日向市キャリア教育支援センター ブログ

2026.04.16

食べるために生きる


今朝の塩見川

 

 久しぶりに晴れ、朝外を見るとが真っ赤に実っていました。早速、孫の手を引き庭に行くと、孫は苺を見つけて大喜びでもぎ取りました。手に二つの苺を持ち一口食べると「オイシイー。」とニコニコ笑顔になりました。

 

 本日はその「食べる」についての話題です。

生きるために食べる」のか「食べるために生きる」のか。「食べる」をテーマに「生きる」を考えたとき、どちらが基準になるでしょうか。文化人としては一人一人生きる目的がありますから、そこへ向かうために食べるのだから、「生きるために食べる」でしょう。あるいは、我々も哺乳類の一種なので、サバンナの野生動物と同じように、寝て起きたらお腹がすき食べ物を探す行動をします。そうしないと生きていけないので、まず食べることを先に考えます。そうなると「食べるために生きる」でしょうか。

 

 別の視点から。旅行が好きな人は多いと思いますが、人はなぜが好きなのでしょうか。冬山に登る際によく聞く「非日常の体験を得る」のと同じではないかと思います。「未知なる土地に触れる」ことでアドレナリンが出る感じの心地よさを人間は本能的なDNAとして持っているのではないでしょうか。それは、グレートジャーニーと言われる人類の大移動がアフリカから始まり、約10万年前のホモ・サピエンスからヨーロッパ、アジア、北南アメリカ方面へ移動していった歴史を考えると、そういうDNAが刻まれているのかもしれないと考えます。

 少しそれましたが、人間が移動するという本能をもっているなら、それは移動したいからそうしたのではなく、食べ物を探すために移動していったと考える方が自然ではないでしょうか。新しい土地に行けばきっと食べ物がある。そう考えても不思議はないと思います。そこから極北探検家の角幡雄介さんがどこかで書かれていた「食べたいから生きる」がフッと浮かんできたという次第です。さらには、うまいものを食べたいからうんと働く、まで考えが行きつきますがいかがでしょう。

 

 こうして当たり前と思っている語順を逆にしたとき、食べることがとても大事な生きる上での中心的行為になるような気がします。ここでは食の大切さという観点での話ではなく、人間の原点に帰って、シンプルに「うまいものを食べること」を第一義に「納得いくように働く」を考えてみると、毎日が生き生きと感じられるのではないかと思うのです。そう考えてみると私自身もなるほど、色々思い当たることがあります。好きだから趣味だから野菜の苗を植えたのではなく、無農薬で美味しい野菜を食べたいから苗を植えたのだと思い当たりました。美味しい実りを得るために、皆さん様々な家庭菜園の工夫をされているのではないでしょうか。

 

 (どう読むか難しいですが)角幡雄介北極圏犬橇縦断やキャッチ・アンド・リリースの開高猛の本などを読むと特に、「食べる」と「生きる」が人間本来の旅する者の姿としてシンプルに捉えられるように感じてきます。「食べるために生きる」と考えると、田舎から都会に上京した生活でも方向性を見失うことなくがむしゃらに突き進んで行けそうです。ですから親の贈る言葉が「ちゃんと食べんといかんよ。」となるのでしょう。

 

 朝の孫は、美味しそうにを半分食べると「カワリバンコ。」と言って私にを差し出しました。その優しさが嬉しくなると同時に、その言葉はどこで覚えたのかと感動しました。人は食べることを基準に様々な言語、知識、技能、感情など実に多くのものを獲得しながら生きていくのだと改めて感じた庭の朝でした。

庭の苺

コメント

コメントフォーム

不適切なコメントを防止するため、掲載前に管理者が内容を確認しています。
適切なコメントと判断した場合コメントは直ちに表示されますので、再度コメントを投稿する必要はありません。

お問い合わせ CONTACT

お気軽にお問い合わせください。
0982-57-3522
受付時間 8:30~17:00