日向市キャリア教育支援センター ブログ

2026.01.07

生きるよろこび

  何のために生まれて 何をして生きるのか。答えられないなんて そんなのは嫌だ。

 ご存じ『アンパンマンのマーチ』の歌詞です。前作のNHK朝ドラでも再び有名になりました。

今改めて自分に問われた時、どう回答するのか考えてしまいます。「何のために生まれて 何をして生きるのか」は、生と死の不合理さを突き詰めていますが、生きる者に対しては自分の生き方を問われているようです。そして「まだ生きているなら価値ある生き方をせよ」と目的を明確に定める意味を問われていると考えました。だからこそ作者は、自分の信じた道を進んだものの、それが一瞬にして生き方を否定された時のどうしようもない失望感に苛(さいな)まれることになります。そこには、生きる意味を答えられなかった本人のジレンマが垣間見え、それが「答えられないのは嫌だ」つまり「だめなんだ。」と生きる意味をきちんと持つことの大切さを言われているのではないでしょうか。

 このブログでよく書いていますが、「人生は長いようで短い」です。歌詞でも「時は早く過ぎる」し、希望という「光る星は消える」または、憧れの人もいなくなり「光る星は消える」のかもしれません。星好きとしては、赤くなったベテルギウスが超新星爆発を起こし「光る星は消える」と直訳し、時の流れを宇宙時間的な「速さ」でとらえるのかもしれません。どの立場のどんなとらえ方にしても、人生は思ったより短い、「だから君は行くんだ」ジタバタせずに、前を見て「ほほえんで」なのでしょう。

 そうやって、微笑んで歩き始めた時に、「そうだ 嬉しいんだ」と気づくのが、「生きるよろこび」になるのかもしれません。いや、そうなのでしょう。それゆえに、「喜び」は単に喜怒哀楽を表すのではなく、一人一人の人生観を含めて「よろこび」なのかもしれません。私は、のほほんとした生活から、また定時に出勤し一日を終えるという生活に舞い戻りました。初めの2カ月は体が宙に浮いたような錯覚の中で疲労感を蓄積していっていたようです。それでも、毎日スタッフにお世話になりながら、事業所の皆様や各学校の関係者、児童生徒たちとお会いすることで、また違った世界が開けたような高揚感に包まれていることにも気づきました。これは一つの「生きるよろこび」なのかもしれないと実感しました。仕事が見えてくると課題が次々に明らかになります。というより、出てきた課題の上に新たな課題がかぶさり、課題だらけに追い込まれる気分にもなります。それは、やなせさんの体験と比べると遥かに小さいのですが、課題があるからこそ前に進む原動力にもなり希望は見えると信じています。そのことは「たとえ胸の傷が痛んでも」とエールを送られている。そう思うことにします。

 今朝のニュースに、サッカー日本代表のDF鈴木淳之介選手が出ていました。彼は、所謂生え抜きではなく、大変苦労した代表選手とのことでした。彼の言葉は印象的です。「サッカーチームでレギュラーになれない期間が長く続いても、自分を見失うことなく続けてやってきた。」と言うのです。若干22歳でこの言葉が言えるというのは、人として「たとえ胸の傷が痛んでも」「生きるよろこび」の炎を絶やさずに一灯を照らし続けたのではないかと、朝から深い感動を覚えた出勤となりました。

 やなせたかしさんが、生きていくことの意味を強烈な戦争体験から「ぼくらはみんな生きている」と『手のひらを太陽に』を作り、後に、『アンパンマンのマーチ』に至った流れは、ご本ににとってはごく自然なもののように思えます。「何が君の幸せ 何をしてよろこぶ わからないまま 終わる そんなのは嫌だ」。人間が「生きるよろこび」をもつことの大切さや、これが私の生きる道だと、灯りを灯し続けることの意味を突き付けられている感じがします。心して精進したいと思います。

コメント

感想文

「生きるよろこび」を教育と地域の未来にどうつなぐか

「何のために生まれて 何をして生きるのか」。
この一節を、私はこれまで何度も耳にしてきました。しかし今回のブログを読み、初めてそれを自分自身の問いとして真正面から突きつけられた感覚を覚えました。とりわけ、日向市という地域で、複合的な社会課題と向き合いながら、その未来を子どもたちにどう託していくのかを考えている今、この問いは決して抽象論ではなく、極めて現実的で切実な問いとして胸に響きました。

この文章が印象的なのは、「生きるよろこび」を、単なる感情や成功体験としてではなく、迷い、葛藤し、傷を抱えながらも歩み続ける姿勢そのものとして描いている点です。人生は思っているより短く、希望の星が消えてしまうこともある。それでも「だから君は行くんだ」と前を向く。その姿勢は、地域課題に向き合う現場にも、そして教育の現場にも、そのまま重なります。

日向市が抱える課題は、一つひとつを見れば小さく見えるかもしれません。しかし現実には、人口減少、産業の担い手不足、家庭環境の多様化、学びの格差などが重なり合い、簡単に答えが出るものではありません。ブログに描かれていた「課題の上に新たな課題がかぶさる感覚」は、まさに地域づくりや教育に関わる者が日々直面している実感そのものです。

だからこそ私は、この文章に描かれた「生きるよろこび」を、教育現場と地域社会をつなぐ鍵として捉えました。子どもたちは、正解のある問題を解くだけでなく、「自分は何のために生きるのか」「どんな価値を大切にしたいのか」という問いに、いずれ向き合わなければなりません。その時、大人たちが迷いながらも、自分なりの灯を持って生きている姿を見せられるかどうか。それが教育と地域の質を決めるのだと感じました。

サッカー選手のエピソードもまた、象徴的でした。結果が出ない期間が続いても、自分を見失わずに続ける。その姿勢は、才能や環境以上に「生きるよろこびの火を絶やさない力」が人を支えていることを教えてくれます。これは、子どもたちに最も伝えたいメッセージではないでしょうか。

やなせたかしさんが、戦争体験という極限の中から「ぼくらはみんな生きている」という言葉を生み出したように、「生きるよろこび」は、楽な場所からは生まれません。だからこそ、課題の多い地域、決して恵まれているとは言えない環境だからこそ、教育と地域が手を取り合い、この問いに向き合う意味があるのだと思います。

このブログを通じて私は、「生きるよろこび」とは、誰かに与えられるものではなく、問い続け、歩み続ける中で見出していくものだと改めて学びました。そしてその姿を、大人が率先して示すことこそが、未来を託す子どもたちへの、最も誠実な教育なのだと感じています。
私自身もまた、灯を消さぬよう心して歩み続けたい。そう強く思わせてくれる一篇でした。
  • 2026.01.07 22:08
  • 田内孝司

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