Hyuga City Career Education Support Center
2026.03.17
ミラノ・コルティナパラリンピックは閉会しました。競技はご覧になったでしょうか。パラアルペンスキー女子スーパー大回転(座位)で銀メダルを獲得した村岡桃佳選手が、度重なるけがを乗り越えて4度目の冬季パラリンピック出場を果たしたことはニュースでも大きく報道され、日本に歓喜をもたらしました。
私は休みの日に「クロスカントリー男子10kmクラシカル立位」の放送を見ました。この競技の面白さと強靭な肉体や精神まで感じ取ることができ大変感動しました。この種目には、日本の川除大輝、新田佳浩、岩本啓吾、佐藤圭一の4選手が出場し、川除選手が最高の4位でした。説明するまでもないのですが、彼は、北京大会時は20kmで優勝し、冬季パラ日本最年金メダル少記録保持者です。

クロスカントリーの選手区分は15クラスにもおよび、複雑で私もよく分かっていないのですが、川除選手はLM5/7というクラスのようでした。ストックを持たずに腕の振りだけで加速する独特の技術を磨いて、上り坂で他の選手を追い抜いていく姿には胸が熱くなります。
大会そのものは、ほかのクラスの選手も同時に競技するため、障害の程度がまったく異なる中での順位争いとなるので、ハラハラドキドキしたり、そのクラスでの現在の順位をテレビの表示で確認したりして、見る側もとても緊張します。
同じクロスカントリーの女子の部で出場した阿部友里香選手は、妊娠、出産を挟んでの大会出場となり、そのエネルギーはどこでどう調整しているのか信じられないパワーだと恐れ入りました。

パラサポWEBより
本人は御主人や娘さんに対し、「パラリンピックという特別なところで滑っている姿を見せられたのは良かったと思いますし、(娘は)覚えていないかもしれませんが、将来写真を見返したときに伝えられたらいいなと思います」と、強いアスリートとして愛娘への思いを語っていたのが印象的でした。
このほかに、パラリンピック・スノーボードクロスに出場したイタリアのエマヌエル・ペラトナー選手は、過去2回の冬季オリンピックに出場したものの、大けがをしてパラリンピックに転向した選手です。どのようなモチベーションの持ち方、高め方で方向転換できるのか、並の人間では切り替えることすら難しそうです。彼には「どんな出来事の中にも希望を見いだすという人生哲学」があるそうです。これを聞くと、10年前に亡くなったキリスト教カトリック修道女の渡辺和子さんの有名な「置かれた場所で咲きなさい」という言葉を思い出します。
パラリンピックの選手たちは、スポーツに向かう以前に自分の障害と対峙する長い期間を持たなければなりません。自分の心身との葛藤だけでなく、世間という難敵との闘いがあったことだと推測します。それでもなかなかパラアスリートとして開花する人は一握りなのでしょう。その難関を突破してスタート地点まで漕ぎつけた道のりは、単に努力というだけでは見えてこない苦難の遠い時間だったと思われます。
一般には、置かれた場所で咲けないままに散ってしまう人の数が多いのでしょうが、道を変えてまた芽となり咲く努力をするところに生きる価値はありそうな気がします。古代ローマの哲学者であるルキウス・アンナエウス・セネカが「困難だからやろうとしないのではない。やろうとしないから、困難なのだ。」と言うことと共通するものがあるのかもしれません。
岩登りの場合は、岩の弱点を見つけながら登ります。それは逃げているのではなく、全体の何百メートルにもなる巨大岸壁を攻略するために、目の前の一瞬の壁をどうクリア、攻略するかを考えた決断なのです。ですから、目の前の難しい仕事を放りだすのは「逃げ」でしょうが、どうすればうまく解決できるか、自分の力量に照らして判断し、許せる時間内にベターに処理することは「逃げ」とはならないでしょう。ベストならなお更よい結果をもたらすことと思います。
置かれた場所で咲く。難しいですが、トライしてこそ自分に厚みが増すのだと思います。
2026.03.16
今日は中学校の卒業式でした。改めて、歌われる歌詞を読み直してみました。

RADWIMPSの『正解』
恥ずかしながら、本日の富島中学校の卒業式で3年生が想いを込めて歌っているのを聞いて初めてこの曲を知りました。
♬「僕たちが知りたかったのは いつも正解などまだ銀河にもない」
確かに、銀河の中のことですら分からないことが多いです。我々の天の川銀河のお隣250万光年の位置にあるアンドロメダ銀河は、あと40億年くらいで天の川銀河に衝突するとも言われています。しかし、それすら確率が下がってきたとも言われ、分からないことの方が多いのは事実です。
RADWIMPS の公式HPにあるSTAFF DIARYには以下のような言葉がつづられていました。
「赤い暗記シートを真剣な顔でおさえている人を見ると、自分が逃げてしまった世界に、この人は向き合っているのだなという眩しさがある。」
真面目に必死に公式を丸暗記しようともがいている同級生がいたとしても、振り返ってみると、それは本人なりに自分にまっすぐに向き合っていたカッコよさだということに、その時点では気付けない。そんなことも含まれている歌である印象を抱きました。
2曲目に『旅立ちの日に』が演奏されました。
さすがに私もこの曲は知っています。どこかの学校の先生が作った曲だということも知っていましたが、調べてみて詳細が分かりました。今から35年前、埼玉県秩父市の影森中学校の校長小嶋登先生が作詞し、音楽教諭高橋浩美先生が作曲したそうです。その校長先生が退職される時に、合唱で中学校を盛り上げた卒業生の「送る会」で、教師たちによる生徒へのサプライズプレゼントのために作ったそうです。
「自由を駆ける鳥よ ふり返ることもせず」とエールを送り、「飛び立とう 未来信じて」と生徒自身が決意表明を表しているようにも感じました。どの中学校にも、なかなか気持ちが伝わらない生徒に、それでも向き合い続けた先生たちがいることを知っています。教師たちも悩み、苦しみながら、それでも生徒の未来を信じてエールを送り続けています。まだまだ歌い継がれていく曲なのでしょう。
私は、本日の式の最中には目の前にずらりと着席している卒業生を見て、複雑な思いがしました。
「この子たちがこれから出てゆく社会という海はきっと荒波だろう。現在でさえ混沌とした世界になってきて、この日本がどこへ進んでいくのか予測が難しくなっている。私の『責任世代』であった時期にこそ、世の中をよくすることに力を入れなければならなかったのに、安定した日本を君たちに贈れずに申し訳ない。しかし、皆さんは『これから』の時代を生きる。まだ間に合う。まだ変えられる。自ら、自分らしい道を進んで欲しい。」
力強い指揮者の生徒と伴奏者、それに全力で応える卒業生からは、そんな前期高齢者のか弱い反省をものともしない金剛力士のような未来への矜持を受け取りました。
中学時代というのは不安、不安定が先行して当たり前の時期です。私自身を振り返っても、何をしているのかよく分からない時代だったと思います。この子たちが、将来に希望をまったく見いだせないままであれば、尾崎豊の「卒業していったい何解るというのか」と疑問を投げつけられ、それに答えられない大人になりそうです。だからこそ、私自身はもっと今の自分の役割を自覚して、子どもたちが確実に自分のキャリア発達を果たしていけるように勉強し、支援を強化しなければならないと我が身を振り返りながら中学校を後にしました。
保護者の皆様、祖父母の皆様。お子様、お孫様のご卒業を心からお祝い申し上げます。

2026.03.12
今日は小学6年生が使用している算数の教科書「啓林館」の内容について考えてみます。教材という硬い話ですがお付き合いください。

6年生が、おそらく10月に学習済みの単元「比とその利用」について見ていきます。
「オーロラソースを作ろう」 おおっ!いいじゃないでしょうか。何とも気分をそそられるタイトルで。それとも「オーロラ」に反応したのは私だけでしょうか。
さて、その中身の問題です。(テキスト部分の画像がよくないので書きます)
【問題】(オーロラソース2人分)
ケチャップ…小さじ2はい
マヨネーズ…小さじ3ばい
どのような割合でケチャップとマヨネーズを混ぜたといえばよいですか。
さあ、お分かりですか?簡単ですよね。
「マヨネーズはケチャップの1.5倍の割合で、ケチャップはマヨネーズの3分の2倍になる。」でもよいのですが、大人ならすぐに、「2:3」とするでしょう。
そうです。ここで6年生に初めて「比」という割合の概念を教えるのです。
「2:3」を「ケチャップの量とマヨネーズの量の比」という割合だと教えるのです。大人なら簡単なように見えますが、果たして子どもはどうでしょうか。これまで「割合」と言えば、百分率(%)や歩合(割・分・厘)、小数倍、分数倍として学習してきています。そのいずれも、1単位の数で割合を捉えています(60%や3割2分など)。それが、ここで「2:3」という2つの数値を並記することによって割合を表すというのは、順序良く学習を積み重ねてきた6年生にとっては、そう簡単なことではありません。難しいと捉える子もいるはずだ、としっかり構えて教授することが大切なのです。
これ↓は、11年前「算数まとめ」としてノートに6年生が書いたものです。

不鮮明で読みづらいかもしれませんが、「比は分数を使うと簡単に出来た」「砂糖2:小麦粉5で、小麦粉150gの場合、砂糖は2/5と考えると簡単だ」のようにまとめています。
以前の同じ啓林館算数6年の教科書では、比の概念学習の冒頭では「分数倍」から比を扱っていました。つまり「比の値」からでした。
「一方の値から見たもう一方が何倍になっているか」という概念が比の値の考え方になります。正確には、「a:bの比の値はa/b(b分のa)」になります。上の画像の6年生が示した考え方です。したがって、マヨネーズとケチャップの割合で考えると、「ケチャップはマヨネーズの2/3になっている」という2/3が比の値であり、それを以前は比の学習の初めに帰納的に考えさせ、後から「2:3」という割合を比で表すという新しい割合の概念を教える展開でした。私はどちらかというと、後者の順序の方が過去の割合学習からすればスムーズに学習に入れると思っています。
では、なぜ今の教科書は初めから「2:3」という新しい割合の概念を教授するように構成しているのでしょうか。私はすでに現役でなく、現在の算数科の教科書副読本(解説書)を読んでいないので分かりません。解説書と書きましたが、教科書のほかにその教科の教授理論として教科書会社(専門家による)が研究した内容を解説した補助資料があります。分厚く、かなりのエネルギーで読まないと、その深い部分は理解できません。なぜそこにその問題を提示したのかということまで懇切丁寧に解説してあります。現役時代、教科書会社がこの理論的な部分をどのような意図で作成したのかを読むのは好きでした。なるほど、へえ~とか、それでもなぜそう提示する?などと考えながら読んでいました。
戻りましょう。
今回の算数6年教科書における「比」の概念配列は、私の予想なので外れていたらすみません。児童にとって「比の値」という言葉の持つ意味、ニュアンスの方が難しいと考えたのはないでしょうか。さらに、スポーツの試合では対戦相手との得点で「5対3」などという割合表示は、児童が日常的に触れていることを考慮したと思われます。ですから、ケチャップとマヨネーズ量は「2対3」の割合と表すことができる、と割合の新たな表現方法を提示する方がスムーズではないかとの判断で、比の学習の冒頭に持ってきたのではないかと想像します。
そして、その練習となる問題では、以下の問題が教科書にあります。
【練習問題】赤のテープが75cm、青のテープが60cmあります。
赤と青のテープの長さの比をかきましょう。
解答は「75:60」になるでしょう。(*ここではまだ「比を簡単にする」は学習していないので、「5:4」にはしません。)
練習問題の後に、
【学びを生かそう】身のまわりから、比が使われているところをみつけましょう。
となり、めんつゆ瓶に記載してある「水との割合」「めんかけつゆは、1:3」などのように児童から生活に使われている比について聞き出し、学びの日常化=「学びのリアリティ」を図って学習の終了となります。

教科書会社では、問題に提示する数値に至るまで微に入り細を穿った表示を研究しています。たとえば、1年生の繰り下がりのある引き算の最初は、「13-9」となっています。これは私の知る限り約50年変わっていない提示数値になります。なぜ引かれる数(被減数)が「13」なのか、なぜ引く数(減数)が「9」でなければならないのか、そこまで研究しつくされて提示されています。
授業を構成するにあたって、単元全体さらには1年間の学習全体を見通した上で、教科書がどのような配列になっているのかを理解した上で、自分はどう指導していくかというのが腕の見せ所となります。それが教材研究であり時間がかかることになります。教師である以上、そこに十分な時間をかけることが大切となりますから、そのために時間を確保することが課題となります。その他の事務業務に追われることが多くなってきた現場では、この時間の確保はなかなか難しくなっているようです。
次回は、教科書の単元構成について、もう少し深掘りしてみたいと思います。
2026.03.11
星野道夫著『旅をする木』より
-海流-
1839年4月のある朝、水平線から山のような何かが浮かび上がってきた。長者丸の船乗りたちは立つこともできない(長い漂流で衰弱した)まま、乗船してくる異人たちと対面をしなければならなかった。江戸時代と世界が、言葉も交わせぬまま向き合ったのだ。…
しかし、長者丸の漂流記の中でぼくがもっとも魅かれるのは、次郎吉の存在でも、見聞録でもなかった。それは、長者丸を日本から引き離し、北太平洋への運んでいった黒潮である。…
以前、クリンギット族の友人がふともらした、忘れられない言葉がある。「おれたちには日本人の血が混じっているかもしれない。そんなことを想像させる口承伝説があるんだよ」…
一日の仕事が終わり、夕暮れ時になると、人々は海岸を散歩しながら浜辺に打ち上げられた漂流物を見つけるのが楽しみだと言う。彼らが捜しているのは、ただのがらくたではなく、遠い世界から流れてくる不思議な漂流物である。…
雨が本降りになってきた。…ぼくは身体を濡らす雨の中に、遠き異国から絶え間なく流れ続けてくる、暖かな海流の気配を感じていた。
私もよく海に出かけるので、いろいろな漂流物に出会います。海流の黒潮は途方もない距離を移動していることが星野さんの文章でも分かります。それは、江戸時代のことだけではなく、きっと太古より船で移動することを覚えた日本人に起こりうる災い、試練だったのかもしれません。
長々と私の好きな星野道夫さんの文章を載せたのは、東日本大震災での漂流について私なりに想いがあることに触れたかったからです。震災から15年が経過した本日の時点で行方不明者は2519人とのことでした。震災当時、現地アラスカでも時間の経過に合わせて、明らかに日本からの漂流物と思われるものが流れ着いたとの記事をよく見ました。東日本大震災より11年前に私はアラスカを訪れていたので、震災漂流物がアラスカに来ているというニュースを見た時、アラスカの海岸線を思い出しながらあの海岸にも何か流れ着いているのだろうかとやるせない思いでいました。
その後、震災から12年経過した2023年にもう一度アラスカを訪れました。その時海岸は訪れなかったのですが、ゲストハウスのオーナーからは「東日本大震災はひどかったね。日本は大変だったね。」と言葉をかけられました。そのオーナー夫妻は、阪神淡路大震災の時には、ボランティアとして日本に来られていたのです。
日本とアラスカは古来、海流でつながる縁があり、それは現代にも脈々と受け継がれている地球の営みなのだと思います。通信の発達した現代社会においては、漂着した人がもう二度と故郷に戻れない運命を受け入れながら見知らぬ土地の人々と一緒に生きていくことを覚悟したなどということは考えにくいと思います。それでも、一縷の望みを託して行方不明者がどこかで生きていてはくれまいかと祈る気持ちはこれからも続くのでしょう。私は15年経っても当時の惨劇は忘ませんし、防災・減災に個人レベルで努力することで、人生を変えられてしまった方々の魂に報いようと努力しているところです。東日本大震災から15年になり、さらにその間、能登半島地震も発生してしまいました。それでも避難所、避難設備対策が100%でない自治体が多いと聞くと残念でなりません。少なくとも個人では防災・減災の高い意識を維持しながら、やがて来るであろう南海トラフ地震やその他の自然災害に備えたいと思います。
東日本大震災の16年前、1995年(阪神淡路大震災の年)に刊行された星野さんの『旅をする木』にある、海流によって人生を翻弄される日本人の話を現代に重ねて、それが震災を想う追悼へ昇華した本日でした。

『知られざる最初の家族』アラスカ・フェアバンクス
2026.03.09

先週末、宮崎からの帰りに西都原古墳群(公園)に寄ってみました。桜にはまだ間があり、菜の花は咲いているだろうと思い、黄色と青の被写体を期待しての寄り道としました。菜の花は一面満開ではなかったのですが、各所に畑単位で満開の場所がありました。また、予想外に水仙の花が綺麗で、紫のホトケノザをバックに春霞の風景を楽しむことができました。

私はこの古墳公園が好きです。レストハウスとなっている「このはな館」でまったりと休憩しながら読書をします。気が付くと約2時間が経っていて、周りを振り向くとお客さんが増えていて、随分長居したもんだと我に返ります。お土産コーナーには、いつも日向でお世話になっている事業所のお菓子も販売しており、活躍されていることが自分事として嬉しくもなりました。
このはな館から出ると、山の会の先輩と出会いました。今から、ここで日課としているウォーキングを始めるそうです。説明していただいたように、この公園は広大な敷地面積を誇り、古墳好きにはたまらない史跡公園となります。また、県立西都原考古博物館が充実していて、しかも無料ですから、これは行く価値が何倍にもなります。今回は行きませんでしたが、過去に学校での引率を含めて何回となくなく訪れている博物館は高台に位置し、この公園全体を見渡すことのできる見晴らしの良い場所に立っています。古代の豪族が、なるほどこの西都原の高台に古墳を構えた理由が分かります。
また、公園全体は、一度では覚えきれない数々の道があり、さきほどの先輩がウォーキングするように、たくさんの方々が自分の好きなルートで歩いたり走ったりしていました。フラットで歩きやすい道が幾重にも続いているので、心地よい天気の日にはもってこいの公園だと思いました。
先輩と別れ、帰るルートを辿っていると、また菜の花の群落を見つけました。畑の反対側に家族連れが集い、その向こうに葉のない夏を待つ樹木、そして霞んだ空と上空の青空。それらがこの季節特有の風景を創出しているようで、シャッターを押す指が心地よかったです。

先日読んだ岡潔著『春宵十話』の中に、「人は壁の中に住んでいるのではなくって、すき間に住んでいるのです。むしろ、すき間でこそ成長するのです。だから大脳を熱するのを短くし、すき間を長くしなければとうてい智力が働くことはできまいと思われます。」とありました。要するに、満ち足りた脳(いつも好物ばかりを食べているような脳)をしていては自己判断という直観力は育たないということを思い出しました。この西都原のような広大な自然の中に身を置き、ボーッとした時間の中で頭を空っぽにする。そんな空白を作ることで、イザというときに鋭い判断力ができるのだと、自分だけのボーッとした時間の言い訳を作ることに成功したのでした。
本日は西都市の公園のコマーシャルをしたつもりはないのですが、全国区ではなくとも宮崎県には素朴で豊かな自然景観がたくさんあると再認識した週末の午後となりました。
2026.03.05
昨日4日、財光寺南小学校6年生によのなか教室を実施いたしました。これまでの「働くことを理解した上で『4つの力』を習得する」よのなか教室ではなく、卒業・進学をテーマにいかに自己を成長させるかという、言わば「生き方」をテーマにした授業です。
日差しは暖かかったのですが、風が少し冷たく、若干早く到着して渡り廊下で日向ぼっこをしようかと思いましたが、通り抜ける風に勝てず、そそくさと校長室にお邪魔しました。
1校時の休み時間に入ったので北校舎3階、6年教室へ向かいました。すれ違うどの学年の児童も元気よく「おはようございます。」と挨拶をしてくれ、気持ちよいスタートになりそうです。
2校時は6年1組になります。今回はまったく違う観点から作ったスライドで盛りだくさんになり不安がありました。小学校を卒業し、ワンステップ大人へ近づくということで、親の思いに触れて欲しいと私自信がよく児童生徒に話してきたことを再現した内容も盛り込みました。

自転車事故による高額賠償事例では数千万円の判決事例が多数出ており、これは中学生になるからということではなく、責任能力は「小学校を終える程度の年齢」であるとの認識は持たなければならないという提示を行いました。そこから、社会においてはルールが色々あることへの焦点化を図りましました。人間が社会を形成していく過程でルールを作っていったのは究極的には幸せ・平和の視点が欠かせなかったという位置づけをしました。それを宇宙形成、そして人類誕生20万年に思いを馳せ、争わなくて済むようにルールがあることを、小学6年生が納得できるように紹介しました。勿論、ルールがあればそれを破る人、大人がいるのも現実であり、そんな混沌とした社会の中で自分の生きる意味を見失わない大人になるということを学習の課題設定としました。

その後、感動ムービーを視聴し「ブレない大人」のイメージをそれぞれが持ち、最後に、中学校で挑戦すること、「4つの力」と関連付けたこれからの自分の生き方、将来の仕事の希望などを繋げて記述するという活動で締めくくることになります。なんだか予定的な歯切れの悪い文章ですが、実は、私の当初の心配通り、時間不足になりました。最後の、今後の生き方宣言の部分が不十分な形で終わり、担任の先生による事後学習に課題を送る形になりました。
3校時に同じ学習内容で6年2組にも実施しました。時間配分はもうどうしようもないことで、ほんの少し急ぎはしましたが、それでも同じ課題が残りました。そんな中での学習にも、児童の皆さんは質問によく反応し自分の意見を述べてくれます。そうやって、他の人がどう考えているのかを聞けるというのは、学びの共有として、ネット学習にはない対面、集団学習の大きな意味になる改めて感じます。授業しながら私は学校が学びの場であることの再認識をすることができました。

課題に関しては、学年では事後学習を4時間程度計画されているので、その点では繋がる学習になったと思いますが、準備に何日もかけ削りに削ってもまだ時間不足ということは、もっと精選しなければならないということです。或いは、2時間構成で計画するなど、事前の計画を練り直す必要があります。卒業するというのは何を卒業することなのか。進学というのはどのような成長が期待できるのか。児童の皆さんが、人生の節目に当たって今まで通りの子どものままではいけない、一段成長しなければならないということを感じ取ってくれたなら嬉しいです。
不安や心配の方が大きい中学生活かもしれませんが、先日会った高鍋高校生のように、財光寺南小学校の6年生は3年後きっと、いい中学生活だったと振り返ってくれると信じます。私にとっても貴重な時間となりました。ありがとうございました。
* 前日の平岩小中学校では「今夜は皆既月食だよ」と宣伝しましたが、財光寺南小の皆さんもかなりの数が皆既月食を楽しんだようです。(私は撮影で4時間外にいて体が冷えてしまいました。)次は2029年1月1日0時07分から。児童生徒の皆さんは、3年後どんな気持ちで皆既月食を迎えるのでしょう。

2026.03.04
全国初の公立小中一貫校は平成18年度に3校誕生しました。東京品川区の日野学園と奈良の田原小中学校、そして、平岩小中学校になります。昨日3日、平岩小中学校に事前学習に向かいました。柱状節理の大きな柱が二本立つ正門から駐車場に入ると、明るく暖かい日差しを受ける正面玄関が待っています。バリアフリーの玄関がウエルカムで気持ちよく入りました。
今回は6年生と7年生(中1)への授業になります。事前学習という位置づけですが、年度終わりなので、次年度につながる「生き方学習」と言ったほうが適切かもしれません。内容は、これまで他校で実施してきたものと同じになります。とは言いましても、毎回反省があるので修正をしています。
初めの1時間は6年生の学級です。総合的な学習の時間の大きなテーマを「地域の人の話から自分の生き方を考えよう」と設定し、この時間のねらいは「エピソードシートから、困難にぶつかった時に人はどのようにして解決していったのかを具体的に読み取るようにする」と設定しました。その中にキャリア教育の視点を設けて「講師(私)の話から身に付ける力を学び、実際に働く人の話から仕事上の苦労ややりがい、人との関わりや課題解決の方法などを学び取る」という位置づけを図りました。
私は、生まれは都城市なのですが、父の転勤の関係で九州内をぐるぐる回り、高校の時に宮崎に来ました。それから教師として採用されたのが日向市になり、なかなかうまく学習や生活支援などができなかったのですが、職場や地域の方に支えられて成長することができました。その辺りの苦労話などを紹介していきます。そうやって私という教員生活を送った「仕事人」の話から基礎練習としてポイントを聞く学習をする訳です。児童の皆さんは「転校」という部分は深刻な問題だと、自分の身に重ねて考えてくれていることが表情から感じ取れました。

次に、現在実際に日向市で仕事をしている方のインタビューから構成したワークシート(エピソードシート)を読み取りながら、同じように、働く際の苦労や働き甲斐(やりがい)、その仕事の社会的役割について学びます。2人の仕事人の話から今度は、自分自身の生きる信念(4つの力)、将来希望する仕事、それに向かって今から頑張ること、これらを考えを「覚悟をもって」記述する。これが事前学習でねらう「生き方宣言」になります。
*4つの力…「人と世の中にかかわる力」「自分を見つめる力」「課題を知り、やりぬく力」「働く希望を見通す力」
6年生からは「○〇になりたいので」今から「○〇できるようにする」などと真剣に考え、力強く記述してくれました。6年生はよく考え、思いを書き、そして自分の考えを発言できる皆さんでした。

このような形で6年生は終了し、次の時間は7年生の教室へ向かいました。学習形態は6年生と同じなのですが、私のこれまでのエピソードは中学生用に若干レベルを上げたプレゼンテーションにしました。また、日向の仕事人のエピソードシートも、中学生用に漢字と文章を増強し、「苦労」や「やりがい」と言った明確な言葉を遣わずとも読み取ってくれそうな表現に留めました。実際、7年生は鋭い読解力で読み取る生徒が多く頼もしい限りでした。

将来希望する仕事についても「4つの力」と関連付けて理由まで記述することができました。「○〇になりたいので」今から「○〇する力をつけていきたい」と決意宣言がしっかりとできました。
*4つの力…中学生用「相手を尊重し、社会を理解する力」「自分を正しく知り、コントロールする力」「課題を見極め、解決の工夫をする力」「働く意義を知り、将来を切り拓く力」
7年生は礼儀正しく、そして初対面の私を温かく迎え入れることのできる気持ちのよい中学生でした。まさに校歌に歌う「質実剛健 もろともに いばらの道を ふみ開」く剛毅朴訥の生徒集団ではないかと思います。時期的に本年度のこの2学年の学習は事前学習だけで終了しますが、次年度に繋がる学習になってくれたら嬉しいです。

小中一貫平岩小中学校は、私が平成14年の平岩小学校時代から在勤していた懐かしい学校です。平成17年の校舎改築を経て、翌年、全国初の公立小中一貫校平岩小中学校開校を迎えました。小学校と中学校の全教育課程を編成し、全職員が小も中も授業をしながらスムーズな成長過程に対し全校一丸となって取り組んだ熱い時期だったと振り返ります。「あれから40年♪」ではなく、あれから20年が経過し、記念行事も行われたと聞いています。校長先生のもと、現在も全職員で児童生徒の健やかな成長を、当時と変わらず地域一体(三力一心)となって取り組んでおられることに大変うれしく感じました。
暖かな潮風が防風林の隙間から吹き寄せ背中を押され、花壇のリビングストンデージーに見送られながら平岩をあとにしました。また、新年度に会いましょう。
2026.03.03
3月1日(日)美々津地区のおひなさん祭りに孫と出かけました。昨年出かけたのは時期が早かったのですが、孫はひな人形がたいそう気に入った様子だったので今年もいそいそと向かいました。
あの小さな美々津地区で駐車場はどうなることかと思いましたが、岸壁に警備の方々が配置され、若干遠くなりましたがスムーズに駐車できました。そこから歩いてメイン会場に戻りました。岸壁の入口にある小さな公園がメイン会場となっています。ここでは一日を通してプログラムが組まれており、ちょうどフラダンスが始まろうとしているところでした。見るのも華やかだし、踊っている皆さんも潮風に包まれての発表でフラのリズムに会場が一体となっているようでした。この小さなメイン会場には所狭しと出店が並び、鼻の前を通過する匂いが食欲をそそります。帰りに寄ることにします。

孫の手を引き、街並みを歩きます。ひな人形が展示してある家にはピンクの幟が立っているのですぐに目に留まります。それぞれの雛人形では異なった顔やしぐさ、装飾品が見られ、巡る楽しみになります。多くの観光客の一人(二人)になって順々に回ります。大変古いお雛様、新しそうと言っても昭和ではないかと思われるもの。その一つ一つに孫も見入ります。昨年から、こういう伝統的なものを目にすると「はい、トントンして。」と言ってきたので、孫はお雛壇を見るたびにパチパチと手を合わせます。何かに対して価値あるものだと認識して合掌することは悪いことではないでしょう。神社の場合ですが、「お願い」をするのではなく、私は○〇をがんばっていきますと、「宣言」をするために参詣するものだと聞いたことがあります。確かに、万来の参詣者にお願い事をされては、神様も身が持たないのは分かる気もします。いつか孫が「なぜひな人形に手を合わせると?」と聞いてきた時には、「そんなもんだ。」で済ませ椎名誠風に切り抜けようと企んでいます。

さて、話がそれた間に、歩行は歩行者天国の端まで進んでしまい、今度はどこかで左折して次の辻に入り込もうとしましたが、孫が拒みます。なぜだろうと、遠くに目をやると猫がいたのです。よくまあ、薄暗い塀壁に上っている猫を見つけられるものだと、視力の良さに感心しながら、その猫もこちらを見ているので、お互い「動物の勘」のバチバチせめぎあいだったのでしょう。というより、あっさり孫の敗北でしょう。そうこうしていると、猫が勝ち名乗りをあげたのか姿を消したので、その方面に向かいました。
美々津地区は伝統的建造物群保存地区に指定されているので、建物全体の色合いが黒色系で統一されています。また、昔からこのような密接した地域では防火対策として、延焼防止のため路地に空き地が設けてあります。ここでは「ツキヌケ」と言うようです。また、固定した縁側は狭い通りの邪魔になるので、折り畳み式の縁台が設置され、それは「バンコ」と言われます。さらに、往時を忍ばせる廻船問屋跡など、私には歩くだけで大変興味深く、歴史的にも意味深い街並みに興味を惹かれていると、孫の手を引いていたとハッと我に返る瞬間がありました。
二番目・三番目(海から2列目・1列目)の辻にもそこここに雛飾りがあり、その都度足を止めては雛壇を鑑賞しました。雛人形の一つ一つに表情があり、それは時代を反映した顔となっているようです。場所によっては、ちりめん細工された「さげもん」や桃の花が飾ってあり、まさに桃の節句に花を添えていました。
一通り街歩きをがんばった孫はメイン会場方面に戻っていき、出店が気になります。手前にも1ブロックの出店場所があり、そこに入りました。スイーツショップの優しいお兄さんから「ハイあげる」とミニたい焼きをいただき、すぐに丸ごと口に運んだ孫は、「おいしい?」の質問に口を膨らませながら頷いていました。思わず、そのお店で団子と大福を購入となりました。孫は得なのか、まんまと乗せられるのか…いずれにしても悪いことではなく、楽しませてもらったので良いことなのでしょう。
メイン会場を立ち去る前に、先日美々津小よのなか教室でお世話になった金丸さんが実行委員をされていたので、ご挨拶をして会場を去りました。駐車したのは海が近い側だったので、車のすぐ後ろの階段を登ると堤防の最上段に出ました。少し風があるのですが、孫の視線からでも目の前のライムグリーンの耳川と右側に白波を輝かせる紺碧の海が見え、「ミュミー」と喜んでいました。(これは「海」なのです。)潮風に吹かれながら、別に手に入れたドーナツを頬張り、暫し、冬去りゆき春の日光を浴びる「爺散歩」の午前を満喫しました。
孫は男の子なのですが雛飾り巡りは、可愛いものは可愛いと思えるのは美的センスの向上にとっても、日本伝統文化の継承の意味でも良いことだと思います。改めて、日本各地のこういう季節伝統文化は引き継がれて欲しいと願います。運営の皆様楽しい一日をありがとうございました。
2026.03.02
「『下山』とは諦めの行動でなく新たな山頂に登る前のプロセスだ」という世界観は、高齢者という部類に属すようになった私自身に迫る言葉となりました。五木寛之氏著書『下山の思想』を以前読み、その当時にも、そろそろ自分も下り坂だなあと感じ、読みふけったことを覚えています。
「…しかし、一方で、朝食は摂るな、という説もでてきた。これはこれで説得力があっておもしろい。一日二食というのは古からの日本人の食生活であった、などと聞くと、やはりそうか、と納得する。…」
「…メダボは危険だ、と一般にいわれている。しかし、血圧の標準値が年ごとに変動してきたように、万人にあてはまる健康のバロメーターなど本当にあるのか。人間は呆れるほど一様ではない。人それぞれに自分だけの数値をもっているのだ。…」
つまり、世の中に氾濫している情報には、いずれもバイアスがかかっていて、その根拠は何なのか真に明確な情報源を知る由もない訳です。であるからこそ、自ら積極的に情報を取りに行かねば、自分に適切な行動の方向性は保たれないことだと理解できます。
「煩悩とは何か。親鸞はわかりやすくそれを説明している。煩悩とは、『身のわずらい、心のさわり』のことであるという。…四百四病は生まれながらにして人の身にそなわる、という禅の考え方はすこぶる現実的だ。私はそれらの煩悩を捨て去る道より、それを背おったまま浄土を信じる立場のほうに親しみを感じてしまう。」
五木さんは、深く仏教に関する研究もされているので、仏教徒でありながら八百万の神に迎合している私などは、五木さんの文章から得る世界観も多くあります。上記のように、煩悩は捨てることに力を注がず、背負い共に生きていくことで良いのだと言われると肩の荷が下りる思いもします。
『下山の思想』の冒頭で五木さんはこう言われます。「朝日にかしわ手を打つのが神道で、西方の空に沈む夕日に合掌するのが仏教である。…日は、いやいや沈むわけではない。堂々と西の空に沈んでゆくのだ。それは意識的に『下山』をめざす立場と似ている。」
だからこそ、「のびやかに、明るく下山していくというのが、今の私の、いつわらざる心境である。」と、高齢者が自信をもって、山を意気揚々と下っていけばよいと示唆され、エールを送られた気がします。
氏の別著『運命の足音』では、終戦後に北朝鮮から壮絶な帰還をする話が書かれています。長年書けなかった、そこで起こった母の死と対峙した五木さんだからこそ、今の日本社会の中では「皆ゆっくりと下山すればよい」と言われている気がします。ここで言う「ゆっくり」と「のんびり」は違う意味ですが、「分かっていることはほんの一部」だと肝に銘じ、自分で情報を掴みに行く。さらに、人の欠点こそ認め合う寛容さを持ち合わせる信念。そういうことが必要なのだと、五木さんの本から感じさせられます。
昨日、二千メートル以下の冬山でも使用できる登山靴を修理に出しました。ソールの経年劣化による修理になります。出来上がりまで2,3カ月かかりますが、この登山靴が最後の相棒となるでしょう。この靴と共に、ゆっくり意気揚々と下山に掛かることにします。
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