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2026.03.02
「『下山』とは諦めの行動でなく新たな山頂に登る前のプロセスだ」という世界観は、高齢者という部類に属すようになった私自身に迫る言葉となりました。五木寛之氏著書『下山の思想』を以前読み、その当時にも、そろそろ自分も下り坂だなあと感じ、読みふけったことを覚えています。
「…しかし、一方で、朝食は摂るな、という説もでてきた。これはこれで説得力があっておもしろい。一日二食というのは古からの日本人の食生活であった、などと聞くと、やはりそうか、と納得する。…」
「…メダボは危険だ、と一般にいわれている。しかし、血圧の標準値が年ごとに変動してきたように、万人にあてはまる健康のバロメーターなど本当にあるのか。人間は呆れるほど一様ではない。人それぞれに自分だけの数値をもっているのだ。…」
つまり、世の中に氾濫している情報には、いずれもバイアスがかかっていて、その根拠は何なのか真に明確な情報源を知る由もない訳です。であるからこそ、自ら積極的に情報を取りに行かねば、自分に適切な行動の方向性は保たれないことだと理解できます。
「煩悩とは何か。親鸞はわかりやすくそれを説明している。煩悩とは、『身のわずらい、心のさわり』のことであるという。…四百四病は生まれながらにして人の身にそなわる、という禅の考え方はすこぶる現実的だ。私はそれらの煩悩を捨て去る道より、それを背おったまま浄土を信じる立場のほうに親しみを感じてしまう。」
五木さんは、深く仏教に関する研究もされているので、仏教徒でありながら八百万の神に迎合している私などは、五木さんの文章から得る世界観も多くあります。上記のように、煩悩は捨てることに力を注がず、背負い共に生きていくことで良いのだと言われると肩の荷が下りる思いもします。
『下山の思想』の冒頭で五木さんはこう言われます。「朝日にかしわ手を打つのが神道で、西方の空に沈む夕日に合掌するのが仏教である。…日は、いやいや沈むわけではない。堂々と西の空に沈んでゆくのだ。それは意識的に『下山』をめざす立場と似ている。」
だからこそ、「のびやかに、明るく下山していくというのが、今の私の、いつわらざる心境である。」と、高齢者が自信をもって、山を意気揚々と下っていけばよいと示唆され、エールを送られた気がします。
氏の別著『運命の足音』では、終戦後に北朝鮮から壮絶な帰還をする話が書かれています。長年書けなかった、そこで起こった母の死と対峙した五木さんだからこそ、今の日本社会の中では「皆ゆっくりと下山すればよい」と言われている気がします。ここで言う「ゆっくり」と「のんびり」は違う意味ですが、「分かっていることはほんの一部」だと肝に銘じ、自分で情報を掴みに行く。さらに、人の欠点こそ認め合う寛容さを持ち合わせる信念。そういうことが必要なのだと、五木さんの本から感じさせられます。
昨日、二千メートル以下の冬山でも使用できる登山靴を修理に出しました。ソールの経年劣化による修理になります。出来上がりまで2,3カ月かかりますが、この登山靴が最後の相棒となるでしょう。この靴と共に、ゆっくり意気揚々と下山に掛かることにします。
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