします。
自分が被災したことをイメージすると分かるのですが、応急仮設住宅には2年しか住めませんし、その仮設住宅に入るまでは、何カ月も避難所生活。あるいは、親戚を頼るか、自力で民間施設を借りるか。そこからまず問題が発生します。その避難所は不衛生になりがちで、それだけに「自助」「共助」の名のもとに、被災者が自ら運営しないと衛生環境は維持できません。
さらに、体育館や公民館などの避難所から仕事に向かわないと収入を維持できませんし、それだけで疲れるので、自宅の片付けや解体、建設などに思考も行動も回らないという現実を突きつけられます。そうして時間だけが経過し、自宅の処理や復旧に個人差が出て、今度は「地域に迷惑をかける」というプレッシャーに追われることになります。
そんなストレスの中でやっと仮設住宅の話(抽選)がやって来るのです。当選して入居しても、そのコミュニティはまったく新しい見ず知らずの人たちとの生活になり、そこにも新たなストレスが発生します。ようやく落ち着き始めた頃には2年が経過し、今度は退去することを求められることになります。
実際に能登では、入居者の退去で空いたところから仮設住宅を一般に貸し出すという計画が上がっているようで、現在の住民からは、知らない人が入ってくる不安や募集要件の不透明な部分の不満が出ているそうです。また、仮設住宅に住んでいると「新築しませんか」というチラシが山ほど届くそうですが、多くの人は資金(支援)不足で家を再建できないのが現実です。「生まれ育った場所に帰りたい」と思っても家を再建できず、チラシを眺めるのはつらいと言われていました。また、ほとんどの小学校のグラウンドには現在も仮設住宅が建っているため、子どもたちは学校の運動場が使えない状態が続いています。これが震災から2年が経過した被災地の現状です。
自分が被災者になった時、どう立ち直っていくのか。そのイメージを持っておくことが大切ではないでしょうか。考えても答えは出ないかもしれませんが、被災してからでは考える気力も湧かない場合があるので、平常の今こそ考える時間を持つべきではないかと思うのです。それが、被災し尊い命を失った方々に対する自分の務めではないか、そしてそれが教訓だと思っています。防災、減災のために個人レベルでは何をするか。学校は、事業所は、地域は。
起きていないことに時間を費やすのは大変な労力が必要ですが、災害大国日本に住む宿命であることは間違いありません。次回は個人レベルでの具体的な内容についてお話しできればと思います。
2026.04.20
イメージです
最近読んだものの中で一番感動的だった記事をどうしても紹介したかったので、お付き合いください。
亀井史巠(ふみひろ)さんは現在85歳の広島県在住の元刑務官です。下半身不随の父と片目失明した母の元に生を受けた亀井さんは、5歳の時に広島の爆心地からは20km離れた場所に住んでいましたが、黒い雨の水により生死の境を彷徨う貧しく厳しい生活を送ってきました。

その亀井さんが語る、昭和40年4月に出会った死刑判決を受けた被告人Sとのお話は、心を揺さぶられるものがありました。護送されてきた死刑囚Sさんについて、「入所手続き中、Sは殺気立って全身を激しく揺さぶり、警察官の制止を振りほどいて立ち上がると、我々に唾を吐きかけ、続いて体当たりを仕掛けようとして、これを制止されると辺り構わず周囲にある物を蹴散らしながら『なめるなー!』と怒鳴り散らす狂乱状態となりました。この時の怒り狂ったSの怒髪天を衝く形相はまさに鬼、猛獣そのものでした。これがSとの出会いであり、生きた鬼に出会ったのは後にも先にもありません。」との語りから始まりました。
亀井さんの真正面からの対応は「生きた鬼」と呼ばれたSさんに劇的な変化をもたらしました。ある日の体操の時間にSさんを呼び出し、地面に漢字を書きながら、その読み方と意味を教えるとSさんは飛びついて喜び、それから毎日その時間に教えてもらうようになりました。というのも、Sさんは刑務所で生まれ、極貧の祖母が育てることになり、貧しさから盗みをして祖母との生計を立てていた幼少期だったそうです。ですから当然学校には通っておらず、文章の読み書きができないまま育っていたのです。
そんな亀井さんとSさんとの交流が順調に進んでいた頃に亀井さんは転勤になり、数年したある日にSさんの刑の執行を知ることになります。そして亀井さん宛に届いたSさんからの手紙は大変綺麗な文字でしたためられており、「以前は自分を生んだ母親を恨んでいましたが今は感謝しております。罪を犯した相手の方への謝罪の気持ちで一杯です。このような気持ちにさせていただけたのは亀井先生のおかげです。今はただ、祖母の安否が気がかりです。死ぬ前に人としての幸せを掴ませていただくことができました。ありがとうございました。」というような内容の文章が丁寧に書かれていたとのことでした。
亀井さんの年譜を考えてみますと、Sさんと出会ったのは亀井さんがまだ20代半ばの頃になります。そのお年で「生きた鬼」と対峙されたのですから、ご両親から「人を幸せにするために生まれてきたのですから人を助けなくてはなりません」という生き方の教えが源流としてあったのだろうと思いました。掲載されたお話のテーマ「どんな犯罪者でも必ず立ち直れる」はテーマだけ見ると一般論のように思われがちですが、Sさんを立ち直らせた亀井さんが言われるので大変説得力があります。もちろん生半可な覚悟では当人の心に入り込むことはできません。それでも覚悟をもって接すると、このような「生きた鬼」の心にさえ入り込むことができるのですから、まだまだ成長過程にある児童生徒には入っていけるのかもしれないと考えさせられました。根本的なことを言えば、Sさんという人格を作らない世の中であるべきですし、そうするには親としてどうあるべきか。また、どうしても人の育ち方(育て方)には個人差が出てくるので、迎える学校としてはどうあるべきか。さらに地域としてはどういうコミュニティを作るべきか。それぞれの立場で覚悟をもって考え、立ち向かわなければ世の中はよくならないのでしょう。私自身を振り返ってみてもまったく不十分だったと反省すると同時に、今からも自分の置かれた立場で尽力したいと思いました。
当事者の生き様や実際の言葉などはもっと人間の深い部分に突き刺さるようなものがありますので、興味のある方は全文をこの本で読んでいただければと思います。
2026.04.16
今朝の塩見川
久しぶりに晴れ、朝外を見ると苺が真っ赤に実っていました。早速、孫の手を引き庭に行くと、孫は苺を見つけて大喜びでもぎ取りました。手に二つの苺を持ち一口食べると「オイシイー。」とニコニコ笑顔になりました。
本日はその「食べる」についての話題です。
「生きるために食べる」のか「食べるために生きる」のか。「食べる」をテーマに「生きる」を考えたとき、どちらが基準になるでしょうか。文化人としては一人一人生きる目的がありますから、そこへ向かうために食べるのだから、「生きるために食べる」でしょう。あるいは、我々も哺乳類の一種なので、サバンナの野生動物と同じように、寝て起きたらお腹がすき食べ物を探す行動をします。そうしないと生きていけないので、まず食べることを先に考えます。そうなると「食べるために生きる」でしょうか。
別の視点から。旅行が好きな人は多いと思いますが、人はなぜ旅が好きなのでしょうか。冬山に登る際によく聞く「非日常の体験を得る」のと同じではないかと思います。「未知なる土地に触れる」ことでアドレナリンが出る感じの心地よさを人間は本能的なDNAとして持っているのではないでしょうか。それは、グレートジャーニーと言われる人類の大移動がアフリカから始まり、約10万年前のホモ・サピエンスからヨーロッパ、アジア、北南アメリカ方面へ移動していった歴史を考えると、そういうDNAが刻まれているのかもしれないと考えます。
少しそれましたが、人間が移動するという本能をもっているなら、それは移動したいからそうしたのではなく、食べ物を探すために移動していったと考える方が自然ではないでしょうか。新しい土地に行けばきっと食べ物がある。そう考えても不思議はないと思います。そこから極北探検家の角幡雄介さんがどこかで書かれていた「食べたいから生きる」がフッと浮かんできたという次第です。さらには、うまいものを食べたいからうんと働く、まで考えが行きつきますがいかがでしょう。
こうして当たり前と思っている語順を逆にしたとき、食べることがとても大事な生きる上での中心的行為になるような気がします。ここでは食の大切さという観点での話ではなく、人間の原点に帰って、シンプルに「うまいものを食べること」を第一義に「納得いくように働く」を考えてみると、毎日が生き生きと感じられるのではないかと思うのです。そう考えてみると私自身もなるほど、色々思い当たることがあります。好きだから趣味だから野菜の苗を植えたのではなく、無農薬で美味しい野菜を食べたいから苗を植えたのだと思い当たりました。美味しい実りを得るために、皆さん様々な家庭菜園の工夫をされているのではないでしょうか。
(どう読むか難しいですが)角幡雄介北極圏犬橇縦断やキャッチ・アンド・リリースの開高猛の本などを読むと特に、「食べる」と「生きる」が人間本来の旅する者の姿としてシンプルに捉えられるように感じてきます。「食べるために生きる」と考えると、田舎から都会に上京した生活でも方向性を見失うことなくがむしゃらに突き進んで行けそうです。ですから親の贈る言葉が「ちゃんと食べんといかんよ。」となるのでしょう。
朝の孫は、美味しそうに苺を半分食べると「カワリバンコ。」と言って私に苺を差し出しました。その優しさが嬉しくなると同時に、その言葉はどこで覚えたのかと感動しました。人は食べることを基準に様々な言語、知識、技能、感情など実に多くのものを獲得しながら生きていくのだと改めて感じた庭の朝でした。
庭の苺
2026.04.15
最近、入学式後に校長が保護者に伝えた話が話題を呼んでいるという記事がありました。もちろん、記事は断片的なのですべてを事実として鵜呑みにはできませんが、あくまでも話題の二点についてどう考えるかという視点を皆さんで考えてみたいと思い紹介します。
論点は二つで明快です。その公立中学校の校長先生が入学式後に保護説明会で話した要旨は、「学校への連絡は勤務時間内に」「スマホトラブルは保護者の責任」。この二つになります。その話の背景には、勤務時間の早い時間や夜遅い時間にまで、子どもの問題について電話でやりとりすることで教師が疲弊してしまうことや、親が買い与えた携帯電話に関するトラブルがあった際にその解決を学校がしなければならなくなり、同じく教師が後処理で疲弊してしまうということがあったそうです。「スマホのトラブルで悪質な場合は警察に通報してください。」と明言もされたようです。その校長曰く、「教師が疲弊すると、そのしわ寄せは子どもにいく」という信念があるとのことでした。本来重視すべき授業準備や生徒との対話の時間が、事務作業や対応に追われ削られていく現実があるので、その校長は「元気な教員が子どもとしっかり向き合える環境を作るため」と丁寧に説明して多くの保護者から拍手を受けたそうなのです。
もちろん反対意見もあり、保護者の働いている時間内では学校に夕方5時前までに連絡することは難しい、と時間を伸ばしてほしいとの意見もあったようです。確かに、仕事をしていると、どうしても昼休みか、勤務時間終了後にしか個人的な内容で連絡を取れない場合がありますし、世間の昼休みと学校の昼休みはズレているので時間を合わせることは厳しいかもしれません。
ここで考えたいのは、どちらの側にも言えることをキャリア教育的に言えば、何のために働いているのかということではないかと思います。教師と保護者の共通する明確な立場は「子どものために働いている」ということです。キャリア教育で言う「働く」という目的は勿論「子どものため」だけはありません。「自己の生き方そのもの」です。今はそのことではなく、この事例にある場合で「子どものために働いている」という点に焦点化してみると、何かしらの落としどころがあるのではないかと思った次第です。
教師は子どものために生き生きと学習指導、道徳・行事指導、校内生活指導などを行うのが仕事です。一方、保護者は子どものために働き稼ぎ、生き生きと子どもの衣食住を満足させなければなりません。この2つの文章からお分かりの通り、学校で働く教育関係者は、「生き生きと働く」ことを求められますが、保護者は、子どもを「育てるために働く」ことになります。そうすると、どちらも同じ子どものために働いているということになり、どちらが欠けても子どもの成長に悪影響を及ぼすことが容易に分かります。であれば、単純に「お互いさま」あるいは、「相手へのリスペクト」これに尽きるのではないかと思うのです。相手への敬意があれば、教師も保護者も「常識的な時刻に、常識的な時間内で」連絡をするでしょうし、学校指定物であれ個人の持ち物であれ、主導した側でトラブルへの責任をもつのが健全な社会ではないかと思います。(ここで常識論を振りかざすと、もはや議論は成立しませんが。)
テレビのリポーターは突撃が仕事とは言え、大谷選手の自宅を探るような放送をすれば、当の大谷選手のパフォーマンスが落ちて結果的に仕事としての野球の成績が悪くなる。そういうことを一般の人は望まないし、彼には生き生きと活躍して欲しいと願うはずです。その大谷選手も一般的な取材やファンの期待に応えようと、許す範囲でインタビューに答えたり、サインに応じたりする訳です。
私が以前勤めた平岩小学校(現平岩小中学校)には「三力一心の教育」があります。これは「学力、気力、体力、心(誠心)」を意味していますが、一方で私は、「子ども、教師、保護者が心を一つ」にして当たらないと教育は成立しないということも表していると思っています。私の好きな儒学者佐藤一斎が「克己の工夫は、一呼吸の間にあり」というように、納得いかないことがあった時、まずは「お互いさま」、「相手をリスペクトする」と一呼吸置いてから、冷静に話すことが肝要ではないかと思います。教師も保護者も同じ子どもを育てていくのですから、寛容の精神で主張とリスペクトをバランスよく持ち合わせたいものです。

力を合わせて
2026.04.14
11日土曜は朝からテレビに釘付けでした。アルテミスII計画のオリオン宇宙船が月を周回し地球に帰還するのです。午前7時から11時までNASAのYouTubeチャンネルのライブ放送をずっと見ていました。初めは「アンパンマンがいいっ!」と抵抗していた孫も頑固ジジイには勝てないと分かったのか、観念して一緒に見ていました。
そもそも、「アルテミス」はギリシャ神話に登場する月の女神です。「オリオンは神様の放った大サソリに刺されて死んだ。だから、オリオンとさそり座は同時に天空には輝かない。」という神話は有名ですが、もう一つの話があるのは知りませんでした。「アルテミスがオリオンを好きなことを快く思わなかったアルテミスの兄アポロンは、アルテミスに嘘をついてオリオンに矢を放ち死なせてしまった。」という話です。アルテミスとオリオンには切れない関係性があるということですね。
それはともかく、このアルテミスⅡは地球から38万km離れている月を周回して約40万km離れたところ飛んでくるという大飛行の計画です。月は自転と公転が同じなので、常に同じ面を地球に向けています。ですから、地球から月の裏側を観測することはできないのです。
NASA
ISS国際宇宙ステーションは地球の上空400kmを周回軌道で飛んでいるのですから、40万kmという、新幹線でも約2か月間はかかる位置まで行ってくるのですから、大変なミッションを行っているのが分かります。
人類最遠到達記録を、1970年のアポロ13号から57年ぶりに更新したのです。この数字を聞いて一気に当時に引き戻されるのは同世代の方でしょうか。その前年、私が小学2年生の時でしたか白黒テレビでしたが、月面に着陸したアポロ11号の映像をはっきりと覚えています。その翌年、大阪万国博覧会が行われ、アメリカ館には「月の石」が展示されました。残念ながら私は、小さいのを理由に気の遠くなるような行列並ぶことを親から止められて見ることはできませんでした。
アポロ11号
今回の有人宇宙飛行の中で最も印象的だったのは、「最遠記録を更新すると、船長のワイズマン飛行士ら4人は互いに抱き合い、何度も目元を拭った。」とか、「ワイズマン飛行士は、涙ぐむ他の3人に目元を拭うための紙を渡した。」という涙の部分に魅かれました。どんなに科学が進歩しても、人間は感情を完全にコントロールすることはできず、それがロボットではない人間たる所以ではないかと思うのです。その人間的な部分と、すぐに切り替えて最遠記録に溺れず「何よりも重要なのは、これを現世代や次世代が挑戦のきっかけにして、そう遠くないうちに記録が塗り替えられることです」とジェレミー・ハンセン飛行士が語ったことで、感情と使命感が行き来している部分にホッとするのかもしれません。
4月6日のブログで庭のハナミズキが薄い黄緑色をしていると紹介しましたが、綺麗な真っ白に変わりました。早とちりを失礼します。日陰を背景に純白のドレスを纏ったダンサーのように可憐な花びらが踊っています。花びらと書きましたが、以前お知らせしたように、それは総苞(そうほう)と呼ばれる特殊な葉で、実際の花は中心に直径5mmほどの小さなものが20個ほど見えます。花びら(総苞)はこのあと地上に落下しますが、しばらくの間は色褪せずに短い一生を逞しく生きながらえます。小さな命、途方もない人類の営み、双方に生きる力、生き抜く努力を感じます。
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