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2026.03.30
表題の本は文字通り、山岳遭難の教訓のための技術本になります。ですから、過去の遭難事例を事実に即して記述してあるものです。
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エベレスト(英語)チョモランマ(チベット語)サガルマータ(ネパール語)
ジョージ・マロリーはご存知でしょうか。1924年6月8日に、同じイギリスの登山家アンドリュー・アーヴィンと共に、エベレストで消息を絶った登山家です。「そこに山があるから」という言葉の人というならご存じでしょう。実際には「Because it's there.」と発言していて、エベレストの記者会見ですから「エベレストがそこにあるから。」の方が意味はより近いと思いますが・・・。1999年に、そのマロリーの遺体が8100m地点で発見されました。この本の中で発見時の画像が紹介されています。あまりにも生々しいので紹介するのはやめておきます。記述だけすれば、うつ伏せで背中の肌が露出しているのですが、75年経過したその背中がなんと綺麗なことか。真っ白でツルツルなんです。私は恐怖より、その肌の白さに驚きました。
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ジョージ・マロリー
また、相棒のアーヴィンの遺体らしきものが、2024年にエベレストで発見されました。片方の古い登山靴とそれに繋がった靴下です。靴下には「アーヴィン」の文字が縫い付けられていました。しかし、マロリーの遺体の傍にも、アーヴィンの体の付近にもコダック製のカメラは見つかりませんでした。つまり、見つかればフィルムに登頂シーンが写っている可能性があるのです。未だに、二人が登頂した後に遭難したのか、登頂していないのかは登山界最大の謎の一つになっています。
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アンドリュー・アーヴィン
二人が遭難したのはエベレストの頂上から約240メートル下の地点だと言われています。一体そこで何があったのでしょうか。生死を分けたものは何だったのでしょうか。
北極圏を犬橇(ぞり)縦断するなどの極地探検家の角幡雄介氏は著書で「死の余白」と書いています。冒険家、探検家、登山家などは、「猛烈な吹雪や大雪などの悪条件に苦しめられて、死の危険をひしひしと感じながら、そのなかで技術と経験を総動員して危機を乗り越えられ何とか成功を勝ち取ると、そのときはただの成功以上の満足感があり、すごい冒険をしたという思いに震える。」しかし時間が経つと、「すべてのエネルギーを使い切るほどやり切っていたのか」という「完全燃焼ポイントはまだ先にあったのではないか」と、「距離がのこっている」思いに駆られるそうです。「生きている以上、かならず残存する不完全燃焼感、これが<死の余白>である」そうです。
レベルは違いますが、私が冬山で猛吹雪の中登り続けていた時、時折、風の音が何もしなくなり、ただ自分の足だけが右、左と交互に前に少しずつ動いている、この繰り返しだけが下を向く目に入っていました。吹雪でまつ毛が段々と凍りだして目が開かなくなるのですが、なぜか静かなのです。実はこれは危険な状態です。フッと我に返り、「ゴーッ、ガーッ、ザザーッ。」という猛烈な風の音と強烈な吹雪が片方の頬をたたいているのに気づきました。考えるモードになり、ここが撤退地点だと自分に強く言い聞かせて、思い切り180度ターンして下山にかかります。ほかの屈強な登山家からすれば、北アルプスくらいの標高の山のそのような場所で、何を大げさなことを言っているのかと笑われるかもしれませんが、それは、その時の私の生と死の分岐点だったのでしょう。
色々な場所で遭難した人が残念ながら命を落とすことがあるのも、「突っ込んでみよう」「もっとできるかもしれない」と「死の余白」への挑戦にまとわりつかれたからかもしれません。そんな心中を察すると、私はその方々を非難する気にはなれません。
日本の若く有名な登山家が数年前にヒマラヤで単独登山中に亡くなりました。この時も凄い数の批判があったようです。「力量にあっていない」とか「そんなメディアにアピールなんかして」など耳を覆いたくなるほどでした。一番悲しいはずのお父様の記事がありました。「悲しいですが、息子はよく頑張ったと言ってやりたいです。」と。大切なのはそこではないでしょうか。
仏教の話を取り上げる必要はありませんが、「和顔愛語(わがんあいご)」という言葉もあるように、批判的な言動は自他ともにストレスを与える「毒」とみなされるそうです。いわゆる寛容の精神です。自己の信念(人生の目的)に基づく行動を重視し、感情的な否定よりも調和を大切にするそうです。
人生の目標を決めて走っている人に対しては、応援はしても批判をしてはいけないと思っています。命を落としては元も子もありませんが、万が一亡くなったとして、挑戦は称えるべきであり批判することはやめたいです。それがその人の生きる道、その人の生き方であり、自己実現なのですから。しかし、だからこそ、生きているうちは、生と死の分岐点は見極めたいと思っています。山の話のみなならず、「今行くべきか。昼からでもいいのではないか。」とか、いつでも分岐点は存在しています。
本日はコアな話で失礼しました。
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