Hyuga City Career Education Support Center
2026.03.31
卒業シーズンが過ぎ、次年度への準備が加速している本日だと思います。私も現役の頃に、3月31日と4月1日の両日が平日であれば相当プレッシャーがかかり「働いて、働いて」の状態でした。切り替えが十分にできないままに新年度を迎えてしまい、そのまま軌道に乗る5月まで猪突猛進でした。

さて、昨日、3月4日に財光寺南小学校6年生で私が実施した卒業・進学の学習に対する児童の皆さんからの感想文をいただきました。授業で活用したワークシートとその後、作成していただいた感想文集になります。
ワークシートは2種類ありましたが、その中でも以下の「生き方宣言シート」が「自分らしい生き方の実現」のためには重要になります。①中学校で挑戦することから、②そのためにやり通す具体策を考え、では、③自分の信念としてどんな力を身に付けたいのか、キャリア教育の4つの力に焦点化します。そして、その力を追求することで、④将来なりたい仕事に結び付けて、では、⑤今からどう生きるのか、という将来のイメージ象を通して自己を見つめ、これから中学へ向けて自分が努力する具体策を考えるという学習を展開しました。
最終的には、学担の先生に完成をお願いしましたので、児童の皆さんがどんな受け止め方をしたのか気になっていました。こうして全員のワークシートと感想文を読むことができてほっとしました。6年生の皆さんは実に良く自己を理解し、将来の目標を決めて、それに対する現在の努力目標を設定していることが伝わりました。
一部ですが紹介します。(スマホだと読みづらいと思いますので拡大をお願いします。)




次は、感想文集からの抜粋になります。「深く考えた」「前を向く」「未来をしっかり考える」「看護師になるために頑張ります」などの強くたくましい言葉が光りました。




以前読んだ本の中で「君は、なぜここにいるのですか?」と質問された人の話がありました。半年かけて「3つの奇跡」に気付いたとのことです。それが、「この世に生まれたこと」「今まで死なずに生きて来られたこと」「目の前の人と出会うことができたこと」だそうです。この3つは確かにその通りだと深く納得しました。
本日で2025年度、令和7年度が終了します。日本独特の桜の季節での節目であり、明日からまた新しい1年が始まります。6年生の皆さんは、すぐに中学生生活が始まります。これからは3年ごとに節目が訪れ、そのブロックごとに大きく成長することでしょう。これまで12年間生きてきて、3つの奇跡が連続して今があるということを噛みしめながら中学の階段を昇って欲しいと願います。次の3年後にはどんな未来予想図を描いているのか楽しみにしておきます。
財光寺南小6年の皆さま、大変お忙しい中に先生や児童の皆さんが心を尽くしていただいたことに深く感謝申し上げます。そしてキャリア教育を前任の日知屋東小時代から強力に推進していただきました校長先生、本当にお世話になりました。
2026.03.30
表題の本は文字通り、山岳遭難の教訓のための技術本になります。ですから、過去の遭難事例を事実に即して記述してあるものです。
Wikipedia
エベレスト(英語)チョモランマ(チベット語)サガルマータ(ネパール語)
ジョージ・マロリーはご存知でしょうか。1924年6月8日に、同じイギリスの登山家アンドリュー・アーヴィンと共に、エベレストで消息を絶った登山家です。「そこに山があるから」という言葉の人というならご存じでしょう。実際には「Because it's there.」と発言していて、エベレストの記者会見ですから「エベレストがそこにあるから。」の方が意味はより近いと思いますが・・・。1999年に、そのマロリーの遺体が8100m地点で発見されました。この本の中で発見時の画像が紹介されています。あまりにも生々しいので紹介するのはやめておきます。記述だけすれば、うつ伏せで背中の肌が露出しているのですが、75年経過したその背中がなんと綺麗なことか。真っ白でツルツルなんです。私は恐怖より、その肌の白さに驚きました。
Wikipedia
ジョージ・マロリー
また、相棒のアーヴィンの遺体らしきものが、2024年にエベレストで発見されました。片方の古い登山靴とそれに繋がった靴下です。靴下には「アーヴィン」の文字が縫い付けられていました。しかし、マロリーの遺体の傍にも、アーヴィンの体の付近にもコダック製のカメラは見つかりませんでした。つまり、見つかればフィルムに登頂シーンが写っている可能性があるのです。未だに、二人が登頂した後に遭難したのか、登頂していないのかは登山界最大の謎の一つになっています。
Wikipedia
アンドリュー・アーヴィン
二人が遭難したのはエベレストの頂上から約240メートル下の地点だと言われています。一体そこで何があったのでしょうか。生死を分けたものは何だったのでしょうか。
北極圏を犬橇(ぞり)縦断するなどの極地探検家の角幡雄介氏は著書で「死の余白」と書いています。冒険家、探検家、登山家などは、「猛烈な吹雪や大雪などの悪条件に苦しめられて、死の危険をひしひしと感じながら、そのなかで技術と経験を総動員して危機を乗り越えられ何とか成功を勝ち取ると、そのときはただの成功以上の満足感があり、すごい冒険をしたという思いに震える。」しかし時間が経つと、「すべてのエネルギーを使い切るほどやり切っていたのか」という「完全燃焼ポイントはまだ先にあったのではないか」と、「距離がのこっている」思いに駆られるそうです。「生きている以上、かならず残存する不完全燃焼感、これが<死の余白>である」そうです。
レベルは違いますが、私が冬山で猛吹雪の中登り続けていた時、時折、風の音が何もしなくなり、ただ自分の足だけが右、左と交互に前に少しずつ動いている、この繰り返しだけが下を向く目に入っていました。吹雪でまつ毛が段々と凍りだして目が開かなくなるのですが、なぜか静かなのです。実はこれは危険な状態です。フッと我に返り、「ゴーッ、ガーッ、ザザーッ。」という猛烈な風の音と強烈な吹雪が片方の頬をたたいているのに気づきました。考えるモードになり、ここが撤退地点だと自分に強く言い聞かせて、思い切り180度ターンして下山にかかります。ほかの屈強な登山家からすれば、北アルプスくらいの標高の山のそのような場所で、何を大げさなことを言っているのかと笑われるかもしれませんが、それは、その時の私の生と死の分岐点だったのでしょう。
色々な場所で遭難した人が残念ながら命を落とすことがあるのも、「突っ込んでみよう」「もっとできるかもしれない」と「死の余白」への挑戦にまとわりつかれたからかもしれません。そんな心中を察すると、私はその方々を非難する気にはなれません。
日本の若く有名な登山家が数年前にヒマラヤで単独登山中に亡くなりました。この時も凄い数の批判があったようです。「力量にあっていない」とか「そんなメディアにアピールなんかして」など耳を覆いたくなるほどでした。一番悲しいはずのお父様の記事がありました。「悲しいですが、息子はよく頑張ったと言ってやりたいです。」と。大切なのはそこではないでしょうか。
仏教の話を取り上げる必要はありませんが、「和顔愛語(わがんあいご)」という言葉もあるように、批判的な言動は自他ともにストレスを与える「毒」とみなされるそうです。いわゆる寛容の精神です。自己の信念(人生の目的)に基づく行動を重視し、感情的な否定よりも調和を大切にするそうです。
人生の目標を決めて走っている人に対しては、応援はしても批判をしてはいけないと思っています。命を落としては元も子もありませんが、万が一亡くなったとして、挑戦は称えるべきであり批判することはやめたいです。それがその人の生きる道、その人の生き方であり、自己実現なのですから。しかし、だからこそ、生きているうちは、生と死の分岐点は見極めたいと思っています。山の話のみなならず、「今行くべきか。昼からでもいいのではないか。」とか、いつでも分岐点は存在しています。
本日はコアな話で失礼しました。
2026.03.27
昨日、休みを利用して高齢の親に関する面談(アセスメント)のために宮崎へ出向きました。ケアマネージャーの方は以前からお世話になっていてよく知っている方です。もう一人の施設看護師の方は初めてでしたが、親は以前からデイサービスでお世話になっています。

初めに、在宅介護支援センターからの評価結果の報告があり、「転倒なく活動ができる」や身体機能についてなど、実に細かく見てもらって本当に有難いことです。
また、親についての課題分析結果が資料と共に提示されました。そして、それをもとにして、今後の総合的な援助の方針が打ち出されました。親は色々な病気も持っていますが、日常のサポートは近くのきょうだいが行っており、そのことについても介護支援センターの方と情報を密に共有できています。その上で、専門的なアドバイスのもとにリハビリを兼ねた運動を継続し、自立が継続できていくこと、そして通所での交流の活性化によって認知機能の進行を防止することを目標とする方針が話されました。
また、居宅サービスの計画書も多岐に渡って細かく示されており、長期目標と短期目標、サービスの内容などが聞いている私たちにも分かり易く伝えられました。
最後に、これからのデイサービス送迎時刻の計画表が示され、認知機能が低下していく高齢者にとって、通所する日によって送迎車の到着時刻が変わるのは不便なので、一定の時刻にしていただいており大変助かります。施設のスタッフの方が送迎まで行っているということから、人手不足や体制の方針など様々なことが影響して、そういうやり繰りをされているのだと実態をよく把握できました。
これらの評価分析を一通り見させていただき、学校における一人一人の児童の評価内容より細かいと感じました。高齢者は健康が第一の課題であり、少しの手違いが本人に大きな身体的ダメージを与えてしまうという危険があるため、大変な緊張感のもとに仕事をされているのだと、こういう細かな書類作成からも受け取ることができました。

一人の高齢者に対してこのような面談が行われているので、実際にはスタッフの方は、担当するすべての家族とこうして面談をし、困りごとやニーズを吸い上げて方向性を探る仕事をされているので頭が下がります。
80歳以上では25%の人が要介護状態になると聞いています。人は老いると必ず誰かの世話になります。その現実を受け入れるのは容易ではないと思いますが、こういう介護サービスを受けることで段階的に自分の老いと、一人では生きられない現実を受け入れる準備をすることに繋がるのだと思います。
介護サービスでは高齢者一人の単なる世話だけでなく、一人の人間としての尊厳や生き甲斐、人生そのものを支えていただいていると感じます。ですから、世話になる本人も生きている実感を抱きながら人生を幸せに下れることになるのではないでしょうか。
戦国武将・斎藤道三は辞世の句で、「捨ててだに この世のほかは なきものを いづくか終(つい)の 住処(すみか)なりけむ」と残しました。あまりにも現世への無常観と諦念がこめられ過ぎていて受け入れがたいのですが、では現代の高齢者の「終の棲家」はどこだろうと考えたりもします。介護職の方々が利用者一人一人の人格を尊重しながら献身的にお世話をしていただいているので、施設が終の棲家になったとしても温かい人が周りにいるという実感を持てます。過去に遡れれば斎藤道三さんに、現代はいいよと伝えたいものです。
とはいうものの国全体としては私の場合のように親が介護職の方々に頼って自分の生活を成り立たせることができていますが、自分で高齢の親を介護しておられる方々も多いと思います。また、その身内すらいなくて一人で路頭に迷っている方々が多いのも現実です。国の仕組みを何とか充実したものに立て直してほしいのは山々ですが、身近な地域のこういう仕組みにも関心を寄せていかなければならないと、改めて向き合う一つの課題となっています。介護職の方々なしには私の今の仕事はできなくなるので、人口が少なくなる中でも需要の多い高齢者のためにも若者が目を向けるような働き甲斐、遣り甲斐を少しでも紹介していきたいと思います。
2026.03.25
先日は、6年算数「割合としての比」について、その概念と「比の値」の捉え方、そして現在の教科書の学習配列についてお話ししました。簡単に言えば、以前の教科書は、比の値を教えてから比の概念に入り、現在の教科書は、比を教えたあとに比の値が出てくる、という順序になっています。
そこで本日は、現在の教科書(啓林館)で、「比の値」が登場してからその後の内容をどう扱っているかについて触れてみたいと思います。
比の値の後には「等しい比の性質」として「比を簡単にする」を学習します。「比を簡単にする」とは、「等しい比で、できるだけ小さい整数比になおすこと」を言います。懐かしいのではないでしょうか。
たとえは、40:50なら4:5という訳です。さらに、小数比や分数比も学習します。1.5:1.2は10倍して15:12とし、更に3で割って5:4となります。
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では、双方に8を掛けてもよいし、通分してもよく、6:5となります。
ここまで2時間つまり2日かかります。その次の時間(翌日=3日目)には、それまでの復習をするように練習問題が1ページの分量で設定してあります。練習問題をこなして定着を図る訳です。この2時間(3時間)の中の「比を簡単にする」を扱う中で、40:50も120:150も比の値が
で、「2つの比は等しい」と「比の値が同じであれば、大きな整数であれ、小数、分数であれ同じだ」ということから「比は簡単にできる」(以降、数学へ向けて「比は簡単にしておくこと」)を学習することになります。ですから、教科書の学習順序としては、比の値の意味を深めていくことの大切さを、時間をかけて理解できるように配列していることになります。
ここで注意したいのは、その「等しい比の性質」であっても、小数比、分数比になると、通分や最大公約数などを利用し数学的計算が中心になるので、子どもの思考から比の値の概念が消えてしまうことに留意しなければなりません。ですから教科書は3時間目に練習問題を設定して、定着させようと狙っていると思われます。しかし、先ほどから3時間(3日)と書いている通り、6年になると算数は一日に一時間しかないので、3時間は3日間ということになります。そこへ行事や休日が入れば、間が5日間も空く場合があります。
ですから、次の「比を使った問題」では教科書通りの順序で「比の値」を利用した解決方法の理解がスムーズにいくのかという疑問が私にはあります。具体的な問題は以下の通りです。

そして、次の時間の問題がこれです。

=90、第2問目は、3.5×
=2.1や3.5×
=1.4 と求めることになります。
そこで、比の値という児童にとって難しい概念の学習から間が空くことを憂慮する私なら、児童の思考の流れ、連続性を考えて教科書の配列を次のように変更し指導します。
先日紹介した単元導入時の「マヨネーズとケチャップの問題」で2:3と比の概念を教え、a:bでは「aがbの
倍であるこの
を比の値という」ことを教えた次の時間に(教科書では4時間後の)上記「砂糖・小麦粉3:4、小麦粉120gなら砂糖は何gか」の問題をさせてみます。
その次の時間は「等しい比の性質」を学習し2時間(2日)目に「練習問題」まで一気に進め、さらにその次の時間にもう一度「砂糖・小麦粉」の問題を解かせてみるのです。そうすると、「なあんだこの前と同じ問題じゃないか」という子どもは「比の値」で解くでしょうし、前日の「等しい比」が頭に残っている子どもは「3:4=x:120」を利用して解くでしょうから、学級全体が「おお~っ、どちらからもアプローチできるぅ~!!」となる訳です。もちろん、異議はあることでしょう。この「砂糖・小麦粉」の問題で、それ以前の「等しい比」と「比の値」の考え方が理解できているか双方を問う訳なので、その提示の仕方は短絡的だとの批判もあるかもしれません。
すでにこのような独自の配列で進めている先生もおられるでしょうし、また違ったアプローチをする先生もおられることでしょう。このように、教科書の単元の内容配列をよく精査すれば、学習内容をどことどう結びつけていく方が、子どもの理解はより進むのか、あるいは、前時の内容をうまく活用できるかという数学的な思考力を育てやすいと思っています。さらに、単元の中で、どこに比重を置き、ここでは時間をとって深く主体的に考えさせようとグループ学習を取り入れるなど、軽重をつけることが結果的には効率よく学習が進むことになります。そのような教材の研究はどの教科でも必要となってきますから、教員はその時間にこそ時間を確保したいのですが現実は厳しいです。
すべての学習内容を同じ比重で取り掛かっていては、教科書をなぞるだけで終わってしまうし疲弊してしまいます。そこへ来て学級内の諸問題への対応が入ると学習に集中できない環境ができあがり、これまた重労働になってしまいますので、経営というマネジメントを学習以前に成立させることはなかなか難しいものです。
私はキャリア教育というカテゴリーで再び現場に立ってみて、「この時間の後に(学級・教科)担任は次の授業が続くなあ。」と、教科指導だけではない日常のやり繰りに想いを巡らせました。しかしそれでも、学問を教えるということと、子どもが新しい定義や概念に触れていくことの学ぶという原点は実に面白いと改めて教育という営みの深さを感じたものでした。
2026.03.24
「あなたのキャリアプランを聞かせてください」と聞かれたとき、何と答えますか?
私が教職現役中でしたら、「仕事では子どもたちが確実に成長できるような教育課程を編成し、毎時間70%力量の授業を提供していき、オフ時には自然と共存できるライフスタイルで進みたい。」とでも答えるでしょうか。
キャリアは単に、職歴・経歴のみを指さず、自分の生き方をも含めているのはご存知の通りです。しかし実際には、何ができるのか、どんな貢献ができるのかを明確にしないと、組織としても、個人で展開するにしてもビジョンがぼやける印象があります。そういった意味では、資格にしても特技にしても、まずできることが明確であることは否定できません。子どもたちで言えば、「書道何段」「テニスで優勝」「将棋何段」「英検何級」「挨拶NO1」「バク転できる」「姿勢(背筋)誰より美しい」など、資格とは限らなくても、これをやったら誰からも称賛されるものを持ち合わせていることは、自分のキャリアプランにとっても自信になります。
いきなりですが、私は相撲観戦が好きです。霧島関が優勝してほっとしました。もっぱらテレビでの観戦をしますが、相撲やサッカーの選手がセカンドキャリアに関して現役中からかなり不安に感じている選手が多いと聞いたことがあります。
サッカーの場合はキャリアサポートセンター(CSC)が充実していて、退団後のセカンドキャリアについて選手のサポートを行っているようです。一方、相撲の場合は人格が高く評価されて、ツテを頼った引退後の道筋が一般的らしく、それゆえに不安定な将来を考え入門に二の足を踏む力士志望も多いそうです。
力士の給料については考えたことはあるでしょうか?横綱でさえプロ野球の活躍選手に比べると10分の1程度になります。幕下の力士には給料はなく、手当としてアルバイトに満たない額が支給されるのみです。勿論、食費や生活費は部屋で見てもらえるので、その心配はいらないのですが、早く十両に昇進しないと道は厳しいのが相撲の世界です。
また、日本の相撲には、複数の組織があり育成の過程から違うので、キャリアをどう重ねていけばよいのかは、上記給与の部分を含めて自分のキャリアプランとしては悩むと思われます。元若乃花親方が相撲界の改革として話に出すのは、「組織の複雑さと収益に関する部屋としての在り方が難しい」ということのようです。
格式ある日本の伝統文化である大相撲に品格を求める人は多いと思いますし、私自身も古来の作法と1対1の真っ向勝負が面白いと感じている一人なので、今後もこのまま続いて欲しいと願います。しかし一方で、時代は変わり、入門する力士も自分の生き方としてのキャリアを重視する時代ですから、引退後もスムーズにセカンドキャリアを獲得してもらいたいと思います。
別の資料では、引退した力士は運送業界で重宝されるという話がありました。それは、①体力があること、②集中力と規律正しいこと、③コミュニケーション能力が高いことがその理由だそうです。なるほどと頷きますが、視点を変えれば、この3つは一般人でも鍛錬によって十分に獲得できる能力ではないかと思われます。体力は部活などで頑張ってもらって、それ以外は、いつも提示している「キャリア教育の4つの力」に含まれると見ることができます。ここでもキャリア教育の重要性を改めて確認することになりました。
本日は、資格を持った方がよいという話ではなく、自分に確たる自信をもつ意味でのキャリアプランの考え方についてお話ししました。教職ではなく今の私の立場を考えたキャリアプランはと言いますと、「孫が市内の学生になったときにキャリア形成が確実にできるよう一定の道筋を付け、自然と共生していくこと」と考えます。
2026.03.23
お彼岸の墓参りを済ませ、休みを利用して延岡市にある行縢(むかばき)山に登りました。実に10年ぶりくらいではないかと思います。昔はよく登っていました。冬山のトレーニングも兼ねて40kgの荷物を背負い一日に2往復したことも懐かしい思い出です。
山頂では心地よい風に吹かれ、霞んだ延岡市街地や太平洋と、南方には尾鈴山系、西側には五ヶ瀬方面の九州脊梁山地、その北西にはうっすらと阿蘇の山なみを見渡すことができました。岩の隙間からは、固有種のヒュウガミツバツツジが、ここは自分の縄張りだとばかり鮮やかに咲き誇っていました。

下山後、帰路に着くと集落の先に神社がありました。鳥居が菜の花畑に囲まれていてなんとも美しい光景です。この神社周辺の舞野町の有志の方々が地区活性化のために毎年菜の花を植えられているそうです。有難いことです。

下舞野神社
行縢と言えば、宿泊学習を思い出された方も多いのではないでしょうか。県北に住んでいれば、ほとんどの小学校5年生で登山を中心にした宿泊学習に参加した経験があるのではないかと思います。昔は中学1年でも実施されていました。登山の苦しさと達成感やキャンドルの集い、天体観測、工芸教室などが2泊3日の中にプログラムされていて、人生の思い出の一つになっていることでしょう。
現在、宮崎県ではほとんどの中学校で宿泊学習は実施されていないようですが、一部の私立中学校は実施していて、東北の山中にある豪華な施設で3泊4日の英語宿泊研修をする学校もあるようです。やはり中高一貫としてのキャリキュラムの余裕と経済面より内容重視の方向性がなせる業かもしれません。公立の中学校は忙しく余裕がないのが現実なのでしょうか。
それにしても、こういう自然の中に児童生徒を送り込みながら、学級の垣根を越えて学年の絆づくりを目的にした宿泊学習は、人間関係が薄くなってきた今の子どもたちにこそ必要なプログラムではないかと思います。他県では現在も公立中学校の全学校で実施しているところもありますが、一度止めてしまってから復活させるのは簡単ではないでしょう。また、実施するにしても昔とは違い、より多くの配慮が必要になってきた感がします。
ところで、忘れもしない約30年前。私が小学5年の担任だった時、一人の児童が行縢(宿泊学習)には行けないと言ってきました。費用が理由のようでした。夕方、私は自宅を訪ねました。父子家庭のその家では、5年の子が台所で洗い物をしながら私を迎えてくれました。お父さんは、周辺が散らばった畳間のテーブル前に座り怪訝な顔で私を見ていました。5歳ほどの妹がいて、訪問者が嬉しいのか私に飛びついてきました。洗い物をしていた5年生の子がひび割れた手で、少し汚れた茶碗にお茶を注いでもってきてくれました。私はお茶を有難くいただきながら、幼い妹をあやして少し間を置きながら、お父さんと話し始めました。お父さんは家庭の状況などを語ってくれ、私が来た理由も分かっていたので費用の捻出は経済的に無理だと言われました。しかし私はこのままでは引き下がれず、その5年生の子が学校でとても頑張っていること、宿泊学習の目的、意味などを熱く語りました。1時間くらいして、お父さんが折れてくれました。「先生がそんなに言うなら分かった。お金はなんとか集めて子どもに持たせます。よろしくお願いします。」と言われ、私は子を持つ親の思いに触れ胸が熱くなりました。

そうやって学級全員が宿泊学習に向かうことができたのを昨日のことのように覚えています。それから10数年が経った時、その子の結婚式に呼ばれました。がんばって来たんだ、本当によかったと思いました。さらに約10年が経ち、今度は私が赴任する学校で、その子が保護者という立場で再会しました。色々あって苦労してきたことが分かりましたが、なんとか子どもたちを真っ当に育てているようで安心しました。私は、教え子の子どもから「先生は、お母さんの先生だったんですか?」と言われることが嬉しかったです。
行縢という一つの地名には山や神社だけの景観だけではなく、これまで幾千人の人生ドラマまで包含している思い出が詰まっていると改めて思った春の登山でした。
2026.03.17
ミラノ・コルティナパラリンピックは閉会しました。競技はご覧になったでしょうか。パラアルペンスキー女子スーパー大回転(座位)で銀メダルを獲得した村岡桃佳選手が、度重なるけがを乗り越えて4度目の冬季パラリンピック出場を果たしたことはニュースでも大きく報道され、日本に歓喜をもたらしました。
私は休みの日に「クロスカントリー男子10kmクラシカル立位」の放送を見ました。この競技の面白さと強靭な肉体や精神まで感じ取ることができ大変感動しました。この種目には、日本の川除大輝、新田佳浩、岩本啓吾、佐藤圭一の4選手が出場し、川除選手が最高の4位でした。説明するまでもないのですが、彼は、北京大会時は20kmで優勝し、冬季パラ日本最年金メダル少記録保持者です。

クロスカントリーの選手区分は15クラスにもおよび、複雑で私もよく分かっていないのですが、川除選手はLM5/7というクラスのようでした。ストックを持たずに腕の振りだけで加速する独特の技術を磨いて、上り坂で他の選手を追い抜いていく姿には胸が熱くなります。
大会そのものは、ほかのクラスの選手も同時に競技するため、障害の程度がまったく異なる中での順位争いとなるので、ハラハラドキドキしたり、そのクラスでの現在の順位をテレビの表示で確認したりして、見る側もとても緊張します。
同じクロスカントリーの女子の部で出場した阿部友里香選手は、妊娠、出産を挟んでの大会出場となり、そのエネルギーはどこでどう調整しているのか信じられないパワーだと恐れ入りました。

パラサポWEBより
本人は御主人や娘さんに対し、「パラリンピックという特別なところで滑っている姿を見せられたのは良かったと思いますし、(娘は)覚えていないかもしれませんが、将来写真を見返したときに伝えられたらいいなと思います」と、強いアスリートとして愛娘への思いを語っていたのが印象的でした。
このほかに、パラリンピック・スノーボードクロスに出場したイタリアのエマヌエル・ペラトナー選手は、過去2回の冬季オリンピックに出場したものの、大けがをしてパラリンピックに転向した選手です。どのようなモチベーションの持ち方、高め方で方向転換できるのか、並の人間では切り替えることすら難しそうです。彼には「どんな出来事の中にも希望を見いだすという人生哲学」があるそうです。これを聞くと、10年前に亡くなったキリスト教カトリック修道女の渡辺和子さんの有名な「置かれた場所で咲きなさい」という言葉を思い出します。
パラリンピックの選手たちは、スポーツに向かう以前に自分の障害と対峙する長い期間を持たなければなりません。自分の心身との葛藤だけでなく、世間という難敵との闘いがあったことだと推測します。それでもなかなかパラアスリートとして開花する人は一握りなのでしょう。その難関を突破してスタート地点まで漕ぎつけた道のりは、単に努力というだけでは見えてこない苦難の遠い時間だったと思われます。
一般には、置かれた場所で咲けないままに散ってしまう人の数が多いのでしょうが、道を変えてまた芽となり咲く努力をするところに生きる価値はありそうな気がします。古代ローマの哲学者であるルキウス・アンナエウス・セネカが「困難だからやろうとしないのではない。やろうとしないから、困難なのだ。」と言うことと共通するものがあるのかもしれません。
岩登りの場合は、岩の弱点を見つけながら登ります。それは逃げているのではなく、全体の何百メートルにもなる巨大岸壁を攻略するために、目の前の一瞬の壁をどうクリア、攻略するかを考えた決断なのです。ですから、目の前の難しい仕事を放りだすのは「逃げ」でしょうが、どうすればうまく解決できるか、自分の力量に照らして判断し、許せる時間内にベターに処理することは「逃げ」とはならないでしょう。ベストならなお更よい結果をもたらすことと思います。
置かれた場所で咲く。難しいですが、トライしてこそ自分に厚みが増すのだと思います。
2026.03.16
今日は中学校の卒業式でした。改めて、歌われる歌詞を読み直してみました。

RADWIMPSの『正解』
恥ずかしながら、本日の富島中学校の卒業式で3年生が想いを込めて歌っているのを聞いて初めてこの曲を知りました。
♬「僕たちが知りたかったのは いつも正解などまだ銀河にもない」
確かに、銀河の中のことですら分からないことが多いです。我々の天の川銀河のお隣250万光年の位置にあるアンドロメダ銀河は、あと40億年くらいで天の川銀河に衝突するとも言われています。しかし、それすら確率が下がってきたとも言われ、分からないことの方が多いのは事実です。
RADWIMPS の公式HPにあるSTAFF DIARYには以下のような言葉がつづられていました。
「赤い暗記シートを真剣な顔でおさえている人を見ると、自分が逃げてしまった世界に、この人は向き合っているのだなという眩しさがある。」
真面目に必死に公式を丸暗記しようともがいている同級生がいたとしても、振り返ってみると、それは本人なりに自分にまっすぐに向き合っていたカッコよさだということに、その時点では気付けない。そんなことも含まれている歌である印象を抱きました。
2曲目に『旅立ちの日に』が演奏されました。
さすがに私もこの曲は知っています。どこかの学校の先生が作った曲だということも知っていましたが、調べてみて詳細が分かりました。今から35年前、埼玉県秩父市の影森中学校の校長小嶋登先生が作詞し、音楽教諭高橋浩美先生が作曲したそうです。その校長先生が退職される時に、合唱で中学校を盛り上げた卒業生の「送る会」で、教師たちによる生徒へのサプライズプレゼントのために作ったそうです。
「自由を駆ける鳥よ ふり返ることもせず」とエールを送り、「飛び立とう 未来信じて」と生徒自身が決意表明を表しているようにも感じました。どの中学校にも、なかなか気持ちが伝わらない生徒に、それでも向き合い続けた先生たちがいることを知っています。教師たちも悩み、苦しみながら、それでも生徒の未来を信じてエールを送り続けています。まだまだ歌い継がれていく曲なのでしょう。
私は、本日の式の最中には目の前にずらりと着席している卒業生を見て、複雑な思いがしました。
「この子たちがこれから出てゆく社会という海はきっと荒波だろう。現在でさえ混沌とした世界になってきて、この日本がどこへ進んでいくのか予測が難しくなっている。私の『責任世代』であった時期にこそ、世の中をよくすることに力を入れなければならなかったのに、安定した日本を君たちに贈れずに申し訳ない。しかし、皆さんは『これから』の時代を生きる。まだ間に合う。まだ変えられる。自ら、自分らしい道を進んで欲しい。」
力強い指揮者の生徒と伴奏者、それに全力で応える卒業生からは、そんな前期高齢者のか弱い反省をものともしない金剛力士のような未来への矜持を受け取りました。
中学時代というのは不安、不安定が先行して当たり前の時期です。私自身を振り返っても、何をしているのかよく分からない時代だったと思います。この子たちが、将来に希望をまったく見いだせないままであれば、尾崎豊の「卒業していったい何解るというのか」と疑問を投げつけられ、それに答えられない大人になりそうです。だからこそ、私自身はもっと今の自分の役割を自覚して、子どもたちが確実に自分のキャリア発達を果たしていけるように勉強し、支援を強化しなければならないと我が身を振り返りながら中学校を後にしました。
保護者の皆様、祖父母の皆様。お子様、お孫様のご卒業を心からお祝い申し上げます。

2026.03.12
今日は小学6年生が使用している算数の教科書「啓林館」の内容について考えてみます。教材という硬い話ですがお付き合いください。

6年生が、おそらく10月に学習済みの単元「比とその利用」について見ていきます。
「オーロラソースを作ろう」 おおっ!いいじゃないでしょうか。何とも気分をそそられるタイトルで。それとも「オーロラ」に反応したのは私だけでしょうか。
さて、その中身の問題です。(テキスト部分の画像がよくないので書きます)
【問題】(オーロラソース2人分)
ケチャップ…小さじ2はい
マヨネーズ…小さじ3ばい
どのような割合でケチャップとマヨネーズを混ぜたといえばよいですか。
さあ、お分かりですか?簡単ですよね。
「マヨネーズはケチャップの1.5倍の割合で、ケチャップはマヨネーズの3分の2倍になる。」でもよいのですが、大人ならすぐに、「2:3」とするでしょう。
そうです。ここで6年生に初めて「比」という割合の概念を教えるのです。
「2:3」を「ケチャップの量とマヨネーズの量の比」という割合だと教えるのです。大人なら簡単なように見えますが、果たして子どもはどうでしょうか。これまで「割合」と言えば、百分率(%)や歩合(割・分・厘)、小数倍、分数倍として学習してきています。そのいずれも、1単位の数で割合を捉えています(60%や3割2分など)。それが、ここで「2:3」という2つの数値を並記することによって割合を表すというのは、順序良く学習を積み重ねてきた6年生にとっては、そう簡単なことではありません。難しいと捉える子もいるはずだ、としっかり構えて教授することが大切なのです。
これ↓は、11年前「算数まとめ」としてノートに6年生が書いたものです。

不鮮明で読みづらいかもしれませんが、「比は分数を使うと簡単に出来た」「砂糖2:小麦粉5で、小麦粉150gの場合、砂糖は2/5と考えると簡単だ」のようにまとめています。
以前の同じ啓林館算数6年の教科書では、比の概念学習の冒頭では「分数倍」から比を扱っていました。つまり「比の値」からでした。
「一方の値から見たもう一方が何倍になっているか」という概念が比の値の考え方になります。正確には、「a:bの比の値はa/b(b分のa)」になります。上の画像の6年生が示した考え方です。したがって、マヨネーズとケチャップの割合で考えると、「ケチャップはマヨネーズの2/3になっている」という2/3が比の値であり、それを以前は比の学習の初めに帰納的に考えさせ、後から「2:3」という割合を比で表すという新しい割合の概念を教える展開でした。私はどちらかというと、後者の順序の方が過去の割合学習からすればスムーズに学習に入れると思っています。
では、なぜ今の教科書は初めから「2:3」という新しい割合の概念を教授するように構成しているのでしょうか。私はすでに現役でなく、現在の算数科の教科書副読本(解説書)を読んでいないので分かりません。解説書と書きましたが、教科書のほかにその教科の教授理論として教科書会社(専門家による)が研究した内容を解説した補助資料があります。分厚く、かなりのエネルギーで読まないと、その深い部分は理解できません。なぜそこにその問題を提示したのかということまで懇切丁寧に解説してあります。現役時代、教科書会社がこの理論的な部分をどのような意図で作成したのかを読むのは好きでした。なるほど、へえ~とか、それでもなぜそう提示する?などと考えながら読んでいました。
戻りましょう。
今回の算数6年教科書における「比」の概念配列は、私の予想なので外れていたらすみません。児童にとって「比の値」という言葉の持つ意味、ニュアンスの方が難しいと考えたのはないでしょうか。さらに、スポーツの試合では対戦相手との得点で「5対3」などという割合表示は、児童が日常的に触れていることを考慮したと思われます。ですから、ケチャップとマヨネーズ量は「2対3」の割合と表すことができる、と割合の新たな表現方法を提示する方がスムーズではないかとの判断で、比の学習の冒頭に持ってきたのではないかと想像します。
そして、その練習となる問題では、以下の問題が教科書にあります。
【練習問題】赤のテープが75cm、青のテープが60cmあります。
赤と青のテープの長さの比をかきましょう。
解答は「75:60」になるでしょう。(*ここではまだ「比を簡単にする」は学習していないので、「5:4」にはしません。)
練習問題の後に、
【学びを生かそう】身のまわりから、比が使われているところをみつけましょう。
となり、めんつゆ瓶に記載してある「水との割合」「めんかけつゆは、1:3」などのように児童から生活に使われている比について聞き出し、学びの日常化=「学びのリアリティ」を図って学習の終了となります。

教科書会社では、問題に提示する数値に至るまで微に入り細を穿った表示を研究しています。たとえば、1年生の繰り下がりのある引き算の最初は、「13-9」となっています。これは私の知る限り約50年変わっていない提示数値になります。なぜ引かれる数(被減数)が「13」なのか、なぜ引く数(減数)が「9」でなければならないのか、そこまで研究しつくされて提示されています。
授業を構成するにあたって、単元全体さらには1年間の学習全体を見通した上で、教科書がどのような配列になっているのかを理解した上で、自分はどう指導していくかというのが腕の見せ所となります。それが教材研究であり時間がかかることになります。教師である以上、そこに十分な時間をかけることが大切となりますから、そのために時間を確保することが課題となります。その他の事務業務に追われることが多くなってきた現場では、この時間の確保はなかなか難しくなっているようです。
次回は、教科書の単元構成について、もう少し深掘りしてみたいと思います。
2026.03.11
星野道夫著『旅をする木』より
-海流-
1839年4月のある朝、水平線から山のような何かが浮かび上がってきた。長者丸の船乗りたちは立つこともできない(長い漂流で衰弱した)まま、乗船してくる異人たちと対面をしなければならなかった。江戸時代と世界が、言葉も交わせぬまま向き合ったのだ。…
しかし、長者丸の漂流記の中でぼくがもっとも魅かれるのは、次郎吉の存在でも、見聞録でもなかった。それは、長者丸を日本から引き離し、北太平洋への運んでいった黒潮である。…
以前、クリンギット族の友人がふともらした、忘れられない言葉がある。「おれたちには日本人の血が混じっているかもしれない。そんなことを想像させる口承伝説があるんだよ」…
一日の仕事が終わり、夕暮れ時になると、人々は海岸を散歩しながら浜辺に打ち上げられた漂流物を見つけるのが楽しみだと言う。彼らが捜しているのは、ただのがらくたではなく、遠い世界から流れてくる不思議な漂流物である。…
雨が本降りになってきた。…ぼくは身体を濡らす雨の中に、遠き異国から絶え間なく流れ続けてくる、暖かな海流の気配を感じていた。
私もよく海に出かけるので、いろいろな漂流物に出会います。海流の黒潮は途方もない距離を移動していることが星野さんの文章でも分かります。それは、江戸時代のことだけではなく、きっと太古より船で移動することを覚えた日本人に起こりうる災い、試練だったのかもしれません。
長々と私の好きな星野道夫さんの文章を載せたのは、東日本大震災での漂流について私なりに想いがあることに触れたかったからです。震災から15年が経過した本日の時点で行方不明者は2519人とのことでした。震災当時、現地アラスカでも時間の経過に合わせて、明らかに日本からの漂流物と思われるものが流れ着いたとの記事をよく見ました。東日本大震災より11年前に私はアラスカを訪れていたので、震災漂流物がアラスカに来ているというニュースを見た時、アラスカの海岸線を思い出しながらあの海岸にも何か流れ着いているのだろうかとやるせない思いでいました。
その後、震災から12年経過した2023年にもう一度アラスカを訪れました。その時海岸は訪れなかったのですが、ゲストハウスのオーナーからは「東日本大震災はひどかったね。日本は大変だったね。」と言葉をかけられました。そのオーナー夫妻は、阪神淡路大震災の時には、ボランティアとして日本に来られていたのです。
日本とアラスカは古来、海流でつながる縁があり、それは現代にも脈々と受け継がれている地球の営みなのだと思います。通信の発達した現代社会においては、漂着した人がもう二度と故郷に戻れない運命を受け入れながら見知らぬ土地の人々と一緒に生きていくことを覚悟したなどということは考えにくいと思います。それでも、一縷の望みを託して行方不明者がどこかで生きていてはくれまいかと祈る気持ちはこれからも続くのでしょう。私は15年経っても当時の惨劇は忘ませんし、防災・減災に個人レベルで努力することで、人生を変えられてしまった方々の魂に報いようと努力しているところです。東日本大震災から15年になり、さらにその間、能登半島地震も発生してしまいました。それでも避難所、避難設備対策が100%でない自治体が多いと聞くと残念でなりません。少なくとも個人では防災・減災の高い意識を維持しながら、やがて来るであろう南海トラフ地震やその他の自然災害に備えたいと思います。
東日本大震災の16年前、1995年(阪神淡路大震災の年)に刊行された星野さんの『旅をする木』にある、海流によって人生を翻弄される日本人の話を現代に重ねて、それが震災を想う追悼へ昇華した本日でした。

『知られざる最初の家族』アラスカ・フェアバンクス
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