Hyuga City Career Education Support Center
2026.01.19
先週15日(木)財光寺南小学校5年生を対象に、よのなか教室の事前学習を行いました。その前日に富高小学校で行った授業と同じ内容になります。今度は、5年生2学級に1コマずつ授業を行う形態で実施しました。
今回もMFE HIMUKAの黒木猛様の「エピソードシート」(仕事人物語)を活用しました。しかし、対象が5年生なので、シートの内容は5年生用に編集し直したものを使用しました。それでも「仕事上の苦労」や「やりがい」、そして、仕事の「社会的役割」については同様に読み取ってもらいました。5年1組、2組どちらも苦労しながらも鍵となる部分に線を引きながら熱心に読み進めていました。

日向市のキャリア教育で目指す4つの力「相手を尊重し社会を理解する力」「自分を正しく知りコントロールする力」「課題を見極め解決の工夫をする力」「働く意義を知り将来を切り拓く力」を強調し獲得して欲しいと願いながら進めると、子どもたちはその趣旨をしっかりと読み取り、仕事と自分の目指す能力を結び付けて記述することができました。
代表発表では、「看護師になるために、相手のことを尊重できる人を目指したいです。」や「野球選手になるために決めたことをブレずにやっていくようにしたい。」、「保育士になるために人を大事にする。」、「メジャーリーガーになるためにチームワークを意識しながら練習する。」などと発表してくれ、明確な自分像を胸に刻むことができているようでした。

私事ですが、一昨日、学習会があり『デンマークのすごい教育』という本を手に入れることができました。これから紹介する機会があると思いますが、この中から「会話ができるって、なんて豊かなんだろう!」という著者ニールセン北村朋子さんの言葉が印象的だったことに、私が財南小で行った学習での反省を加えてお知らせします。
デンマークではホームパーティがよくあるそうですが、どんな人が集まっても、初対面の人とでも話題に事欠かないそうです。「家族の話、最近読んだ本の話、食べたり飲んだりしたもの、政治、経済、美術、音楽…」ずっと相手と話し続けるそうです。「参加すると決めた以上、能動的に関わっていくことが、暗黙の了解で求められているのです。一期一会を楽しむためには、自分から積極的に会話に加わっていく姿勢が必要になります。」とニールセンさんは言われます。なるほど、そこに居ると決めた以上、自分から関わるのが自分の責任なんだと、改めて痛感させられました。今、学校では対話的で深い学びというものが求められています。私の財南小での授業に関しては、もっと子どもたちが対話できる時間を作り、会話によって学習が成立する喜びというものを実感させていかなければならないと反省したところです。そういう積み重ねが、初対面の人とでも会話を成立させられる大人をつくっていくのだと確信しますが、学校だけでなくご家庭でも、手を止めて子どもの話を聞くという向き合い方をよろしくお願いします。
昨年秋から財光寺南小5年生の学習風景を見てきましたが、学びに向かう姿勢が向上してきている手応えを感じています。それは、校長先生を初め、学年担当の先生方のご指導で一層成長していることの表れであると思います。今回の学習を経て来週、2名の「仕事人による講話」(よのなか教室)が実施されますので、さらに確かな4つの力を獲得してくれると期待しています。たくさんの仕事人と学習する機会を与えてもらっているこの子たちは本当に幸せです。
2026.01.15
昨日14日(水)富高小学校6年生を対象に、よのなか教室の事前学習を行いました。
日向市のキャリア教育では、文科省から示されている4つの力に沿って、それを児童生徒に分かりやすい文言に整理した「相手を尊重し社会を理解する力」「自分を正しく知りコントロールする力」「課題を見極め解決の工夫をする」「働く意義を知り将来を切り拓く力」を学習のねらいとして位置づけています。昨年までも、この4つの力で焦点化を図っておりましたが、さらに児童生徒に分かりやすく文言を整理したものになります。

今回は、MFE HIMUKAの黒木猛様の「エピソードシート」(仕事人物語)を活用して、6年児童に「仕事上の苦労」や「やりがい」、そして、その仕事の「社会的役割」について読み取ってもらうことを学習の入口としました。

次に、4人グループで読み取ったことを話し合い、お互いが、黒木さんの働く苦労や能力をどう吸収したのかを話し合う時間を設けました。友達の読み取りを聞くことによって共感したり違いを発見したりする時間となり、それもまた相手を尊重することに繋がります。

グループで読み取ったことを代表児童に発表してもらいました。面白いですね。「仕事のメリハリ」や「前向きになること」「チャレンジすること」「あきらめないこと」など、実に多くの「能力や態度」が発表され、この学年の子どもたちが、主体的に学習できる集団であることを証明してくれました。

その後は、今後自分(個人)が身に付けていこうとする力を、先ほどの観点から選択し、さらに、これからの自分の生き方を宣言する方向性をワークシートに書き出しました。発表者を募ると、5人の児童が自ら意見を述べてくれました。「友達に優しくしていきたい。」「将来は宇宙飛行士になりたい。」「自分の役割を果たしたい。」「将来は野球選手になりたい。」など、生活の明確な目標と将来の希望が見えてきた時間になったことを嬉しく思いました。
コロナ禍の中で始まった小学校生活の最後を迎えるこの6年生たちは、本当に厳しい時代に生きていると感じます。だからこそ余計に、一人一人が生き抜く力を自分の言葉として胸に収め歩き続ける人生であって欲しいと願わずにはいられません。今回の事前学習を経て、2月初めの「仕事人による講話」では、さらに確かな4つの力を獲得してくれると期待します。
校長先生、教頭先生を初め、学年担当の先生方のご指導で逞しく、爽やかに卒業・進学を迎えるだろうと想像しながら富高小学校を後にしました。保護者の皆様、2月末の発表会は必見です。
2026.01.14
本日はキャリア教育支援センターのホームページについてコマーシャルします。いつもブログをご覧いただいている方々には馴染みのあるページですが、学校関係者で実際に授業を構想する場合に教材を検討する先生方にぜひ使用していただきたいコーナーがあります。
それが「キャリア教育支援センターの機能」というメニューの部分になります。

ここにカーソルを当てると、さらに5つのメニューが表示されます。その中に「教材」という部分がありますので、ここを開くと、小中学校で活用できるワークシートや、事前・事後学習で「基礎的・汎用的能力」を深める仕事人のエピソードシート、そのほか、よのなか先生を呼べない時に授業を実施する動画もあります。

ID、パスワードにつきましては、昨年から各学校に文書で配布しております。また、直接、表記アドレスにお問い合わせいただくと、すぐにお知らせいたします。日向市のキャリア教育の学習実践が「事前学習、本時学習(よのなか教室・よのなか挑戦)、事後学習(まとめ・発表)」の三部構成で「基礎的・汎用的能力」を高めるものと位置付けていますので、ぜひともご活用ください。
2026.01.13
この言葉は、室町時代に能楽を大成した世阿弥が、後継者のために記した芸の伝書の中に登場します。私は文字通りに「始めたばかりの頃」の気持ちを忘れないことだと思っていましたら、それだけではない意味があることを最近知りました。
「三つの初心」という概念が重要で、「是非初心」「時々の初心」「老後の初心」をそれぞれ忘れるなと教えています。これは単に「最初の気持ち」だけでなく、人生の各段階で経験する様々な「初心」の重要性を説いたもので、能楽のみならず、あらゆる芸事や人生全般に通じる深い教えとなっています。
なるほど、その時々に「初心」があり、老後にも初心があるのかと感慨深く感じ入っていましたら、その「初心」という言葉そのものにも意味があると、ある本で高校教師から能楽師になった安田登氏は話されていました。
「『初』という漢字は衣偏に刀と書き、着物をつくる布地に鋏を入れることを表しています。ですから、『初心』は自分の心に鋏を入れる、過去の自分をどんどん切り捨てて変化していけという意味で世阿弥は使っているんです。『老後の初心忘るべからず』とも言っていますから、九十歳、百歳生きている限りは過去の自分を切り捨てていけと。」
人間も常に最新の状態にアップデートせよということなのですね。深いです。私事ですが、新たに仕事を始めると、週末は体の疲労回復のために過ごすようになり山から遠ざかっていました。それで一念発起し先週末に阿蘇山へ向かいました。阿蘇五岳の一つ根子岳です。と言っても東峰の最短コースなのです。冬型の天候の荒れる直前だったので厳しくはないだろうと思っていましたが、登山道には先日の雪が残り、頂上が近づくと強風が激しさを増してきました。山頂はガスで50m先も見えず、想定した朝日を受ける天狗峰(根子岳主峰)の構図の撮影は、自然の前に無残にも砕かれました。風は激しさを増してきたのですぐに下山にかかり、少し下った所の岩陰で休憩しました。寒さに震えながらの休憩でしたが、久しぶりの登山と冬山気分が私を初心に戻してくれたように感じました。これは「老後の初心」に当たるのでしょうか。昔、仲間とクライミングで、根子岳の東峰から西峰、西峰から東峰へと怪我無く縦走できたのは「時々の初心」の賜物だった訳で、それは懐かしく感じられます。

翌11日(日)午前は、孫を連れて市役所へ行きました。日向商工会議所青年部によるYEGフェスが行われていたからです。ミニ動物園でひよこを触るのすらなかなか悪戦苦闘している孫は、今が「是非初心」の段階であり、これから実に多くのことを経験して逞しく育っていくのだろうと期待するばかりです。老婆心ながら、その時々の初心を忘れないようにして成長してもらいたいと願う爺です。

約700年前の室町時代の能楽師(猿楽師)の人生訓は時を経て、令和時代の幼子の生きる指標となってくれるのは日本文化のもつ伝統と進化という不易と流行そのものなのでしょう。私も「老後の初心」を忘れずに精進します。

下山後ソールの経年劣化を発見! 年始から修理とは…、いやはや。
2026.01.08
言葉は流行です。
「音位転換」というものを昔習った記録があります。「新しい」は「 アラタシ」から「アタラシイ」になり、「山茶花」は「サンザカ」から「サザンカ」、「舌鼓」は「シタツヅミ」から「シタヅツミ」、「秋葉原」は「アキバハラ」から「アキハバラ」へと、実に多くの言葉が転換されそのまま定着していったようです。そう言われればそうだなあ、なるほどと頷けます。これは英語にも見られるようです。「three – thirty」では「ri → ir」の変化があり、「tax – task」では「ks → sk」が変化しています。
また、古文における「音便」も変化の一つでしょう。イ音便では、「書きて」が「書いて」に変化し、促音便では、「思ひて」が「思って」に変わってきます。
言葉そのものの変遷としては、「及第点(きゅうだいてん)」= 合格点は、ほとんど遣われなくなってきました。同様に、「細君(さいくん)」= 妻も聞きませんし、「奴(やっこ)さん」= あいつなんて江戸下町育ちでもない限り遣わないのではないでしょうか。
教育界では次期学習指導要領についての議論が盛んになってきました。文科省も情報を次々に公開しています。昨年暮れに行われた教育課程部会・総合的な学習・探究の時間ワーキンググループでは「総合的な学習・探究の時間に関する目標・内容の構造化等について」の資料の中に、「探究学習」や「自己調整」、「国際バカロレア」、「タキソノミー」など新旧交えて鍵となるような言葉が続々と出てきます。こう羅列されるともうお手上げです。我々は、目新しい言葉に振り回されず、かといって毛嫌いをすることなく粛々と受け止めていかなければならないでしょう。
これまでも取り上げている探究学習は、世界各国で(英語表記として)「inquiry-based-learning」と呼ばれ、それぞれの国の課題に応じて重点化されていますが、「論点を理解する」という点に力を入れる意味では各国共通の課題なのかなと感じました。難しいことはさておき、新語ではない「探究学習」については何度も申し上げているように、これから益々重要になってきます。それでも、今一つ掴み切れない分野ではないかと思われるのですが、毎日身の回りに起きている事象について疑問をもつことは探究のスタートであることに間違いないので、そういう子どもの好奇心は育んでいきたいものです。
便所をトイレ、台所をキッチン、居間・茶の間をリビング、えもん掛けをハンガー、さじをスプーン、百貨店をデパート、メリケン粉を小麦粉などは、外来語を交えて呼ぶように置き換わっている現代の言葉になります。一方で、最近の若い人がよく遣う「めっちゃ」などは既に全国制覇している感があります。私は言葉を注視してきましたので、間違っているかもしれませんが、平成6年頃に流行った「同情するなら金をくれ」で有名な「家なき子」で話されるフレーズが大流行し、当時の小学生たちが盛んに「東京語」を話していた記憶があります。以後、一気に若者間で遣われるようになった「めっちゃ」ではないかと思っています。それもまた一つの若者文化なので良しとして、オジサンとしては「てげ」(佐賀人は「ガバイ」)で済ませようと思いながら、流行に振り回されることなく伝え残していける言葉は遣いたいものだと思うこの頃です。(*流行語と方言は混在しながら進化していくものかもしれません。)
壁画も流行があったのか?<ウルル>
2026.01.07
「何のために生まれて 何をして生きるのか。答えられないなんて そんなのは嫌だ。」
ご存じ『アンパンマンのマーチ』の歌詞です。前作のNHK朝ドラでも再び有名になりました。
今改めて自分に問われた時、どう回答するのか考えてしまいます。「何のために生まれて 何をして生きるのか」は、生と死の不合理さを突き詰めていますが、生きる者に対しては自分の生き方を問われているようです。そして「まだ生きているなら価値ある生き方をせよ」と目的を明確に定める意味を問われていると考えました。だからこそ作者は、自分の信じた道を進んだものの、それが一瞬にして生き方を否定された時のどうしようもない失望感に苛(さいな)まれることになります。そこには、生きる意味を答えられなかった本人のジレンマが垣間見え、それが「答えられないのは嫌だ」つまり「だめなんだ。」と生きる意味をきちんと持つことの大切さを言われているのではないでしょうか。
このブログでよく書いていますが、「人生は長いようで短い」です。歌詞でも「時は早く過ぎる」し、希望という「光る星は消える」または、憧れの人もいなくなり「光る星は消える」のかもしれません。星好きとしては、赤くなったベテルギウスが超新星爆発を起こし「光る星は消える」と直訳し、時の流れを宇宙時間的な「速さ」でとらえるのかもしれません。どの立場のどんなとらえ方にしても、人生は思ったより短い、「だから君は行くんだ」ジタバタせずに、前を見て「ほほえんで」なのでしょう。
そうやって、微笑んで歩き始めた時に、「そうだ 嬉しいんだ」と気づくのが、「生きるよろこび」になるのかもしれません。いや、そうなのでしょう。それゆえに、「喜び」は単に喜怒哀楽を表すのではなく、一人一人の人生観を含めて「よろこび」なのかもしれません。私は、のほほんとした生活から、また定時に出勤し一日を終えるという生活に舞い戻りました。初めの2カ月は体が宙に浮いたような錯覚の中で疲労感を蓄積していっていたようです。それでも、毎日スタッフにお世話になりながら、事業所の皆様や各学校の関係者、児童生徒たちとお会いすることで、また違った世界が開けたような高揚感に包まれていることにも気づきました。これは一つの「生きるよろこび」なのかもしれないと実感しました。仕事が見えてくると課題が次々に明らかになります。というより、出てきた課題の上に新たな課題がかぶさり、課題だらけに追い込まれる気分にもなります。それは、やなせさんの体験と比べると遥かに小さいのですが、課題があるからこそ前に進む原動力にもなり希望は見えると信じています。そのことは「たとえ胸の傷が痛んでも」とエールを送られている。そう思うことにします。
今朝のニュースに、サッカー日本代表のDF鈴木淳之介選手が出ていました。彼は、所謂生え抜きではなく、大変苦労した代表選手とのことでした。彼の言葉は印象的です。「サッカーチームでレギュラーになれない期間が長く続いても、自分を見失うことなく続けてやってきた。」と言うのです。若干22歳でこの言葉が言えるというのは、人として「たとえ胸の傷が痛んでも」「生きるよろこび」の炎を絶やさずに一灯を照らし続けたのではないかと、朝から深い感動を覚えた出勤となりました。
やなせたかしさんが、生きていくことの意味を強烈な戦争体験から「ぼくらはみんな生きている」と『手のひらを太陽に』を作り、後に、『アンパンマンのマーチ』に至った流れは、ご本ににとってはごく自然なもののように思えます。「何が君の幸せ 何をしてよろこぶ わからないまま 終わる そんなのは嫌だ」。人間が「生きるよろこび」をもつことの大切さや、これが私の生きる道だと、灯りを灯し続けることの意味を突き付けられている感じがします。心して精進したいと思います。
2026.01.06
このブログでは探究学習について何回か触れてきました。本日は、キャリア教育と総合的な学習の時間における探究学習の関連性についてのお話になります。
キャリア教育と探究学習はイコールではありませんが、キャリア教育の学習手法として探究学習は重要な位置を占めるのは間違いありません。様々なメディアで「探究学習」という言葉を見聞きする機会が増えてきました。中には探究学習の弊害として取り上げているものもあります。これからの時代では、①課題を設定し、②情報を収集し、③それを整理・分析する ④そして、まとめ・発表する という探究学習が教育の重要な位置を占めることになるでしょう。以前、ブログにて、探究学習のメソッドと言う麗澤高校の実践を紹介しました。1 現状を知る 2 物事の捉え方・考え方を学ぶ 3 探究活動のしかたを学ぶ 4 自分の探究(研究)を行う というものです。いかにして解決可能な課題を設定できるかは、探究学習のもっとも重要なスタートとなります。
昨年5月に、文科省の教育課程企画特別部会から出された資料『質の高い探究的な学びの実現』では、総合的な学習の時間において、「各教科等における見方・考え方を総合的に活用して、広範な事象を多様な角度から俯瞰して捉え、実社会・実生活の課題を探究し、自己の生き方を問い続けること」が重要だと提言しています。実際に、学習指導要領には、総合的な学習の時間の目標として「探究的な見方・考え方を働かせ,横断的・総合的な学習を行うことを通して,よりよく課題を解決し,自己の生き方を考えていくための資質・能力を次のとおり育成することを目指す。」と挙げられているので、これはまさにキャリア教育に匹敵する方向性ということになります。つまり、キャリア教育は「特別活動」(学級活動)の時間を中核にしつつ、総合的な学習の時間で探究的な学習を通して、具体的に生き方を考える学習を推進していくものだと言えます。つまり、探究学習の中で立てる「問い」は、より身近な疑問で確実に解決可能な課題を設定しなければ調査を持続することは不可能なのです。学習素材から地域をよく知るということに繋がるため、自ずと「地域を良くしたい」と言う意識が醸成されることを意味しています。自己のキャリアを探究学習によって積み重ねていくという好循環が生まれるのです。「国づくりは人づくり」と言われる核心の部分になるのではないかと思います。
ところが、現在の総合的な学習の時間には直面する課題がいくつかあります。調べ学習で終わってしまうために、情報活用能力や言語能力、そして問題発見・解決能力が他の教科等に十分に生かされていないのではないかということ。また、探究のテーマとしては、職業や福祉、国際理解が多く、ものづくりや科学技術が少ない。さらに、個人の興味・関心が十分に反映されていないということも見られているようです。だからこそ、総合的な学習の時間を中核とした探究的な学びは、自ら課題を設定し、解決に向けて取り組む中で、自己の生き方や在り方を考えていくものとなり、ここがキャリア教育のねらいと一致する訳です。
慶応大学田中氏が研究論文の書き方として紹介している「1テーマを決める 2答えたい問いに変換する 3文献調査をする 4研究計画を立てる 5データを集めて分析する 6論文に仕上げる」という一連の流れを見ても、情報収集に入るまでに多くの時間をかける必要性が分かります。「ゴミ問題を調べたい」はテーマであって「問い」ではありません。「なぜ私の町ではリサイクル率が50%を超えないのか」に変換されたときに初めて「問い」になります。身近な地域の課題に向き合ってこそ疑問が沸き上がってくるのであり、自分事として捉えた時から探究のプロセスが始まることに繋がります。「問い」の詳細については、またほかの機会に回したいと思いますが、身の回りに起きている事象に目を向けテーマから問いに変換し、それらが解決可能かどうかをあらゆる情報の収集によって調査をして初めて研究の計画が立てられるということになります。このプロセスこそ探究学習の成否を決める要因になります。
キャリア教育が総合的な学習の時間の中で多くの時間を使いながら具体的に学習展開されることになりますが、それが十分に機能し効果を上げるためには、学校の体制づくりがもっとも重要になってきます。外部人材を活用する際にはどのような工程を経て、事前学習・本時学習・事後学習を構成すれば効果が上がるのかをご提案したいと思いますので、学校から連絡をいただければ有難いです。
キャリア教育と総合的な学習の時間との関連性についての話は伝わったでしょうか。私も先進的な研究をされている方々からさらに学びたいと思います。授業者の先生にとっては、理論的な難しい部分より実際の学習活動をスムーズに展開したいと思われても構いませんので、当センターをお気軽に活用していただければ幸いです。
2026.01.05
令和8年が明けまして、おめでとうございます。年末から冬らしく寒くなって参りましたが体調の方はいかがでしょうか。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
少し前ですと私は冬山へ出かけ、年をまたいで帰るという生活でした。山男もここまでくると呆れかえる始末になります。年末年始の休暇でしか仲間が揃わないという理由があったので、こうした遠征を行ってきました。主な山域は北アルプスになります。初めの頃は、飛行機で大阪まで行き、JR大阪駅周辺の山道具の店で食料や山道具を仕入れます。当時はまだフリーズドライ食品は宮崎で手に入れることが難しかったし、インターネットも普及していないので、都会に行って新しい製品を手に入れるという形をとっていました。我が山の会には、しっかり者がおりまして、大阪梅田の街(JR大阪駅周辺)にある4軒以上の山の店をくまなく一巡し、その中で最も価格が安いお店でそれぞれの食糧やガス、登山用具を手に入れるという念の入れようでした。その界隈を何周も回るので疲れ果てていきました。最後は阪神百貨店の地下街で食品売り場をまた、ぐるぐると周ります。つまり、入山一日目は持つであろう新鮮な食糧を手に入れようという算段なのです。「食い倒れ」の大阪で、そのど真ん中の百貨店デパチカなので、目にする食品が田舎者の私には宝石のようにキラキラとどれも美味しそうに輝いていました。慎重派山屋は簡単に手を出さず、徹底調査の上、一番安いなものをロックオンすると全員それに飛びつくという、何とも手の込んだ食料調達物語なのです。とっくに日は暮れ疲れた頃に買い物は終了となります。やっと地上に出て、年の瀬押し迫り夜の帳(とばり)が下りる頃、JR大阪駅前の横断歩道を、当時はやった登山用のプラスティックブーツ(スキー靴とほぼ変わらない)をカッポカッポ鳴らしながら歩くので、さすがの都会人からも「ねえ、あの人たちスキー靴履いてるやん。」とちらっと見られたりしていました。
その後、朝荷物を預けた駅の端のコーナーへ行き、大きな60Lのザックをそれぞれが受け取って、購入した食料などをほぼ均等に分配しザックに収めます。それが終わると本当のひと段落となります。朝飛行機で大阪に着き、街をぐるぐると食料や新製品を探しにお店を回り、ぐったりとなってJR大阪駅に戻るという一日の街巡りが終わったのです。それから夜9時過ぎの長野行き夜行列車が出発するまでの時間が、食い倒れの街大阪で味わうほっと一息の時間となりました。と言っても、駅の居酒屋で入山前の前祝をするだけで終わってしまうのでした。すぐ後には、25kgを超えるザックを背負って、駅構内の階段を上り下りして北風の吹くホームへ向かうのですから、酔いも醒めてしまうのでした。
当時まだあった夜行列車(ブルートレイン)は、ゆっくりと北へ向かって走り出します。初めは一両に30名ほど乗っていても、街を過ぎるとすぐに少なくなり、10名ほどしか乗っていないので次第に廃止になるのも仕方のないことです。車内の人が少なくなると、一人でボックス4名席分を陣取ることができるので、明日早朝に北アルプス麓の駅に到着するまでにいかに眠れるかはとても大事になります。ボックス席の隙間にザックを置き、なんとか少しでも体の水平を保てるようにして寝る体勢を整えますが、なかなか寝られません。先輩などは、平気で椅子の下に潜るようにして床に寝ていますから、恐れ入り屋の鬼子母神です。さらに昔の先輩の話を聞くと、列車が登山客で大混雑していた時代には、別の知り合いは列車の荷物を載せる網棚に寝ていて車掌に怒られたそうです。
と、夜行列車の登山旅の話でした。肝心の登山の話には入れませんが、それからブルートレインが全国から次々に姿を消していったことは寂しくなったと思います。歌い手(ミュージシャン)は、昔は一年に1曲を新曲として発表すればよかったのが、もう3~4曲は当たり前の時代になり、CDも発売スピードが速くなって、今やCDすら低迷しデータ配信(サブスク)の時代へと移っています。また、航空機輸送は当たり前で、宮崎ですら呼び込もうとする新幹線という猛スピードの時代へ突入しています。確かにスピードが必要なものはあります。スポーツにもスピードが大切な競技はたくさんありますし、登山だって、雪崩などの危険地帯を通過する際にはスピード通過が命を守る一つの方法になります。しかし、一般生活においては、もっとゆったりと時間を過ごせないものかと、夜行列車の時代を懐かしく思い起こした次第です。
地球自然のローテーションは10万年ごとだと聞いたことがあります。氷河時代のうち8万年が氷期で残り2万年が間氷期となるということです。現代の地球は間氷期にあり、あと1万年後には氷期に入るということらしいです。今は温暖化で苦しんでいますが、あと1万年で寒い時代が来るということです(長いですね…)。地球温暖化は深刻な問題ですが、動物はすでにそれに対応しようと進化の過程に入っているのではないかということをテレビで目の当たりにします。ホッキョクグマは凍らない海での狩りを捨てて川を遡上するサケを狙い、ニューヨーク摩天楼の狭間で狩りをするハヤブサの子育てが珍しくなくなっています。日本の熊が人里で餌を探すようになったのも、自然の変化と無縁ではないでしょう。私たちの文明もあと1万年経ったときに、今度は寒さとの闘いを強いられるようになり、それに太刀打ちできるのでしょうか。現在、温暖化対策に各国は力を入れていきながらも、経済優先でスピードが求められることにエネルギーを費やし、人間もまた進化を求められているのでしょう。
そんな中で、対象とする相手に自然な形で対応を変化させながら柔軟に接していくことができるのは人間がもつ資質ではないでしょうか。速さを求める人がいる一方では、のんびりと過ごす人もいます。中公新書『ゾウの時間ネズミの時間』本川達雄著によると、動物の一生の呼吸回数は約5億回で、心臓の拍動回数は約20億回と決まっていて、ゾウもネズミもほぼ同じということだそうです。ゾウはゆっくり長く呼吸をし長命で、ネズミはせっせと速く呼吸をし短命である訳です。これは人間も同様だと言われています。であればゆっくりと呼吸をした方が長生きをするということになりそうですが、心拍数はそうはいかないので、どんなに呼吸を長くしてもそれだけでは長生きできそうになりません。では、長生きした気になるのはどうでしょうか。それはゆったりと過ごすことしかないかと思えます。飛行機より電車、車より自転車、徒歩…そういう意識や、焦らず何とかなるという気持ちも長寿の秘訣かもしれないと思っているところです。取り立てて人より長生きしたいと思っている訳ではありませんが、皆さん同様、昭和の時代を懐かしんだり、夜行列車に揺られて旅をしていた時代を「古き良き時代」と思うのは、やはり、せかせかと生きている現代への反省から来ているのではないかとも自戒します。せめて気分だけは、のんびりと行きたいと思う年始の抱負でした。「のんびりいこうぜ」天国の野田知佑さんからそんな声が聞こえそうです。…ただし、仕事はしっかり頑張りマス!
2025.12.26
12月14日(日)の夕方、孫を連れて日向市駅前広場にやってきました。前日のイルミネーション点灯式は雨でしたので、翌日を狙った次第です。ところが点灯はまだで残念でしたが、孫は道路沿いの樹木に巻き付けてあるLEDの灯りに満足した様子でした。今週月曜の夕方、保育園の帰りにもう一度やってきました。またこの日も時間が早かったかと諦めようとしたらすぐに点灯しました。アーチ状になった光のトンネルやキューブ型の秘密基地のような白色LEDのボックスなど、楽しめる灯りの公園に時間を忘れて孫と戯れました。あと少し増えるともっと人も集まるかなと来年以降に期待します。
さて、それはともかく、本日のテーマは「とにかく」のお話です。私の失敗談になります。以前、冬のアラスカを訪れたことはお話しました。その後、3泊目の宿であるゲストハウスのオーナーとメールでやりとりする機会があり、その時のお話になります。
アメリカ人のオーナーにメールを送る際には英語になります。私は英語は得意ではないので、アプリの翻訳機能を使用しています。ゲストハウスは奥さんの方がオーナーになっていて、その方のFacebookにとても良い内容のコメントが書かれていたのでお世話になった当時を思い出し、彼女に「とにかくあなたたちは親切にしてくれて嬉しかった。」というような内容を書いて翻訳し、そのまま送ってしまいました。通常は、翻訳したあとに一度自分で読んでみてふさわしい表現かどうかを吟味し、良ければメールで送るようにしています。自分で英語表現の正誤を確認するほど英語はできないので、辞書を片手に文脈が相手に伝わるかをよく考えるようにしています。日本語の微妙な言い回しは翻訳機能では十分に訳してくれず、それをストレートに書いてしまうと誤解を招く恐れがあります。
「とにかく」は「Anyway」に翻訳されます。「とにかく」は「他のことは後回しにして」というのが日本語の第一の意味なります。英語ではAnywayがそれに当たるようです。私は「『なにしろ』あなたたちは親切にしてくれた」ということが言いたくて強調する意味で使ったのでした。確かに、「とにかく」には、理由や状況を強調する意味が含まれますが、それは第二義的な意味合いになり、「あなたはとにかく優しい人です。」のような使い方をします。その場合にも、会話の中で強調する場合に使用することになるので、いくら相手を褒めたたえるつもりでも、いきなり「とにかく」を使ってはまずかったなと思いました。
オーナーが書き込んだFacebookの記事に対して、当時を思い出し感謝の気持ちを伝えたのですが、案の定、彼女からの返信に「あなたがここで何を言ったのかは分からないけど、ウチに来てくれてとても有意義な日々を過ごすことができ、こちらもとても楽しかったわ。」と言ってくれました。この「何を言ったのかは分からないけど」という部分が、まさに、「とにかく=Anyway」の第一義に当たる「何はともあれ」を指していることになります。私は「あたたたちは親切だった」ということしか書いていないのですが、「Anyway」があったために、前に何かを言ったことになっているのです。言い訳ですが、その時は、あちこちに英語のメールで連絡を取りバタバタとしていて、とてもお世話になったオーナーに対して感謝の気持ちを強調して伝えようとし、最上級のつもりで「とにかく」と書き出してしまい、翻訳後に確認をせず送ってしまったのです。この表現は、英語と日本語の使い方の差異というより、私の使用法は日本語でも十分な間違いであるということです。
ここで改めて「とにかく」について調べてみました。意味としては上記のように、「他のことは後回しにして」とか「何はともあれ」が通常の意味で、「いずれにしても」「なにしろ」という強調する意味もあります。後者の場合、「このごろ、とにかく忙しいよ。」という使い方もあり、前の文脈に必ずしも依存しない使い方もできます。それでも、それまでも会話があってこその「とにかく」が妥当な使い方になるので、文脈の中で適切に使用することが大切だと改めて認識しました。
漢字で書く「兎に角」は、兎には角(つの)がないことから「ありえないもの」を指す仏教用語「亀毛兎角(きもうとかく)」の漢字を当てたものだそうです。もともとは「あれやこれや」を意味する「とにかくに」が変化して「兎に角」と書かれるようになったという説があるそうです。亀にも毛はないのですが、よく見る亀の尻尾の長い毛は絵や飾りとして想像上で描かれているものです。
いずれにしても、まずは日本語を正しく表現し、使い方を間違わないように心掛けなければならないと反省したところでした。「とにかく」と聞けば「明るい安村さん」が出てくるかもしれませんし、古語に興味のある方なら『土佐日記』の結びにある「とまれかうまれ、…」を思い浮かべる方がおられるかもしれません。この言葉一つにも使い方を考える必要が十分にあると分かります。私はブログを書いている以上、言葉の使い方に注意しなければならない立場です。人間の伝達手段として最も相応しいのが対面で話すこと、次に電話、そして手紙と続きます。メール(SNS、ライン等)は最も伝わりにくい伝達手段であることを肝に銘じて書いていかなければならないと心しておきます。本年の締めくくりに相応しい内容ではありませんでしたが、我が身を振り返るという意味の話は伝わったでしょうか。英語の使い方につきましては、得意な方や英語の先生が教えていただくと有難いです。お付き合い有難うございました。
キャリア教育支援センターでの私の務めとしては三カ月ではありましたが、本年も日向市の各事業所の皆様には小中学生を中心としたキャリア教育の推進にご理解とご協力をいただきまして、本当にありがとうございました。事業所の皆様のご理解なくしては、中学生のよのなか挑戦は実現しません。また、子どもたちが将来に希望を持ち、夢を思い描くことを有意義にするために、よのなか教室が有効に実施されなければキャリア教育の推進は不可能です。さらに、各小中学校におきましては、校長先生のご理解のもと、教務主任やキャリア教育担当の先生方が推進リーダーとなっていただき、各学年で計画的によのなか教室を実施していただきまして、本当にありがとうございました。学校は締めの3学期へ向かいます。短い3学期ではありますが、午年のごとくエネルギッシュな一年になりますことをご祈念し、来年もキャリア教育の推進へ向けてご理解とご協力をよろしくお願いいたします。
どうぞ良いお年をお迎えください。
日向市キャリア教育支援センター一同
*昨年、日向市駅前で撮ったイルミネーションです

2025.12.24
藩校の話になります。江戸時代の初期、岡山藩主の池田光政が設立した日本初の「庶民のための学校」閑谷学校は有名ですが、わが宮崎県にも日南や都城、延岡などに藩校は設立されています。その中でも高鍋藩の明倫堂は、藩士の子のみならず庶民や農民にも学問は必要だと、第7第藩主秋月種茂公の考えが反映され開かれました。種茂公が名君であったことは有名ですし、その弟で山形の米沢藩第9代藩主となったのが上杉鷹山であることはご存じの通りです。「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」が上杉鷹山の言葉ですね。また、第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディが「日本でいちばん尊敬する人物」としてすぐに鷹山の名前を挙げた逸話もご周知のとおりです。
私は山形県米沢市を3年前に訪れました。上杉鷹山の米沢藩はどういう所なのか、今も鷹山公の業績は息づいているのか、そういうことを自分の目で見てみたかったのです。事前情報があまりない中で米沢市に向かいました。私は車で移動していたので、まずは道の駅に向かいます。そこのインフォメーションで土地の情報を仕入れることにしました。案内係の方に土地情報を聞いた後、「上杉鷹山は宮崎から来た人だと知っていますか。」と質問してみました。すると、「はい、高鍋の方ですよね。学校で習いました。」との即答に、私は感動するやら余りの浸透ぶりに驚きました。次に、入手した情報をもとに、まずは上杉神社へ行きました。4月の米沢市は春まだ浅く、駐車場の周辺にはうず高く雪が積み上げられていました。
上杉神社は、米沢城跡に上杉謙信と上杉鷹山を祭神として作られました。正確には、明治の失火により再建された時に上杉鷹山については、境内の松岬神社に分祀されています。正面から一直線に伸びる境内への参道では、背筋をピンと伸ばしてくれるような神聖な空気を感じました。至る所に上杉家の歴史を語る掲示板があり一つ一つ読み入りました。
上杉神社HPより
続いて、神社のすぐ近くにある米沢市上杉博物館に向かいました。私は観光に訪れると必ずこういう歴史資料館や博物館を訪れます。知らないことだらけで自分の中に新たな知的細胞が誕生するようなそんな感覚が好きです。この博物館は名前のように上杉家がこの米沢の地をどのように反映させたかを知るには十分な資料の展示がなされていました。もちろん、上杉鷹山については深く学ぶことができます。鷹山は幼い頃に母親を亡くし、育ての親が祖母でした。その祖母は米沢藩から秋月家へ嫁入りしていました。秋月家の次男である鷹山は祖母から才覚を見いだされていたので、祖母が養子縁組を米沢藩に取り持ったということになるそうです。当時の米沢藩は極度の財政難に陥り、加えて災害や大飢饉などにより民衆は困窮を極めていました。鷹山は財政改革に乗り出し、自らも粥を食べて倹約しました。これらの業績などを示す展示物に見入りすぎて2時間も博物館に滞在したので、外の明るさに目がくらんでしまいました。
さて、米沢見物の話は置きまして高鍋藩の話です。名君秋月種茂や上杉鷹山はご存じでしょうが、高鍋藩が江戸時代に軍馬・農耕馬生産のため、宮崎県串間市の都井岬に馬の飼育を手掛けたということはいかがでしょうか。これも高鍋藩による一つの先見の明ということではないかと思います。現在、半野生化して国の天然記念物に指定されています。
秋月種茂公が高鍋藩主になる以前には、東郷町で悪政に耐えかねた村民が村から脱出する逃散一揆がありました。その際、千名以上の村人が山を越え逃げ及んだのが現在の都農東小学校の西側付近で、高鍋藩の管轄になります。高鍋藩は山陰村民をすぐに追い払うことはせず一月以上保護し、延岡藩と折衝をして、最終的には幕府により村民側に立った采配となりました。その結果、山陰村や坪谷村などは幕府の直轄領すなわち天領となった訳です。その後も山陰村民は高鍋藩に対して恩義を忘れなかったそうです。現在の本町幸福神社内に富高陣屋跡の碑があり、細島に出張陣屋が置かれていたのは天領となった影響によるものです。今の都農町は日向市の隣であり、東郷町は日向市となっているので、史実から読み取れる民衆の闘いと名君の英断からは、この日向市一帯に流れる人々の熱い思いを感じ取ることができます。
時は種茂公から200年ほど経った江戸末期、維新に揺れる京都寺田屋事件の後、勤王の志士は徹底弾圧されました。その中で、鹿児島へ護送中に日向灘沖で惨殺された3人のうちの一人が海賀宮門(かいがくもん)という秋月藩士で、この3人の遺体が流れ着いたのが「黒田の家臣」という現地では古島(こしま)と呼ばれている場所です。潮の干満で砂洲を歩けるようになる景勝地なのでご存じの方は多いでしょう。この時の遺体を手厚く葬ったのが黒木庄八という細島の方で、この方のお孫さんにあたる黒木ひでさんは、長年伝承者としてご活躍されていました。ご高齢になられた頃に私は細島小にいまして、何回かひでさんに面会し、お話を聞かせていただいたことがあります。
名君秋月種茂公の秋月藩の意志は、高鍋から時代を経て回り回って日向の地へ関係を繋ぐという人の巡りあわせをも感じさせてくれます。それほどの名君であったからこそ、多くの人そして数々の地に影響を与えているということなのだと理解できます。
私の仕事が日向から始まったのにも何かの縁があったのでしょう。長く勤めてきた県北への思い入れには並々ならぬものを持ってきたつもりです。歴史的な意味では神武天皇のお船出という時代に始まり、上記のような数々の名君や民衆の思いを背負いながら刻んだ歴史を持つこの日向という町に魅力を感じます。私には名君の英知のかけらもありませんが、市内事業所の皆様のお力とスタッフの知力を借りながら、キャリア教育が、一人一人の本人らしい生き方の実現へ向けて良い影響を与えられるように日向市の児童生徒の支援を行っていきたいと改めて思うところです。
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