日向市キャリア教育支援センター ブログ

2025.12.26

とにかく

 1214日(日)の夕方、孫を連れて日向市駅前広場にやってきました。前日のイルミネーション点灯式は雨でしたので、翌日を狙った次第です。ところが点灯はまだで残念でしたが、孫は道路沿いの樹木に巻き付けてあるLEDの灯りに満足した様子でした。今週月曜の夕方、保育園の帰りにもう一度やってきました。またこの日も時間が早かったかと諦めようとしたらすぐに点灯しました。アーチ状になった光のトンネルやキューブ型の秘密基地のような白色LEDのボックスなど、楽しめる灯りの公園に時間を忘れて孫と戯れました。あと少し増えるともっと人も集まるかなと来年以降に期待します。

 

 さて、それはともかく、本日のテーマは「とにかく」のお話です。私の失敗談になります。以前、冬のアラスカを訪れたことはお話しました。その後、3泊目の宿であるゲストハウスのオーナーとメールでやりとりする機会があり、その時のお話になります。

 アメリカ人のオーナーにメールを送る際には英語になります。私は英語は得意ではないので、アプリの翻訳機能を使用しています。ゲストハウスは奥さんの方がオーナーになっていて、その方のFacebookにとても良い内容のコメントが書かれていたのでお世話になった当時を思い出し、彼女に「とにかくあなたたちは親切にしてくれて嬉しかった。」というような内容を書いて翻訳し、そのまま送ってしまいました。通常は、翻訳したあとに一度自分で読んでみてふさわしい表現かどうかを吟味し、良ければメールで送るようにしています。自分で英語表現の正誤を確認するほど英語はできないので、辞書を片手に文脈が相手に伝わるかをよく考えるようにしています。日本語の微妙な言い回しは翻訳機能では十分に訳してくれず、それをストレートに書いてしまうと誤解を招く恐れがあります。

 

「とにかく」は「Anyway」に翻訳されます。「とにかく」は「他のことは後回しにして」というのが日本語の第一の意味なります。英語ではAnywayがそれに当たるようです。私は「『なにしろ』あなたたちは親切にしてくれた」ということが言いたくて強調する意味で使ったのでした。確かに、「とにかく」には、理由や状況を強調する意味が含まれますが、それは第二義的な意味合いになり、「あなたはとにかく優しい人です。」のような使い方をします。その場合にも、会話の中で強調する場合に使用することになるので、いくら相手を褒めたたえるつもりでも、いきなり「とにかく」を使ってはまずかったなと思いました。

 

オーナーが書き込んだFacebookの記事に対して、当時を思い出し感謝の気持ちを伝えたのですが、案の定、彼女からの返信に「あなたがここで何を言ったのかは分からないけど、ウチに来てくれてとても有意義な日々を過ごすことができ、こちらもとても楽しかったわ。」と言ってくれました。この「何を言ったのかは分からないけど」という部分が、まさに、「とにかく=Anyway」の第一義に当たる「何はともあれ」を指していることになります。私は「あたたたちは親切だった」ということしか書いていないのですが、「Anyway」があったために、前に何かを言ったことになっているのです。言い訳ですが、その時は、あちこちに英語のメールで連絡を取りバタバタとしていて、とてもお世話になったオーナーに対して感謝の気持ちを強調して伝えようとし、最上級のつもりで「とにかく」と書き出してしまい、翻訳後に確認をせず送ってしまったのです。この表現は、英語と日本語の使い方の差異というより、私の使用法は日本語でも十分な間違いであるということです。

 

 ここで改めて「とにかく」について調べてみました。意味としては上記のように、「他のことは後回しにして」とか「何はともあれ」が通常の意味で、「いずれにしても」「なにしろ」という強調する意味もあります。後者の場合、「このごろ、とにかく忙しいよ。」という使い方もあり、前の文脈に必ずしも依存しない使い方もできます。それでも、それまでも会話があってこその「とにかく」が妥当な使い方になるので、文脈の中で適切に使用することが大切だと改めて認識しました。

 漢字で書く「兎に角」は、兎には角(つの)がないことから「ありえないもの」を指す仏教用語「亀毛兎角(きもうとかく)」の漢字を当てたものだそうです。もともとは「あれやこれや」を意味する「とにかくに」が変化して「兎に角」と書かれるようになったという説があるそうです。亀にも毛はないのですが、よく見る亀の尻尾の長い毛は絵や飾りとして想像上で描かれているものです。

 

 いずれにしても、まずは日本語を正しく表現し、使い方を間違わないように心掛けなければならないと反省したところでした。「とにかく」と聞けば「明るい安村さん」が出てくるかもしれませんし、古語に興味のある方なら『土佐日記』の結びにある「とまれかうまれ、…」を思い浮かべる方がおられるかもしれません。この言葉一つにも使い方を考える必要が十分にあると分かります。私はブログを書いている以上、言葉の使い方に注意しなければならない立場です。人間の伝達手段として最も相応しいのが対面で話すこと、次に電話、そして手紙と続きます。メールSNS、ライン等)は最も伝わりにくい伝達手段であることを肝に銘じて書いていかなければならないと心しておきます。本年の締めくくりに相応しい内容ではありませんでしたが、我が身を振り返るという意味の話は伝わったでしょうか。英語の使い方につきましては、得意な方や英語の先生が教えていただくと有難いです。お付き合い有難うございました。

 

 

キャリア教育支援センターでの私の務めとしては三カ月ではありましたが、本年も日向市の各事業所の皆様には小中学生を中心としたキャリア教育の推進にご理解とご協力をいただきまして、本当にありがとうございました。事業所の皆様のご理解なくしては、中学生のよのなか挑戦は実現しません。また、子どもたちが将来に希望を持ち、夢を思い描くことを有意義にするために、よのなか教室が有効に実施されなければキャリア教育の推進は不可能です。さらに、各小中学校におきましては、校長先生のご理解のもと、教務主任やキャリア教育担当の先生方が推進リーダーとなっていただき、各学年で計画的によのなか教室を実施していただきまして、本当にありがとうございました。学校は締めの3学期へ向かいます。短い3学期ではありますが、午年のごとくエネルギッシュな一年になりますことをご祈念し、来年もキャリア教育の推進へ向けてご理解とご協力をよろしくお願いいたします。

どうぞ良いお年をお迎えください。

 

日向市キャリア教育支援センター一同

 

 

*昨年、日向市駅前で撮ったイルミネーションです

  

  

 

2025.12.24

名君の影響

藩校の話になります。江戸時代の初期、岡山藩主の池田光政が設立した日本初の「庶民のための学校」閑谷学校は有名ですが、わが宮崎県にも日南や都城、延岡などに藩校は設立されています。その中でも高鍋藩明倫堂は、藩士の子のみならず庶民や農民にも学問は必要だと、第7第藩主秋月種茂公の考えが反映され開かれました。種茂公が名君であったことは有名ですし、その弟で山形の米沢藩第9代藩主となったのが上杉鷹山であることはご存じの通りです。「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」が上杉鷹山の言葉ですね。また、第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディが「日本でいちばん尊敬する人物」としてすぐに鷹山の名前を挙げた逸話もご周知のとおりです。

 

私は山形県米沢市を3年前に訪れました。上杉鷹山の米沢藩はどういう所なのか、今も鷹山公の業績は息づいているのか、そういうことを自分の目で見てみたかったのです。事前情報があまりない中で米沢市に向かいました。私は車で移動していたので、まずは道の駅に向かいます。そこのインフォメーションで土地の情報を仕入れることにしました。案内係の方に土地情報を聞いた後、「上杉鷹山は宮崎から来た人だと知っていますか。」と質問してみました。すると、「はい、高鍋の方ですよね。学校で習いました。」との即答に、私は感動するやら余りの浸透ぶりに驚きました。次に、入手した情報をもとに、まずは上杉神社へ行きました。4月の米沢市は春まだ浅く、駐車場の周辺にはうず高くが積み上げられていました。

上杉神社は、米沢城跡に上杉謙信と上杉鷹山を祭神として作られました。正確には、明治の失火により再建された時に上杉鷹山については、境内の松岬神社に分祀されています。正面から一直線に伸びる境内への参道では、背筋をピンと伸ばしてくれるような神聖な空気を感じました。至る所に上杉家の歴史を語る掲示板があり一つ一つ読み入りました。

上杉神社HPより

続いて、神社のすぐ近くにある米沢市上杉博物館に向かいました。私は観光に訪れると必ずこういう歴史資料館や博物館を訪れます。知らないことだらけで自分の中に新たな知的細胞が誕生するようなそんな感覚が好きです。この博物館は名前のように上杉家がこの米沢の地をどのように反映させたかを知るには十分な資料の展示がなされていました。もちろん、上杉鷹山については深く学ぶことができます。鷹山は幼い頃に母親を亡くし、育ての親が祖母でした。その祖母は米沢藩から秋月家へ嫁入りしていました。秋月家の次男である鷹山は祖母から才覚を見いだされていたので、祖母が養子縁組を米沢藩に取り持ったということになるそうです。当時の米沢藩は極度の財政難に陥り、加えて災害や大飢饉などにより民衆は困窮を極めていました。鷹山は財政改革に乗り出し、自らも粥を食べて倹約しました。これらの業績などを示す展示物に見入りすぎて2時間も博物館に滞在したので、外の明るさに目がくらんでしまいました。

 

さて、米沢見物の話は置きまして高鍋藩の話です。名君秋月種茂や上杉鷹山はご存じでしょうが、高鍋藩が江戸時代に軍馬・農耕馬生産のため、宮崎県串間市の都井岬に馬の飼育を手掛けたということはいかがでしょうか。これも高鍋藩による一つの先見の明ということではないかと思います。現在、半野生化して国の天然記念物に指定されています。

秋月種茂公が高鍋藩主になる以前には、東郷町で悪政に耐えかねた村民が村から脱出する逃散一揆がありました。その際、千名以上の村人が山を越え逃げ及んだのが現在の都農東小学校の西側付近で、高鍋藩の管轄になります。高鍋藩は山陰村民をすぐに追い払うことはせず一月以上保護し、延岡藩と折衝をして、最終的には幕府により村民側に立った采配となりました。その結果、山陰村や坪谷村などは幕府の直轄領すなわち天領となった訳です。その後も山陰村民は高鍋藩に対して恩義を忘れなかったそうです。現在の本町幸福神社内に富高陣屋跡の碑があり、細島に出張陣屋が置かれていたのは天領となった影響によるものです。今の都農町は日向市の隣であり、東郷町は日向市となっているので、史実から読み取れる民衆の闘い名君の英断からは、この日向市一帯に流れる人々の熱い思いを感じ取ることができます。

時は種茂公から200年ほど経った江戸末期、維新に揺れる京都寺田屋事件の後、勤王の志士は徹底弾圧されました。その中で、鹿児島へ護送中に日向灘沖で惨殺された3人のうちの一人が海賀宮門(かいがくもん)という秋月藩士で、この3人の遺体が流れ着いたのが「黒田の家臣」という現地では古島(こしま)と呼ばれている場所です。潮の干満で砂洲を歩けるようになる景勝地なのでご存じの方は多いでしょう。この時の遺体を手厚く葬ったのが黒木庄八という細島の方で、この方のお孫さんにあたる黒木ひでさんは、長年伝承者としてご活躍されていました。ご高齢になられた頃に私は細島小にいまして、何回かひでさんに面会し、お話を聞かせていただいたことがあります。

名君秋月種茂公の秋月藩の意志は、高鍋から時代を経て回り回って日向の地へ関係を繋ぐという人の巡りあわせをも感じさせてくれます。それほどの名君であったからこそ、多くの人そして数々の地に影響を与えているということなのだと理解できます。

 

私の仕事が日向から始まったのにも何かの縁があったのでしょう。長く勤めてきた県北への思い入れには並々ならぬものを持ってきたつもりです。歴史的な意味では神武天皇お船出という時代に始まり、上記のような数々の名君や民衆の思いを背負いながら刻んだ歴史を持つこの日向という町に魅力を感じます。私には名君の英知のかけらもありませんが、市内事業所の皆様のお力とスタッフの知力を借りながら、キャリア教育が、一人一人の本人らしい生き方の実現へ向けて良い影響を与えられるように日向市の児童生徒の支援を行っていきたいと改めて思うところです。

2025.12.23

探究学習

  探究学習が必要とされる背景には、AI・情報化の進展、グローバル化、社会の変化の加速により、「正解を覚える」教育から、「自ら問いを立て、課題を発見・解決する力」「主体性」「創造性」「多様な視点」が求められるようになったことがあります。文科省も学習指導要領で「総合的な学習(探究:高校)の時間」を設け、「生きる力」や未来社会を生き抜く力を育むことを目指しています。

 1111日に、ブログで「MAPの原理」~学びにリアリティを~を紹介しました。新聞記事から「浅いレベルの調べ学習で終わっていないか」というテーマでした。現状の探究活動がうまくいかない2つの理由について慶應大の田中茂範氏が「今の日本の探究プログラムの課題はメソッドがないこと」「評価方法が明確でないこと」と言われていることを紹介しました。

生徒が自ら、日常生活や社会生活に目を向け課題を設定するというのは、実は大変難しいことです。児童生徒に、「自分で調べたいことをテーマにしなさい。」と言えば、「なぜ空は青いのか」とか「なぜ空気は存在するのか」と、日常的に自分が常に疑問に思っていることに反する課題(テーマ)を設定する子がいます。つまり、探究学習をすることが目的になってしまっているのです。だから、本やネットで調べれば一定の答えが分かってしまうような課題を設定しがちになります。したがって、今自分は何を疑問に思うのか、何が自分にとって明らかにしたいテーマなのかを問う学習がまず必要となる訳です。そこに至るまでに適切なサポートをしなければ課題は設定できないし、そのまま進んでも「浅いレベルの調べ学習」で終わってしまいかねません。

 

 

本日午前中、中央公民館で行われた日向高校フロンティア科2年生による課題型学習最終発表会に参加してきました。午前中は個人発表で5名の生徒が発表しました。「粘菌」や「睡眠」、「教育」、「大判焼き」、「生理」というカテゴリーでそれぞれが調べた学習を舞台上で堂々とプレゼンしました。テーマ設定の背景や研究の目的、仮説、調査方法、結果、考察と、おおよその研究の流れに沿った発表がありました。そもそもの課題については、本日参加しただけでは、どのような過程を経て設定され、仮説から調査方法の範囲決定などの経緯は見えませんが、自分の興味ある課題を設定したのだということは発表から感じ取れました。それぞれが集めるデータ範囲の妥当性やデータ結果の有意性などへ、今後繋げていけそうな数値結果も見られましたので、今後の研究が楽しみです。

 

 探究学習については、一部の報道などで否定的な内容も見られますが、どんな教育カテゴリーにおいても、その有効性を突き詰めた学習を行えば成果が明確に出てくることは言うまでもありません。「問題解決学習」についてはアメリカの教育学者であるジョン・デューイ1920年代に提唱してから100年が経過しますが、未だに教育現場では「問題解決的な学習」として広く実践されています。完全に児童生徒が課題を設定する探究学習とスタートこそ若干の違いがありますが、子どもが調査研究を進めていくという点では似ています。問題解決的な学習についても長年その長短を言われてきましたが、要は子どもの生きる力となる学習として位置づけられることが重要で、社会に出てこそ意味ある学習だったと評価できるのではないかと思います。むしろ、社会に出た後もさらに学び続ける(リカレント教育やリスキリングなどと言われています)ことこそ、今後の日本では重要になるのでしょう。

 ずいぶん昔から、西洋諸国では、スキルアップしながら転職していくのは当たり前のキャリアアップだと言われていました。実際、私が25年前にカナダからの登山旅行で日本に戻る時に、航空機の隣席にいた外国人から職業年数を聞かれたとき「25年になる。」と答えると「オーマイガッド。」と言われました。彼にとっては、そんなに一か所に長く勤めるなんて、信じられない、ということのようでした。何も転職を勧めている訳ではなく、社会人となってからも学び続けることこそ大切だと言いたいのです。わざわざ私が言わなくとも、日向市内にも仕事の後に勉強されている方も大勢おられるようなので、大丈夫な日本いや日向かもしれません。

 

 昔、日向市内のある小学校でいち早く英会話の学習が導入され、2年生に英会話の授業をALTと一緒にしている時、一人の女の子が「Thank you」の発音に悩んでいました。「『ス』と『サ』の間の音を、舌を引きながら発音する」というようなことをALTの先生に教えられても、2年生にはなかなか無理でした。しかたなく私は助け船を出して、「『ス』の口をして『タ』と言えばいい」と収めようとしたら、その子はとうとう「タンキュウ」になってしまいました。(本当の話)  お後がよろしいようで…。

2025.12.22

三位一体~キャリア教育研修会

 「超人バロム1(ワン)」と聞いてテレビドラマを思い出す方は同年代でしょうか。1972年に放送されていました。原作が、あの「ゴルゴ13」のさいとう・たかを氏です。内容は、2人の少年が腕をクロスさせて正義の超人に変身し、ドルゲ魔人という悪と戦う勧善懲悪ストーリーです。主人公である2人のうち、頭脳は健太郎で、体力が猛ですから超人に変身した後も変身前の自我が残っているため、お互いを信頼できない場合には、バロム1の変身は解けてしまい、信頼が回復するまでは再び変身することはできなくなるという結構深い友情物語でもあります。その時私は福岡県家具の大川市にある小学校の高学年でした。積み上げられた木材の板の上を飛び回り、友達と「バローム・ワン!」と息を合わせて掛け声をかけ、右腕をクロスさせて変身ごっこをするという幼稚ぶりでした。すでに「仮面ライダー」が始まっていたので私たちも飲み込まれ、「バロム1」の息は短いものになりました。

 

 いきなりの子どもドラマ解説で失礼しました。私が三位一体という合体ものの名を聞くと思い出すのが(二位一体ですが)「バロム1」だったということです。日向市の三位一体教育は小中一貫教育、コミュニティ・スクール、キャリア教育の3つを推進するというものです。どれも現在、それぞれの地区で推進されていて成果と課題があると思われます。その中の一つであるキャリア教育を本センターで担わせていただいております。

 さて、先週18日(木)にキャリア教育の研修会が行われました。簡単に紹介いたします。市内各小中学校の教務主任キャリ教育担当者が一堂に会してキャリア教育を要としながら、「どう未来につなげていくか」というテーマで協議がなされました。その前半の時間で私がお話をさせていただきました。キャリア教育が始まった経緯から現在の取組についてのおさらいと日向市のキャリア教育の今後の方向についてお話しました。その後、グループ協議になりました。さすがに、各校のキャリア教育を担うトップリーダーの集まりだけあって、熱心に現状と課題、そして改善策などが話し合われていました。

 具体的には、「よのなか教室」や「よのなか挑戦」の時期をどの位置に設定するかや、よのなか先生の講話を聞く際には視点が重要になる、学習後にはしっかりと自分の生活に落とし込むことが大切、どの学年で何を学ぶかという学年の系統性を明確にする必要があるなど、各校で改善できそうな課題が盛りだくさん出されました。

 後段の部分では、研修会の感想を会場正面に提示されたQRコードで読み取って各自が入力し、それが瞬時に全員に共有されるのですから、最近の研修会は、DXDigital Transformation:デジタル技術でビジネスや生活をより良く変革すること)のためにICTInformation and Communication Technology:情報通信技術)がうまく活用されているなあと、私が浦島太郎であったことを認識させられました。

 各学校の教務主任の先生は、すでに次年度の教育計画の原案づくりに取り掛かっておられます。2月までには次年度の全ての教育計画を職員で検討する必要があり、その資料作りに膨大な時間をかけます。また、それぞれの学校運営協議会にも次年度の教育計画案を提案しなければなりませんので、その労力たるや大変なことで、我が身を思い出します。その計画案づくりの前にこそ、次年度の各校の教育活動に多少なりとも影響を与えるキャリア教育の取組についてこの時期にお話及び協議できたことは意義ある機会になったのではないかと自負しているところです。児童生徒が、職業人の話から自己の生き方を考える「よのなか教室」や、職場での社会体験活動を通して働く意義や自己の生き方を学ぶ「よのなか挑戦」が、学校の授業の中でさらに効果を上げるように私共も益々研究を積み重ねていきたいと思うところです。

 

 私が以前おりました平岩小中学校には、昔から「三力一心の教育」が展開されています。「学力、気力、体力、誠心」を身に付けた児童生徒へ育てるという教育活動があります。この「三つ」という考え方は物理的・心理的な安定性をもっているのでしょう。三角形や三宝、序破急など日本及び世界の建築や伝統文化、ものの考え方などに広く安定的に存在しています。文科省の学習指導要領でも「知識・技能」「思考・判断・表現」「学びに向かう力・人間性」と3段階で評価するようになっています。

 私共、日向市キャリア教育支援センターの活動は、日向市教育の一つではありますが、それは児童生徒の成長にとって人生を左右するといっても良いくらい、一人一人の生き方の実現にかかわる教育ではないかと思います。本人が自分らしい人生を確実に積み重ねていくための重要な教育になるという自覚のもとに、今後も市内の各事業所の皆様のお力をお借りしながら、児童生徒のよりよいキャリアの積み重ねを支援していきたと思います。

 

友情を深い位置づけとするマンガ「バロム1」の話題から三位一体の教育を経て、先週の研修会の報告となった本日のブログでしたが、三位一体と言われて「ゲッターロボ」を思い出す方も多いのでしょうか。私は中学生でしたので、あまり記憶にはありません。マンガから人生観まで、その人によって捉え方が変わる三位一体ですが、各個人においては合体(協力)の幅は2人なのか5人或いは、それ以上なのかそれぞれ変化することでしょう。いずれにしても人の営みにはチームワークが大切、一体的に考えることは重要だということになりそうです。

 

さて、今日は冬至です。ウチの孫は自己療養のため入浴日を決めております。残念ながら本日は入浴日に当たらないため、昨夜、柚子湯に私と一緒に入りました。予め、お向かいさんから頂いた柚子を湯船に浮かべていたのですが、孫は初めて見る柚子がたいそう嬉しかったようで、すぐに匂いを嗅いでいました。後はいつもの通りの暴れ入浴になりましたが…。これから年末にかけて気温は下がり、冬らしくなりそうです。今夜は柚子湯に入って体を温めていただければと思います。

 

2025.12.18

子どもの特性を理解し環境を整える

  

    子を残し先に逝く。どんな思いでしょうか。亡くなる前は胸を引き裂かれる思いばかりではないかと苦しくなります。

  雑誌に、特定非営利法人福祉広場理事長 池添素(いけぞえ もと)氏の話がありましたので紹介します。

   保育について勉強していく中で、保育実習で訪れたある知的障害者施設に、奇しくも父と同じ名前の男の子がいました。男の子は、石でも釘でも地面に落ちているものを何でも拾って食べてしまいます。汚いからだめと伝えても、全くやめてくれません。この時、自分の無力さを痛感すると共に「なぜそんなことをするのかを知りたい。理由を知って何とかしてあげたい!」という思いが沸き上がってきたのでした。なぜそんなことを-?この問いが私の活動の原点であり、いまも子どもの立場になってなぜ?を問う姿勢は一貫しています。(略)

 もう一人、いまも忘れられない子がいます。その子は母子家庭で育ち、お母さんはすごく仕事のできるキャリアウーマンだったのですが、保育園に通い始めた頃から自己主張が強くなり、友達とのトラブルが絶えませんでした。その後、小学一年生から不登校になったのですが、私は「あの子がやることは何でも認めてあげてください」とお母さんにアドバイスしました。(略)その子は海外のオンラインゲームに興味を持つようになり、それを通じて世界中に友達ができ、英語ができるようになったのです。(略)お母さんはわが子に寄り添うために一時仕事を辞め、専業主婦(専業母)になりました。経済的には苦しい状況でしたが、それからその子の状態もだんだん落ち着き、中学生の年齢になる頃、「お母さん、働いていいよ」と言えるまでになりました。ところが、働きに出るようになった矢先に、お母さんにがんが見つかり、闘病の末、四十代の若さで亡くなってしまったのです。

(略)彼は通信制高校で一所懸命に勉強しています。(略)彼がいま前を向いて歩んでいっているのも、きっとお母さんが彼のことを最後まで諦めず信じ続け受け止めた結果だと思います。

  子どもの特性を客観的にしっかりと見極め、「自分で決めさせる」「ひたすら待つ」この二つが大事だと言われますが簡単なことではありません。ここには絶対的な覚悟が必要になります。昨夜テレビで、初めて犬を育てるという番組がありました。犬を育てることで子どもが成長するということが紹介されていました。ペットもその家で一生を終えることになるので家族同然です。生あるものと接するという覚悟が必要になります。覚悟を決めて子どもを育てることは、自分の子どもに責任をもつことになります。子どものペースで継続できる環境を整えながら共に歩む道のりは長いようで短いです。

  「子育ては18歳まで」 これは私が懇談時に保護者によく話した言葉です。18歳を過ぎると、就職や進学で親元を離れる場合が多くなります。もちろん親子の関係は一生続くのですが、直接面倒をみる機会は、18歳を境に激減します。20年ほど前、高校総体が終わった(県大会で敗北)6月に行われる保護者と監督(先生)の慰労会では、飲み会の賑わいはなく沈んでいました。私が近くの保護者に「どうしたんですか?」と聞くと、「もうこれで子どもの応援ができない。」と暗く悲しい表情で答えられていたことが今でも忘れられません。ですから、6年生の保護者に「あと6年で巣立ちますよ。今は少年団や習い事の送迎などで忙しいという思いが先行しているかもしれませんが、6年なんてすぐに来ます。一日一日を大切に、今を頑張りましょう。」と伝えていました。

  親が子どもにできることは、子どものことをよく理解し環境を整えることです。それは親にしかできない価値でもあります。

  必要以上に傍にいて守らなければならない子どもを残して先に逝ったお母さんは、さぞ無念だったことでしょう。この時、母と対面し泣き崩れた少年がその後、前を向いて歩いていく姿をお母さんはどこかで見ていたでしょうか。

  親は、わが子に自分らしい生き方をして欲しいと願うものだと思います。共にがんばりましょう。

親が落としたブドウの種から実ったぶどうの実を子が食べた時、親を思うのでしょうか。

「きつねとぶどう」 生成AIで作成

2025.12.17

決断力

  皆さん、遭難したことはありますか? 私はありませんが、遭難しかかったことはあります。

 昔から冬山に通っていました。北アルプスへ毎年、年末年始の休暇を利用して遠征をしていました。仲間との休みの調整がつくのが年末年始だけだったという理由からで、よく職場の人から「御来光を見に行くのですか?」と言われ、違いますというのも理由を説明するのが面倒で、「はあ。」と気の抜けた答えをしていました。その冬山遠征も歳と共に形を変え、山スキーへと変化して行きました。新田次郎の『孤高の人』のモデルである加藤文太郎は明治から昭和にかけての登山家ですが、当時すでにスキーを履いて山を登下行していたのですから、先達は尊敬します。

 山をスキーで登下行するとはどういうことか。スキーはお分かりでしょうが、スキー板の裏に先端から末端まで毛皮を貼るのです。昔はアザラシの毛をスキー板の幅に加工して長く貼り付けたのでシールseal(アザラシ)と呼んでいます。貼り付ける面の向きで毛が逆立っているので、雪面にしっかりと食いつく訳です。それで、スキー板にシールを貼ると、上りは雪に足が埋没せず(深い時は腰まで潜る)、歩くよりは早く登ることができるのです。現在は化繊のものが主流になり、手入れも乾かすのみで随分楽になっています。スキーで滑る時には、そのままでも、今度は毛が下向きで邪魔しないので滑ることはできますが、さすがに抵抗が大きくスピードは出ません。それで、快適に滑る時には、シールを剥がして下ることになります。

 さて、前置きが長くなりましたが、5年ほど前に、単独で厳冬期の北アルプス「白馬乗鞍岳」へ向かった時のことです。1日目にスキー場のトップからシールを付けて登り始めました。ここは何回か訪れたことがある場所なので、天気が良ければ道に迷う心配はないという自信がある山です。順調に標高を上げて樹林帯をかいくぐって進みました。そろそろ森林限界が来た場所で、樹木の背丈が私より低くなってきます。同時に、それまで樹林帯が風よけになっていたので、抜けると強風がまともに当たり始めました。それでもまだ、山頂まではあと三分の一はあります。そのまま進むとさらに風が強くなってきたので、今日はここら辺りで無理せず引き返そうと判断しました。

 シールを剥いで、来た道に沿って滑り始めました。尾根道でシラビソの樹林もあり、それを避けながらのスキーになるので結構アドベンチャーです。あと500mほど下ると目印になる成城大学の避難小屋に出ると、現在の位置から考えて分かっていました。その小屋から下るとすぐに橋があるのです。つまり沢になっているところがあり、そこへ滑り下りて、大きな林道を、登山者が歩いて掘れた道を使って、まるでボブスレーのように自動運転でスキー場のトップまで戻るということになります。もちろん沢は、冬で雪が多く埋まっているはずです。そういう状況がイメージできたので、成城大学の小屋へわざわざ進まず、現在の尾根の位置から左側つまり沢側の斜面をトラバース(横切る)して橋に直接出た方が近いと判断しました。スーッと斜め直線的に尾根の左下斜面を滑るだけで、5分もすれば橋に出る計算でした。

 トラバースを決断しました。左斜面に入り込み、滑り始めた瞬間、そこら一帯の斜面の雪が一斉に崩れてドドドーッと落ちていきました。もちろん私も流されて落ちました。が、5mほど落ちたところで、スキーを履いた足が木の根っこに引っかかって止まりました。雪のはがれた斜面は、シラビソの樹の絡まった根っこが縦横無尽に走り、それがあらわになってむき出しになっていました。つまりその斜面一帯の雪は、絡まった根っこの上にかぶさっていただけだったのです。私は、その入り組んだ根っこに足が引っかかって止まったということでした。10mほど下を見ると、雪で埋まっているはずのが、所々口をぱっくりと開けていて、水が流れているのが分かりました。暖冬の影響で、その年はあまり雪が積もっていなかったことになります。水深はそこまで深そうには見えなかったのですが、落ちれば間違いなく1分で低体温症になることは間違いありません。そう考えると、ゾーッとしました。

 さあ、ここから脱出しなければなりません。私は、このアンバランスな状態から滑り落ちないように体勢を整えました。次に、片方の手で体が落ちないようにしながら、もう片方の手で緊急用にザックに付けていた細引きのロープカラビナで木の根っこに自分を繋いで自己確保しました。これでまず落ちる心配はありません。その後、別の細引きロープをスキー板のビンディング(スキー靴を固定する器具)に取り付け、これから尾根に這い上がる際に板を落とさないように体に固定しました。次はいよいよ脱出です。50度はあるかという斜面を木の根っこにつかまりながら上がりました。2mほど上がると、今度は雪面になっています。角度は40度ほどに落ちましたが、掴まるところはありません。それで、手を雪面に深く突っ込んでずり落ちないように力を込めて一歩ずつ上がっていきました。それを繰り返していると、角度が完全に落ちてきて尾根上に這い上がることができました。

 疲れ果て極度の緊張感から解放されて、尾根上にへなへなと倒れ込みました。ポットのぬるい温水を飲み、行動食を少し食べて休憩すると元気を取り戻しました。もう少し雪面の状況をしっかり分析、考察して、微妙な変化としてのインシデントを見逃さない観察力が必要だと、深く反省しました。後は、尾根道に忠実に滑って無事下山しました。

 ところがこれには続きがあります。翌日、また同じルートで、今度こそ山頂までと登ったのですが、中間の台地まで来ると、吹雪に見舞われ下ることにし、昨日の教訓から、「左でなく右、右。」ともう一人の自分が言い聞かせているのです。それに素直に従ったら、今度はまったく違う尾根を下っていることに途中で気が付きました。GPSで確認すると一本尾根が違うのです。しかしもう後の祭りです。そこは急斜面でスキーを履いていても膝上まで潜る雪の深さです。もしここで転倒でもしたら、埋没して雪の中から這い上がることは不可能だったでしょう。ましてや転倒でスキーが外れてしまうと、体は頭まで潜ってしまうくらいのサラサラの雪でとても深かったです。

 もう下るしかないと判断しました。というのも、ここを無事クリアし下ると、自然園というとても広い平原(雪原)に出ることが分かっていたからです。ただ、現在地から下は崖のある場所が地形図では読み取れるのでルートは慎重に選ばないといけません。樹林帯の中ですが、木の隙間から吹き込む雪と多少の湿度があるのか、一帯はホワイトアウト化してきました。こうなるともうGPSだのみになります。少し下っては止まって現在地と進行方向をGPSで確認します。それを繰り返して、結果的に自然園の広い雪原に降りることができました。そこもホワイトアウトで10m先が見えない状態です。雪面と空の境界が分からないので気を付けないと酔ってしまいます。慎重に進んで、やっと山荘のある一帯に出て休憩しました。その後林道を進んで無事に帰還することができました。

 2日連続で遭難しかかるなんて本当に情けないと心から反省しました。そして、分岐点となる現場での「決断」がこういう災難に遭遇したのだと、改めて、慎重かつ客観的・科学的に状況を判断し、最後に決断するという一連の過程は、その後の登山のみならず、私の大きな教訓となっています。日本のアウトドアメーカーの創業者辰野勇氏は「決断とは将来を見据えて、今あえて困難な道を選ぶこと」と言っています。この方の経歴たるや凄まじいものがあるので、氏の言葉は重いものだと思われます。挑戦することに関してそう述べられているのだと解釈します。また、『経営と冒険』というタイトルの著書の中での言葉なので、経営者としての観点での話であると理解できます。私の遭難もどきの話に関しては、「困難な道」を選ばないことが「決断」だったのかもしれない、いや逆に、楽をしない方が「困難」であり、その時の通常の「尾根道」がそれに当たるのかもしれないと反省したところです。

 氏が、経営する際に必要と言われる「集中力、持続力、判断力、そして決断力」という一連の思考活動が経験則から身についていることが求められるのでしょう。自然を相手の遊びの際にも、仕事として突き進む際にも、判断力と決断力は、その前の状況分析の上に成り立ち、そして一歩を踏み出す勇気が求められるのだと多角的に考えるこの頃です。

 キャリア教育とどう繋がる話になるのか、あまり考えずに冬山の経験談を書きました。お付き合いありがとうございました。

2025.12.16

自分事

 
  皆さんのところではインフルエンザは迫ってきていますか?もう通り過ぎましたか?市内では猛威をふるっているインフルエンザに戦々恐々とする毎日かもしれません。大学、高校の受験生のいるご家庭では心配なことでしょう。基本的な予防をするしかありませんので、くれぐれもお気を付けください。

 さて本日は、物事を自分事として捉えることについて、朝日新聞eduAという記事がありましたのでお知らせしたいと思います。

福島県・茨城県中学生28人がウォルト・ディズニー・ジャパン社員のアドバイスを受けながらキャラクターや物語を制作するワークショップ8月、東京都内で開かれました。福島県いわき市のチームは、高校受験を控え、サッカー強豪校に進学するか悩む、中学3年生の思いを描く物語を考案。過去のケガや失敗から本当の思いを両親に打ち明けられない主人公を応援するキャラクターとして、クマの妖精「ムタティオ」を生み出した。キャラクターのイラストには生成AIを活用し、スライドや音楽を織り交ぜたプレゼンテーションを使って、自分たちで考えた物語を発表した。同中学3年生は「社員の方から『自分事に置き換えて考えてみて』というアドバイスを受けて、説得力をもった作品に仕上げられた。0から1を生み出すことは難しかったけれど、その経験を将来に生かしたい」と話した。

この記事を紹介したことには理由があります。最後の「自分事に置き換えて考える」という部分は、日向市のキャリア教育で活用する視点と同じだからです。よのなか教室(職業講話)やよのなか挑戦(職場体験学習)には共通する事前学習の視点があります。それは、職場環境の中で他者をどう理解し自分が社会の中に活躍の場を見いだすかという「相手を尊重し社会を理解する力」や、自己を正しく理解し自己管理を行っていく自分を正しく知りコントロールする力」、さらに、自分が克服しなければならない課題にどのように対応していくかという「課題を見極め解決の工夫をする力」、そして、これからのキャリアをどう発展させていくのかという「働く意義を知り将来を切り拓く力」。この4つの力を講話や体験で学び取るように事前指導を行います。

 その講話や体験が終了した時、児童生徒は果たして自分が4つの力を獲得できたのか把握しにくい場合がでてくるので、自分が納得できるように置き換えて考える必要があります。それが「自分の身に置き換えて」という視点になります。それは、「相手をどのように尊重すればよいかや自分は周囲との関りができているか」や、「自分の役割をよく理解することや自分をコントロールするために必要なことは何か」、さらに「現在の自分の課題が分かり、実行していくために必要な工夫」、そして「働く意義とは何か、道を切り拓いて将来を設計するために必要なことは何か」。こうやって4つの視点を「自分事として置き換えて考えてみる」ことで、自分の中にこれから頑張っていくことは何かという「軸」が出来上がると期待しています。

 学校では、教育課程の中に成長のために必要な体験プログラムを様々な行事・学習という形で組み込んでいます。それを面倒くさい行事としか捉えられなければ成長は期待できないでしょう。目の前にある課題(体験活動)を自分事として捉えて成長につながる収穫を得てくる。そういう前向きな捉え方を主体的な活動と呼びます。

 人生は長いようで短い。それを分かっている大人であれば、なお更、子どもたちには充実した人生を送らせたいものです。そう語ってみたところで、今もがき苦しむ流れの中にある子どもたちは、長い旅の途上の真っただ中にいます。私は早く成長してもらいたいと焦るあまり、子どもに大人の価値観を押し付けたように思います。大人の尺度で大人の価値観を振り回したところで、先のことなんて分からない今を生きる子どもたちには響かないことが多いと後になって分かってきました。人生の先輩として子どもに話すことは沢山あるでしょう。大事なことは、その話の内容を子どもが自分事に置き換えて考えてみる時間を作ることだと今は言えます。難しく言えば「内省化」の時間を作ることが大切です。平たく言えば、「どんな意味か考えてみない?」と子どもが振り返る時間を置くことです。そして、数時間あるいは一晩おいて聞いてみることです。「どんげ思った?」と。話しても言うことを聞かない。家のことを手伝わない。これらは、しっかりと本人が自分事として受け止める時間や空間を作っていないことが原因かもしれません。反抗期とよく言いますが、まったく反抗期のない子どもも実際にいます。残念ながら反抗期だと自分で認めている子どもも多くいます。後者の場合、大人が分かりやすく話した内容はほぼ理解しています。自分で反抗期だと認めている以上、受け入れる態度がとれないのです。大人は「子どもは分かってはいるんだ。」と自分を納得させるしかありません。それでも、これからも話を続け、「自分事」として受け止められるような伝え方を心がけていきたいものです。

 まずは、そういう私たち自身が、職場や周囲の人の言うことを自分事として受け止め、考えられる人間であることが、子どもへのアプローチとしては遠くて近い道なのかもしれません。自戒の念を込めて…。

2025.12.15

地域で育てる~FTF(face to face)

 昨日は前夜からの雨が止み、からりと晴れ渡った心地よい空気の中で青島太平洋マラソンが開催されました。ランナーの皆さんお疲れさまでした。また、サッカーではテゲバジャーロ宮崎がアウェイで完勝し見事にJ2昇格を決めました。こちらも大変おめでたいことで、昨日はスポーツに湧いた宮崎となりました。

 

 さて、先週金曜日に日向市の各地域で尽力されている地域コーディネーターの皆さんが一堂に会して本年の取組について協議する会が実施されました。日向市には中学校区を一つの単位として各地区に地域コーディネーターの方々が、それぞれの校区の学校からの要請に応じて人材や事業所を見つけ調整する役を担っておられます。うちのスタッフの一人もコーディネーターを兼務しております。今回は私も地域で子どもを育てる意味合いから参加させていただきました。初めての方もおられましたが、こうやって対面でお話するのはとても良い機会になりました。

 初めに、三樹教育長からは「学校だけで子どもを育てる時代は終わっています。地域一丸となって子どもを育て、また学校も柔軟な教育課程を編成して地域の人材をフルに活用できるようにしていくことが大切です。」とご挨拶をいただきました。

 次に、意見交換の場では各地区から様々な活動が報告されました。「参観の日の懇談時に低学年生の見守りを行っている」「授業補助の必要性から機転を利かして地域との調整をしている」「小中学校のクラスで読み聞かせをしている」「祭りの舞を長年指導している」「ミシン補助をしている」「学有林の活用を掘り起こしからしている」「面接指導に協力している」「よのなか挑戦ではコロナ禍で途絶えていた事業所が喜んで迎えてもらった」など、調整に奔走しておられる様子が見えてきました。

 また、課題として、「中学校区が一つのまとまりであっても小学校区ごとに特色があり、すべて一つにまとまるということの難しさもあるが、何とか皆で地域の子どもたちを育てる意識にもっていきたい」「地域の行事が減少し子どもたちが地域で育つ機会に乏しくなっている」「奉仕作業は学校をきれいにするというより皆で集まって話をし、顔を知るという機会として実施できればよい」「育成会やPTAに不参加の家庭が増えていることが子どもたちへ影響しているのではないかと思われる場面に遭遇することがある」などの切実な状況をお話しいただきました。

学校も行政も保護者も地域も、すべて目指すところは同じで、「子どもの健やかな成長」これ以外の何物でもないはずです。成長に伴い、学力、体力、人間力などが付加されていき、最終的には「人格の完成」を目指すのが教育の役割になります。この場合の教育は、学校だけで行うのではなく、家庭、地域すべてが関わりあって育てていかなければなりません。地域コーディネーターの皆さんは直接学校に寄り添って支援をしていただき、キャリア教育支援センターは地域でカバーできない市内全域での学習活動の支援・サポートを行います。学校はどちらに相談して良いか判断に迷うときは、どちらでも構いません。まずは地域の人材を活用しようと積極的に行動を起こし連絡をいただきたいと思います。地域コーディネーター、キャリア教育支援センター双方で連絡しあい、どちらが関わるのがより適切かを判断して返事をすることができますのでお気軽にご相談ください。地域コーディネーターとキャリア教育支援センター、そして教育委員会は連携しながら子どもたちの健やかな成長を願って歩んで参りたいと思います。地域の皆様、保護者の皆様、事業所の皆様、どうぞご理解とご協力をお願いしたいと思います。


 冒頭で紹介しました青島太平洋マラソンは、視覚障害者マラソン大会が同時開催されています。私も以前は「アオタイ」のランナーとして参加しておりましたが、現在は伴走者として参加しています。今年は10kmの部で東京からの若い選手と共に無事ゴールしましたが、そのすぐ後には一般フルマラソンの選手がもう帰ってきました。1位は2時間20分です。何という超人的な速さです。その後惜しくも2位だったのが門川出身で東京都在住の男性です。以前はこの大会で優勝もしていて、学生時代は箱根駅伝にも出場した努力の人です。数十年ぶりに会い話をしました。彼に写真を送ると、早速自身のFacebookで「地方大会の良さ」を語ってくれていました。人と人がFTFface to faceで話をすることで温かな空気感に変わることはよくあることです。昨日も彼の「時の移ろいを感じますね」という言葉からは、時間の経つ早さと思い出の甦りを懐かしく感じましたが、数々の試練を乗り越えてきた彼の人生を思い浮かべてもいました。人が暮らすその場、その地域FTFと顔を付き合わせて暮らしていけるのは、どんなAIにも負けない人間ならではの価値ではないかと思います。先週の研修協議会そしてマラソン大会と、濃い週末でしたが、それぞれの人がそれぞれの地域で生きていくことの大切さを改めて感じました。長い旅の途上である子どもたちを今いる地域で育てるのは先生である大人の役割だと身を引き締めた週明けの朝でした。

2025.12.11

牧水の里から若人の挑戦~東郷学園若竹分校中学部よのなか教室

  昨日11日(水)、東郷学園若竹分校中学部2年生が(株)黒田工業様を訪問し、よのなか教室が実施されました。初めに、研修室にて会社の概要を映像で紹介していだたきました。宮崎県で一日に一人が排出するごみの量は約1kgすなわちパック牛乳一本分なので相当な量になると驚きました。不燃物を破砕し選別する出る再利用できるものは可燃性残さとして固形燃料に作り変え、不燃性残さのみが埋め立てられるようです。作り上げた固形燃料(RPF)はボイラーの燃料として電気を作ったり、温水風呂の施設の燃料にもなるということでした。

続いて、実際の加工作業場へ案内していただき、ここでベッドのマットレスを100%リサイクルする工程の説明を現物で確認しながら教えていただきました。マットレスのスプリングには2種類あり、スプリングが全体の金具と一体型になっているものは取り外しが楽だが、スプリングが一つ一つ独立してカバーに包んであるものが300個から400個並んでマットレスの中に収めてあるものは大変手間がかかるということが説明でよく分かりました。カバーを剥がしカッターやはさみで切り取る人、見えてきた1個のスプリングを中から取り出す人。この連動した作業の繰り返しで一つのマットレスを分解していくそうです。カバーは可燃性残さとして固形燃料になり、スプリングは再加工してとして生まれ変わるのだそうです。この工程では埋め立てに回るゴミは何一つなくすべて再利用されるというところが、この会社の大きな社会的意義につながるのだと感じました。

 見学後の質疑応答のコーナーでは、中学生の「この仕事をなぜ選びましたか。」の問いに担当者の方は「リサイクルに興味がありました。」と答えられ、「仕事で気を付けていることは。」には「日向市民の施設だから市外からのお客さんに断るのに気を付けている。」さらに、「やり甲斐は?」に対しては「こういう見学で興味をもってもらうのが嬉しい」 と、よのなか教室のねらいに迫る学習を生徒が行ってくれていることが嬉しかったです。今回のこの見学は、生徒たちのキャリア発達に必ず蓄積されるだろうと確信しました。黒田工業様、本当ありがとうございました。

東郷学園若竹分校中学部3年生は、自衛隊宮崎地方協力日向地域事務所様を訪問しました。服装を着用させてもらったり、自衛隊の職務の概要説明、基本的な動作、救急法やロープワークなどを丁寧に説明していただいたようです。

生徒からは、「仕事のやりがいは何ですか」と質問され、「海外での任務の時に、治安や豊かさについて改めて日本の良さを感じたことや災害派遣で被災者から感謝の言葉を頂いたことです。」と答えてくださいました。また、「楽しかったことは何ですか。」の問いには、「同僚との交流(休暇や食事会)や自身の子供のスポーツの応援です。」と。さらに、「人気の食事は何ですか。」には、「カレー。」と即答され、その理由として「自衛隊では訓練や任務で日常生活から離れることが多く曜日の感覚が分からなくなるので、毎週金曜日にはカレーが支給されます。各部隊、艦船ごとに味が違う(沖縄の舞台では黒糖がはいっているなど)ので楽しみです。」と私たちの知らない味の情報までいただきました。最後に講師の先生から「感謝することの大切さ」について中学生に分かりやすく説いてくださいました。「この仕事に就くためには、元気・やる気・我慢・感謝(学校での学びや給食はあたりまえではない)が必要ですと締めくくっていただきました。自衛隊宮崎地方協力日向地域事務所様、本当にありがとうございました。

東郷学園若竹分校中学部1年生は、小春日和の穏やかな日差しの中、東郷まちづくり協議会会長鈴野淺夫様さつま芋畑を訪ねました。鈴野さんの「今年のさつま芋は気候のせいか実入りが良くないとよね。」という心配をよそに、生徒たちは土をかき分けかき分け、沢山のさつま芋を掘り上げて畑に並べていきます。掘ったさつま芋は畑の土がついているので冷たい水で土を洗い流します。細長い芋、曲がった芋、これぞさつま芋!という芋。1つとて同じ形のものはありません。

  その後、鈴野さんご夫婦と一緒にドラム缶を利用した手作りの焼き芋焼き機()にさつま芋を並べていきます。焼き芋が焼きあがるまでの時間を利用して、ご近所の伊藤さんの牛舎まで散策しました。牛舎ではおよそ100頭の牛を飼育されているとのことでした。人懐っこい牛を見学させていただいた後は、畑に戻っていよいよ焼き芋の大試食会の始まりです。自らの手で頑張って掘った芋が美味しくないはずがありません。アッツアツの焼き芋をフーフーしながら、東郷町で栽培されたカモミールで作ったお茶と一緒に美味しくいただきました。 

 質問の時間には、「どんな野菜を作っていますか」「野菜作りで大変なことは何ですか」「この機械はいくらぐらいしますか」と次々に生徒が問い、それに対して一つ一つ丁寧に答えていただいた鈴野さん、奥様、お世話になりました。

 若竹分校中学部の生徒が同時に3か所でよのなか教室に参加できるという貴重な機会を得ることができたのも、各事業所の皆様のご理解とご協力あってのことです。御三方にはご協力いただきまして本当にありがとうございました。

2025.12.10

世は情け、お互い様

 本日は、厳冬期のアラスカ路線バスに乗った日の出来事にお付き合いください。当時の記録(日記)から転用します。

 フェアバンクスの空港からゲストハウスに帰る際に路線バスに乗ってみた。親切な運転手に降車場所から次のバスに乗り継ぐ道順を教えてもらい、なんとかバスを乗り継いだ。そのバスが発車し暫く進むと、次のバス停で私より少し若そうな夫婦なのか男女2名が乗り込んできた。何やら、乗り込んですぐ支払いの件で運転手と交渉している。どうやら「10ドルしか持っていなくて、両替はできないか。」と言っているようだ。バスは一日券が3ドルで一回乗車は2ドルなのだ。運転手は「できない。」という。それなら、「この先のスーパーで下りて両替してくるからその時でいいか。」と男性が食い下がると、運転手は渋々了承したみたいだ。


路線バスの対面座り


2人はこちらに向かって進み私の目の前の席についたが、まだ困ったようで落ち着きのなく、私に「10ドルを両替できないか。」と聞いてきた。私は1ドル札を3枚しか持っていなかったので、「できない。」と言った。が、間をおいて、「いくらいるの?」と聞くと「2ドルだ。」と言う。「じゃあ2ドルあげるよ、使って。」と渡した。すると男性は物凄く感謝して私にお礼を言って、運転手の所へ行くと、「彼がくれた、ハイ。」と支払っていた。
その後10分ほどで私は、降車するスーパー・フレッドマイヤーに着いたので席を立ちあがった。降り際にその男性と女性が凄く感謝し握手して別れた。旅は道ずれ世は情けだ。

冬季で客車3両、ダイニングカー1両


ところが話はここで終わらないのです。

 その2日後、私はフェアバンクスからアンカレッジに向かうためにアラスカ鉄道を利用することにしていた。朝8時から12時間に及ぶ列車の旅は景色が雄大過ぎて飽きることがない。途中では何回か休憩停車をしてくれる。

 列車が2回目の停車駅タルキートナに停まった時だ。乗客が休憩のために降車しようと立ち上がって動き出した。私は最後でいいと思いゆっくり座っていたら、乗客の一人の髭顔の男性が「あの時はありがとう。」と、いきなり言ってきて握手を求めたので応じたがその時は何のことか分かっていなかった。ほとんどの乗客が降車して行ったので、私も立ち上がって動こうとした時に思い出した。一昨日、フェアバンクスのバスの中で2ドルを渡した男性だ。そうか同じ列車に乗っていたのか。
私は降車後、すぐ彼とその隣にいる女性を見つけると、彼に「おおーっ、なんで僕って分かったの?」と話しかけた。なぜなら私は、列車の中で雪景色のあまりの眩しさにサングラスをしていたのだ。すると彼は「なぜかって?忘れないさ、その髭の感じとその顔だよ。」と言って、再会にガッツリとハグをした。いやあ、こんなこともあるもんだ。だから旅は面白い。
アンカレッジ駅に到着しタクシーを待っているときにも彼らと一緒になったので、奥さんの方にどこから来たのか聞いてみると、テキサスと言う。彼の方は笑って、「本当にあの時は感謝している。」と固い握手をし、またいつかどこかで会おうと別れた。

アンカレッジ駅到着

 私の頭の中では、「赤い羽根共同募金」の歌が流れていた。「♪困った時は~ああ、お互い様~・・・」 世界中、人は皆同じ。助け合いの精神は「お互い様」でどこにいても自然に行動できるようでいたい。情けは人の為ならず、自分に帰ってくる。それはこのようにすぐに「この人と出会えて嬉しい」というプレゼントとして何倍にもなり返ってくることもある。そしていつか自分が助けられる。そう期待してはいけない。いや、すでにたくさんの方々に助けてもらっている。

 この出来事を振り返る時、「旅は道連れ世は情け」という言葉も思い浮かべます。一人旅のこの時に道連れはいなかったのですが、「お互い様」の心が世界をぐっと身近に感じさせてくれ温かい気持ちになれることを実感しました。本日は、私自身がしたことの自慢話ではなく、きっと私自身がたくさんの人にお世話になるからこそ、できることは「お互い様」の精神で日常的にしていきたいという思いをお話したかったのです。
つい最近、東北地方では新たな地震に不安がつのることでしょう。それは他人ごとではなく、南海トラフを抱えている私たち九州も同じことです。災害大国日本においては、「共助」すなわち「お互い様」が復旧、復興への近道なのかもしれないと、各地の現場を見てきて思うことです。『私は能登を応援します』のステッカーは私のヘルメットに貼ってあります。お付き合いありがとうございました。

お問い合わせ CONTACT

お気軽にお問い合わせください。
0982-57-3522
受付時間 8:30~17:00

  1. ホーム
  2. 日向市キャリア教育支援センター ブログ