Hyuga City Career Education Support Center
2026.04.15
最近、入学式後に校長が保護者に伝えた話が話題を呼んでいるという記事がありました。もちろん、記事は断片的なのですべてを事実として鵜呑みにはできませんが、あくまでも話題の二点についてどう考えるかという視点を皆さんで考えてみたいと思い紹介します。
論点は二つで明快です。その公立中学校の校長先生が入学式後に保護説明会で話した要旨は、「学校への連絡は勤務時間内に」「スマホトラブルは保護者の責任」。この二つになります。その話の背景には、勤務時間の早い時間や夜遅い時間にまで、子どもの問題について電話でやりとりすることで教師が疲弊してしまうことや、親が買い与えた携帯電話に関するトラブルがあった際にその解決を学校がしなければならなくなり、同じく教師が後処理で疲弊してしまうということがあったそうです。「スマホのトラブルで悪質な場合は警察に通報してください。」と明言もされたようです。その校長曰く、「教師が疲弊すると、そのしわ寄せは子どもにいく」という信念があるとのことでした。本来重視すべき授業準備や生徒との対話の時間が、事務作業や対応に追われ削られていく現実があるので、その校長は「元気な教員が子どもとしっかり向き合える環境を作るため」と丁寧に説明して多くの保護者から拍手を受けたそうなのです。
もちろん反対意見もあり、保護者の働いている時間内では学校に夕方5時前までに連絡することは難しい、と時間を伸ばしてほしいとの意見もあったようです。確かに、仕事をしていると、どうしても昼休みか、勤務時間終了後にしか個人的な内容で連絡を取れない場合がありますし、世間の昼休みと学校の昼休みはズレているので時間を合わせることは厳しいかもしれません。
ここで考えたいのは、どちらの側にも言えることをキャリア教育的に言えば、何のために働いているのかということではないかと思います。教師と保護者の共通する明確な立場は「子どものために働いている」ということです。キャリア教育で言う「働く」という目的は勿論「子どものため」だけはありません。「自己の生き方そのもの」です。今はそのことではなく、この事例にある場合で「子どものために働いている」という点に焦点化してみると、何かしらの落としどころがあるのではないかと思った次第です。
教師は子どものために生き生きと学習指導、道徳・行事指導、校内生活指導などを行うのが仕事です。一方、保護者は子どものために働き稼ぎ、生き生きと子どもの衣食住を満足させなければなりません。この2つの文章からお分かりの通り、学校で働く教育関係者は、「生き生きと働く」ことを求められますが、保護者は、子どもを「育てるために働く」ことになります。そうすると、どちらも同じ子どものために働いているということになり、どちらが欠けても子どもの成長に悪影響を及ぼすことが容易に分かります。であれば、単純に「お互いさま」あるいは、「相手へのリスペクト」これに尽きるのではないかと思うのです。相手への敬意があれば、教師も保護者も「常識的な時刻に、常識的な時間内で」連絡をするでしょうし、学校指定物であれ個人の持ち物であれ、主導した側でトラブルへの責任をもつのが健全な社会ではないかと思います。(ここで常識論を振りかざすと、もはや議論は成立しませんが。)
テレビのリポーターは突撃が仕事とは言え、大谷選手の自宅を探るような放送をすれば、当の大谷選手のパフォーマンスが落ちて結果的に仕事としての野球の成績が悪くなる。そういうことを一般の人は望まないし、彼には生き生きと活躍して欲しいと願うはずです。その大谷選手も一般的な取材やファンの期待に応えようと、許す範囲でインタビューに答えたり、サインに応じたりする訳です。
私が以前勤めた平岩小学校(現平岩小中学校)には「三力一心の教育」があります。これは「学力、気力、体力、心(誠心)」を意味していますが、一方で私は、「子ども、教師、保護者が心を一つ」にして当たらないと教育は成立しないということも表していると思っています。私の好きな儒学者佐藤一斎が「克己の工夫は、一呼吸の間にあり」というように、納得いかないことがあった時、まずは「お互いさま」、「相手をリスペクトする」と一呼吸置いてから、冷静に話すことが肝要ではないかと思います。教師も保護者も同じ子どもを育てていくのですから、寛容の精神で主張とリスペクトをバランスよく持ち合わせたいものです。

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