日向市キャリア教育支援センター ブログ

2025.12.18

子どもの特性を理解し環境を整える

  

    子を残し先に逝く。どんな思いでしょうか。亡くなる前は胸を引き裂かれる思いばかりではないかと苦しくなります。

  雑誌に、特定非営利法人福祉広場理事長 池添素(いけぞえ もと)氏の話がありましたので紹介します。

   保育について勉強していく中で、保育実習で訪れたある知的障害者施設に、奇しくも父と同じ名前の男の子がいました。男の子は、石でも釘でも地面に落ちているものを何でも拾って食べてしまいます。汚いからだめと伝えても、全くやめてくれません。この時、自分の無力さを痛感すると共に「なぜそんなことをするのかを知りたい。理由を知って何とかしてあげたい!」という思いが沸き上がってきたのでした。なぜそんなことを-?この問いが私の活動の原点であり、いまも子どもの立場になってなぜ?を問う姿勢は一貫しています。(略)

 もう一人、いまも忘れられない子がいます。その子は母子家庭で育ち、お母さんはすごく仕事のできるキャリアウーマンだったのですが、保育園に通い始めた頃から自己主張が強くなり、友達とのトラブルが絶えませんでした。その後、小学一年生から不登校になったのですが、私は「あの子がやることは何でも認めてあげてください」とお母さんにアドバイスしました。(略)その子は海外のオンラインゲームに興味を持つようになり、それを通じて世界中に友達ができ、英語ができるようになったのです。(略)お母さんはわが子に寄り添うために一時仕事を辞め、専業主婦(専業母)になりました。経済的には苦しい状況でしたが、それからその子の状態もだんだん落ち着き、中学生の年齢になる頃、「お母さん、働いていいよ」と言えるまでになりました。ところが、働きに出るようになった矢先に、お母さんにがんが見つかり、闘病の末、四十代の若さで亡くなってしまったのです。

(略)彼は通信制高校で一所懸命に勉強しています。(略)彼がいま前を向いて歩んでいっているのも、きっとお母さんが彼のことを最後まで諦めず信じ続け受け止めた結果だと思います。

  子どもの特性を客観的にしっかりと見極め、「自分で決めさせる」「ひたすら待つ」この二つが大事だと言われますが簡単なことではありません。ここには絶対的な覚悟が必要になります。昨夜テレビで、初めて犬を育てるという番組がありました。犬を育てることで子どもが成長するということが紹介されていました。ペットもその家で一生を終えることになるので家族同然です。生あるものと接するという覚悟が必要になります。覚悟を決めて子どもを育てることは、自分の子どもに責任をもつことになります。子どものペースで継続できる環境を整えながら共に歩む道のりは長いようで短いです。

  「子育ては18歳まで」 これは私が懇談時に保護者によく話した言葉です。18歳を過ぎると、就職や進学で親元を離れる場合が多くなります。もちろん親子の関係は一生続くのですが、直接面倒をみる機会は、18歳を境に激減します。20年ほど前、高校総体が終わった(県大会で敗北)6月に行われる保護者と監督(先生)の慰労会では、飲み会の賑わいはなく沈んでいました。私が近くの保護者に「どうしたんですか?」と聞くと、「もうこれで子どもの応援ができない。」と暗く悲しい表情で答えられていたことが今でも忘れられません。ですから、6年生の保護者に「あと6年で巣立ちますよ。今は少年団や習い事の送迎などで忙しいという思いが先行しているかもしれませんが、6年なんてすぐに来ます。一日一日を大切に、今を頑張りましょう。」と伝えていました。

  親が子どもにできることは、子どものことをよく理解し環境を整えることです。それは親にしかできない価値でもあります。

  必要以上に傍にいて守らなければならない子どもを残して先に逝ったお母さんは、さぞ無念だったことでしょう。この時、母と対面し泣き崩れた少年がその後、前を向いて歩いていく姿をお母さんはどこかで見ていたでしょうか。

  親は、わが子に自分らしい生き方をして欲しいと願うものだと思います。共にがんばりましょう。

親が落としたブドウの種から実ったぶどうの実を子が食べた時、親を思うのでしょうか。

「きつねとぶどう」 生成AIで作成

2025.12.17

決断力

  皆さん、遭難したことはありますか? 私はありませんが、遭難しかかったことはあります。

 昔から冬山に通っていました。北アルプスへ毎年、年末年始の休暇を利用して遠征をしていました。仲間との休みの調整がつくのが年末年始だけだったという理由からで、よく職場の人から「御来光を見に行くのですか?」と言われ、違いますというのも理由を説明するのが面倒で、「はあ。」と気の抜けた答えをしていました。その冬山遠征も歳と共に形を変え、山スキーへと変化して行きました。新田次郎の『孤高の人』のモデルである加藤文太郎は明治から昭和にかけての登山家ですが、当時すでにスキーを履いて山を登下行していたのですから、先達は尊敬します。

 山をスキーで登下行するとはどういうことか。スキーはお分かりでしょうが、スキー板の裏に先端から末端まで毛皮を貼るのです。昔はアザラシの毛をスキー板の幅に加工して長く貼り付けたのでシールseal(アザラシ)と呼んでいます。貼り付ける面の向きで毛が逆立っているので、雪面にしっかりと食いつく訳です。それで、スキー板にシールを貼ると、上りは雪に足が埋没せず(深い時は腰まで潜る)、歩くよりは早く登ることができるのです。現在は化繊のものが主流になり、手入れも乾かすのみで随分楽になっています。スキーで滑る時には、そのままでも、今度は毛が下向きで邪魔しないので滑ることはできますが、さすがに抵抗が大きくスピードは出ません。それで、快適に滑る時には、シールを剥がして下ることになります。

 さて、前置きが長くなりましたが、5年ほど前に、単独で厳冬期の北アルプス「白馬乗鞍岳」へ向かった時のことです。1日目にスキー場のトップからシールを付けて登り始めました。ここは何回か訪れたことがある場所なので、天気が良ければ道に迷う心配はないという自信がある山です。順調に標高を上げて樹林帯をかいくぐって進みました。そろそろ森林限界が来た場所で、樹木の背丈が私より低くなってきます。同時に、それまで樹林帯が風よけになっていたので、抜けると強風がまともに当たり始めました。それでもまだ、山頂まではあと三分の一はあります。そのまま進むとさらに風が強くなってきたので、今日はここら辺りで無理せず引き返そうと判断しました。

 シールを剥いで、来た道に沿って滑り始めました。尾根道でシラビソの樹林もあり、それを避けながらのスキーになるので結構アドベンチャーです。あと500mほど下ると目印になる成城大学の避難小屋に出ると、現在の位置から考えて分かっていました。その小屋から下るとすぐに橋があるのです。つまり沢になっているところがあり、そこへ滑り下りて、大きな林道を、登山者が歩いて掘れた道を使って、まるでボブスレーのように自動運転でスキー場のトップまで戻るということになります。もちろん沢は、冬で雪が多く埋まっているはずです。そういう状況がイメージできたので、成城大学の小屋へわざわざ進まず、現在の尾根の位置から左側つまり沢側の斜面をトラバース(横切る)して橋に直接出た方が近いと判断しました。スーッと斜め直線的に尾根の左下斜面を滑るだけで、5分もすれば橋に出る計算でした。

 トラバースを決断しました。左斜面に入り込み、滑り始めた瞬間、そこら一帯の斜面の雪が一斉に崩れてドドドーッと落ちていきました。もちろん私も流されて落ちました。が、5mほど落ちたところで、スキーを履いた足が木の根っこに引っかかって止まりました。雪のはがれた斜面は、シラビソの樹の絡まった根っこが縦横無尽に走り、それがあらわになってむき出しになっていました。つまりその斜面一帯の雪は、絡まった根っこの上にかぶさっていただけだったのです。私は、その入り組んだ根っこに足が引っかかって止まったということでした。10mほど下を見ると、雪で埋まっているはずのが、所々口をぱっくりと開けていて、水が流れているのが分かりました。暖冬の影響で、その年はあまり雪が積もっていなかったことになります。水深はそこまで深そうには見えなかったのですが、落ちれば間違いなく1分で低体温症になることは間違いありません。そう考えると、ゾーッとしました。

 さあ、ここから脱出しなければなりません。私は、このアンバランスな状態から滑り落ちないように体勢を整えました。次に、片方の手で体が落ちないようにしながら、もう片方の手で緊急用にザックに付けていた細引きのロープカラビナで木の根っこに自分を繋いで自己確保しました。これでまず落ちる心配はありません。その後、別の細引きロープをスキー板のビンディング(スキー靴を固定する器具)に取り付け、これから尾根に這い上がる際に板を落とさないように体に固定しました。次はいよいよ脱出です。50度はあるかという斜面を木の根っこにつかまりながら上がりました。2mほど上がると、今度は雪面になっています。角度は40度ほどに落ちましたが、掴まるところはありません。それで、手を雪面に深く突っ込んでずり落ちないように力を込めて一歩ずつ上がっていきました。それを繰り返していると、角度が完全に落ちてきて尾根上に這い上がることができました。

 疲れ果て極度の緊張感から解放されて、尾根上にへなへなと倒れ込みました。ポットのぬるい温水を飲み、行動食を少し食べて休憩すると元気を取り戻しました。もう少し雪面の状況をしっかり分析、考察して、微妙な変化としてのインシデントを見逃さない観察力が必要だと、深く反省しました。後は、尾根道に忠実に滑って無事下山しました。

 ところがこれには続きがあります。翌日、また同じルートで、今度こそ山頂までと登ったのですが、中間の台地まで来ると、吹雪に見舞われ下ることにし、昨日の教訓から、「左でなく右、右。」ともう一人の自分が言い聞かせているのです。それに素直に従ったら、今度はまったく違う尾根を下っていることに途中で気が付きました。GPSで確認すると一本尾根が違うのです。しかしもう後の祭りです。そこは急斜面でスキーを履いていても膝上まで潜る雪の深さです。もしここで転倒でもしたら、埋没して雪の中から這い上がることは不可能だったでしょう。ましてや転倒でスキーが外れてしまうと、体は頭まで潜ってしまうくらいのサラサラの雪でとても深かったです。

 もう下るしかないと判断しました。というのも、ここを無事クリアし下ると、自然園というとても広い平原(雪原)に出ることが分かっていたからです。ただ、現在地から下は崖のある場所が地形図では読み取れるのでルートは慎重に選ばないといけません。樹林帯の中ですが、木の隙間から吹き込む雪と多少の湿度があるのか、一帯はホワイトアウト化してきました。こうなるともうGPSだのみになります。少し下っては止まって現在地と進行方向をGPSで確認します。それを繰り返して、結果的に自然園の広い雪原に降りることができました。そこもホワイトアウトで10m先が見えない状態です。雪面と空の境界が分からないので気を付けないと酔ってしまいます。慎重に進んで、やっと山荘のある一帯に出て休憩しました。その後林道を進んで無事に帰還することができました。

 2日連続で遭難しかかるなんて本当に情けないと心から反省しました。そして、分岐点となる現場での「決断」がこういう災難に遭遇したのだと、改めて、慎重かつ客観的・科学的に状況を判断し、最後に決断するという一連の過程は、その後の登山のみならず、私の大きな教訓となっています。日本のアウトドアメーカーの創業者辰野勇氏は「決断とは将来を見据えて、今あえて困難な道を選ぶこと」と言っています。この方の経歴たるや凄まじいものがあるので、氏の言葉は重いものだと思われます。挑戦することに関してそう述べられているのだと解釈します。また、『経営と冒険』というタイトルの著書の中での言葉なので、経営者としての観点での話であると理解できます。私の遭難もどきの話に関しては、「困難な道」を選ばないことが「決断」だったのかもしれない、いや逆に、楽をしない方が「困難」であり、その時の通常の「尾根道」がそれに当たるのかもしれないと反省したところです。

 氏が、経営する際に必要と言われる「集中力、持続力、判断力、そして決断力」という一連の思考活動が経験則から身についていることが求められるのでしょう。自然を相手の遊びの際にも、仕事として突き進む際にも、判断力と決断力は、その前の状況分析の上に成り立ち、そして一歩を踏み出す勇気が求められるのだと多角的に考えるこの頃です。

 キャリア教育とどう繋がる話になるのか、あまり考えずに冬山の経験談を書きました。お付き合いありがとうございました。

2025.12.16

自分事

 
  皆さんのところではインフルエンザは迫ってきていますか?もう通り過ぎましたか?市内では猛威をふるっているインフルエンザに戦々恐々とする毎日かもしれません。大学、高校の受験生のいるご家庭では心配なことでしょう。基本的な予防をするしかありませんので、くれぐれもお気を付けください。

 さて本日は、物事を自分事として捉えることについて、朝日新聞eduAという記事がありましたのでお知らせしたいと思います。

福島県・茨城県中学生28人がウォルト・ディズニー・ジャパン社員のアドバイスを受けながらキャラクターや物語を制作するワークショップ8月、東京都内で開かれました。福島県いわき市のチームは、高校受験を控え、サッカー強豪校に進学するか悩む、中学3年生の思いを描く物語を考案。過去のケガや失敗から本当の思いを両親に打ち明けられない主人公を応援するキャラクターとして、クマの妖精「ムタティオ」を生み出した。キャラクターのイラストには生成AIを活用し、スライドや音楽を織り交ぜたプレゼンテーションを使って、自分たちで考えた物語を発表した。同中学3年生は「社員の方から『自分事に置き換えて考えてみて』というアドバイスを受けて、説得力をもった作品に仕上げられた。0から1を生み出すことは難しかったけれど、その経験を将来に生かしたい」と話した。

この記事を紹介したことには理由があります。最後の「自分事に置き換えて考える」という部分は、日向市のキャリア教育で活用する視点と同じだからです。よのなか教室(職業講話)やよのなか挑戦(職場体験学習)には共通する事前学習の視点があります。それは、職場環境の中で他者をどう理解し自分が社会の中に活躍の場を見いだすかという「相手を尊重し社会を理解する力」や、自己を正しく理解し自己管理を行っていく自分を正しく知りコントロールする力」、さらに、自分が克服しなければならない課題にどのように対応していくかという「課題を見極め解決の工夫をする力」、そして、これからのキャリアをどう発展させていくのかという「働く意義を知り将来を切り拓く力」。この4つの力を講話や体験で学び取るように事前指導を行います。

 その講話や体験が終了した時、児童生徒は果たして自分が4つの力を獲得できたのか把握しにくい場合がでてくるので、自分が納得できるように置き換えて考える必要があります。それが「自分の身に置き換えて」という視点になります。それは、「相手をどのように尊重すればよいかや自分は周囲との関りができているか」や、「自分の役割をよく理解することや自分をコントロールするために必要なことは何か」、さらに「現在の自分の課題が分かり、実行していくために必要な工夫」、そして「働く意義とは何か、道を切り拓いて将来を設計するために必要なことは何か」。こうやって4つの視点を「自分事として置き換えて考えてみる」ことで、自分の中にこれから頑張っていくことは何かという「軸」が出来上がると期待しています。

 学校では、教育課程の中に成長のために必要な体験プログラムを様々な行事・学習という形で組み込んでいます。それを面倒くさい行事としか捉えられなければ成長は期待できないでしょう。目の前にある課題(体験活動)を自分事として捉えて成長につながる収穫を得てくる。そういう前向きな捉え方を主体的な活動と呼びます。

 人生は長いようで短い。それを分かっている大人であれば、なお更、子どもたちには充実した人生を送らせたいものです。そう語ってみたところで、今もがき苦しむ流れの中にある子どもたちは、長い旅の途上の真っただ中にいます。私は早く成長してもらいたいと焦るあまり、子どもに大人の価値観を押し付けたように思います。大人の尺度で大人の価値観を振り回したところで、先のことなんて分からない今を生きる子どもたちには響かないことが多いと後になって分かってきました。人生の先輩として子どもに話すことは沢山あるでしょう。大事なことは、その話の内容を子どもが自分事に置き換えて考えてみる時間を作ることだと今は言えます。難しく言えば「内省化」の時間を作ることが大切です。平たく言えば、「どんな意味か考えてみない?」と子どもが振り返る時間を置くことです。そして、数時間あるいは一晩おいて聞いてみることです。「どんげ思った?」と。話しても言うことを聞かない。家のことを手伝わない。これらは、しっかりと本人が自分事として受け止める時間や空間を作っていないことが原因かもしれません。反抗期とよく言いますが、まったく反抗期のない子どもも実際にいます。残念ながら反抗期だと自分で認めている子どもも多くいます。後者の場合、大人が分かりやすく話した内容はほぼ理解しています。自分で反抗期だと認めている以上、受け入れる態度がとれないのです。大人は「子どもは分かってはいるんだ。」と自分を納得させるしかありません。それでも、これからも話を続け、「自分事」として受け止められるような伝え方を心がけていきたいものです。

 まずは、そういう私たち自身が、職場や周囲の人の言うことを自分事として受け止め、考えられる人間であることが、子どもへのアプローチとしては遠くて近い道なのかもしれません。自戒の念を込めて…。

2025.12.15

地域で育てる~FTF(face to face)

 昨日は前夜からの雨が止み、からりと晴れ渡った心地よい空気の中で青島太平洋マラソンが開催されました。ランナーの皆さんお疲れさまでした。また、サッカーではテゲバジャーロ宮崎がアウェイで完勝し見事にJ2昇格を決めました。こちらも大変おめでたいことで、昨日はスポーツに湧いた宮崎となりました。

 

 さて、先週金曜日に日向市の各地域で尽力されている地域コーディネーターの皆さんが一堂に会して本年の取組について協議する会が実施されました。日向市には中学校区を一つの単位として各地区に地域コーディネーターの方々が、それぞれの校区の学校からの要請に応じて人材や事業所を見つけ調整する役を担っておられます。うちのスタッフの一人もコーディネーターを兼務しております。今回は私も地域で子どもを育てる意味合いから参加させていただきました。初めての方もおられましたが、こうやって対面でお話するのはとても良い機会になりました。

 初めに、三樹教育長からは「学校だけで子どもを育てる時代は終わっています。地域一丸となって子どもを育て、また学校も柔軟な教育課程を編成して地域の人材をフルに活用できるようにしていくことが大切です。」とご挨拶をいただきました。

 次に、意見交換の場では各地区から様々な活動が報告されました。「参観の日の懇談時に低学年生の見守りを行っている」「授業補助の必要性から機転を利かして地域との調整をしている」「小中学校のクラスで読み聞かせをしている」「祭りの舞を長年指導している」「ミシン補助をしている」「学有林の活用を掘り起こしからしている」「面接指導に協力している」「よのなか挑戦ではコロナ禍で途絶えていた事業所が喜んで迎えてもらった」など、調整に奔走しておられる様子が見えてきました。

 また、課題として、「中学校区が一つのまとまりであっても小学校区ごとに特色があり、すべて一つにまとまるということの難しさもあるが、何とか皆で地域の子どもたちを育てる意識にもっていきたい」「地域の行事が減少し子どもたちが地域で育つ機会に乏しくなっている」「奉仕作業は学校をきれいにするというより皆で集まって話をし、顔を知るという機会として実施できればよい」「育成会やPTAに不参加の家庭が増えていることが子どもたちへ影響しているのではないかと思われる場面に遭遇することがある」などの切実な状況をお話しいただきました。

学校も行政も保護者も地域も、すべて目指すところは同じで、「子どもの健やかな成長」これ以外の何物でもないはずです。成長に伴い、学力、体力、人間力などが付加されていき、最終的には「人格の完成」を目指すのが教育の役割になります。この場合の教育は、学校だけで行うのではなく、家庭、地域すべてが関わりあって育てていかなければなりません。地域コーディネーターの皆さんは直接学校に寄り添って支援をしていただき、キャリア教育支援センターは地域でカバーできない市内全域での学習活動の支援・サポートを行います。学校はどちらに相談して良いか判断に迷うときは、どちらでも構いません。まずは地域の人材を活用しようと積極的に行動を起こし連絡をいただきたいと思います。地域コーディネーター、キャリア教育支援センター双方で連絡しあい、どちらが関わるのがより適切かを判断して返事をすることができますのでお気軽にご相談ください。地域コーディネーターとキャリア教育支援センター、そして教育委員会は連携しながら子どもたちの健やかな成長を願って歩んで参りたいと思います。地域の皆様、保護者の皆様、事業所の皆様、どうぞご理解とご協力をお願いしたいと思います。


 冒頭で紹介しました青島太平洋マラソンは、視覚障害者マラソン大会が同時開催されています。私も以前は「アオタイ」のランナーとして参加しておりましたが、現在は伴走者として参加しています。今年は10kmの部で東京からの若い選手と共に無事ゴールしましたが、そのすぐ後には一般フルマラソンの選手がもう帰ってきました。1位は2時間20分です。何という超人的な速さです。その後惜しくも2位だったのが門川出身で東京都在住の男性です。以前はこの大会で優勝もしていて、学生時代は箱根駅伝にも出場した努力の人です。数十年ぶりに会い話をしました。彼に写真を送ると、早速自身のFacebookで「地方大会の良さ」を語ってくれていました。人と人がFTFface to faceで話をすることで温かな空気感に変わることはよくあることです。昨日も彼の「時の移ろいを感じますね」という言葉からは、時間の経つ早さと思い出の甦りを懐かしく感じましたが、数々の試練を乗り越えてきた彼の人生を思い浮かべてもいました。人が暮らすその場、その地域FTFと顔を付き合わせて暮らしていけるのは、どんなAIにも負けない人間ならではの価値ではないかと思います。先週の研修協議会そしてマラソン大会と、濃い週末でしたが、それぞれの人がそれぞれの地域で生きていくことの大切さを改めて感じました。長い旅の途上である子どもたちを今いる地域で育てるのは先生である大人の役割だと身を引き締めた週明けの朝でした。

2025.12.11

牧水の里から若人の挑戦~東郷学園若竹分校中学部よのなか教室

  昨日11日(水)、東郷学園若竹分校中学部2年生が(株)黒田工業様を訪問し、よのなか教室が実施されました。初めに、研修室にて会社の概要を映像で紹介していだたきました。宮崎県で一日に一人が排出するごみの量は約1kgすなわちパック牛乳一本分なので相当な量になると驚きました。不燃物を破砕し選別する出る再利用できるものは可燃性残さとして固形燃料に作り変え、不燃性残さのみが埋め立てられるようです。作り上げた固形燃料(RPF)はボイラーの燃料として電気を作ったり、温水風呂の施設の燃料にもなるということでした。

続いて、実際の加工作業場へ案内していただき、ここでベッドのマットレスを100%リサイクルする工程の説明を現物で確認しながら教えていただきました。マットレスのスプリングには2種類あり、スプリングが全体の金具と一体型になっているものは取り外しが楽だが、スプリングが一つ一つ独立してカバーに包んであるものが300個から400個並んでマットレスの中に収めてあるものは大変手間がかかるということが説明でよく分かりました。カバーを剥がしカッターやはさみで切り取る人、見えてきた1個のスプリングを中から取り出す人。この連動した作業の繰り返しで一つのマットレスを分解していくそうです。カバーは可燃性残さとして固形燃料になり、スプリングは再加工してとして生まれ変わるのだそうです。この工程では埋め立てに回るゴミは何一つなくすべて再利用されるというところが、この会社の大きな社会的意義につながるのだと感じました。

 見学後の質疑応答のコーナーでは、中学生の「この仕事をなぜ選びましたか。」の問いに担当者の方は「リサイクルに興味がありました。」と答えられ、「仕事で気を付けていることは。」には「日向市民の施設だから市外からのお客さんに断るのに気を付けている。」さらに、「やり甲斐は?」に対しては「こういう見学で興味をもってもらうのが嬉しい」 と、よのなか教室のねらいに迫る学習を生徒が行ってくれていることが嬉しかったです。今回のこの見学は、生徒たちのキャリア発達に必ず蓄積されるだろうと確信しました。黒田工業様、本当ありがとうございました。

東郷学園若竹分校中学部3年生は、自衛隊宮崎地方協力日向地域事務所様を訪問しました。服装を着用させてもらったり、自衛隊の職務の概要説明、基本的な動作、救急法やロープワークなどを丁寧に説明していただいたようです。

生徒からは、「仕事のやりがいは何ですか」と質問され、「海外での任務の時に、治安や豊かさについて改めて日本の良さを感じたことや災害派遣で被災者から感謝の言葉を頂いたことです。」と答えてくださいました。また、「楽しかったことは何ですか。」の問いには、「同僚との交流(休暇や食事会)や自身の子供のスポーツの応援です。」と。さらに、「人気の食事は何ですか。」には、「カレー。」と即答され、その理由として「自衛隊では訓練や任務で日常生活から離れることが多く曜日の感覚が分からなくなるので、毎週金曜日にはカレーが支給されます。各部隊、艦船ごとに味が違う(沖縄の舞台では黒糖がはいっているなど)ので楽しみです。」と私たちの知らない味の情報までいただきました。最後に講師の先生から「感謝することの大切さ」について中学生に分かりやすく説いてくださいました。「この仕事に就くためには、元気・やる気・我慢・感謝(学校での学びや給食はあたりまえではない)が必要ですと締めくくっていただきました。自衛隊宮崎地方協力日向地域事務所様、本当にありがとうございました。

東郷学園若竹分校中学部1年生は、小春日和の穏やかな日差しの中、東郷まちづくり協議会会長鈴野淺夫様さつま芋畑を訪ねました。鈴野さんの「今年のさつま芋は気候のせいか実入りが良くないとよね。」という心配をよそに、生徒たちは土をかき分けかき分け、沢山のさつま芋を掘り上げて畑に並べていきます。掘ったさつま芋は畑の土がついているので冷たい水で土を洗い流します。細長い芋、曲がった芋、これぞさつま芋!という芋。1つとて同じ形のものはありません。

  その後、鈴野さんご夫婦と一緒にドラム缶を利用した手作りの焼き芋焼き機()にさつま芋を並べていきます。焼き芋が焼きあがるまでの時間を利用して、ご近所の伊藤さんの牛舎まで散策しました。牛舎ではおよそ100頭の牛を飼育されているとのことでした。人懐っこい牛を見学させていただいた後は、畑に戻っていよいよ焼き芋の大試食会の始まりです。自らの手で頑張って掘った芋が美味しくないはずがありません。アッツアツの焼き芋をフーフーしながら、東郷町で栽培されたカモミールで作ったお茶と一緒に美味しくいただきました。 

 質問の時間には、「どんな野菜を作っていますか」「野菜作りで大変なことは何ですか」「この機械はいくらぐらいしますか」と次々に生徒が問い、それに対して一つ一つ丁寧に答えていただいた鈴野さん、奥様、お世話になりました。

 若竹分校中学部の生徒が同時に3か所でよのなか教室に参加できるという貴重な機会を得ることができたのも、各事業所の皆様のご理解とご協力あってのことです。御三方にはご協力いただきまして本当にありがとうございました。

2025.12.10

世は情け、お互い様

 本日は、厳冬期のアラスカ路線バスに乗った日の出来事にお付き合いください。当時の記録(日記)から転用します。

 フェアバンクスの空港からゲストハウスに帰る際に路線バスに乗ってみた。親切な運転手に降車場所から次のバスに乗り継ぐ道順を教えてもらい、なんとかバスを乗り継いだ。そのバスが発車し暫く進むと、次のバス停で私より少し若そうな夫婦なのか男女2名が乗り込んできた。何やら、乗り込んですぐ支払いの件で運転手と交渉している。どうやら「10ドルしか持っていなくて、両替はできないか。」と言っているようだ。バスは一日券が3ドルで一回乗車は2ドルなのだ。運転手は「できない。」という。それなら、「この先のスーパーで下りて両替してくるからその時でいいか。」と男性が食い下がると、運転手は渋々了承したみたいだ。


路線バスの対面座り


2人はこちらに向かって進み私の目の前の席についたが、まだ困ったようで落ち着きのなく、私に「10ドルを両替できないか。」と聞いてきた。私は1ドル札を3枚しか持っていなかったので、「できない。」と言った。が、間をおいて、「いくらいるの?」と聞くと「2ドルだ。」と言う。「じゃあ2ドルあげるよ、使って。」と渡した。すると男性は物凄く感謝して私にお礼を言って、運転手の所へ行くと、「彼がくれた、ハイ。」と支払っていた。
その後10分ほどで私は、降車するスーパー・フレッドマイヤーに着いたので席を立ちあがった。降り際にその男性と女性が凄く感謝し握手して別れた。旅は道ずれ世は情けだ。

冬季で客車3両、ダイニングカー1両


ところが話はここで終わらないのです。

 その2日後、私はフェアバンクスからアンカレッジに向かうためにアラスカ鉄道を利用することにしていた。朝8時から12時間に及ぶ列車の旅は景色が雄大過ぎて飽きることがない。途中では何回か休憩停車をしてくれる。

 列車が2回目の停車駅タルキートナに停まった時だ。乗客が休憩のために降車しようと立ち上がって動き出した。私は最後でいいと思いゆっくり座っていたら、乗客の一人の髭顔の男性が「あの時はありがとう。」と、いきなり言ってきて握手を求めたので応じたがその時は何のことか分かっていなかった。ほとんどの乗客が降車して行ったので、私も立ち上がって動こうとした時に思い出した。一昨日、フェアバンクスのバスの中で2ドルを渡した男性だ。そうか同じ列車に乗っていたのか。
私は降車後、すぐ彼とその隣にいる女性を見つけると、彼に「おおーっ、なんで僕って分かったの?」と話しかけた。なぜなら私は、列車の中で雪景色のあまりの眩しさにサングラスをしていたのだ。すると彼は「なぜかって?忘れないさ、その髭の感じとその顔だよ。」と言って、再会にガッツリとハグをした。いやあ、こんなこともあるもんだ。だから旅は面白い。
アンカレッジ駅に到着しタクシーを待っているときにも彼らと一緒になったので、奥さんの方にどこから来たのか聞いてみると、テキサスと言う。彼の方は笑って、「本当にあの時は感謝している。」と固い握手をし、またいつかどこかで会おうと別れた。

アンカレッジ駅到着

 私の頭の中では、「赤い羽根共同募金」の歌が流れていた。「♪困った時は~ああ、お互い様~・・・」 世界中、人は皆同じ。助け合いの精神は「お互い様」でどこにいても自然に行動できるようでいたい。情けは人の為ならず、自分に帰ってくる。それはこのようにすぐに「この人と出会えて嬉しい」というプレゼントとして何倍にもなり返ってくることもある。そしていつか自分が助けられる。そう期待してはいけない。いや、すでにたくさんの方々に助けてもらっている。

 この出来事を振り返る時、「旅は道連れ世は情け」という言葉も思い浮かべます。一人旅のこの時に道連れはいなかったのですが、「お互い様」の心が世界をぐっと身近に感じさせてくれ温かい気持ちになれることを実感しました。本日は、私自身がしたことの自慢話ではなく、きっと私自身がたくさんの人にお世話になるからこそ、できることは「お互い様」の精神で日常的にしていきたいという思いをお話したかったのです。
つい最近、東北地方では新たな地震に不安がつのることでしょう。それは他人ごとではなく、南海トラフを抱えている私たち九州も同じことです。災害大国日本においては、「共助」すなわち「お互い様」が復旧、復興への近道なのかもしれないと、各地の現場を見てきて思うことです。『私は能登を応援します』のステッカーは私のヘルメットに貼ってあります。お付き合いありがとうございました。

2025.12.09

日向はまぐり碁石は世界の宝~よのなか教室 財光寺南小学校5年生

  125日(金)午前、財光寺南小学校5年生のよのなか教室に参加してきました。この日のよのなか先生はミツイシ(株)の黒木宏二様です。単元は「世界でオンリーワン日向はまぐり碁石について」です。黒木さんは財光寺南小学校が母校ということで、力も一段と入っているようでした。子どもたちも「母校」と聞かされ親しみを持った反応が返ってきました。私も教員になり立ての頃から社会科を通して日向はまぐりについては、工場見学などかなり熱心に回りましたが、今回の講話では知らないことが次々と出てきました。

 囲碁では黒が先に打つと決まっていて、黒が181目(モク)に対して白は180目になり同数ではないということ。全体に広がると、白が膨張色のため大きく見えてしまうことから、黒の方が白より0.3mm直径と厚みが大きくしてあるということ。囲碁人口は、世界で3600万人いて、中国は2000万人、韓国が900万人、日本は200万人ということ。もともと囲碁は中国から入ってきたが、現在は日本の文化として世界に広まっていること。「一目おく」や「(打ってもダメな場所として)駄目」など囲碁から生まれた言葉が多いこと。そのほかにも、戦国大名が囲碁を好んでいたことやアインシュタインなど著名人も趣味としていたことなど、囲碁の世界の広さと深さを教えていただきました。

 日向はまぐり碁石の歴史としては、海岸地形からお倉ヶ浜にはまぐりの貝殻が大量に存在していることに目を付けた黒木清吉さんが製造技術を学び広めたそうです。ところが今から50年ほど前には貝殻が捕れなくなってきてメキシコから輸入するようになったとのことでした。しかし、貝殻のはまぐりから碁石を製造する技術は脈々と受け継がれ、これができるのは世界でも日向市だけだそうです。しかも、実際に作れる職人は4~5名しかいないとのことで、4人は日本の伝統工芸士に認定されているそうです。120年の歴史がある日向はまぐり碁石の製造は残していきたいというのが黒木さんの願いです。

 その伝統工芸士である職人が「何事も真面目に一生懸命に目の前のことに向き合う大切さを知って欲しいです。」「何十年経験しても、最高の職人になれるように頑張っています。」と言われていることを紹介してくださいました。一つの道を極める方こそ、一層の高みを目指す姿勢というものを崩さないのだと感じました。

 日本人の囲碁人口が少ない状況の中、海外では人気があるようで、会社としては台湾やイギリスなどへの販路拡大を目指し、HPも海外向けのアピールをされているようです。また、会社では碁石の新しい挑戦として金箔プラチナ箔の鮮やかなものの開発や、碁石以外の食品にも力を入れているとのことでした。

 これらの熱のこもった講話から子どもたちも刺激を受けたようで、「人間性はどうやって高めましたか?」と核心に触れる質問も出ました。黒木さんは「『ごめんなさい』や『ありがとう』など当たり前のことができる人を目指しています。掃除は毎日して、ゴミは拾わないと物に対する感謝の気持ちをもつことができないようになるのできれいにしています。するとゴミに気づくようになります。そうやって、人間性は少しずつ高めてきました。」と分かりやすい例で教えてくださいました。

 また、「『ミツイシ』の由来は?」との質問は私も聞きたかったことで、「〇●〇(実際は左の丸に横線が入る)が元々の碁石作りの屋号になっていて、碁石ばかりでない製品の製造に取り組むためカタカナの文字にしました。」とのことで、深い話です。さらに、「製作の時間はどれくらいかかりますか?」との質問に「削ってできた石をより白くするための漂白と乾燥に時間がかかり、特に冬場は時間がかかります。2~3カ月はかかります。」という予想を超えた工程作業の時間に子どもたちは驚いているようでした。最後には「なぜ大きなはまぐりから1個しか石を作らないのですか?」という大人も疑問に思うことを質問してくれました。黒木さんは「貝殻の中央が一番分厚くて、そこから作る厚い碁石が一番値打ちがあるから1個だけの貴重な碁石を作るようにしています。」との回答に「う~ん。」と納得したような感嘆の声が聞こえた気がしました。

メモを熱心に取る児童

 財光寺南小の5年生では来年1月にもよのなか教室を開く予定です。当日のみでなく、事前学習をしっかりと行った上で当日の授業に臨むというモデルになるような学習を計画しているようで頼もしいです。当センターとしてもとても力が入ります。子どもたちが世の中で活躍する本物の職業人から直に学習を提供されることで、学校では学べないキャリア発達(自分らしい生き方の道筋)を獲得していけるだろうと期待しているところです。

 今回は日向が誇る伝統工芸の日向はまぐり碁石の製作とそれにかかわる人の生き様について黒木宏二様より学習を提供していただきました。日向のはまぐり碁石は世界の宝だということを実感しました。本当にありがとうございました。

【追伸】ウチ(商工会議所)の奈須春樹名誉本因坊七段格が、先日のアマ宮崎本因坊戦で昨年に引き続き連覇を達成し、通算で6度目の王座に就きました。おめでとうございます。(宮日新聞12月8日掲載)

2025.12.08

待つことを楽しむ国民性(2)

   前回は、カナダ登山遠征に行くのにアメリカのシアトルで乗り継ぎ、そこで見聞きした体験で終わっていました。本日はその続きです。お付き合いください。

 シアトルからカナダのカルガリー空港へ乗り継ぎました。カルガリーといえば1988年の冬季オリンピックを思い出す方も多いのではないでしょうか。イタリアのカリスマスキーヤー、アルベルト・トンバ選手や今は参議院議員でJOCの会長となった日本の橋本聖子選手黒岩彰選手の活躍を思い出すします。

 カルガリー空港で予約していたレンタカーを皆で1台借りました。リーダーが海外での運転に慣れていたので安心ですが、好奇心も手伝って、私も予め国際免許証を出発前に取得しました。

 トラベルHPより

 カルガリーからハイウエイを通って約3時間でキャンモアという小さなリゾートの町に到着しました。その町にあるスイスのマッターホルンと同じようなピラミッド型の岩山があるのです。その山に登ったのですが、ここでお話したいのは登山終了後の町でのお話です。

 我々には悪天候に備えて予備日を設定していたので、下山後から後2日間、この町のロッジをベースに自分たちで過ごさなければなりません。つまり、ロッジは自炊なのです。それで皆で食材を買いに行くことになりました。ここでも異文化をたっぷり味わったのですが、その話は割愛して、車で街中を移動していた時のことです。

 その時は私が車を運転していました。何回か運転していたので少しは慣れてきました。ちょうど、住宅地にある交差点に差し掛かったときです。そうですね、日向で言えば比良エーコープ前交差点くらいの場所だったでしょう。(分かりますかね?) この交差点には信号はありませんでした。私たちの車は右折(日本と逆。基本的には確認のみで曲がってよい。)しようとしていたのでウィンカーを出し北進方向を向いて停止しました。すると、前方からも左右からも車が来て、その交差点で止まったのです。すると、そこへ一人のご婦人が私たちの車の前の横断歩道を右から左へ渡り始めました。私はじっとその様子を眺めていました。ほかの3方向の車もその様子を見ているようです。ご婦人はゆっくりのんびり、時には笑顔を見せながらずっと前方をうつむき加減の姿勢で渡り終えました。ご婦人は渡ってから車の方を見る様子はありません。

 さて次は交差点で止まっている私たちの車を含めて4方向から集まっている車が動き出す番です。ところが誰一人動きだす車はありません。私はフロントガラスへ身を乗り出して3方向3人のドライバーの様子を見ていると、前方の男性ドライバーが右手を前に出して水平直角にクイッ、クイッと指示します。つまり「お先にどうぞ」です。次に左右のドライバー2人を見ていると、これまたクイッ、クイッと「お先にどうぞ」をしています。私もその気になってクイッ、クイッとやります。結局そんなやりとりがしばらく続きました。ドライバーの顔の表情まで見えてきましたが笑顔です。ハンドルに両肘を乗せて「どうぞ~、どうぞ~お先に~」という感じで辺りの空気がゆったりとしています。前方、左右3人とも皆そうなのです。まるで、待つことを楽しんでいるかのようにも見えました。すでに5分近く待っているでしょうか。私の車内4人もそれを見ていて、せかす様子は起きないようです。私は好意に甘えてお先に右折させてもらいました。日本では考えられないほどのスローペースで右折しました。その後、3台の車はそれぞれ進んだようです。

 これは25年ほど前のカナダの小さな町(といっても交通量はそこそこある)での出来事でした。宿のアルパインロッジで日本人経営者と話し、「こちらに来て人生観が変わりました。」と言われた時、私は昼間にこの町で見た交差点での出来事と合致したのです。信号のない交差点で相手を先に送り出すおおらかな心と、自分のペースでのんびり歩く歩行者の行動。これはまさに大陸的なリラックス文化と、人優先が徹底しており横断歩道では急がず車にお礼を言う訳でもなく当然の権利が身についていることの姿勢なのかもしれないと思いました。その点では、島国日本とは異なる文化だと言えます。

日本で言えば、停止してくれた運転手に対する感謝と待たせることへの申し訳なさや、規範意識から、「急ぐのが当たり前」という機能が私たちには働くのかもしれません。ですから、美徳観で言えば、どちらの国にも意味はあると思います。また、日本人特に子どもたちが横断歩道を渡り終えた後にお礼の意味で会釈をするのも尊いと思います。では、先ほどの横断歩道の歩行に関しては何が違うかと考える時、「時間の使い方」があるのではないかと思います。また、大陸的なのか島国的なのかで変わるのかもしれません。「こんなに広いところをそんなに急いでどうするの。」か「狭いんだから急いだらすぐ着く。」か。必ずしもそうではないのでしょうが、ロッジの彼が言った「人生観が変わる」という時間の流れは、ロッキー山脈の麓で暮らすと確かにそうなるのかもしれません。

あれから25年が経ち、たまに現地アルパインクラブのHPを見るとその日本人は現在も頑張っておられるようです。あのカナディアンロッキーの麓の町で、今もゆったりとした時間の流れの中で暮らしておられるのでしょう。そんな暮らしの中では「待つことを楽しむ」ような姿勢が自然に身につくのかもしれません。タイパ、コスパと言われる現代の日本において「待つことを楽しむ」なんてできないのかもしれませんが、せめて「待つことは苦痛ではない」くらいの自分で在りたいと思います。

2025.12.05

視察訪問~熊本県芦北町教育委員会様~

 昨日からの続き「待つことを楽しむ国民性」は一旦お休みし、視察訪問の報告をいたします。 

 1125日に熊本県芦北町教育委員会の皆様が当センターへご視察に来られました。芦北町でもキャリア教育の重要性が高まり、今後どのように対策を講じていくかの参考にしたいとのです。

 まだ勉強中の私ですが、これまでの日向市の経緯を含めて現状と課題を、当センターの事務局長と一緒に説明いたしました。内容を掻い摘んでお知らせしますので、日向の皆さんもおさらいのつもりで読んでいただくと幸いです。11月25日に熊本県芦北町教育委員会の皆様が当センターへご視察に来られました。芦北町でもキャリア教育の重要性が高まり、今後どのように対策を講じていくかの参考にしたいとのです。

 
   

全国の転職情報から、「今の会社で働くのは3年以内」と考えている新入社員は3割近くになるという現実

  
「将来自分の就きたい仕事で役立つから、努力して理科の勉強をすることは大切だ」と考える生徒が少ないという、教科学習と仕事が結びついていない学びの非リアリティ
当センターは、平成25830日に開所しました。当時のセンター長の水永さんには現在顧問をしていただいております
 

 宮崎県、そして私たちの日向市でもこのような現実はあるとの認識のもと、キャリア教育支援センターが立ち上がりました、という経緯を説明しました。

キャリア教育支援センターは、あくまでも市内の学校のキャリア教育を支援していく立場ですので、強く「こうしなさい。」とは言えないのですが、教科学習、学校行事、生徒指導、学校外活動など多岐に渡って多忙を極める学校においては、社会人講師を招いてのリアルな授業を構想しても、なかなか効果的に設定するような「作戦」を練ることがままならない状況でしょう。実際に現場で世の中と繋がっている「職業人」の皆さんから学ぶことは大いに意義のあることで、そこから学びにリアリティを持たせることができるため、その間を取り持つために当センターが存在しています。

当センターの設立理由や現在の方向性などを芦北町教育委員会の皆様に丁寧に説明しご理解を得たのではないかと思います。本年は北海道や東京など遠方からもご視察をいただいております。キャリア教育のほかの先進地同様に、日向市が多くの事業所の皆様と手を取り合って、児童生徒の本人らしい生き方を支えていけることを目標に、今後も尽力したいと再確認するご訪問でした。

話は逸れますが、芦北と言えば忘れられない思い出があります。40年以上前の私が学生時代の話です。宮崎大学のサイクリングクラブ(自転車同好会から体育連盟のクラブに昇格したばかりですが、別の意味で以前から名は轟いていました。)が大学祭に合わせて、国道10号線と3号線をつないだ自転車による「九州一周ノンストップ耐久ラン」をやろうと計画しました。1時間交代で部員が自転車をこぎ、交代要員数名を乗せた伴走車をレンタルして約800kmの九州一周を駆け抜けるというものですから、まさに青春です。

5月の晴れた日の午後3時、キャプテンであった私が大学の正門を勢いよく出発しました。国道10号線を北上し、次々に選手交代をしながら北九州市から国道3号線に入りました。福岡市に入った頃には朝の渋滞に巻き込まれ、伴走車は幾度となく選手を見失う場面がありました。それが重なって、熊本からも3号線は渋滞していて、八代市を南下した辺りではひどい渋滞にはまってしまい、とうとう1時間以上も途中交代した選手を見失うことになりました。2時間を過ぎると「いやこんなに進んではいないはずだ。」と仲間と相談しながら、来た道を戻ったり進んだりしながら探し回りました。ようやく見つけたのは、芦北町を過ぎた三太郎峠を越えた水俣市の手前でした。彼は、同級生なのですが、雨の中を一人で4人分に当たる4時間以上も飲まず食わずでこぎ続けていたのです。よく一人で4時間、約100kmもこいだと、リレーする責任感と耐久魂をたたえたものでした。

 

昔から、ここには熊本から鹿児島へ抜ける交通の難所と言われる「赤松太郎」「佐敷太郎」「津奈木太郎」と言われる有名な3つの峠越えがあります。現在は国道の整備に伴って直線化していますが、自転車での挑戦時には一つは残っていたと思います。それでもアップダウンの続く山越えを延々と伴走もなくこぎ続けた時は孤独との戦いであったろうと、その後何年たっても彼のことを思い起こします。

九州一周約800kmの自転車による記録は、それまで宮崎にあったフェニックスアドベンチャークラブという団体が作り上げた約41時間だったのですが、我々は30時間15分新記録を作りました。と言っても、今や社会的には何の価値もない記録となっています。それでもこの挑戦に部の総力を挙げて、計画、トレーニング、役割分担、資金調達、メディア売り込み、当日の様々なアクシデントなど多くの課題を乗り越えて、怪我や事故無く仲間と無事達成したことは、共通の目標へ向かう連帯感ややり遂げる達成感など実に多くのものをその後の人生にもたらしてくれました。

私にとって「芦北」と言えば、第一に「九州一周ノンストップ耐久ラン」での〇〇君の三太郎4時間激走で、第二に(現在も地元芦北で有名らしい)大学同級生の「△△君」です。九州の地形的に日向とは線対称に位置し、朝日と夕日の関係にある町同士としても深い縁を個人的に感じています。また、熊本県の南部に位置し、八代市と水俣市の間にあり、葦北郡で芦北町。漢字の由来も深そうで、こういう町こそ、ふらりと途中下車をして歩いてみたいものです。そのうち、吉田類さんや六角精児さん(「呑み」の方ではなく、登山や鉄道として。)が訪れるのではないかと想像します。

 
ご訪問本当にありがとうございました。またお会いしましょう。

2025.12.03

待つことを楽しむ国民性(1)

 初めての海外旅行はカナダでした。40歳になってからで、それも登山のためです。舞い上がってトランジット(正確にはトランスファー)をしたシアトル空港(シアトル・タコマ空港)では見るものすべてが新しく異文化を全身に受け止めた感じがしました。

山岳会のメンバー5人で当時のノースウエスト航空を利用し、シアトル空港では2時間の乗り継ぎということでした。当時のノースウエスト航空は遅延することで有名だったそうですが、私はそのことが分かっていないのでリーダーにお任せ状態です。リーダーは海外旅行に慣れているので、知人を介して2時間以内の乗り継ぎ移動もスムーズにいくように手配していました。当時も巨大なシアトル空港では地下鉄が移動に使われますが、その行き方は慣れないと上手く次の搭乗口まで行けないというのです。それで、現地移動案内スタッフを雇うという段取りになりました。そんなことができるのかと私は驚きましたが、シアトル空港に到着してみて、なるほどこれは大きな空港だわと、どこが何やらさっぱり分からない状態でした。

入国審査と税関では、5人で事前学習を繰り返していました。同行者の一人の女性は「ハウメニーって聞こえたらテンデイズパーパスって聞こえたらサイトシーイングって言う。」とブツブツずっと繰り返していました。私は「観光でいいのか?登山じゃないのか?」などと考えましたが右へならえと決め込みました。彼女は「結局一緒のイミグレーション(入国審査)のゲートに行けばいいとよね。」と彼女が言ったすぐ後に、リーダーから「時間がかかるから少ない列に全員ばらけて。」と指示があり、5人皆がバラバラにゲートに入ってしまいました。私も一瞬不安になりましたが、先ほどの彼女の「なんでばらけると~」というとても不安な顔は今でも忘れません。それでも皆無事に入国審査を終えて揃いました。彼女に「どうやった?」と聞くと「必死にテンデイズとサイトシーイングを練習していたら、いきなり『何日?目的は?』って日本語で聞くっちゃから!私が英語が話せんて見抜いたっちゃろか。」と憤っていました。

入国審査を終えロビーに出るとすぐに、シアトル在住の女性空港案内人が小旗を持ってにこやかに待っていました。彼女の後をついて導かれるままに次から次へと地下鉄を乗り継ぎ、あっという間に乗り継ぎ便の待つ搭乗口に着きました。さすが地元で詳しいなあと感動したものです。

現在のシアトル空港はX字型にコンコースが配置され分かりやすい

 

おかげで時間に余裕ができたので待合室でのんびりしていると、その案内人が「あそこに皆さんが行列を作っているのがシアトル発祥のスターバックスコーヒーです。今度東京にも1号店がオープンするそうですね。」と言われ、聞いたこともないコーヒー店の名前で分からなかったのですが、コーヒーは好きだし時間はまだあるので、そのブースのある行列に並んでみることにしました。

皆2人ずつ並んで私のところまで10組以上いたと思います。列は遅々として進みません。それでも焦らず少しずつ前に進んでいると、付き添ってくれた案内人がこう言いました。「こちらの人は待つことが苦痛じゃないんです。むしろ待つことを楽しんでいるんです。」と。ホーッ!これには頭をガーンと金槌で殴られた感じがしました。

私の順番が4番手くらいになったとき、前の人たちの様子を見ていると、先頭の人はショップのスタッフと色々話をしながらメニューを選んでいるようでした。これは分かります。ですが、2番手の2人は、まったくショップのブースの方を見ずに、2人で仲良くペチャクチャと話をしていました。すぐにその人たちの順番が来ました。来たというか、ショップスタッフに「ハーイ次の方!」と言われてショップを向き直った感じです。それからその2人は「これは何?どんな味?お薦めは?」などと、色々と質問してはにこやかに笑いながら決めあぐねているようでした。スタッフは行列が長く続いていることもちろん分かっているようですが、その2人に温かな笑顔で対応しながら、一つ一つの質問に丁寧に答えていました。

日本人なら(いや私なら)、順番が3番手くらいになりメニューが見える位置に来た時には、何にしようかと色々考えて決めておくことが多いのではないかと思います。それは、楽しみだから早く求めたい期待や、後ろの人に悪いからという配慮が働いて、行動を早くしようという動きに出てしまうのではないかと思ったところです。

「待つことが苦痛ではない。」「待つことを楽しむ。」 そしてスタッフも「後ろを気にせず目の前の相手に尽くす。」 これは、初の海外旅行が遠征登山であったにもかかわらず、自分の在り方に大きく影響し登山よりも大きな収穫だったような気がします。カナディアンロッキーの雄大な自然の中で登山できたことは大変大きな喜びでしたが、異文化から自分の行動の襟を正すことを学んだことを、授業の隙間に子どもたちによく話していました。もちろん、日本人の後ろの人に気を遣うという行動も美徳ではあると思っています。ですが私はその登山から帰国後、コンビニやほかの場所で行列ができていても気にせず並び、前の人やスタッフが慌てている様子に出会うと「ゆっくりでいいです。」と素知らぬ態度でいようとしたり、前の人に詰めすぎないようにしたりすることができるようになりました。

現在のシアトル空港「スタバ」はきちんとした店構え

海外で自分の在り方を学べたという話でしたが、海外だからということではないと思います。国内でも地元でも「相手への思いやり」や「おもてなしの心」などは意識していれば沢山学ぶ機会に毎日出会うと思われます。この遠征でのお話には続きがありますので、今日はここで総括せずに、ロッキー登山遠征で学んだ「待つことを楽しむ国民性」について、次回に送ります。

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