日向市キャリア教育支援センター ブログ

私の生きる道

2025.12.01

人に思いを馳せる

 私はずっと登山をやってきました。登山家というにはおこがましいので山屋の方が似合います。ほかに「岳人」(ガクジン)という呼び方があります。同じネーミングでモンベル社が出版する山岳雑誌があります。岳人という呼び名の場合は何となく洗練された気品すら感じますが、それは私には不釣り合いです。さて、「九州の岳人は久住に始まり久住に終わる」という言葉もあります。ご存じでしょうが、この久住は大分県九重連山の山々を指します。「久住」という場合は名峰(最高峰は隣の中岳1791m久住山1786mを指します。そして「九重」という場合は、10座以上のピークを持つ一帯の連山を指します。したがって、「久住山」「九重連山」という使われ方をします。郷土の境界や山頂名などを巡っては全国各地で色々な獲得論争があったようです。私も九州の山屋の一人として、まさに登山は久住山から始まりました。春夏秋冬いつ行っても優しく厳しく迎えてくれ、たおやかな山容に包まれている感覚が好きでこの連山にはよく通います。

 さて、前置きが長くなりましたが、本日はその九重連山で高校生が活躍をしている話が毎日新聞に掲載されていましたのでお届けします。(抜粋になります) 

くじゅう連山(大分県九重町、竹田市)を毎秋、玖珠美山高(玖珠町帆足)の3年生が訪れ、登山道の補修に当たっている。13回目を数える今年も、生徒20人が苦闘しつつ山岳関係団体の協力で、くいとロープを交換。登山客の安全を下支えする。…前身の玖珠農高時代からくじゅうで外来生物の駆除などに取り組み、2012に豪雨などによる浸食で傷んだ登山道の補修を始めたのがきっかけ。農業などを学ぶ地域産業科の3年生が「ふるさとの自然を守る卒業記念活動」として、ほぼ毎年続けている。牧ノ戸峠から生徒たちが向かったのは、沓掛山に至る途中の登山道。一部区間の古くなったロープと木製のくいを新調するため、一行は新しいくいを背負い、スコップなどを手に、急勾配の登山道を歩いた。山登りに不慣れな生徒からは「きつい」との声も漏れる。

 現場に着くと、スコップなどを用いて古いくいの撤去に着手。しかし、くいを倒れにくくするために取り付けられ、土中に埋められた「横木」が、撤去作業を難しくする。山岳関係者から「簡単には抜けない。くいの周りから掘って」と助言され、苦戦しながら掘り進めた。それでも抜けず、つるはしを使ってようやく掘り出した。古いくいを手にした谷崎斡律さん(17)は「ずっしり重い。くいに横木があるのを初めて知った」。新たなくいは、横木をボルトで固定して埋め、さらに大きな木づちで打ち込む。「学校の実習で電気柵を設けた時は専用のくい打ち機を使ったが、それに比べると木づちは重くて操作が難しく、想像よりきつい」と藤井柊平さん(17)。生徒たちは2時間かけて計21本を交換。ロープも張り替えた。古いロープをのこぎりで切って回収した古川釉那さん(18)は「大変だったが、登山客が安全で登りやすくなるのはうれしい」と笑顔を見せた。…毎回同行している山岳関係団体の「九重の自然を守る会」の高橋裕二郎理事長(77)は「本当にありがたい。みんなの活動でくじゅうは守られる」と感謝する。同校農場主任の永楽浩一郎さん(64)は「学校では地域に根ざした教育を目指しており、地元の山は農業につながる根本でもある。自然や環境に関わる活動を、今後もできる限り続けたい」と話した。

 

沓掛山 HP記事より

 

記事を読んで、久住登山をされる方なら場所について鮮明に思い出すことができるのではないでしょうか。牧ノ戸峠からきついセメントの坂を約20分上ったところの右側に展望所があります。そこから少しの岩稜帯を抜ける所にあるのが沓掛山となります。昔まだ積雪量が多い頃には、高さ5mほどの岩でさえ雪に埋もれることがありました。その角度のある岩と岩の間の雪面に動物の足跡がくっきりと残っていたこを思い出します。この沓掛山の一帯を玖珠美山高校の生徒が毎年、登山道整備を続けてくれていたことは知りませんでした。本当に有難いことです。木道やロープは人工物なので風雨に晒されたり、人が通過することで劣化が進みます。何気なく通過する、あるいは、登山なのでともすれば自分のきつさだけを考えて足元の登山道の整備状況を考えずに通過してしまうことがあるものです。こういった地元の方の努力によって環境が維持されていることを考えられる登山者でありたいものです。

 生徒古川さんの「登山客が安全で登りやすくなるのはうれしい。」や高橋理事長の「みんなの活動でくじゅうは守られる」という言葉は、人に対する温かな営みを表していると思いました。また、農場主任の永楽さんは「学校では地域に根ざした教育を目指しており、地元の山は農業につながる根本でもある。」と話され、地域の中の学校であることや、自然は必ず自分の生活と結びついていることを自覚して生活することの大切さを話されていると感じました。

 サーフィンにもローカリズムはありますが、登山のローカリズムはこのような発信がないかぎり誰が維持しているのか大変分かりづらいのが現状です。これまでも感謝しながら登山をさせていただいていましたし、自分で「一山一善」と称して必ずゴミをワンハンドくらいは拾うようにしてきましたが、さらに各地の登山では地元の人の思いを考えられる山屋でありたいと思います。

2025.11.27

マーケティング思考

   201810月から始まったNHK連続テレビ小説『まんぷく』は、日清食品の創業者である安藤百福と妻の仁子の半生を描いた作品でした。本日は経営者のみならず、消費者である私たちにとっても消費経済の中で重要な位置を占めるマーケティング(商品やサービスを展開する活動全般)が必要な学びとして伝わってくると思えますので、Business Journal / 2019年大﨑孝徳から要約してお伝えしたいと思います。

NHK「まんぷく」より

 

『朝ドラ『まんぷく』は極めて優れたマーケティングの教科書である』

ドラマ『まんぷく』では、顧客を満足させる重要なポイントとしての「4P」すなわち、商品Product)、価格Price)、流通Place)、販売促進Promotion)が打ち出されている。

 ドラマのなかで「まんぷくラーメン」となっていたチキンラーメンを売り出すために、テレビのコマーシャルや売り場における試食販売を開始した「販売促進」を行っている。…

 また、容器に入ったラーメン「まんぷくヌードル」(カップヌードル)の開発コストから100という当時では極めて高価格に設定し、発売するも受け入れられなかったために、タクシー会社など、夜に仕事をする人たちをターゲットに販売は好調に推移し始めた。さらに、屋外での飲食に対して当時の日本では多くの人が抵抗感を持っていたため、新しいことに対して寛容な若者をターゲットに歩行者天国での販売を行い、まんぷくヌードルは若者にとってファッションとなる。

 現在の日本の大企業であるならば、商品開発担当者は単に商品の機能的な部分を担当するだけで、価格や流通や販売促進には完全にノータッチな場合が多い。しかしながら、4Pにおける4つの要素は、強く連携できていなければならない。

 

  内容をかなり凝縮してしまいましたので、氏の考えが十分に伝わらなかったかもしれませんが、学校での日々の授業よのなか教室を4Pで考えるとどうなるでしょう。商品を学習目標(よのなか教室のねらい)、価格を学習活動(講話受講)、流通を主体的な対話(生き方の再構築)、販売促進をまとめ提示(獲得した価値と学習意欲)としてみましたが難しいです。(いや~、頭を悩ませます。アドバイスをください。)それにしても、学びを「流通」させることや「促進」させることは、実に難しい課題だと気づきました。

マーケティングについては大﨑氏の考え方以外にも多くの手法が存在することは、市場経済の中で日々活躍されている方々はよくご存じのことでしょう。マーケティングをあまり意識しなかった私のような「学校人」にとっても、教師が生み出した授業というものをどう展開していけば、それが対象である児童生徒に定着していくのか。或いは、学校での活動保護者や地域にどう浸透していくのかなどを考えてみるにはとてもよい思考だと思った次第です。社会が様々な人々によって成立している以上、協働・進化・発展することが大事なので、日向市のキャリア教育も普及発展できるように意識しながら頑張らなければならないと再認識しました。

昨夜のNHK『クローズアップ現代』にエジプト考古学者の吉村作治さんが登場しました。御年82歳だそうです。クフ王の墓の発見を追い求め、スタッフの若者同士の意見が対立していた時、吉村さんは黙ってじっと聞き最後に意見を述べました。「ある程度まで掘ってみてそこでGPR(探査機)を使ってみればいいじゃない。」これは、若い二人の意見の折衷案だったのです。私は、すでに体調が悪く現場にいるだけでも大変なお体なのに82歳のお年で若い人たちの意見の折衷案を自分の考えとして提示できるその柔軟な思考に大変驚きました。歳を取り頭が硬くなるのは致し方ないと思っていましたが、吉村さんを見て、いやいや思考はまだまだ鍛えられると思いました。日々激しく変化する時代に対応できるのは人間ならでは価値であり、柔軟な思考こそが時代を乗り切る自己のエネルギーかもしれません。 マーケティングから若干それましたか…。

2025.11.26

言語・漢字を覚える時期と教育

  最近はタブレットを使用した授業が多くなり、黒板に書かれた内容をノートに写し取るという作業を子どもたちが行う機会が以前に比べて減っているようです。どちらが良いという話ではなく、言語特に漢字を覚えるという観点でのお話になります。

私が小学校高学年や中学校で授業をしていた時のお話です。私が授業中に板書をします。するとそれを子どもたちがノートに書き写します。私は「黒板に書かれている内容を丸写しにするのではなく、自分の言葉にかみ砕いて要領よくノートに書きなさい」と話していました。ところが、それを実行していた子どもは三分の一ほどで、ほとんどの子はそのまま書き写していたようです。板書のスピードが速いので、頭の中で整理することの方に時間がかかってしまうからです。それでもこれが可能だったのは高学年児童あるいは中学生だったかもしれません。本日は「視写」という観点については脇に置いておきましょう。本題は言語をいつ獲得するかというテーマですから。

私は板書している最中にその漢字が国語の時間に学習済みであるかどうかはあまり考えませんでした。小学校の担任の場合、今国語の時間にどの漢字までを学習しているか分かっています。基本的に教科書は、前学年で学習した漢字のみ使用するようになっています。ところが私は、国語以外の時間では、板書でバンバン未修の漢字を使用していました。もちろん、極端に難しい漢字の使用はしません。すると決まって子どもたちから「センセー、その漢字まだ習っていませ~ん。」と声が飛んできます。そこで「じゃあ読めないの?」と聞くと「読めます。〇〇ですよね?」というので、「読めるじゃない!ならいいよ。」と素知らぬ顔でくるりと向きを変え、またひたすら板書します。子どもたちからは「えッ、書いていいの?」とボソボソと聞こえたり、「センセイ、書いていいんですか?」と聞いてきたりします。それで「書けるんなら書いたら?ここの筆順はこうだよ。」と言うとまたすぐに私は書き始めます。黒板を向いているふりをして、子どもたちの様子を伺っていると、「オオーッ」とか「うひょ」とか軽く奇声を上げたりして喜々として猛然とノートに鉛筆を走らせる子が増えるのです。もちろん、その一方で「何て読むと?」と隣の子に聞きながら平仮名で書いている子もいます。ここで私は書けることより読めることを優先していました。

私が言いたいのは、子どもは、いや、人は言語(漢字)を覚える(読める)年齢が決まっているのかということです。答えは明らかに「ノー」です。小学校で1026文字、中学校で1110文字(常用漢字を含め変更がある)、合計約2000の漢字を覚えて義務教育を卒業するようになっています。これは、約2000文字を覚えると新聞が読めるようになると学生時分に聞いたことがあります。すなわち社会的自立を目指す教育なので日本国民として一定の言語力をつけて欲しいという意図なのでしょう。さすがによく考えられた義務教育課程だと感心します。当然、その9か年の発達段階を考慮して漢字の編成も行われることになります。

平均的な記憶量として各学年に定量的に分散させている漢字数でしょうが、子どもの学習量に個人差があるのは当然なので、私の場合、当該学年の漢字量で限定して指導する必要はないと考えてのことでした。当時「難しいです」と数名の子からは速攻批判をもらったこともありますが、年度初めに「そういうもんだ」とか「そうするからね」とか理由を話し逃げ道(平仮名)も併せて理解させておくと、特にブーイングも起こらず、苦にもされなくなりました。難しそうなものはそんなに書くことはしませんでした。

さて、ここからです。今のは高学年あるいは中学生での例でしたが、低学年ではどうでしょう。幼児が言葉を覚えるのは耳からですよね?その子たちが英語をペラペラ覚えてしまうのも同じことです。では、幼児が絵本の言葉を指さしながら「ぞう」とか「本」とか言っているのは画像を見ているからですよね?そういうふうに、まだ脳が十分に発達していない小さな子たちほど、ものの名前を画像で認識するようです。つまり画像処理能力が高い訳です。ということは、漢字は小学校に入ってから習うものと限定しなくても、絵本に出てくる漢字がもしあったとしても、「これは読ませられない」と止めずに、子どもに見せながら読んであげると、そのまま物語として受け止めるはずですし実際そうされてますよね。子どもも「この本は漢字が難しいから嫌だ」とはあまり言わないはずです。つまり、漢字を耳から聞こえた言葉として認識しているのです。すなわち、その子にとってそこの漢字はただの画像でしかないのです。それで読み方を覚えてしまえばそれでよいではないでしょうか、ということが言いたくてここまで書いてきました。

するとどうでしょう。先日読んだ雑誌の中に対談があり、まさに同じようなことを言っているのだと納得したものがありました。以下に紹介します。

 東京いずみ幼稚園の園長小泉敏夫氏と安松幼稚園の理事長安井敏明氏の対談を要約します小泉氏「元小学校教師の石井勲先生が確立した『読み先習』とは、漢字を書くのはしっかり読めるようになってからで十分という考え方です。『はしのはしをはしをもってあるく』よりも『橋の端を箸を持って歩く』とした方が読みやすいし理解しやすいのです。幼児期の脳は『写真記憶』と言われる機械的記銘能力に優れていて、すぐに丸暗記できてしまう。漢字は難しく思えても、その分、ひらがなより識別しやすいから覚えてしまうんです。」安井氏「赤ちゃんは親が言葉を教えたつもりはなくても、一年半か二年半で日本語を獲得するでしょう。意味が分からなくても、家族が日本語で話しかけることがよい教育環境となったんです。幼稚園児に漢字を教えるなというのは、赤ちゃんに話しかけるなと言っているも同然です。違いは、話し言葉は耳から、文字は目から入るという点だけです。」

 私は現在小学校で行われている漢字などの文字指導を否定しているのではなく、ご家庭での言葉と文字(漢字)の扱い方については自分のお子さんに「適時に指導する」という考え方でよいのではないですかとお伝えしたいのです。

 うちの孫三歳児の話です。孫が二歳を過ぎた頃から食事中に左手を遠く離したまま食事する場面があったので、「左手を添えて」と私が言いながら左手を持って茶碗に添えさせていました。それが現在では「左手!」と言っただけで孫はサッと茶碗に手を添えるようになりました。これは上記で言う「話し言葉は耳から」に当たりますが、本人は「左手」の意味を「こっちがわの手のことね」などと理解しているのではないかと思います。そのうち、「左手」の漢字を見せてみようと思います。「写真記憶」するのではないかと楽しみにしています。

 そういう私はと言いますと、kindleで簡単にダウンロードした書籍が溜まる一方で一向に進みません。もっぱらペーパーバックと言われる文庫本を手にしながら読むのが好きですし、まだまだ山積みの未読本があるのが嬉しいです。随筆や小説、ビジネス本など色々なジャンルの本を読みながら多岐に渡る言葉の表現の違いを楽しむのも一つの言語獲得の方法かもしれません。その中にはまだ出会ったことのない漢字表記があったり、著者独特の風景描写があったりして実に楽しいものです。歳を取ると読書は一つの脳の若返り効果がありそうで、こちらが期待大ですかな。長々と文章のみの本日でした。失礼します。

2025.11.18

女子サッカー

 15日(土)、初めて女子サッカーの公式戦「皇后杯」を観に行きました。前日宮崎にいて新聞を読んでいましたら、門川出身であるヴィアマテラス宮崎水永監督が今大会で退任されるという記事がでていたので、これは行かねばなるまいとなったのです。

 スタジアムは想像を超える大きさと立派さで圧倒されました。サブグラウンドなども充実していてフィジカルセンターも設置されていました。インターチェンジから近いのですが、アクセス道路が少し狭かったかなと思います。

 さて、試合ですが、相手は日体大SMG横浜という、やはりヴィアマと同じくなでしこ一部リーグのチームです。試合は始まってすぐにゴール前の接戦からヴィアマが失点してしまいました。その後、見事なシュートで1点を取り返し後半へ入ります。するとまた日体大SMGに1点を取られましたが、またヴィアマが取り返すという大変面白い試合になりました。同点に追いついたので、さあこれから逆転に進むというはずが、相手に追加点を許し結局そのまま試合終了となってしまいました。

  

 試合後監督は、たくさんの応援をもらいながら勝ちきれなかったのはすべて監督の責任だと語っておられましたが、失礼ながら、見ていて大変面白い、感動する試合でした。点を取られても決して諦めず点を取り返すというあたりがこのチームの底力なのかもしれません。以前テレビ番組で、ヴィアマの選手が新富町の地域協力隊として地元に根付きながら町民と深く触れ合って活動を続けている姿を見ました。それで町民の高齢の方々がサッカー場まで出向いて選手を応援するようになり、まさに地域一体型のスポーツだと深く納得する次第でした。監督は「戦い敗れて兵を責めず」というリーダーとしてあるべき姿を見せてくれたのだと解釈しています。私の好きな言葉に「桃李もの言わざれど下自ずから径を為す」があります。水永監督は、本当は恥ずかしがり屋で人前に自ら出ていくタイプではないと聞いていますが、監督のように多くを語らなくともその人格に人は付いてくるという皆に慕われる人材が日向圏域から輩出されることを心から嬉しく思います。私も益々キャリア教育に力を入れ、現在の仕事を頑張らなければならないと心に秘めながら、まだ爽やかな霧島下ろしが頬を撫でるスタジアムを後にしました。

 *同日の男子サッカー、水永監督前所属のテゲバジャーロ宮崎はAC長野パルセイロに勝利しJ2昇格へのプレーオフ進出を決めました。こちらもこれから目が離せません。

2025.11.12

銀河の話

 台風26号はフィリピンに甚大な被害をもたらしています。何ができるか考えたいと思います。

さて、宮崎県の天気は良くないのですが秋はを見るには絶好の機会なので、壮大な宇宙へ思いを馳せながら夜空を見上げるのはいかがでしょうか。好きな分野ではありますが宇宙に関する知識が深い訳ではありませんので表面的な話になりますが、長いようで短い人生に宇宙が送ってくれる癒しの輝きについて、しばしおつきあいください。

車輪銀河(提供:NASA, ESA, CSA, STScIAstroArtsより

  最近のニュースで、ちょうこくしつ座(南のかなり低い位置)の方向にある5億光年の距離に位置する「車輪銀河」をジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡が撮影したと知りました。大きな銀河でスポークがついた車輪のような姿をしています。何とも美しく奇妙でもある不思議な姿をしている銀河だと思いました。

 我々地球人にとって5億光年という天文の単位はまったく想像の彼方の世界でイメージすることすら難しい距離になります。光が一年で進む距離が1光年で約9兆5000kmであり、月までが約38kmで、太陽までが約15000kmということです。

夏の星座である大三角をつくる、こと座のベガ、はくちょう座のデネブ、わし座のアルタイルは小学生で学習するので有名ですが、ベガが織姫でアルタイルが彦星という別名があります。この大三角をつくる3つの星はデネブが天の川の中ほどに見られ、ベガとアルタイルが天の川を挟んで対峙している、つまり地球から見ると、大三角が同じくらいの平面で三角をつくっているように見えますが、実は、デネブは地球から1400光年離れていて、ベガは25光年、アルタイルは17光年離れているので、どれも同じくらいの位置にあるということではありません。あくまで地球から見かけ上の形で、星座は夜空の大きな天球に張り付いたように見えるだけです。地球から割と近い「天狼」と呼ばれるおおいぬ座のシリウスでさえ約8.6光年離れているので、星々は途方もない位置にあることが分かります。

霧島にて

私たちは、直径が10万光年ある天の川銀河に暮らしています。不思議だと思いませんか?銀河の中にいて、どうして天の川が見えるのか? 私たちが暮らす太陽系は、その天の川銀河の中でも端の方にあり、中心から28000光年の位置にあるので、渦の中心(巨大なブラックホール)方向から伸びている「」と呼ばれるほかの「川」を見ていることになります。沢山ある「腕」のうち、我々は「オリオン腕」に暮らしています。この天の川銀河の中だけでも太陽のような恒星が約1000億個以上もあるとされています。そうなると、興味のある人は「なら宇宙人はいるのか」と思いたくなります。世の中には、その地球外生命体(ET)を見積もる計算式を考えた人がいるそうです。その話も長くなるのでまたいつか・・・。

現在の研究では、理論上の宇宙の果てまで約500億光年の位置までは分かっていてその先はまだ分からないそうです。その宇宙全体には、我々の住む天の川銀河のような銀河が2000億個以上あるとされています。

御池にて

初めに話を戻します。1光年ですらすでに想像が難しくなるのですから、ジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡が撮影した「車輪銀河」の約5億光年先の位置を想像することは無理なことですが、そのような遠い宇宙にこのような美しい輝きを見せる銀河があるということを想像することは楽しいことではないでしょうか。その中には太陽系みたいな天体のグループがあり、地球のような星があれば誰かが自分と同じように夜空を見上げているのかななんて想像するのも楽しいです。地球から見て太陽と反対側の150kmの宇宙を漂いながら今後も撮影可能な距離を延ばすであろうジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡の活躍に期待したいと思います。

そうそう、私たちの天の川銀河と220万光年の距離にあるアンドロメダ銀河は今後衝突するということが分かっています。エッ!衝突!大変! しかし、広大な銀河なので太陽のような恒星同士が衝突する可能性はほとんどないと言われています。そもそも衝突は約40億年後だそうです・・・。

クルスの海のモニュメント

 

 

 

 

2025.11.10

ワールドシリーズに見るキャリア

 MLBドジャースWSで優勝し早1週間以上になります。野球好きな方は感動を共有されたのではないでしょうか。私もその一人です。サムライ3人衆の活躍は皆さんよくご存じの通りだと思います。一方で、チームメイトであるアレックス・ベシア選手が大勝負の舞台を欠席していたことに対する出場選手たちのエピソードには改めて生きていく上での大切な視点を与えられた気がします。すでにご存じの方も多いとは思いますがご紹介したいと思います。

 

1023日(日本時間24日)、WS前日にドジャースは救援左腕ベシアがチームを離脱すると発表した。球団によると、離脱理由は家族の深刻な問題に向き合うためで、公式Xは「心から悲しいお知らせですが、アレックス・ベシア選手は、妻ケイラさんとともにチームを離れています。ドジャース組織全体は、ベシア一家に心からのお見舞いと祈りを送っています」と伝えた。

この発表を受け、ドジャース救援陣はWS期間中、ベシアファミリーとの共闘を示す意味で、帽子にベシアの背番号「51」を縫い付けて登板した。そして、この動きは対戦相手であるブルージェイズ側にも広がり、救援陣がドジャースと同じく帽子に「51」を刻みマウンドに立った。

敵味方関係なくベシアファミリーにエールを贈る行動は、多くの称賛を集めた。“キケ”ことエンリケ・ヘルナンデス内野手は「ブルージェイズがああいうことをしてくれたなんて、本当に信じられなかった。WSという最高の舞台で勝利を追い求めている時でさえ、彼らは人生には野球よりもっと大切なことがある。野球はあくまでスポーツなんだと分かっている。あの状況でそうした行動をとってくれたことに、敬意を表したい。そして、我々は彼らに感謝しているということを伝えたい」と語った。また、ロバーツ監督も「本当に大事なものは、まさにああいうことなんだ。本当にアスリート同士の絆を表していると思う。お互いにどれだけ尊敬と愛情を持っているかを物語っている。これはアレックスへの、とても大きな敬意の表れだよ」と、感謝の弁を述べた。

                      MLB総合ニュースより>

 ワールドシリーズの頂上決戦という大舞台においてでさえ敵の選手にリスペクトを示すことができるその心の在り方、それこそが人として目指す一つの姿ではないかと改めて考えさせられました。「キャリアを積み重ねる」というのはまさにここにあると思った次第です。「自己の在り方、生き方」が問われるという見本を私も肝に据えたいと思う出来事でした。

   

2025.11.04

本の話「分人主義」

 昨日11月3日(月)は五十猛神社大祭が催されました。若干の肌寒さはありましたが秋晴れのもと、財光寺地区はお祭り一色になりました。午後のパレードには各地区の仮装隊も登場することはよく知られていますが、午前中はそれぞれの地区を回っていることはご存じでしょうか。高齢者施設や支援施設を含め、地区内にある商店や個人宅の前で踊りを披露しました。午後のパレードは旧道を封鎖し沿道にはたくさんのお客さんが来られ大変な盛り上がりでした。奉賛会や各地区代表の皆さん、ひょっとこ踊りの厄年の方々、警備の方、その他大勢の方々が関わりながら地区の行事が実施されていることを改めて感じる一日となりました。パレードの出発点となっている財光寺南小学校には毎年お世話になっております。皆さん一日お疲れさまでした。

 

 さて、祭りの話が長くなりましたが、本日は読書の秋にちなんで最近読んだ本の中から一冊紹介します。平野啓一郎著『私とは何か』~「個人」から「分人」へ ~ です。この方が言うには、「分人主義とは、…『個人』に対して『分人』とは、対人関係ごと、環境ごとに分化した、異なる人格のことです。中心に一つだけ『本当の自分』を認めるのではなく、それら複数の人格(分人)すべてを『本当の自分』だと捉える考え方を『分人主義』と定義しています。」だそうです。内容を途中省略しながら少し紹介します。

手紙を届けるのが得意な人がいるから、郵便局が作られたのではなく、手紙のやりとりが必要だから、郵便局が作られ、そこで働く人が求められているのである。そして、職業の多様性は、個性の多様性と比べて遥かに限定的であり、量的にも限界がある。…(略)十年前のあなたと、今のあなたが違うとすれば、それは、つきあう人が変わり、読む本や住む場所が変わり、分人の構成比率が変化したからである。…個性とは、決して生まれつきの、生涯不変のものではない。…(略)私は、小学生のころは何とも思わなかったのに、中学生になると、母親が運動会を見物に来ることが、急にすごくイヤになった。私だけではない。同級生は大体みんなそう言っていた。私は、親と喋っているところを友人に見られるのがイヤだったし、級友と必死で騎馬戦を戦っているところなどを、親に見られるのはもっとイヤだった。私は、それをただ、思春期になって親離れを始めたからだと考えていた。しかし、この問題も、むしろ、分人に着目して考えた方が腑に落ちる気がする。私はやはり、親に対する分人友達同士の分人とが、混ざってしまうことを嫌っていたのだろう。友達向けに目いっぱい分人化しようとしても、どこかで親に見られているという意識が、それを邪魔してしまう。帰宅後、「家では見せないような表情を見た」などと言われたくない気持ちがあった。別段、年頃になって、親を毛嫌いし始めたというわけではなかったのだ。(略)2010年にチリの鉱山で、33人の作業員が坑内に閉じ込められるという落盤事故が起きた。救出までの数カ月間、坑内の作業員は、家族と電話で話せるようになっていたが、そのことが、彼らのストレス軽減に大きく寄与した。これは、閉じ込められた工員仲間との分人だけでなく、家族との分人も生きられるようにするための配慮だった。もしそうした外部との連絡手段が確保されなかったなら、坑内では凄惨な状況が発生していたかもしれない。…(略)人間は、たった一度しかない人生の中で、出来ればいろんな自分を生きたい。

 

「個人」ではなく「分人」。一つの個人という捉え方より、個人はさらに多様な側面を持つ「分人」に分けられるという考え方は面白いと思いました。会社での自分(分人)や家庭での顔、学校での顔、友人間での顔と人それぞれの付き合い方での自分という人格を変化させながら上手く生きるということなのでしょうか。「人間」とは「人」と「人」の「間」を生きる者というどこかで聞いた言葉を思い出しました。興味のある方は秋の夜長に本書を読まれてはいかがでしょうか。それともシングルモルトを片手にマイルス・デイビスに耳を傾ける、そちらもいいですね。

2025.10.22

仕事をする意味

 本日、財光寺中学校のオープンスクールを見学させていただきました。教室を2年~3年~1年と回っていくと生徒の学習態度はいずれも静かで真剣でした。スルスル、コツコツという鉛筆が走る最小単位の学習音が聞こえ、教室っていいなあと改めて感慨深いものがありました。学級活動の授業で学習や進路についてアンケートを記入する姿からはじっくりと思考しながら自分と向き合っているような印象を受け、まさに進路は自分で形づくり掴んでいくものということを走る鉛筆から受けた思いがしました。児童生徒がいつの日か責任世代となり自分を振り返った時に、自分の仕事が社会貢献と働く意味にぴったりと一致していたと胸を張って言えることを願うばかりです。今日のオープンスクールから、現在の日向の小学生、中学生が今後どのような人生を歩むのか、心配しながらも楽しみな部分が大きくなり、益々「子供たちの先生」である日向の大人の一員として頑張らなければならないと気合いを入れ直し良い見学になりました。皆さんもぜひ、お近くでオープンスクールがありましたらお出かけください。 

責任世代を通過し現在は後進(息子)の指導も行いながら現役医師である私の尊敬する消化器内科医のブログからある日の日記を紹介します。

「先日ある病院から80代半ばの患者さんが大腸カメラ目的で紹介されて来た。大腸検査は初めてと随分不安そうであった。高齢者の大腸カメラはリスクが高いので慎重を期する。大丈夫ですよ。安心して任せて下さい。工夫を凝らして下剤をかけて何とか検査ができる状態になった。初めてで心配でしょうから寝ているうちに検査を終えときますね。といざ検査開始。慎重にカメラを進めると予想通り病変が見つかった。安全第一で手術を終え、二階のベットで寝て頂いた。数時間後に患者さんが目を覚ましたので詳しく説明をしてそれではとお帰り頂いた。帰り際いきなり患者さんが握手をさせて欲しいと言うではないか。ええっ握手ですか。ハイ、手を差し出すと患者さんは僕の手を握りこの温もりは一生忘れませんからと言う。続け様に、先生いつまでも長生きして下さいね…。ここまで言われるとさすがに僕も熱いモノがこみ上げた。」 

 仕事には必ず相手というものが存在します。その相手を十分に満足させられたときに自分の仕事に対する価値が高まることになります。上記のドクターの話はまさに相手の満足度を十分に高めた結果得られた自分の満足感を表したものでしょう。私も再スタートしましたので、事業所の皆様や学校現場の先生方、そして何より日向の子供たちが満足できる活動になるように支援していきたいと思います。

  <消化器内科医の記録より>

 

2025.10.20

オーロラ~五感を働かせて

 土曜・日曜、市内では運動会を実施した小学校がありました。天気も何とか持ち良かったです。お疲れさまでした。   

 今月からキャリア教育支援センターに着任しまして、初日から各方面へご挨拶に伺わせていただいております。よのなか先生による児童生徒への授業やよのなか挑戦での調整が多いことから事業所のみならず学校へのご挨拶も行っています。その学校というもの、長年勤めてまいりまして職業的な勘といいますか、動物的なアンテナといいますか、正門を入った途端に何かしらの空気を感じ取ります。「ウン?ここは穏やかな時間が流れている。」とか「おや?何だろう、この清涼感は。」 はたまた、「正常な“学習音“が聞こえて頼もしい。」などと良い気分になります。これまで伺った学校ではそのような空気といいますか、心地よい波動を感じさせていただきました。まだ自分には感じる五感がいくらか残っているという確認もなりました。(笑)

 

アラスカ、氷点下25度の極寒の夜更けに寒さ対策で地面の雪をキュッキュッと踏みしめながらずっと全天を見回していると東の空高くから非常に薄い緑色の雲が動き始めます。その雲が渦を巻き始め龍のように高く登り始めたので、もしやと設置したカメラのモニターを見ると、鮮やかな緑、青、赤の雲がうごめいているのです。そうです。オーロラです。今度は西の空で渦巻き始めました。そして次は真上で。冬のアラスカのロッジ横の雪原で夜中に一人、空を見上げ宇宙と大自然の営みを体全体で感じる幸福感に浸る時間でした。長時間見上げすぎて首が痛くなるのも忘れて…。

  

 

 オーロラの仕組みは科学的には、太陽から放出されるプラズマ(電気を帯びた粒子)が地球の極地で、酸素や窒素などと衝突して発光する現象となるのでしょうが、夜空を見上げてそれをどう感じるのかは人それぞれです。私も初めて見た時にはカメラのモニター(デジタルには色が鮮明に映し出される)で確証を得た訳ですが、慣れてくれば白い雲を見てもその動きからオーロラと判断できるようになってきます。発光(反応)が強い場合は肉眼で様々な色が見えますが、それが弱いと薄い雲に見えます。古来、北極圏のネイティブの人々やオーストラリア大陸のアボリジナルの人々など大地で暮らす人々は星座や夜空での現象でさえも暮らしに適切に取り入れながら生活していきました。現代社会は光を制御できる時代にはなってきてはいますが、それを含めてもさらに五感を研ぎ澄ませた暮らしをしていきたいと思っています。 

 と偉そうなことを言っておりますが、私は孫の不意打ちの気配は感じ取ることができずにやられっぱなしの爺さんであります。先日の保育園での運動会ではこの一年の成長を感じることができました。保育園では日常的に食事の世話から排泄の習慣まで人として成長する基本的な行動に直接お世話をしていただき、先生方に心より感謝しております。市内幾つかの保育所(園)にはキャリア教育の一環としての「よのなか挑戦」でもお世話になっています。子どもが成長するにつれて解き放ってあげるのが親の役目ではありますが、成長の過程はしっかりと見届け、五感を働かせながら時には軌道修正を確認する役割は祖父としても必要だと感じているところです。

2025.10.15

ホームスクーリング

 以前、厳冬期にアラスカのフェアバンクスを訪れました。その珍道中のお話はまたいつかお知らせしたいと思います。3か所目の宿泊地であるゲストハウスでの最後の夜に、オーナーが自分の友達である日本人妻ヨシさん(仮名)ご夫妻を食事に呼び、私もご一緒させていただきました。というより、私のためにオーナーがヨシさんを呼んでくれたようでした。ご主人はヨシさんのことを「ビッグマム」と呼んでいました。ヨシさんご夫妻には6人のお子さんがおられ、現在上2人が大学生で、すべての子どもさんを高校まで自宅で学習を教えてこられた(残り4人は現在も教え中)そうです。これを「ホームスクール」と呼んでおられました。私はこのホームスクールにとても興味が湧いたので色々尋ねました。「それはなかなか大変ですね」と返すと、「いいえ、大変なことはなかったですねえ。上2人は大学に入ってから今、大量の課題にヒーヒー言っています。」とおっしゃいます。 

ご存じのようにアメリカでの大学進学は(学校にもよりますが)割と容易に入学はできるそうです。ホームスクールでは子ども達に課題を提示してそれをさせているとのことでした。内容について詳しく聞きたかったのですが、酔いが回っていたことに加えて、オーナーやヨシさんのご主人との様々な話にも花が咲いてしまい、詳細を聞き出すところまで辿り着けませんでした。

 私は日本国内におけるホームスクーリングの知識がなかったので調べてみました。日本では学校教育法という法律が厳然とあるのでホームスクーリングは制度としては認められていないようです。全米のある調査機関のデータ(2021)によると、ホームスクーリングで学ぶアメリカの子どもは6.73%で15人に1人という計算になるそうです。ホームスクーリングで育った有名人には、アメリカ合衆国大統領ジョージ・ワシントン、セオドア・ルーズベルト、エイブラハム・リンカーン、また発明家のトーマス・エジソン、アレクサンダー・グラハム・ベル(電話)、科学者ではアインシュタイン、ニュートン、キュリー夫人、実業家のカーネル・サンダース、本田宗一郎と数多くいたことに驚きました。

ここまで聞くと、随分魅力的なホームスクーリングに聞こえますが、やはり長短それぞれあるようです。メリットとしては、子どものペースで学習を進めることができるとか、いじめに遭うことがない、自立心が育ちやすいなどが挙げられます。デメリットして、社会とのつながりが減少しがちになるとか、保護者の学習指導力で差が出やすい、同年代の子どもとの関係性が作れない、進学先の学校の理解が得られにくいなどがあります。

学校に行けない子どもの居場所としてのフリースクールとは違い、学校という枠にとらわれないホームスクールという存在は、今後日本でも広がるのでしょうか。時代の流れに応じて、最近では、教育委員会や学校長の「一定の要件」の判断のもとにホームスクールでの学習を出席とみなすという動きも少しはあるようです。国内でも不登校対策を軸とした「学びの多様化学校」がぽつぽつと設立されてきました。ホームスクーリングはそれを飛び越えて自宅で親が役割を果たすというものですから、選択の幅は一気に広がります。ヨシさんのように6人それぞれを12年間見ていくというのは、やはり「ビッグマム」の仕事ではないかとその時そう感じました。

 一人の人間が自分の人生を歩んでいく際に、どのような学びを選択して(創って)いくか、本人がしっかりと考え意思決定できるような過程、それがまさにキャリアを形づくるということなのではないかとアラスカ以降深く考えるこの頃です。

2025.10.07

中秋の名月

 昨日、教え子から電話がありました。実に十数年ぶりに聞く元気な声でした。何事かと思いましたら、「今度ご飯を一緒に食べて相談に乗ってください。」というものでした。彼は日向を中心に幅広く各所で活躍されているようで大変頼もしく感じました。相談はその活動の中でのアドバイスが欲しいとのことでしたので、近いうちに会おうと話して電話を切りました。

 もう40年も前の教え子が未だに私を頼ってくれるとは本当に有り難いことです。当時はまだ若く未熟な教師であった私ですが、今こうやって話ができるのは、前回のブログにも挙げましたように、日向の地が子どもたちだけでなく私をも育ててくださったからだと心から思います。

 日向市は20分程度で街中どこにでも行くことができ、海山川など自然豊かな丁度よいコンパクトシティだと思います。さらに現在は、子どもたちが夢を描きやすいように街中の大人がよのなか先生になってくださっている素敵な街です。色々課題があってもこれまでも確実に乗り越えてきた街でもあります。私はこの街が好きです。

~眩しく輝く昨夜の名月~

 ところで、昨夜は中秋の名月でしだが、ご覧になりましたか?私は母と縁側で中秋の名月を見た60年ほど前のことを覚えています。自分の子どもには多忙を言い訳にして構えてあげることが出来なかったことを後悔していました。それで孫だけにはと、昨日はススキの穂の代わりに庭の南天の葉を用意し、団子とみかん、柿をお供えしてお月見をしました。孫はパチパチと手を合わせてお月さんにお祈りをしていました。「破壊王が直りますように。」と祈っていたのでしょうか。その祈りの中身は分かりませんが、こういう季節の行事は受け継がれるべきものだと思っています。名月をご覧になれなかった方には今夜が満月なのでお薦めしようと思いましたが今夜は雨の予報が出ています。残念です。季節の行事、次は七五三になりますか。その前に十五夜祭りに五十猛神社大祭など楽しみですね。満月の輝きと懐かしい教えた子たちの笑顔が重なる夜となりました。

 では、くれぐれも台風にお気を付けください。

以前オーストラリアで見た満月~模様がさかさまでした

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