Hyuga City Career Education Support Center
2026.02.24
「大丈夫、まじめはかっこいいから!」
この叫びで締めくくった中学生のメッセージは、もっと広がってほしい主張です。

先日、小中学生の意見発表会があり、13名が登壇しました。小学生の部の最優秀に輝いた作品では、ピアノに向かう姿勢を日常の練習やスランプになる心情葛藤、そしてそれを乗り越える自分について細かく分析しながら丁寧に表現していました。
冒頭で紹介した中学生の最優秀作品は、「真面目」と言われることへの抵抗感から、なぜ真面目はいけないのかとの疑問が問いになり、学校内での各種行事の中で取り組む姿勢から到達する境地をまとめていました。
政治的な意味ではなく、本当のリベラルというのは、お互いの尊重でしょう。とかく現代は上ろうとする人がいれば足を引っ張る人が出てきます。頑張ろうとすれば、その頑張りを非難する人がいます。一昨日まで行われていたオリンピックだってそうです。メダルを取れなければ批判する。だからなのか選手の中には「すみませんでした。」の謝罪をする人がいます。一体誰に対して謝っているのでしょうか。応援してくれた人に対して申し訳ないという気持ちなのでしょうが、私には、何かしら、この批判的な現代の社会に対して、もっと言えば、「表現の自由」を傘に批判を平気で書き連ねる人たちに対して、予め謝っているようにも聞こえて寂しい感じも受けてしまいます。前回オリンピックに出場していた選手だったとしても4年間また最大の努力をしてきたことは明らかです。その尋常ではない肉体の削り方、甘い物や好物を禁じ、生活のすべてを鍛錬に捧げる4年もの月日がどれほど過酷なのか、想像を絶しても想像しなければならないと思います。その上で出た結果にはリスペクトこそすれ、批判などできるものではないと思っています。
真面目に取り組まなければ代表選手にだってなれるはずがありませんし、真面目にやってもなれない人もいるのが現実です。金メダルを取った人だけが賞賛され、その他の人は何かしらの批判を浴びなければならないのでしょうか。
真面目に取り組むことの価値について、発表会で中学生が述べたように、「真面目はダサくない」し「ガリ勉だっていい」という人それぞれの進み方を尊重できるのが真のリベラルだと思います。ですから、「今オレはギターに夢中で頑張りたい」という子がいれば「頑張って。」とエールを送れる。「体育しか興味ねえんだよ。」と言えば、「じゃあ、ほかの科目で邪魔するのはやめて、体育は頑張って。」と意見は言いながらもその子の方向性を尊重できる。そういう姿勢が個人の人格の尊重ではないかと思います。真面目をからかい否定する風潮が作り上がった集団からは、いじめが無くなることはないでしょう。そしてからかっている側もいつかその反動を受けることになります。そういう社会にしか生きられないので、疑心暗鬼をまとう生活がはびこります。
ここ数年、スノーボードや夏季オリンピックのスケートボードなどで、競技が終わった選手たちが国を問わずたたえ合う様子が映像に映し出され称賛されています。競技の結果に関係なく、果敢に大技に挑んだ選手をリスペクトする文化がスケーボーやスノーボードにあると聞きました。
相手がしたことが社会的に許されないことならともかく、頑張っていることは尊重し、応援できる。そんな学校、社会であれば皆が暮らしやすいのではないかと思います。
意見発表会の「真面目」は、今の日本では「拡散」してほしい一つの生き方に思えるのは「年寄り」だからなのでしょうか。こういう私自身もブログを通して発信しているので、言葉には責任を持たなければならないと姿勢を正す思いです。
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