日向市キャリア教育支援センター ブログ

2025年12月

2025.12.09

日向はまぐり碁石は世界の宝~よのなか教室 財光寺南小学校5年生

  125日(金)午前、財光寺南小学校5年生のよのなか教室に参加してきました。この日のよのなか先生はミツイシ(株)の黒木宏二様です。単元は「世界でオンリーワン日向はまぐり碁石について」です。黒木さんは財光寺南小学校が母校ということで、力も一段と入っているようでした。子どもたちも「母校」と聞かされ親しみを持った反応が返ってきました。私も教員になり立ての頃から社会科を通して日向はまぐりについては、工場見学などかなり熱心に回りましたが、今回の講話では知らないことが次々と出てきました。

 囲碁では黒が先に打つと決まっていて、黒が181目(モク)に対して白は180目になり同数ではないということ。全体に広がると、白が膨張色のため大きく見えてしまうことから、黒の方が白より0.3mm直径と厚みが大きくしてあるということ。囲碁人口は、世界で3600万人いて、中国は2000万人、韓国が900万人、日本は200万人ということ。もともと囲碁は中国から入ってきたが、現在は日本の文化として世界に広まっていること。「一目おく」や「(打ってもダメな場所として)駄目」など囲碁から生まれた言葉が多いこと。そのほかにも、戦国大名が囲碁を好んでいたことやアインシュタインなど著名人も趣味としていたことなど、囲碁の世界の広さと深さを教えていただきました。

 日向はまぐり碁石の歴史としては、海岸地形からお倉ヶ浜にはまぐりの貝殻が大量に存在していることに目を付けた黒木清吉さんが製造技術を学び広めたそうです。ところが今から50年ほど前には貝殻が捕れなくなってきてメキシコから輸入するようになったとのことでした。しかし、貝殻のはまぐりから碁石を製造する技術は脈々と受け継がれ、これができるのは世界でも日向市だけだそうです。しかも、実際に作れる職人は4~5名しかいないとのことで、4人は日本の伝統工芸士に認定されているそうです。120年の歴史がある日向はまぐり碁石の製造は残していきたいというのが黒木さんの願いです。

 その伝統工芸士である職人が「何事も真面目に一生懸命に目の前のことに向き合う大切さを知って欲しいです。」「何十年経験しても、最高の職人になれるように頑張っています。」と言われていることを紹介してくださいました。一つの道を極める方こそ、一層の高みを目指す姿勢というものを崩さないのだと感じました。

 日本人の囲碁人口が少ない状況の中、海外では人気があるようで、会社としては台湾やイギリスなどへの販路拡大を目指し、HPも海外向けのアピールをされているようです。また、会社では碁石の新しい挑戦として金箔プラチナ箔の鮮やかなものの開発や、碁石以外の食品にも力を入れているとのことでした。

 これらの熱のこもった講話から子どもたちも刺激を受けたようで、「人間性はどうやって高めましたか?」と核心に触れる質問も出ました。黒木さんは「『ごめんなさい』や『ありがとう』など当たり前のことができる人を目指しています。掃除は毎日して、ゴミは拾わないと物に対する感謝の気持ちをもつことができないようになるのできれいにしています。するとゴミに気づくようになります。そうやって、人間性は少しずつ高めてきました。」と分かりやすい例で教えてくださいました。

 また、「『ミツイシ』の由来は?」との質問は私も聞きたかったことで、「〇●〇(実際は左の丸に横線が入る)が元々の碁石作りの屋号になっていて、碁石ばかりでない製品の製造に取り組むためカタカナの文字にしました。」とのことで、深い話です。さらに、「製作の時間はどれくらいかかりますか?」との質問に「削ってできた石をより白くするための漂白と乾燥に時間がかかり、特に冬場は時間がかかります。2~3カ月はかかります。」という予想を超えた工程作業の時間に子どもたちは驚いているようでした。最後には「なぜ大きなはまぐりから1個しか石を作らないのですか?」という大人も疑問に思うことを質問してくれました。黒木さんは「貝殻の中央が一番分厚くて、そこから作る厚い碁石が一番値打ちがあるから1個だけの貴重な碁石を作るようにしています。」との回答に「う~ん。」と納得したような感嘆の声が聞こえた気がしました。

メモを熱心に取る児童

 財光寺南小の5年生では来年1月にもよのなか教室を開く予定です。当日のみでなく、事前学習をしっかりと行った上で当日の授業に臨むというモデルになるような学習を計画しているようで頼もしいです。当センターとしてもとても力が入ります。子どもたちが世の中で活躍する本物の職業人から直に学習を提供されることで、学校では学べないキャリア発達(自分らしい生き方の道筋)を獲得していけるだろうと期待しているところです。

 今回は日向が誇る伝統工芸の日向はまぐり碁石の製作とそれにかかわる人の生き様について黒木宏二様より学習を提供していただきました。日向のはまぐり碁石は世界の宝だということを実感しました。本当にありがとうございました。

【追伸】ウチ(商工会議所)の奈須春樹名誉本因坊七段格が、先日のアマ宮崎本因坊戦で昨年に引き続き連覇を達成し、通算で6度目の王座に就きました。おめでとうございます。(宮日新聞12月8日掲載)

2025.12.08

待つことを楽しむ国民性(2)

   前回は、カナダ登山遠征に行くのにアメリカのシアトルで乗り継ぎ、そこで見聞きした体験で終わっていました。本日はその続きです。お付き合いください。

 シアトルからカナダのカルガリー空港へ乗り継ぎました。カルガリーといえば1988年の冬季オリンピックを思い出す方も多いのではないでしょうか。イタリアのカリスマスキーヤー、アルベルト・トンバ選手や今は参議院議員でJOCの会長となった日本の橋本聖子選手黒岩彰選手の活躍を思い出すします。

 カルガリー空港で予約していたレンタカーを皆で1台借りました。リーダーが海外での運転に慣れていたので安心ですが、好奇心も手伝って、私も予め国際免許証を出発前に取得しました。

 トラベルHPより

 カルガリーからハイウエイを通って約3時間でキャンモアという小さなリゾートの町に到着しました。その町にあるスイスのマッターホルンと同じようなピラミッド型の岩山があるのです。その山に登ったのですが、ここでお話したいのは登山終了後の町でのお話です。

 我々には悪天候に備えて予備日を設定していたので、下山後から後2日間、この町のロッジをベースに自分たちで過ごさなければなりません。つまり、ロッジは自炊なのです。それで皆で食材を買いに行くことになりました。ここでも異文化をたっぷり味わったのですが、その話は割愛して、車で街中を移動していた時のことです。

 その時は私が車を運転していました。何回か運転していたので少しは慣れてきました。ちょうど、住宅地にある交差点に差し掛かったときです。そうですね、日向で言えば比良エーコープ前交差点くらいの場所だったでしょう。(分かりますかね?) この交差点には信号はありませんでした。私たちの車は右折(日本と逆。基本的には確認のみで曲がってよい。)しようとしていたのでウィンカーを出し北進方向を向いて停止しました。すると、前方からも左右からも車が来て、その交差点で止まったのです。すると、そこへ一人のご婦人が私たちの車の前の横断歩道を右から左へ渡り始めました。私はじっとその様子を眺めていました。ほかの3方向の車もその様子を見ているようです。ご婦人はゆっくりのんびり、時には笑顔を見せながらずっと前方をうつむき加減の姿勢で渡り終えました。ご婦人は渡ってから車の方を見る様子はありません。

 さて次は交差点で止まっている私たちの車を含めて4方向から集まっている車が動き出す番です。ところが誰一人動きだす車はありません。私はフロントガラスへ身を乗り出して3方向3人のドライバーの様子を見ていると、前方の男性ドライバーが右手を前に出して水平直角にクイッ、クイッと指示します。つまり「お先にどうぞ」です。次に左右のドライバー2人を見ていると、これまたクイッ、クイッと「お先にどうぞ」をしています。私もその気になってクイッ、クイッとやります。結局そんなやりとりがしばらく続きました。ドライバーの顔の表情まで見えてきましたが笑顔です。ハンドルに両肘を乗せて「どうぞ~、どうぞ~お先に~」という感じで辺りの空気がゆったりとしています。前方、左右3人とも皆そうなのです。まるで、待つことを楽しんでいるかのようにも見えました。すでに5分近く待っているでしょうか。私の車内4人もそれを見ていて、せかす様子は起きないようです。私は好意に甘えてお先に右折させてもらいました。日本では考えられないほどのスローペースで右折しました。その後、3台の車はそれぞれ進んだようです。

 これは25年ほど前のカナダの小さな町(といっても交通量はそこそこある)での出来事でした。宿のアルパインロッジで日本人経営者と話し、「こちらに来て人生観が変わりました。」と言われた時、私は昼間にこの町で見た交差点での出来事と合致したのです。信号のない交差点で相手を先に送り出すおおらかな心と、自分のペースでのんびり歩く歩行者の行動。これはまさに大陸的なリラックス文化と、人優先が徹底しており横断歩道では急がず車にお礼を言う訳でもなく当然の権利が身についていることの姿勢なのかもしれないと思いました。その点では、島国日本とは異なる文化だと言えます。

日本で言えば、停止してくれた運転手に対する感謝と待たせることへの申し訳なさや、規範意識から、「急ぐのが当たり前」という機能が私たちには働くのかもしれません。ですから、美徳観で言えば、どちらの国にも意味はあると思います。また、日本人特に子どもたちが横断歩道を渡り終えた後にお礼の意味で会釈をするのも尊いと思います。では、先ほどの横断歩道の歩行に関しては何が違うかと考える時、「時間の使い方」があるのではないかと思います。また、大陸的なのか島国的なのかで変わるのかもしれません。「こんなに広いところをそんなに急いでどうするの。」か「狭いんだから急いだらすぐ着く。」か。必ずしもそうではないのでしょうが、ロッジの彼が言った「人生観が変わる」という時間の流れは、ロッキー山脈の麓で暮らすと確かにそうなるのかもしれません。

あれから25年が経ち、たまに現地アルパインクラブのHPを見るとその日本人は現在も頑張っておられるようです。あのカナディアンロッキーの麓の町で、今もゆったりとした時間の流れの中で暮らしておられるのでしょう。そんな暮らしの中では「待つことを楽しむ」ような姿勢が自然に身につくのかもしれません。タイパ、コスパと言われる現代の日本において「待つことを楽しむ」なんてできないのかもしれませんが、せめて「待つことは苦痛ではない」くらいの自分で在りたいと思います。

2025.12.05

視察訪問~熊本県芦北町教育委員会様~

 昨日からの続き「待つことを楽しむ国民性」は一旦お休みし、視察訪問の報告をいたします。 

 1125日に熊本県芦北町教育委員会の皆様が当センターへご視察に来られました。芦北町でもキャリア教育の重要性が高まり、今後どのように対策を講じていくかの参考にしたいとのです。

 まだ勉強中の私ですが、これまでの日向市の経緯を含めて現状と課題を、当センターの事務局長と一緒に説明いたしました。内容を掻い摘んでお知らせしますので、日向の皆さんもおさらいのつもりで読んでいただくと幸いです。11月25日に熊本県芦北町教育委員会の皆様が当センターへご視察に来られました。芦北町でもキャリア教育の重要性が高まり、今後どのように対策を講じていくかの参考にしたいとのです。

 
   

全国の転職情報から、「今の会社で働くのは3年以内」と考えている新入社員は3割近くになるという現実

  
「将来自分の就きたい仕事で役立つから、努力して理科の勉強をすることは大切だ」と考える生徒が少ないという、教科学習と仕事が結びついていない学びの非リアリティ
当センターは、平成25830日に開所しました。当時のセンター長の水永さんには現在顧問をしていただいております
 

 宮崎県、そして私たちの日向市でもこのような現実はあるとの認識のもと、キャリア教育支援センターが立ち上がりました、という経緯を説明しました。

キャリア教育支援センターは、あくまでも市内の学校のキャリア教育を支援していく立場ですので、強く「こうしなさい。」とは言えないのですが、教科学習、学校行事、生徒指導、学校外活動など多岐に渡って多忙を極める学校においては、社会人講師を招いてのリアルな授業を構想しても、なかなか効果的に設定するような「作戦」を練ることがままならない状況でしょう。実際に現場で世の中と繋がっている「職業人」の皆さんから学ぶことは大いに意義のあることで、そこから学びにリアリティを持たせることができるため、その間を取り持つために当センターが存在しています。

当センターの設立理由や現在の方向性などを芦北町教育委員会の皆様に丁寧に説明しご理解を得たのではないかと思います。本年は北海道や東京など遠方からもご視察をいただいております。キャリア教育のほかの先進地同様に、日向市が多くの事業所の皆様と手を取り合って、児童生徒の本人らしい生き方を支えていけることを目標に、今後も尽力したいと再確認するご訪問でした。

話は逸れますが、芦北と言えば忘れられない思い出があります。40年以上前の私が学生時代の話です。宮崎大学のサイクリングクラブ(自転車同好会から体育連盟のクラブに昇格したばかりですが、別の意味で以前から名は轟いていました。)が大学祭に合わせて、国道10号線と3号線をつないだ自転車による「九州一周ノンストップ耐久ラン」をやろうと計画しました。1時間交代で部員が自転車をこぎ、交代要員数名を乗せた伴走車をレンタルして約800kmの九州一周を駆け抜けるというものですから、まさに青春です。

5月の晴れた日の午後3時、キャプテンであった私が大学の正門を勢いよく出発しました。国道10号線を北上し、次々に選手交代をしながら北九州市から国道3号線に入りました。福岡市に入った頃には朝の渋滞に巻き込まれ、伴走車は幾度となく選手を見失う場面がありました。それが重なって、熊本からも3号線は渋滞していて、八代市を南下した辺りではひどい渋滞にはまってしまい、とうとう1時間以上も途中交代した選手を見失うことになりました。2時間を過ぎると「いやこんなに進んではいないはずだ。」と仲間と相談しながら、来た道を戻ったり進んだりしながら探し回りました。ようやく見つけたのは、芦北町を過ぎた三太郎峠を越えた水俣市の手前でした。彼は、同級生なのですが、雨の中を一人で4人分に当たる4時間以上も飲まず食わずでこぎ続けていたのです。よく一人で4時間、約100kmもこいだと、リレーする責任感と耐久魂をたたえたものでした。

 

昔から、ここには熊本から鹿児島へ抜ける交通の難所と言われる「赤松太郎」「佐敷太郎」「津奈木太郎」と言われる有名な3つの峠越えがあります。現在は国道の整備に伴って直線化していますが、自転車での挑戦時には一つは残っていたと思います。それでもアップダウンの続く山越えを延々と伴走もなくこぎ続けた時は孤独との戦いであったろうと、その後何年たっても彼のことを思い起こします。

九州一周約800kmの自転車による記録は、それまで宮崎にあったフェニックスアドベンチャークラブという団体が作り上げた約41時間だったのですが、我々は30時間15分新記録を作りました。と言っても、今や社会的には何の価値もない記録となっています。それでもこの挑戦に部の総力を挙げて、計画、トレーニング、役割分担、資金調達、メディア売り込み、当日の様々なアクシデントなど多くの課題を乗り越えて、怪我や事故無く仲間と無事達成したことは、共通の目標へ向かう連帯感ややり遂げる達成感など実に多くのものをその後の人生にもたらしてくれました。

私にとって「芦北」と言えば、第一に「九州一周ノンストップ耐久ラン」での〇〇君の三太郎4時間激走で、第二に(現在も地元芦北で有名らしい)大学同級生の「△△君」です。九州の地形的に日向とは線対称に位置し、朝日と夕日の関係にある町同士としても深い縁を個人的に感じています。また、熊本県の南部に位置し、八代市と水俣市の間にあり、葦北郡で芦北町。漢字の由来も深そうで、こういう町こそ、ふらりと途中下車をして歩いてみたいものです。そのうち、吉田類さんや六角精児さん(「呑み」の方ではなく、登山や鉄道として。)が訪れるのではないかと想像します。

 
ご訪問本当にありがとうございました。またお会いしましょう。

2025.12.03

待つことを楽しむ国民性(1)

 初めての海外旅行はカナダでした。40歳になってからで、それも登山のためです。舞い上がってトランジット(正確にはトランスファー)をしたシアトル空港(シアトル・タコマ空港)では見るものすべてが新しく異文化を全身に受け止めた感じがしました。

山岳会のメンバー5人で当時のノースウエスト航空を利用し、シアトル空港では2時間の乗り継ぎということでした。当時のノースウエスト航空は遅延することで有名だったそうですが、私はそのことが分かっていないのでリーダーにお任せ状態です。リーダーは海外旅行に慣れているので、知人を介して2時間以内の乗り継ぎ移動もスムーズにいくように手配していました。当時も巨大なシアトル空港では地下鉄が移動に使われますが、その行き方は慣れないと上手く次の搭乗口まで行けないというのです。それで、現地移動案内スタッフを雇うという段取りになりました。そんなことができるのかと私は驚きましたが、シアトル空港に到着してみて、なるほどこれは大きな空港だわと、どこが何やらさっぱり分からない状態でした。

入国審査と税関では、5人で事前学習を繰り返していました。同行者の一人の女性は「ハウメニーって聞こえたらテンデイズパーパスって聞こえたらサイトシーイングって言う。」とブツブツずっと繰り返していました。私は「観光でいいのか?登山じゃないのか?」などと考えましたが右へならえと決め込みました。彼女は「結局一緒のイミグレーション(入国審査)のゲートに行けばいいとよね。」と彼女が言ったすぐ後に、リーダーから「時間がかかるから少ない列に全員ばらけて。」と指示があり、5人皆がバラバラにゲートに入ってしまいました。私も一瞬不安になりましたが、先ほどの彼女の「なんでばらけると~」というとても不安な顔は今でも忘れません。それでも皆無事に入国審査を終えて揃いました。彼女に「どうやった?」と聞くと「必死にテンデイズとサイトシーイングを練習していたら、いきなり『何日?目的は?』って日本語で聞くっちゃから!私が英語が話せんて見抜いたっちゃろか。」と憤っていました。

入国審査を終えロビーに出るとすぐに、シアトル在住の女性空港案内人が小旗を持ってにこやかに待っていました。彼女の後をついて導かれるままに次から次へと地下鉄を乗り継ぎ、あっという間に乗り継ぎ便の待つ搭乗口に着きました。さすが地元で詳しいなあと感動したものです。

現在のシアトル空港はX字型にコンコースが配置され分かりやすい

 

おかげで時間に余裕ができたので待合室でのんびりしていると、その案内人が「あそこに皆さんが行列を作っているのがシアトル発祥のスターバックスコーヒーです。今度東京にも1号店がオープンするそうですね。」と言われ、聞いたこともないコーヒー店の名前で分からなかったのですが、コーヒーは好きだし時間はまだあるので、そのブースのある行列に並んでみることにしました。

皆2人ずつ並んで私のところまで10組以上いたと思います。列は遅々として進みません。それでも焦らず少しずつ前に進んでいると、付き添ってくれた案内人がこう言いました。「こちらの人は待つことが苦痛じゃないんです。むしろ待つことを楽しんでいるんです。」と。ホーッ!これには頭をガーンと金槌で殴られた感じがしました。

私の順番が4番手くらいになったとき、前の人たちの様子を見ていると、先頭の人はショップのスタッフと色々話をしながらメニューを選んでいるようでした。これは分かります。ですが、2番手の2人は、まったくショップのブースの方を見ずに、2人で仲良くペチャクチャと話をしていました。すぐにその人たちの順番が来ました。来たというか、ショップスタッフに「ハーイ次の方!」と言われてショップを向き直った感じです。それからその2人は「これは何?どんな味?お薦めは?」などと、色々と質問してはにこやかに笑いながら決めあぐねているようでした。スタッフは行列が長く続いていることもちろん分かっているようですが、その2人に温かな笑顔で対応しながら、一つ一つの質問に丁寧に答えていました。

日本人なら(いや私なら)、順番が3番手くらいになりメニューが見える位置に来た時には、何にしようかと色々考えて決めておくことが多いのではないかと思います。それは、楽しみだから早く求めたい期待や、後ろの人に悪いからという配慮が働いて、行動を早くしようという動きに出てしまうのではないかと思ったところです。

「待つことが苦痛ではない。」「待つことを楽しむ。」 そしてスタッフも「後ろを気にせず目の前の相手に尽くす。」 これは、初の海外旅行が遠征登山であったにもかかわらず、自分の在り方に大きく影響し登山よりも大きな収穫だったような気がします。カナディアンロッキーの雄大な自然の中で登山できたことは大変大きな喜びでしたが、異文化から自分の行動の襟を正すことを学んだことを、授業の隙間に子どもたちによく話していました。もちろん、日本人の後ろの人に気を遣うという行動も美徳ではあると思っています。ですが私はその登山から帰国後、コンビニやほかの場所で行列ができていても気にせず並び、前の人やスタッフが慌てている様子に出会うと「ゆっくりでいいです。」と素知らぬ態度でいようとしたり、前の人に詰めすぎないようにしたりすることができるようになりました。

現在のシアトル空港「スタバ」はきちんとした店構え

海外で自分の在り方を学べたという話でしたが、海外だからということではないと思います。国内でも地元でも「相手への思いやり」や「おもてなしの心」などは意識していれば沢山学ぶ機会に毎日出会うと思われます。この遠征でのお話には続きがありますので、今日はここで総括せずに、ロッキー登山遠征で学んだ「待つことを楽しむ国民性」について、次回に送ります。

2025.12.02

サッカーにまつわる話

 

 キリンチャレンジカップ20251114日に行われ、日本代表ガーナ代表に勝ったのですが、この試合の中でアクシデントが起きてしまいました。Soccerkingのニュース2025.11.14から要約します。

 試合の後半に、MF田中碧選手MFアブ・フランシス選手が交錯しフランシスの右足が持っていかれる形となったのです。試合後、アッド監督は、「スタジアムにいる観客の方々、関係者の方々の姿勢などを見ても思ったことですが、日本人は礼儀正しい方々ばかりだと感じています。選手本人がわざわざベンチまで来てくれて、選手本人ところだけでなく、監督のところまで謝罪にきてくれました。決して当たり前なことではありません。日本という国の教育がしっかりしていることを感じました。サッカーというスポーツでは、ハードにぶつかり合う場面も発生しますし、残念ながらこのようなことも起こり得ます。ですが、そのようなことがあったとしても、謝りに来られることは当たり前ではないのですから」と続け、田中選手の行動をリスペクトしたそうです。

 

 故意でない負傷の場合に試合中に相手ベンチへ駆けつけるという行為は私は過去にも記憶にありません。これは余程の相手への思いやりではないかと感動した次第です。サッカーのみならず、様々なスポーツにおいてこのような相手へのリスペクト、またそれによる相互の信頼関係の構築などは実際にあるのでしょう。

 ところで、私の知るサッカー少年は、一人はプロサッカー選手になり監督までして誰からも信頼される良き社会人となっているようです。また、同じクラスのもう一人のサッカー少年は、その後走ることに目覚め、箱根駅伝を東大生として走り抜け、現在は議員として庶民のために尽力し活躍しているようです。サッカーだったから人をそう成長させたということではないのでしょうが、家族を含め多くの方々から愛される人望を供えるべく成長できたことが、本人の人としての在り方を形づくっているのかもしれません。「どう生きるのか。」「どんな人生を送るのか。」長い旅の途上にある人としての生き方が試されるのが人生なのかもしれないと思うこの頃です。とは言っても、人生は長いようで短い、これもまた事実です。そこで前期高齢者へ向かう私としては、「どう下るか。」これも一つの課題に加えたいと思います。

 宮崎市大淀川にて

奈良時代初期の歌人・山上憶良が「秋の七草」と詠んだススキ。風に揺られるも倒れずしなやかな立ち姿。こんな生き方もいいのかもしれません。決して「化物の正躰見たり枯尾花」と猜疑心をもって言われないようにしたいものです。

2025.12.01

人に思いを馳せる

 私はずっと登山をやってきました。登山家というにはおこがましいので山屋の方が似合います。ほかに「岳人」(ガクジン)という呼び方があります。同じネーミングでモンベル社が出版する山岳雑誌があります。岳人という呼び名の場合は何となく洗練された気品すら感じますが、それは私には不釣り合いです。さて、「九州の岳人は久住に始まり久住に終わる」という言葉もあります。ご存じでしょうが、この久住は大分県九重連山の山々を指します。「久住」という場合は名峰(最高峰は隣の中岳1791m久住山1786mを指します。そして「九重」という場合は、10座以上のピークを持つ一帯の連山を指します。したがって、「久住山」「九重連山」という使われ方をします。郷土の境界や山頂名などを巡っては全国各地で色々な獲得論争があったようです。私も九州の山屋の一人として、まさに登山は久住山から始まりました。春夏秋冬いつ行っても優しく厳しく迎えてくれ、たおやかな山容に包まれている感覚が好きでこの連山にはよく通います。

 さて、前置きが長くなりましたが、本日はその九重連山で高校生が活躍をしている話が毎日新聞に掲載されていましたのでお届けします。(抜粋になります) 

くじゅう連山(大分県九重町、竹田市)を毎秋、玖珠美山高(玖珠町帆足)の3年生が訪れ、登山道の補修に当たっている。13回目を数える今年も、生徒20人が苦闘しつつ山岳関係団体の協力で、くいとロープを交換。登山客の安全を下支えする。…前身の玖珠農高時代からくじゅうで外来生物の駆除などに取り組み、2012に豪雨などによる浸食で傷んだ登山道の補修を始めたのがきっかけ。農業などを学ぶ地域産業科の3年生が「ふるさとの自然を守る卒業記念活動」として、ほぼ毎年続けている。牧ノ戸峠から生徒たちが向かったのは、沓掛山に至る途中の登山道。一部区間の古くなったロープと木製のくいを新調するため、一行は新しいくいを背負い、スコップなどを手に、急勾配の登山道を歩いた。山登りに不慣れな生徒からは「きつい」との声も漏れる。

 現場に着くと、スコップなどを用いて古いくいの撤去に着手。しかし、くいを倒れにくくするために取り付けられ、土中に埋められた「横木」が、撤去作業を難しくする。山岳関係者から「簡単には抜けない。くいの周りから掘って」と助言され、苦戦しながら掘り進めた。それでも抜けず、つるはしを使ってようやく掘り出した。古いくいを手にした谷崎斡律さん(17)は「ずっしり重い。くいに横木があるのを初めて知った」。新たなくいは、横木をボルトで固定して埋め、さらに大きな木づちで打ち込む。「学校の実習で電気柵を設けた時は専用のくい打ち機を使ったが、それに比べると木づちは重くて操作が難しく、想像よりきつい」と藤井柊平さん(17)。生徒たちは2時間かけて計21本を交換。ロープも張り替えた。古いロープをのこぎりで切って回収した古川釉那さん(18)は「大変だったが、登山客が安全で登りやすくなるのはうれしい」と笑顔を見せた。…毎回同行している山岳関係団体の「九重の自然を守る会」の高橋裕二郎理事長(77)は「本当にありがたい。みんなの活動でくじゅうは守られる」と感謝する。同校農場主任の永楽浩一郎さん(64)は「学校では地域に根ざした教育を目指しており、地元の山は農業につながる根本でもある。自然や環境に関わる活動を、今後もできる限り続けたい」と話した。

 

沓掛山 HP記事より

 

記事を読んで、久住登山をされる方なら場所について鮮明に思い出すことができるのではないでしょうか。牧ノ戸峠からきついセメントの坂を約20分上ったところの右側に展望所があります。そこから少しの岩稜帯を抜ける所にあるのが沓掛山となります。昔まだ積雪量が多い頃には、高さ5mほどの岩でさえ雪に埋もれることがありました。その角度のある岩と岩の間の雪面に動物の足跡がくっきりと残っていたこを思い出します。この沓掛山の一帯を玖珠美山高校の生徒が毎年、登山道整備を続けてくれていたことは知りませんでした。本当に有難いことです。木道やロープは人工物なので風雨に晒されたり、人が通過することで劣化が進みます。何気なく通過する、あるいは、登山なのでともすれば自分のきつさだけを考えて足元の登山道の整備状況を考えずに通過してしまうことがあるものです。こういった地元の方の努力によって環境が維持されていることを考えられる登山者でありたいものです。

 生徒古川さんの「登山客が安全で登りやすくなるのはうれしい。」や高橋理事長の「みんなの活動でくじゅうは守られる」という言葉は、人に対する温かな営みを表していると思いました。また、農場主任の永楽さんは「学校では地域に根ざした教育を目指しており、地元の山は農業につながる根本でもある。」と話され、地域の中の学校であることや、自然は必ず自分の生活と結びついていることを自覚して生活することの大切さを話されていると感じました。

 サーフィンにもローカリズムはありますが、登山のローカリズムはこのような発信がないかぎり誰が維持しているのか大変分かりづらいのが現状です。これまでも感謝しながら登山をさせていただいていましたし、自分で「一山一善」と称して必ずゴミをワンハンドくらいは拾うようにしてきましたが、さらに各地の登山では地元の人の思いを考えられる山屋でありたいと思います。

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