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2026.03.11
星野道夫著『旅をする木』より
-海流-
1839年4月のある朝、水平線から山のような何かが浮かび上がってきた。長者丸の船乗りたちは立つこともできない(長い漂流で衰弱した)まま、乗船してくる異人たちと対面をしなければならなかった。江戸時代と世界が、言葉も交わせぬまま向き合ったのだ。…
しかし、長者丸の漂流記の中でぼくがもっとも魅かれるのは、次郎吉の存在でも、見聞録でもなかった。それは、長者丸を日本から引き離し、北太平洋への運んでいった黒潮である。…
以前、クリンギット族の友人がふともらした、忘れられない言葉がある。「おれたちには日本人の血が混じっているかもしれない。そんなことを想像させる口承伝説があるんだよ」…
一日の仕事が終わり、夕暮れ時になると、人々は海岸を散歩しながら浜辺に打ち上げられた漂流物を見つけるのが楽しみだと言う。彼らが捜しているのは、ただのがらくたではなく、遠い世界から流れてくる不思議な漂流物である。…
雨が本降りになってきた。…ぼくは身体を濡らす雨の中に、遠き異国から絶え間なく流れ続けてくる、暖かな海流の気配を感じていた。
私もよく海に出かけるので、いろいろな漂流物に出会います。海流の黒潮は途方もない距離を移動していることが星野さんの文章でも分かります。それは、江戸時代のことだけではなく、きっと太古より船で移動することを覚えた日本人に起こりうる災い、試練だったのかもしれません。
長々と私の好きな星野道夫さんの文章を載せたのは、東日本大震災での漂流について私なりに想いがあることに触れたかったからです。震災から15年が経過した本日の時点で行方不明者は2519人とのことでした。震災当時、現地アラスカでも時間の経過に合わせて、明らかに日本からの漂流物と思われるものが流れ着いたとの記事をよく見ました。東日本大震災より11年前に私はアラスカを訪れていたので、震災漂流物がアラスカに来ているというニュースを見た時、アラスカの海岸線を思い出しながらあの海岸にも何か流れ着いているのだろうかとやるせない思いでいました。
その後、震災から12年経過した2023年にもう一度アラスカを訪れました。その時海岸は訪れなかったのですが、ゲストハウスのオーナーからは「東日本大震災はひどかったね。日本は大変だったね。」と言葉をかけられました。そのオーナー夫妻は、阪神淡路大震災の時には、ボランティアとして日本に来られていたのです。
日本とアラスカは古来、海流でつながる縁があり、それは現代にも脈々と受け継がれている地球の営みなのだと思います。通信の発達した現代社会においては、漂着した人がもう二度と故郷に戻れない運命を受け入れながら見知らぬ土地の人々と一緒に生きていくことを覚悟したなどということは考えにくいと思います。それでも、一縷の望みを託して行方不明者がどこかで生きていてはくれまいかと祈る気持ちはこれからも続くのでしょう。私は15年経っても当時の惨劇は忘ませんし、防災・減災に個人レベルで努力することで、人生を変えられてしまった方々の魂に報いようと努力しているところです。東日本大震災から15年になり、さらにその間、能登半島地震も発生してしまいました。それでも避難所、避難設備対策が100%でない自治体が多いと聞くと残念でなりません。少なくとも個人では防災・減災の高い意識を維持しながら、やがて来るであろう南海トラフ地震やその他の自然災害に備えたいと思います。
東日本大震災の16年前、1995年(阪神淡路大震災の年)に刊行された星野さんの『旅をする木』にある、海流によって人生を翻弄される日本人の話を現代に重ねて、それが震災を想う追悼へ昇華した本日でした。

『知られざる最初の家族』アラスカ・フェアバンクス
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