Hyuga City Career Education Support Center
2026.02.12
テストの成績の上げ方。それは、テストの傾向と対策をすればよい訳です。
東洋経済ニュースに「授業は活発でもテストの成績が上がらない」という記事があり、ふと、学び、学校、子ども、青春、人生…など様々なワードが浮かびました。
かなり以前から、学校現場では「個に応じた指導」が叫ばれてきました。「一人一人の学びに寄り添う」という理想的な教育の姿のようにとらえられます。私もそれをどうやって体現化するのか格闘の日々を送ってきました。時には40人、またある時には15名ほどの児童生徒を相手に、「一人一人…」とワードが頭の中を駆け巡るうちに一時間に授業は終了します。よく分かって先をゆく者もいれば、取り残されてしまう子も出てくるのです。その後者の子どもに対して何らかの手立てを打たなければなりません。休み時間に再度教えるということも一手ですし、放課後という手段もあります。しかし、当の子どもは嫌がります。休み時間だからです。他の子と同じように遊びたいのです。
究極的には授業中(45分or50分)の中で、全ての子が理解できることが望ましいことは分かっていても現実にはそうはならないのです。仕方なく、課題(宿題)を出してみて翌日に理解度を確認する、という方法もありました。しかし、当日に理解不十分なのですから、宿題でできているはずがありません。そうやって、積み残しが増えていく訳です。
そこへ登場したのが、「少人数学習」です。一つの教科を同一の時間に複数(2人)の教師で受け持つのです。人数比は、習熟度別に編成し、理解の遅れている子を少ない人数で持つようにもするのですが、そういった分け方に違和感をもつ声があると、無作為に半々に分けるグルーピングが行われ、結果として、またその少人数でも同じく学力差が顕著になり、理解の遅れる児童生徒を救えない状況も生まれてきます。何のために少人数グループにするのか分からない状況が生まれます。そこには日本独特の「できないことは恥ずかしい」心理状態が作用するのでしょうか。「できないまま進級するほうが罪作り」ではないかと思うのですが、これは全国民の思考が転換されない限り、改善しないものかもしれません。
「学び方を学ぶ」と言われますが、それは新しいことではありません。私も「これを解いていく方法はどうする?」と問い、「私はこうします。ぼくはこうします。」と「戦略」を立てます。そして、その方法ができそうかわずかな時間ですが議論します。「できるかもしれない」と子どもが判断すればGOです。解決方法の見当がつかない子は、出された方法を真似すればよいのです。それで全員がアプローチして、それぞれの解決方法でどう解決していったかを協議するのです。もちろん、その方法では「できなかった」という子も出てきます。だからこそ、「なぜできなかったのか」を検証する場が必要になり、そこから「学び方を学ぶ」ことができるのです。
今、これを書きながら、35年前に細島小でやっていた算数科の問題解決学習を思い出しています。進む道筋を仮説検証していく過程を楽しみ、解決できたとき、或いは、学び方を知った時、それは喜びになるのだと思います。
以前受けたことのあるTOEICでは、知り合いの知り合いに、800点オーバーという人がいました。しかし、その方は「英語は話せない」のだそうです。確かに、TOEICでは傾向と対策を徹底的に練習すれば、問題文を余り読まず、()の前後の単語・熟語だけで判断できるものも多くありますから、「点の取り方を学ぶ」ことで一定の高得点は取れるようです。(勿論、高得点になるとそう簡単にはいきませんが)。「学ぶ」という観点からはかけ離れた学習でクリアしていく人もいるようです。それはそれで理解して突き進むのも一つの考え方なのでしょう。それより、今、小中学校で学ぶ子どもたちが、学びの中で埋もれてしまわないように、自分の人生の進むべき道との関係も見いだしながら、充実した生活を「自分の学び」で送って欲しいと願います。
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