Hyuga City Career Education Support Center
2025.12.15
昨日は前夜からの雨が止み、からりと晴れ渡った心地よい空気の中で青島太平洋マラソンが開催されました。ランナーの皆さんお疲れさまでした。また、サッカーではテゲバジャーロ宮崎がアウェイで完勝し見事にJ2昇格を決めました。こちらも大変おめでたいことで、昨日はスポーツに湧いた宮崎となりました。
さて、先週金曜日に日向市の各地域で尽力されている地域コーディネーターの皆さんが一堂に会して本年の取組について協議する会が実施されました。日向市には中学校区を一つの単位として各地区に地域コーディネーターの方々が、それぞれの校区の学校からの要請に応じて人材や事業所を見つけ調整する役を担っておられます。うちのスタッフの一人もコーディネーターを兼務しております。今回は私も地域で子どもを育てる意味合いから参加させていただきました。初めての方もおられましたが、こうやって対面でお話するのはとても良い機会になりました。
初めに、三樹教育長からは「学校だけで子どもを育てる時代は終わっています。地域一丸となって子どもを育て、また学校も柔軟な教育課程を編成して地域の人材をフルに活用できるようにしていくことが大切です。」とご挨拶をいただきました。
次に、意見交換の場では各地区から様々な活動が報告されました。「参観の日の懇談時に低学年生の見守りを行っている」「授業補助の必要性から機転を利かして地域との調整をしている」「小中学校のクラスで読み聞かせをしている」「祭りの舞を長年指導している」「ミシン補助をしている」「学有林の活用を掘り起こしからしている」「面接指導に協力している」「よのなか挑戦ではコロナ禍で途絶えていた事業所が喜んで迎えてもらった」など、調整に奔走しておられる様子が見えてきました。
また、課題として、「中学校区が一つのまとまりであっても小学校区ごとに特色があり、すべて一つにまとまるということの難しさもあるが、何とか皆で地域の子どもたちを育てる意識にもっていきたい」「地域の行事が減少し子どもたちが地域で育つ機会に乏しくなっている」「奉仕作業は学校をきれいにするというより皆で集まって話をし、顔を知るという機会として実施できればよい」「育成会やPTAに不参加の家庭が増えていることが子どもたちへ影響しているのではないかと思われる場面に遭遇することがある」などの切実な状況をお話しいただきました。
学校も行政も保護者も地域も、すべて目指すところは同じで、「子どもの健やかな成長」これ以外の何物でもないはずです。成長に伴い、学力、体力、人間力などが付加されていき、最終的には「人格の完成」を目指すのが教育の役割になります。この場合の教育は、学校だけで行うのではなく、家庭、地域すべてが関わりあって育てていかなければなりません。地域コーディネーターの皆さんは直接学校に寄り添って支援をしていただき、キャリア教育支援センターは地域でカバーできない市内全域での学習活動の支援・サポートを行います。学校はどちらに相談して良いか判断に迷うときは、どちらでも構いません。まずは地域の人材を活用しようと積極的に行動を起こし連絡をいただきたいと思います。地域コーディネーター、キャリア教育支援センター双方で連絡しあい、どちらが関わるのがより適切かを判断して返事をすることができますのでお気軽にご相談ください。地域コーディネーターとキャリア教育支援センター、そして教育委員会は連携しながら子どもたちの健やかな成長を願って歩んで参りたいと思います。地域の皆様、保護者の皆様、事業所の皆様、どうぞご理解とご協力をお願いしたいと思います。

冒頭で紹介しました青島太平洋マラソンは、視覚障害者マラソン大会が同時開催されています。私も以前は「アオタイ」のランナーとして参加しておりましたが、現在は伴走者として参加しています。今年は10kmの部で東京からの若い選手と共に無事ゴールしましたが、そのすぐ後には一般フルマラソンの選手がもう帰ってきました。1位は2時間20分です。何という超人的な速さです。その後惜しくも2位だったのが門川出身で東京都在住の男性です。以前はこの大会で優勝もしていて、学生時代は箱根駅伝にも出場した努力の人です。数十年ぶりに会い話をしました。彼に写真を送ると、早速自身のFacebookで「地方大会の良さ」を語ってくれていました。人と人がFTF(face to face)で話をすることで温かな空気感に変わることはよくあることです。昨日も彼の「時の移ろいを感じますね」という言葉からは、時間の経つ早さと思い出の甦りを懐かしく感じましたが、数々の試練を乗り越えてきた彼の人生を思い浮かべてもいました。人が暮らすその場、その地域でFTFと顔を付き合わせて暮らしていけるのは、どんなAIにも負けない人間ならではの価値ではないかと思います。先週の研修協議会そしてマラソン大会と、濃い週末でしたが、それぞれの人がそれぞれの地域で生きていくことの大切さを改めて感じました。長い旅の途上である子どもたちを今いる地域で育てるのは先生である大人の役割だと身を引き締めた週明けの朝でした。

2025.12.11
昨日11日(水)、東郷学園若竹分校中学部2年生が(株)黒田工業様を訪問し、よのなか教室が実施されました。初めに、研修室にて会社の概要を映像で紹介していだたきました。宮崎県で一日に一人が排出するごみの量は約1kgすなわちパック牛乳一本分なので相当な量になると驚きました。不燃物を破砕し選別する出る再利用できるものは可燃性残さとして固形燃料に作り変え、不燃性残さのみが埋め立てられるようです。作り上げた固形燃料(RPF)はボイラーの燃料として電気を作ったり、温水風呂の施設の燃料にもなるということでした。

続いて、実際の加工作業場へ案内していただき、ここでベッドのマットレスを100%リサイクルする工程の説明を現物で確認しながら教えていただきました。マットレスのスプリングには2種類あり、スプリングが全体の金具と一体型になっているものは取り外しが楽だが、スプリングが一つ一つ独立してカバーに包んであるものが300個から400個並んでマットレスの中に収めてあるものは大変手間がかかるということが説明でよく分かりました。カバーを剥がしカッターやはさみで切り取る人、見えてきた1個のスプリングを中から取り出す人。この連動した作業の繰り返しで一つのマットレスを分解していくそうです。カバーは可燃性残さとして固形燃料になり、スプリングは再加工して鉄として生まれ変わるのだそうです。この工程では埋め立てに回るゴミは何一つなくすべて再利用されるというところが、この会社の大きな社会的意義につながるのだと感じました。
見学後の質疑応答のコーナーでは、中学生の「この仕事をなぜ選びましたか。」の問いに担当者の方は「リサイクルに興味がありました。」と答えられ、「仕事で気を付けていることは。」には「日向市民の施設だから市外からのお客さんに断るのに気を付けている。」さらに、「やり甲斐は?」に対しては「こういう見学で興味をもってもらうのが嬉しい」 と、よのなか教室のねらいに迫る学習を生徒が行ってくれていることが嬉しかったです。今回のこの見学は、生徒たちのキャリア発達に必ず蓄積されるだろうと確信しました。黒田工業様、本当ありがとうございました。
東郷学園若竹分校中学部3年生は、自衛隊宮崎地方協力日向地域事務所様を訪問しました。服装を着用させてもらったり、自衛隊の職務の概要説明、基本的な動作、救急法やロープワークなどを丁寧に説明していただいたようです。

生徒からは、「仕事のやりがいは何ですか」と質問され、「海外での任務の時に、治安や豊かさについて改めて日本の良さを感じたことや災害派遣で被災者から感謝の言葉を頂いたことです。」と答えてくださいました。また、「楽しかったことは何ですか。」の問いには、「同僚との交流(休暇や食事会)や自身の子供のスポーツの応援です。」と。さらに、「人気の食事は何ですか。」には、「カレー。」と即答され、その理由として「自衛隊では訓練や任務で日常生活から離れることが多く曜日の感覚が分からなくなるので、毎週金曜日にはカレーが支給されます。各部隊、艦船ごとに味が違う(沖縄の舞台では黒糖がはいっているなど)ので楽しみです。」と私たちの知らない味の情報までいただきました。最後に講師の先生から「感謝することの大切さ」について中学生に分かりやすく説いてくださいました。「この仕事に就くためには、元気・やる気・我慢・感謝(学校での学びや給食はあたりまえではない)が必要ですと締めくくっていただきました。
東郷学園若竹分校中学部1年生は、小春日和の穏やかな日差しの中、東郷まちづくり協議会会長の鈴野淺夫様のさつま芋畑を訪ねました。鈴野さんの「今年のさつま芋は気候のせいか実入りが良くないとよね。」という心配をよそに、生徒たちは土をかき分けかき分け、沢山のさつま芋を掘り上げて畑に並べていきます。掘ったさつま芋は畑の土がついているので冷たい水で土を洗い流します。細長い芋、曲がった芋、これぞさつま芋!という芋。1つとて同じ形のものはありません。
質問の時間には、「どんな野菜を作っていますか」「野菜作りで大変なことは何ですか」「この機械はいくらぐらいしますか」と次々に生徒が問い、それに対して一つ一つ丁寧に答えていただいた鈴野さん、奥様、お世話になりました。

若竹分校中学部の生徒が同時に3か所でよのなか教室に参加できるという貴重な機会を得ることができたのも、各事業所の皆様のご理解とご協力あってのことです。御三方にはご協力いただきまして本当にありがとうございました。
2025.12.10
本日は、厳冬期のアラスカの路線バスに乗った日の出来事にお付き合いください。当時の記録(日記)から転用します。
フェアバンクスの空港からゲストハウスに帰る際に路線バスに乗ってみた。親切な運転手に降車場所から次のバスに乗り継ぐ道順を教えてもらい、なんとかバスを乗り継いだ。そのバスが発車し暫く進むと、次のバス停で私より少し若そうな夫婦なのか男女2名が乗り込んできた。何やら、乗り込んですぐ支払いの件で運転手と交渉している。どうやら「10ドルしか持っていなくて、両替はできないか。」と言っているようだ。バスは一日券が3ドルで一回乗車は2ドルなのだ。運転手は「できない。」という。それなら、「この先のスーパーで下りて両替してくるからその時でいいか。」と男性が食い下がると、運転手は渋々了承したみたいだ。
路線バスの対面座り
2人はこちらに向かって進み私の目の前の席についたが、まだ困ったようで落ち着きのなく、私に「10ドルを両替できないか。」と聞いてきた。私は1ドル札を3枚しか持っていなかったので、「できない。」と言った。が、間をおいて、「いくらいるの?」と聞くと「2ドルだ。」と言う。「じゃあ2ドルあげるよ、使って。」と渡した。すると男性は物凄く感謝して私にお礼を言って、運転手の所へ行くと、「彼がくれた、ハイ。」と支払っていた。
その後10分ほどで私は、降車するスーパー・フレッドマイヤーに着いたので席を立ちあがった。降り際にその男性と女性が凄く感謝し握手して別れた。旅は道ずれ世は情けだ。
冬季で客車3両、ダイニングカー1両
ところが話はここで終わらないのです。
その2日後、私はフェアバンクスからアンカレッジに向かうためにアラスカ鉄道を利用することにしていた。朝8時から12時間に及ぶ列車の旅は景色が雄大過ぎて飽きることがない。途中では何回か休憩停車をしてくれる。
列車が2回目の停車駅タルキートナに停まった時だ。乗客が休憩のために降車しようと立ち上がって動き出した。私は最後でいいと思いゆっくり座っていたら、乗客の一人の髭顔の男性が「あの時はありがとう。」と、いきなり言ってきて握手を求めたので応じたがその時は何のことか分かっていなかった。ほとんどの乗客が降車して行ったので、私も立ち上がって動こうとした時に思い出した。一昨日、フェアバンクスのバスの中で2ドルを渡した男性だ。そうか同じ列車に乗っていたのか。
私は降車後、すぐ彼とその隣にいる女性を見つけると、彼に「おおーっ、なんで僕って分かったの?」と話しかけた。なぜなら私は、列車の中で雪景色のあまりの眩しさにサングラスをしていたのだ。すると彼は「なぜかって?忘れないさ、その髭の感じとその顔だよ。」と言って、再会にガッツリとハグをした。いやあ、こんなこともあるもんだ。だから旅は面白い。
アンカレッジ駅に到着しタクシーを待っているときにも彼らと一緒になったので、奥さんの方にどこから来たのか聞いてみると、テキサスと言う。彼の方は笑って、「本当にあの時は感謝している。」と固い握手をし、またいつかどこかで会おうと別れた。
アンカレッジ駅到着
私の頭の中では、「赤い羽根共同募金」の歌が流れていた。「♪困った時は~ああ、お互い様~・・・」 世界中、人は皆同じ。助け合いの精神は「お互い様」でどこにいても自然に行動できるようでいたい。情けは人の為ならず、自分に帰ってくる。それはこのようにすぐに「この人と出会えて嬉しい」というプレゼントとして何倍にもなり返ってくることもある。そしていつか自分が助けられる。そう期待してはいけない。いや、すでにたくさんの方々に助けてもらっている。
この出来事を振り返る時、「旅は道連れ世は情け」という言葉も思い浮かべます。一人旅のこの時に道連れはいなかったのですが、「お互い様」の心が世界をぐっと身近に感じさせてくれ温かい気持ちになれることを実感しました。本日は、私自身がしたことの自慢話ではなく、きっと私自身がたくさんの人にお世話になるからこそ、できることは「お互い様」の精神で日常的にしていきたいという思いをお話したかったのです。
つい最近、東北地方では新たな地震に不安がつのることでしょう。それは他人ごとではなく、南海トラフを抱えている私たち九州も同じことです。災害大国日本においては、「共助」すなわち「お互い様」が復旧、復興への近道なのかもしれないと、各地の現場を見てきて思うことです。『私は能登を応援します』のステッカーは私のヘルメットに貼ってあります。お付き合いありがとうございました。
2025.12.09
12月5日(金)午前、財光寺南小学校5年生のよのなか教室に参加してきました。この日のよのなか先生はミツイシ(株)の黒木宏二様です。単元は「世界でオンリーワン日向はまぐり碁石について」です。黒木さんは財光寺南小学校が母校ということで、力も一段と入っているようでした。子どもたちも「母校」と聞かされ親しみを持った反応が返ってきました。私も教員になり立ての頃から社会科を通して日向はまぐりについては、工場見学などかなり熱心に回りましたが、今回の講話では知らないことが次々と出てきました。
囲碁では黒が先に打つと決まっていて、黒が181目(モク)に対して白は180目になり同数ではないということ。全体に広がると、白が膨張色のため大きく見えてしまうことから、黒の方が白より0.3mm直径と厚みが大きくしてあるということ。囲碁人口は、世界で3600万人いて、中国は2000万人、韓国が900万人、日本は200万人ということ。もともと囲碁は中国から入ってきたが、現在は日本の文化として世界に広まっていること。「一目おく」や「(打ってもダメな場所として)駄目」など囲碁から生まれた言葉が多いこと。そのほかにも、戦国大名が囲碁を好んでいたことやアインシュタインなど著名人も趣味としていたことなど、囲碁の世界の広さと深さを教えていただきました。

日向はまぐり碁石の歴史としては、海岸地形からお倉ヶ浜にはまぐりの貝殻が大量に存在していることに目を付けた黒木清吉さんが製造技術を学び広めたそうです。ところが今から50年ほど前には貝殻が捕れなくなってきてメキシコから輸入するようになったとのことでした。しかし、貝殻のはまぐりから碁石を製造する技術は脈々と受け継がれ、これができるのは世界でも日向市だけだそうです。しかも、実際に作れる職人は4~5名しかいないとのことで、4人は日本の伝統工芸士に認定されているそうです。120年の歴史がある日向はまぐり碁石の製造は残していきたいというのが黒木さんの願いです。
その伝統工芸士である職人が「何事も真面目に一生懸命に目の前のことに向き合う大切さを知って欲しいです。」「何十年経験しても、最高の職人になれるように頑張っています。」と言われていることを紹介してくださいました。一つの道を極める方こそ、一層の高みを目指す姿勢というものを崩さないのだと感じました。
日本人の囲碁人口が少ない状況の中、海外では人気があるようで、会社としては台湾やイギリスなどへの販路拡大を目指し、HPも海外向けのアピールをされているようです。また、会社では碁石の新しい挑戦として金箔やプラチナ箔の鮮やかなものの開発や、碁石以外の食品にも力を入れているとのことでした。
これらの熱のこもった講話から子どもたちも刺激を受けたようで、「人間性はどうやって高めましたか?」と核心に触れる質問も出ました。黒木さんは「『ごめんなさい』や『ありがとう』など当たり前のことができる人を目指しています。掃除は毎日して、ゴミは拾わないと物に対する感謝の気持ちをもつことができないようになるのできれいにしています。するとゴミに気づくようになります。そうやって、人間性は少しずつ高めてきました。」と分かりやすい例で教えてくださいました。

また、「『ミツイシ』の由来は?」との質問は私も聞きたかったことで、「〇●〇(実際は左の丸に横線が入る)が元々の碁石作りの屋号になっていて、碁石ばかりでない製品の製造に取り組むためカタカナの文字にしました。」とのことで、深い話です。さらに、「製作の時間はどれくらいかかりますか?」との質問に「削ってできた石をより白くするための漂白と乾燥に時間がかかり、特に冬場は時間がかかります。2~3カ月はかかります。」という予想を超えた工程作業の時間に子どもたちは驚いているようでした。最後には「なぜ大きなはまぐりから1個しか石を作らないのですか?」という大人も疑問に思うことを質問してくれました。黒木さんは「貝殻の中央が一番分厚くて、そこから作る厚い碁石が一番値打ちがあるから1個だけの貴重な碁石を作るようにしています。」との回答に「う~ん。」と納得したような感嘆の声が聞こえた気がしました。
メモを熱心に取る児童
財光寺南小の5年生では来年1月にもよのなか教室を開く予定です。当日のみでなく、事前学習をしっかりと行った上で当日の授業に臨むというモデルになるような学習を計画しているようで頼もしいです。当センターとしてもとても力が入ります。子どもたちが世の中で活躍する本物の職業人から直に学習を提供されることで、学校では学べないキャリア発達(自分らしい生き方の道筋)を獲得していけるだろうと期待しているところです。
今回は日向が誇る伝統工芸の日向はまぐり碁石の製作とそれにかかわる人の生き様について黒木宏二様より学習を提供していただきました。日向のはまぐり碁石は世界の宝だということを実感しました。本当にありがとうございました。
【追伸】ウチ(商工会議所)の奈須春樹名誉本因坊七段格が、先日のアマ宮崎本因坊戦で昨年に引き続き連覇を達成し、通算で6度目の王座に就きました。おめでとうございます。(宮日新聞12月8日掲載)
2025.12.08
前回は、カナダ登山遠征に行くのにアメリカのシアトルで乗り継ぎ、そこで見聞きした体験で終わっていました。本日はその続きです。お付き合いください。
シアトルからカナダのカルガリー空港へ乗り継ぎました。カルガリーといえば1988年の冬季オリンピックを思い出す方も多いのではないでしょうか。イタリアのカリスマスキーヤー、アルベルト・トンバ選手や今は参議院議員でJOCの会長となった日本の橋本聖子選手、黒岩彰選手の活躍を思い出すします。
カルガリー空港で予約していたレンタカーを皆で1台借りました。リーダーが海外での運転に慣れていたので安心ですが、好奇心も手伝って、私も予め国際免許証を出発前に取得しました。
トラベルHPより
カルガリーからハイウエイを通って約3時間でキャンモアという小さなリゾートの町に到着しました。その町にあるスイスのマッターホルンと同じようなピラミッド型の岩山があるのです。その山に登ったのですが、ここでお話したいのは登山終了後の町でのお話です。
我々には悪天候に備えて予備日を設定していたので、下山後から後2日間、この町のロッジをベースに自分たちで過ごさなければなりません。つまり、ロッジは自炊なのです。それで皆で食材を買いに行くことになりました。ここでも異文化をたっぷり味わったのですが、その話は割愛して、車で街中を移動していた時のことです。
その時は私が車を運転していました。何回か運転していたので少しは慣れてきました。ちょうど、住宅地にある交差点に差し掛かったときです。そうですね、日向で言えば比良エーコープ前交差点くらいの場所だったでしょう。(分かりますかね?) この交差点には信号はありませんでした。私たちの車は右折(日本と逆。基本的には確認のみで曲がってよい。)しようとしていたのでウィンカーを出し北進方向を向いて停止しました。すると、前方からも左右からも車が来て、その交差点で止まったのです。すると、そこへ一人のご婦人が私たちの車の前の横断歩道を右から左へ渡り始めました。私はじっとその様子を眺めていました。ほかの3方向の車もその様子を見ているようです。ご婦人はゆっくりのんびり、時には笑顔を見せながらずっと前方をうつむき加減の姿勢で渡り終えました。ご婦人は渡ってから車の方を見る様子はありません。
さて次は交差点で止まっている私たちの車を含めて4方向から集まっている車が動き出す番です。ところが誰一人動きだす車はありません。私はフロントガラスへ身を乗り出して3方向3人のドライバーの様子を見ていると、前方の男性ドライバーが右手を前に出して水平直角にクイッ、クイッと指示します。つまり「お先にどうぞ」です。次に左右のドライバー2人を見ていると、これまたクイッ、クイッと「お先にどうぞ」をしています。私もその気になってクイッ、クイッとやります。結局そんなやりとりがしばらく続きました。ドライバーの顔の表情まで見えてきましたが笑顔です。ハンドルに両肘を乗せて「どうぞ~、どうぞ~お先に~」という感じで辺りの空気がゆったりとしています。前方、左右3人とも皆そうなのです。まるで、待つことを楽しんでいるかのようにも見えました。すでに5分近く待っているでしょうか。私の車内4人もそれを見ていて、せかす様子は起きないようです。私は好意に甘えてお先に右折させてもらいました。日本では考えられないほどのスローペースで右折しました。その後、3台の車はそれぞれ進んだようです。
これは25年ほど前のカナダの小さな町(といっても交通量はそこそこある)での出来事でした。宿のアルパインロッジで日本人経営者と話し、「こちらに来て人生観が変わりました。」と言われた時、私は昼間にこの町で見た交差点での出来事と合致したのです。信号のない交差点で相手を先に送り出すおおらかな心と、自分のペースでのんびり歩く歩行者の行動。これはまさに大陸的なリラックス文化と、人優先が徹底しており横断歩道では急がず車にお礼を言う訳でもなく当然の権利が身についていることの姿勢なのかもしれないと思いました。その点では、島国日本とは異なる文化だと言えます。
日本で言えば、停止してくれた運転手に対する感謝と待たせることへの申し訳なさや、規範意識から、「急ぐのが当たり前」という機能が私たちには働くのかもしれません。ですから、美徳観で言えば、どちらの国にも意味はあると思います。また、日本人特に子どもたちが横断歩道を渡り終えた後にお礼の意味で会釈をするのも尊いと思います。では、先ほどの横断歩道の歩行に関しては何が違うかと考える時、「時間の使い方」があるのではないかと思います。また、大陸的なのか島国的なのかで変わるのかもしれません。「こんなに広いところをそんなに急いでどうするの。」か「狭いんだから急いだらすぐ着く。」か。必ずしもそうではないのでしょうが、ロッジの彼が言った「人生観が変わる」という時間の流れは、ロッキー山脈の麓で暮らすと確かにそうなるのかもしれません。
あれから25年が経ち、たまに現地アルパインクラブのHPを見るとその日本人は現在も頑張っておられるようです。あのカナディアンロッキーの麓の町で、今もゆったりとした時間の流れの中で暮らしておられるのでしょう。そんな暮らしの中では「待つことを楽しむ」ような姿勢が自然に身につくのかもしれません。タイパ、コスパと言われる現代の日本において「待つことを楽しむ」なんてできないのかもしれませんが、せめて「待つことは苦痛ではない」くらいの自分で在りたいと思います。
2025.12.05
昨日からの続き「待つことを楽しむ国民性」は一旦お休みし、視察訪問の報告をいたします。
11月25日に熊本県芦北町教育委員会の皆様が当センターへご視察に来られました。芦北町でもキャリア教育の重要性が高まり、今後どのように対策を講じていくかの参考にしたいとのです。
まだ勉強中の私ですが、これまでの日向市の経緯を含めて現状と課題を、当センターの事務局長と一緒に説明いたしました。内容を掻い摘んでお知らせしますので、日向の皆さんもおさらいのつもりで読んでいただくと幸いです。11月25日に熊本県芦北町教育委員会の皆様が当センターへご視察に来られました。芦北町でもキャリア教育の重要性が高まり、今後どのように対策を講じていくかの参考にしたいとのです。

全国の転職情報から、「今の会社で働くのは3年以内」と考えている新入社員は3割近くになるという現実


宮崎県、そして私たちの日向市でもこのような現実はあるとの認識のもと、キャリア教育支援センターが立ち上がりました、という経緯を説明しました。
キャリア教育支援センターは、あくまでも市内の学校のキャリア教育を支援していく立場ですので、強く「こうしなさい。」とは言えないのですが、教科学習、学校行事、生徒指導、学校外活動など多岐に渡って多忙を極める学校においては、社会人講師を招いてのリアルな授業を構想しても、なかなか効果的に設定するような「作戦」を練ることがままならない状況でしょう。実際に現場で世の中と繋がっている「職業人」の皆さんから学ぶことは大いに意義のあることで、そこから学びにリアリティを持たせることができるため、その間を取り持つために当センターが存在しています。

当センターの設立理由や現在の方向性などを芦北町教育委員会の皆様に丁寧に説明しご理解を得たのではないかと思います。本年は北海道や東京など遠方からもご視察をいただいております。キャリア教育のほかの先進地同様に、日向市が多くの事業所の皆様と手を取り合って、児童生徒の本人らしい生き方を支えていけることを目標に、今後も尽力したいと再確認するご訪問でした。
話は逸れますが、芦北と言えば忘れられない思い出があります。40年以上前の私が学生時代の話です。宮崎大学のサイクリングクラブ(自転車同好会から体育連盟のクラブに昇格したばかりですが、別の意味で以前から名は轟いていました。)が大学祭に合わせて、国道10号線と3号線をつないだ自転車による「九州一周ノンストップ耐久ラン」をやろうと計画しました。1時間交代で部員が自転車をこぎ、交代要員数名を乗せた伴走車をレンタルして約800kmの九州一周を駆け抜けるというものですから、まさに青春です。
5月の晴れた日の午後3時、キャプテンであった私が大学の正門を勢いよく出発しました。国道10号線を北上し、次々に選手交代をしながら北九州市から国道3号線に入りました。福岡市に入った頃には朝の渋滞に巻き込まれ、伴走車は幾度となく選手を見失う場面がありました。それが重なって、熊本からも3号線は渋滞していて、八代市を南下した辺りではひどい渋滞にはまってしまい、とうとう1時間以上も途中交代した選手を見失うことになりました。2時間を過ぎると「いやこんなに進んではいないはずだ。」と仲間と相談しながら、来た道を戻ったり進んだりしながら探し回りました。ようやく見つけたのは、芦北町を過ぎた三太郎峠を越えた水俣市の手前でした。彼は、同級生なのですが、雨の中を一人で4人分に当たる4時間以上も飲まず食わずでこぎ続けていたのです。よく一人で4時間、約100kmもこいだと、リレーする責任感と耐久魂をたたえたものでした。

昔から、ここには熊本から鹿児島へ抜ける交通の難所と言われる「赤松太郎」「佐敷太郎」「津奈木太郎」と言われる有名な3つの峠越えがあります。現在は国道の整備に伴って直線化していますが、自転車での挑戦時には一つは残っていたと思います。それでもアップダウンの続く山越えを延々と伴走もなくこぎ続けた時は孤独との戦いであったろうと、その後何年たっても彼のことを思い起こします。
九州一周約800kmの自転車による記録は、それまで宮崎にあったフェニックスアドベンチャークラブという団体が作り上げた約41時間だったのですが、我々は30時間15分で新記録を作りました。と言っても、今や社会的には何の価値もない記録となっています。それでもこの挑戦に部の総力を挙げて、計画、トレーニング、役割分担、資金調達、メディア売り込み、当日の様々なアクシデントなど多くの課題を乗り越えて、怪我や事故無く仲間と無事達成したことは、共通の目標へ向かう連帯感ややり遂げる達成感など実に多くのものをその後の人生にもたらしてくれました。
私にとって「芦北」と言えば、第一に「九州一周ノンストップ耐久ラン」での〇〇君の三太郎4時間激走で、第二に(現在も地元芦北で有名らしい)大学同級生の「△△君」です。九州の地形的に日向とは線対称に位置し、朝日と夕日の関係にある町同士としても深い縁を個人的に感じています。また、熊本県の南部に位置し、八代市と水俣市の間にあり、葦北郡で芦北町。漢字の由来も深そうで、こういう町こそ、ふらりと途中下車をして歩いてみたいものです。そのうち、吉田類さんや六角精児さん(「呑み」の方ではなく、登山や鉄道として。)が訪れるのではないかと想像します。
2025.12.03
初めての海外旅行はカナダでした。40歳になってからで、それも登山のためです。舞い上がってトランジット(正確にはトランスファー)をしたシアトル空港(シアトル・タコマ空港)では見るものすべてが新しく異文化を全身に受け止めた感じがしました。
山岳会のメンバー5人で当時のノースウエスト航空を利用し、シアトル空港では2時間の乗り継ぎということでした。当時のノースウエスト航空は遅延することで有名だったそうですが、私はそのことが分かっていないのでリーダーにお任せ状態です。リーダーは海外旅行に慣れているので、知人を介して2時間以内の乗り継ぎ移動もスムーズにいくように手配していました。当時も巨大なシアトル空港では地下鉄が移動に使われますが、その行き方は慣れないと上手く次の搭乗口まで行けないというのです。それで、現地移動案内スタッフを雇うという段取りになりました。そんなことができるのかと私は驚きましたが、シアトル空港に到着してみて、なるほどこれは大きな空港だわと、どこが何やらさっぱり分からない状態でした。
入国審査と税関では、5人で事前学習を繰り返していました。同行者の一人の女性は「ハウメニーって聞こえたらテンデイズ。パーパスって聞こえたらサイトシーイングって言う。」とブツブツずっと繰り返していました。私は「観光でいいのか?登山じゃないのか?」などと考えましたが右へならえと決め込みました。彼女は「結局一緒のイミグレーション(入国審査)のゲートに行けばいいとよね。」と彼女が言ったすぐ後に、リーダーから「時間がかかるから少ない列に全員ばらけて。」と指示があり、5人皆がバラバラにゲートに入ってしまいました。私も一瞬不安になりましたが、先ほどの彼女の「なんでばらけると~」というとても不安な顔は今でも忘れません。それでも皆無事に入国審査を終えて揃いました。彼女に「どうやった?」と聞くと「必死にテンデイズとサイトシーイングを練習していたら、いきなり『何日?目的は?』って日本語で聞くっちゃから!私が英語が話せんて見抜いたっちゃろか。」と憤っていました。
入国審査を終えロビーに出るとすぐに、シアトル在住の女性空港案内人が小旗を持ってにこやかに待っていました。彼女の後をついて導かれるままに次から次へと地下鉄を乗り継ぎ、あっという間に乗り継ぎ便の待つ搭乗口に着きました。さすが地元で詳しいなあと感動したものです。

現在のシアトル空港はX字型にコンコースが配置され分かりやすい
おかげで時間に余裕ができたので待合室でのんびりしていると、その案内人が「あそこに皆さんが行列を作っているのがシアトル発祥のスターバックスコーヒーです。今度東京にも1号店がオープンするそうですね。」と言われ、聞いたこともないコーヒー店の名前で分からなかったのですが、コーヒーは好きだし時間はまだあるので、そのブースのある行列に並んでみることにしました。
皆2人ずつ並んで私のところまで10組以上いたと思います。列は遅々として進みません。それでも焦らず少しずつ前に進んでいると、付き添ってくれた案内人がこう言いました。「こちらの人は待つことが苦痛じゃないんです。むしろ待つことを楽しんでいるんです。」と。ホーッ!これには頭をガーンと金槌で殴られた感じがしました。
私の順番が4番手くらいになったとき、前の人たちの様子を見ていると、先頭の人はショップのスタッフと色々話をしながらメニューを選んでいるようでした。これは分かります。ですが、2番手の2人は、まったくショップのブースの方を見ずに、2人で仲良くペチャクチャと話をしていました。すぐにその人たちの順番が来ました。来たというか、ショップスタッフに「ハーイ次の方!」と言われてショップを向き直った感じです。それからその2人は「これは何?どんな味?お薦めは?」などと、色々と質問してはにこやかに笑いながら決めあぐねているようでした。スタッフは行列が長く続いていることもちろん分かっているようですが、その2人に温かな笑顔で対応しながら、一つ一つの質問に丁寧に答えていました。
日本人なら(いや私なら)、順番が3番手くらいになりメニューが見える位置に来た時には、何にしようかと色々考えて決めておくことが多いのではないかと思います。それは、楽しみだから早く求めたい期待や、後ろの人に悪いからという配慮が働いて、行動を早くしようという動きに出てしまうのではないかと思ったところです。
「待つことが苦痛ではない。」「待つことを楽しむ。」 そしてスタッフも「後ろを気にせず目の前の相手に尽くす。」 これは、初の海外旅行が遠征登山であったにもかかわらず、自分の在り方に大きく影響し登山よりも大きな収穫だったような気がします。カナディアンロッキーの雄大な自然の中で登山できたことは大変大きな喜びでしたが、異文化から自分の行動の襟を正すことを学んだことを、授業の隙間に子どもたちによく話していました。もちろん、日本人の後ろの人に気を遣うという行動も美徳ではあると思っています。ですが私はその登山から帰国後、コンビニやほかの場所で行列ができていても気にせず並び、前の人やスタッフが慌てている様子に出会うと「ゆっくりでいいです。」と素知らぬ態度でいようとしたり、前の人に詰めすぎないようにしたりすることができるようになりました。

現在のシアトル空港「スタバ」はきちんとした店構え
海外で自分の在り方を学べたという話でしたが、海外だからということではないと思います。国内でも地元でも「相手への思いやり」や「おもてなしの心」などは意識していれば沢山学ぶ機会に毎日出会うと思われます。この遠征でのお話には続きがありますので、今日はここで総括せずに、ロッキー登山遠征で学んだ「待つことを楽しむ国民性」について、次回に送ります。
2025.12.02
キリンチャレンジカップ2025が11月14日に行われ、日本代表がガーナ代表に勝ったのですが、この試合の中でアクシデントが起きてしまいました。Soccerkingのニュース2025.11.14から要約します。
試合の後半に、MF田中碧選手とMFアブ・フランシス選手が交錯しフランシスの右足が持っていかれる形となったのです。試合後、アッド監督は、「スタジアムにいる観客の方々、関係者の方々の姿勢などを見ても思ったことですが、日本人は礼儀正しい方々ばかりだと感じています。選手本人がわざわざベンチまで来てくれて、選手本人ところだけでなく、監督のところまで謝罪にきてくれました。決して当たり前なことではありません。日本という国の教育がしっかりしていることを感じました。サッカーというスポーツでは、ハードにぶつかり合う場面も発生しますし、残念ながらこのようなことも起こり得ます。ですが、そのようなことがあったとしても、謝りに来られることは当たり前ではないのですから」と続け、田中選手の行動をリスペクトしたそうです。
故意でない負傷の場合に試合中に相手ベンチへ駆けつけるという行為は私は過去にも記憶にありません。これは余程の相手への思いやりではないかと感動した次第です。サッカーのみならず、様々なスポーツにおいてこのような相手へのリスペクト、またそれによる相互の信頼関係の構築などは実際にあるのでしょう。
ところで、私の知るサッカー少年は、一人はプロサッカー選手になり監督までして誰からも信頼される良き社会人となっているようです。また、同じクラスのもう一人のサッカー少年は、その後走ることに目覚め、箱根駅伝を東大生として走り抜け、現在は議員として庶民のために尽力し活躍しているようです。サッカーだったから人をそう成長させたということではないのでしょうが、家族を含め多くの方々から愛される人望を供えるべく成長できたことが、本人の人としての在り方を形づくっているのかもしれません。「どう生きるのか。」「どんな人生を送るのか。」長い旅の途上にある人としての生き方が試されるのが人生なのかもしれないと思うこの頃です。とは言っても、人生は長いようで短い、これもまた事実です。そこで前期高齢者へ向かう私としては、「どう下るか。」これも一つの課題に加えたいと思います。
宮崎市大淀川にて
奈良時代初期の歌人・山上憶良が「秋の七草」と詠んだススキ。風に揺られるも倒れずしなやかな立ち姿。こんな生き方もいいのかもしれません。決して「化物の正躰見たり枯尾花」と猜疑心をもって言われないようにしたいものです。
2025.12.01
私はずっと登山をやってきました。登山家というにはおこがましいので山屋の方が似合います。ほかに「岳人」(ガクジン)という呼び方があります。同じネーミングでモンベル社が出版する山岳雑誌があります。岳人という呼び名の場合は何となく洗練された気品すら感じますが、それは私には不釣り合いです。さて、「九州の岳人は久住に始まり久住に終わる」という言葉もあります。ご存じでしょうが、この久住は大分県九重連山の山々を指します。「久住」という場合は名峰(最高峰は隣の中岳1791m)久住山1786mを指します。そして「九重」という場合は、10座以上のピークを持つ一帯の連山を指します。したがって、「久住山」「九重連山」という使われ方をします。郷土の境界や山頂名などを巡っては全国各地で色々な獲得論争があったようです。私も九州の山屋の一人として、まさに登山は久住山から始まりました。春夏秋冬いつ行っても優しく厳しく迎えてくれ、たおやかな山容に包まれている感覚が好きでこの連山にはよく通います。
さて、前置きが長くなりましたが、本日はその九重連山で高校生が活躍をしている話が毎日新聞に掲載されていましたのでお届けします。(抜粋になります)
くじゅう連山(大分県九重町、竹田市)を毎秋、玖珠美山高(玖珠町帆足)の3年生が訪れ、登山道の補修に当たっている。13回目を数える今年も、生徒20人が苦闘しつつ山岳関係団体の協力で、くいとロープを交換。登山客の安全を下支えする。…前身の玖珠農高時代からくじゅうで外来生物の駆除などに取り組み、2012年に豪雨などによる浸食で傷んだ登山道の補修を始めたのがきっかけ。農業などを学ぶ地域産業科の3年生が「ふるさとの自然を守る卒業記念活動」として、ほぼ毎年続けている。牧ノ戸峠から生徒たちが向かったのは、沓掛山に至る途中の登山道。一部区間の古くなったロープと木製のくいを新調するため、一行は新しいくいを背負い、スコップなどを手に、急勾配の登山道を歩いた。山登りに不慣れな生徒からは「きつい」との声も漏れる。
現場に着くと、スコップなどを用いて古いくいの撤去に着手。しかし、くいを倒れにくくするために取り付けられ、土中に埋められた「横木」が、撤去作業を難しくする。山岳関係者から「簡単には抜けない。くいの周りから掘って」と助言され、苦戦しながら掘り進めた。それでも抜けず、つるはしを使ってようやく掘り出した。古いくいを手にした谷崎斡律さん(17)は「ずっしり重い。くいに横木があるのを初めて知った」。新たなくいは、横木をボルトで固定して埋め、さらに大きな木づちで打ち込む。「学校の実習で電気柵を設けた時は専用のくい打ち機を使ったが、それに比べると木づちは重くて操作が難しく、想像よりきつい」と藤井柊平さん(17)。生徒たちは2時間かけて計21本を交換。ロープも張り替えた。古いロープをのこぎりで切って回収した古川釉那さん(18)は「大変だったが、登山客が安全で登りやすくなるのはうれしい」と笑顔を見せた。…毎回同行している山岳関係団体の「九重の自然を守る会」の高橋裕二郎理事長(77)は「本当にありがたい。みんなの活動でくじゅうは守られる」と感謝する。同校農場主任の永楽浩一郎さん(64)は「学校では地域に根ざした教育を目指しており、地元の山は農業につながる根本でもある。自然や環境に関わる活動を、今後もできる限り続けたい」と話した。
沓掛山 HP記事より
記事を読んで、久住登山をされる方なら場所について鮮明に思い出すことができるのではないでしょうか。牧ノ戸峠からきついセメントの坂を約20分上ったところの右側に展望所があります。そこから少しの岩稜帯を抜ける所にあるのが沓掛山となります。昔まだ積雪量が多い頃には、高さ5mほどの岩でさえ雪に埋もれることがありました。その角度のある岩と岩の間の雪面に動物の足跡がくっきりと残っていたこを思い出します。この沓掛山の一帯を玖珠美山高校の生徒が毎年、登山道整備を続けてくれていたことは知りませんでした。本当に有難いことです。木道やロープは人工物なので風雨に晒されたり、人が通過することで劣化が進みます。何気なく通過する、あるいは、登山なのでともすれば自分のきつさだけを考えて足元の登山道の整備状況を考えずに通過してしまうことがあるものです。こういった地元の方の努力によって環境が維持されていることを考えられる登山者でありたいものです。
生徒古川さんの「登山客が安全で登りやすくなるのはうれしい。」や高橋理事長の「みんなの活動でくじゅうは守られる」という言葉は、人に対する温かな営みを表していると思いました。また、農場主任の永楽さんは「学校では地域に根ざした教育を目指しており、地元の山は農業につながる根本でもある。」と話され、地域の中の学校であることや、自然は必ず自分の生活と結びついていることを自覚して生活することの大切さを話されていると感じました。
サーフィンにもローカリズムはありますが、登山のローカリズムはこのような発信がないかぎり誰が維持しているのか大変分かりづらいのが現状です。これまでも感謝しながら登山をさせていただいていましたし、自分で「一山一善」と称して必ずゴミをワンハンドくらいは拾うようにしてきましたが、さらに各地の登山では地元の人の思いを考えられる山屋でありたいと思います。

2025.11.27
2018年10月から始まったNHK連続テレビ小説『まんぷく』は、日清食品の創業者である安藤百福と妻の仁子の半生を描いた作品でした。本日は経営者のみならず、消費者である私たちにとっても消費経済の中で重要な位置を占めるマーケティング(商品やサービスを展開する活動全般)が必要な学びとして伝わってくると思えますので、Business Journal / 2019年大﨑孝徳から要約してお伝えしたいと思います。
NHK「まんぷく」より
『朝ドラ『まんぷく』は極めて優れたマーケティングの教科書である』
ドラマ『まんぷく』では、顧客を満足させる重要なポイントとしての「4P」すなわち、商品(Product)、価格(Price)、流通(Place)、販売促進(Promotion)が打ち出されている。
ドラマのなかで「まんぷくラーメン」となっていたチキンラーメンを売り出すために、テレビのコマーシャルや売り場における試食販売を開始した「販売促進」を行っている。…
また、容器に入ったラーメン「まんぷくヌードル」(カップヌードル)の開発コストから100円という当時では極めて高価格に設定し、発売するも受け入れられなかったために、タクシー会社など、夜に仕事をする人たちをターゲットに販売は好調に推移し始めた。さらに、屋外での飲食に対して当時の日本では多くの人が抵抗感を持っていたため、新しいことに対して寛容な若者をターゲットに歩行者天国での販売を行い、まんぷくヌードルは若者にとってファッションとなる。
… 現在の日本の大企業であるならば、商品開発担当者は単に商品の機能的な部分を担当するだけで、価格や流通や販売促進には完全にノータッチな場合が多い。しかしながら、4Pにおける4つの要素は、強く連携できていなければならない。
内容をかなり凝縮してしまいましたので、氏の考えが十分に伝わらなかったかもしれませんが、学校での日々の授業とよのなか教室を4Pで考えるとどうなるでしょう。商品を学習目標(よのなか教室のねらい)、価格を学習活動(講話受講)、流通を主体的な対話(生き方の再構築)、販売促進をまとめ提示(獲得した価値と学習意欲)としてみましたが難しいです。(いや~、頭を悩ませます。アドバイスをください。)それにしても、学びを「流通」させることや「促進」させることは、実に難しい課題だと気づきました。
マーケティングについては大﨑氏の考え方以外にも多くの手法が存在することは、市場経済の中で日々活躍されている方々はよくご存じのことでしょう。マーケティングをあまり意識しなかった私のような「学校人」にとっても、教師が生み出した授業というものをどう展開していけば、それが対象である児童生徒に定着していくのか。或いは、学校での活動が保護者や地域にどう浸透していくのかなどを考えてみるにはとてもよい思考だと思った次第です。社会が様々な人々によって成立している以上、協働・進化・発展することが大事なので、日向市のキャリア教育も普及発展できるように意識しながら頑張らなければならないと再認識しました。
昨夜のNHK『クローズアップ現代』にエジプト考古学者の吉村作治さんが登場しました。御年82歳だそうです。クフ王の墓の発見を追い求め、スタッフの若者同士の意見が対立していた時、吉村さんは黙ってじっと聞き最後に意見を述べました。「ある程度まで掘ってみてそこでGPR(探査機)を使ってみればいいじゃない。」これは、若い二人の意見の折衷案だったのです。私は、すでに体調が悪く現場にいるだけでも大変なお体なのに82歳のお年で若い人たちの意見の折衷案を自分の考えとして提示できるその柔軟な思考に大変驚きました。歳を取り頭が硬くなるのは致し方ないと思っていましたが、吉村さんを見て、いやいや思考はまだまだ鍛えられると思いました。日々激しく変化する時代に対応できるのは人間ならでは価値であり、柔軟な思考こそが時代を乗り切る自己のエネルギーかもしれません。 マーケティングから若干それましたか…。
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