日向市キャリア教育支援センター ブログ

2025.12.17

決断力

  皆さん、遭難したことはありますか? 私はありませんが、遭難しかかったことはあります。

 昔から冬山に通っていました。北アルプスへ毎年、年末年始の休暇を利用して遠征をしていました。仲間との休みの調整がつくのが年末年始だけだったという理由からで、よく職場の人から「御来光を見に行くのですか?」と言われ、違いますというのも理由を説明するのが面倒で、「はあ。」と気の抜けた答えをしていました。その冬山遠征も歳と共に形を変え、山スキーへと変化して行きました。新田次郎の『孤高の人』のモデルである加藤文太郎は明治から昭和にかけての登山家ですが、当時すでにスキーを履いて山を登下行していたのですから、先達は尊敬します。

 山をスキーで登下行するとはどういうことか。スキーはお分かりでしょうが、スキー板の裏に先端から末端まで毛皮を貼るのです。昔はアザラシの毛をスキー板の幅に加工して長く貼り付けたのでシールseal(アザラシ)と呼んでいます。貼り付ける面の向きで毛が逆立っているので、雪面にしっかりと食いつく訳です。それで、スキー板にシールを貼ると、上りは雪に足が埋没せず(深い時は腰まで潜る)、歩くよりは早く登ることができるのです。現在は化繊のものが主流になり、手入れも乾かすのみで随分楽になっています。スキーで滑る時には、そのままでも、今度は毛が下向きで邪魔しないので滑ることはできますが、さすがに抵抗が大きくスピードは出ません。それで、快適に滑る時には、シールを剥がして下ることになります。

 さて、前置きが長くなりましたが、5年ほど前に、単独で厳冬期の北アルプス「白馬乗鞍岳」へ向かった時のことです。1日目にスキー場のトップからシールを付けて登り始めました。ここは何回か訪れたことがある場所なので、天気が良ければ道に迷う心配はないという自信がある山です。順調に標高を上げて樹林帯をかいくぐって進みました。そろそろ森林限界が来た場所で、樹木の背丈が私より低くなってきます。同時に、それまで樹林帯が風よけになっていたので、抜けると強風がまともに当たり始めました。それでもまだ、山頂まではあと三分の一はあります。そのまま進むとさらに風が強くなってきたので、今日はここら辺りで無理せず引き返そうと判断しました。

 シールを剥いで、来た道に沿って滑り始めました。尾根道でシラビソの樹林もあり、それを避けながらのスキーになるので結構アドベンチャーです。あと500mほど下ると目印になる成城大学の避難小屋に出ると、現在の位置から考えて分かっていました。その小屋から下るとすぐに橋があるのです。つまり沢になっているところがあり、そこへ滑り下りて、大きな林道を、登山者が歩いて掘れた道を使って、まるでボブスレーのように自動運転でスキー場のトップまで戻るということになります。もちろん沢は、冬で雪が多く埋まっているはずです。そういう状況がイメージできたので、成城大学の小屋へわざわざ進まず、現在の尾根の位置から左側つまり沢側の斜面をトラバース(横切る)して橋に直接出た方が近いと判断しました。スーッと斜め直線的に尾根の左下斜面を滑るだけで、5分もすれば橋に出る計算でした。

 トラバースを決断しました。左斜面に入り込み、滑り始めた瞬間、そこら一帯の斜面の雪が一斉に崩れてドドドーッと落ちていきました。もちろん私も流されて落ちました。が、5mほど落ちたところで、スキーを履いた足が木の根っこに引っかかって止まりました。雪のはがれた斜面は、シラビソの樹の絡まった根っこが縦横無尽に走り、それがあらわになってむき出しになっていました。つまりその斜面一帯の雪は、絡まった根っこの上にかぶさっていただけだったのです。私は、その入り組んだ根っこに足が引っかかって止まったということでした。10mほど下を見ると、雪で埋まっているはずのが、所々口をぱっくりと開けていて、水が流れているのが分かりました。暖冬の影響で、その年はあまり雪が積もっていなかったことになります。水深はそこまで深そうには見えなかったのですが、落ちれば間違いなく1分で低体温症になることは間違いありません。そう考えると、ゾーッとしました。

 さあ、ここから脱出しなければなりません。私は、このアンバランスな状態から滑り落ちないように体勢を整えました。次に、片方の手で体が落ちないようにしながら、もう片方の手で緊急用にザックに付けていた細引きのロープカラビナで木の根っこに自分を繋いで自己確保しました。これでまず落ちる心配はありません。その後、別の細引きロープをスキー板のビンディング(スキー靴を固定する器具)に取り付け、これから尾根に這い上がる際に板を落とさないように体に固定しました。次はいよいよ脱出です。50度はあるかという斜面を木の根っこにつかまりながら上がりました。2mほど上がると、今度は雪面になっています。角度は40度ほどに落ちましたが、掴まるところはありません。それで、手を雪面に深く突っ込んでずり落ちないように力を込めて一歩ずつ上がっていきました。それを繰り返していると、角度が完全に落ちてきて尾根上に這い上がることができました。

 疲れ果て極度の緊張感から解放されて、尾根上にへなへなと倒れ込みました。ポットのぬるい温水を飲み、行動食を少し食べて休憩すると元気を取り戻しました。もう少し雪面の状況をしっかり分析、考察して、微妙な変化としてのインシデントを見逃さない観察力が必要だと、深く反省しました。後は、尾根道に忠実に滑って無事下山しました。

 ところがこれには続きがあります。翌日、また同じルートで、今度こそ山頂までと登ったのですが、中間の台地まで来ると、吹雪に見舞われ下ることにし、昨日の教訓から、「左でなく右、右。」ともう一人の自分が言い聞かせているのです。それに素直に従ったら、今度はまったく違う尾根を下っていることに途中で気が付きました。GPSで確認すると一本尾根が違うのです。しかしもう後の祭りです。そこは急斜面でスキーを履いていても膝上まで潜る雪の深さです。もしここで転倒でもしたら、埋没して雪の中から這い上がることは不可能だったでしょう。ましてや転倒でスキーが外れてしまうと、体は頭まで潜ってしまうくらいのサラサラの雪でとても深かったです。

 もう下るしかないと判断しました。というのも、ここを無事クリアし下ると、自然園というとても広い平原(雪原)に出ることが分かっていたからです。ただ、現在地から下は崖のある場所が地形図では読み取れるのでルートは慎重に選ばないといけません。樹林帯の中ですが、木の隙間から吹き込む雪と多少の湿度があるのか、一帯はホワイトアウト化してきました。こうなるともうGPSだのみになります。少し下っては止まって現在地と進行方向をGPSで確認します。それを繰り返して、結果的に自然園の広い雪原に降りることができました。そこもホワイトアウトで10m先が見えない状態です。雪面と空の境界が分からないので気を付けないと酔ってしまいます。慎重に進んで、やっと山荘のある一帯に出て休憩しました。その後林道を進んで無事に帰還することができました。

 2日連続で遭難しかかるなんて本当に情けないと心から反省しました。そして、分岐点となる現場での「決断」がこういう災難に遭遇したのだと、改めて、慎重かつ客観的・科学的に状況を判断し、最後に決断するという一連の過程は、その後の登山のみならず、私の大きな教訓となっています。日本のアウトドアメーカーの創業者辰野勇氏は「決断とは将来を見据えて、今あえて困難な道を選ぶこと」と言っています。この方の経歴たるや凄まじいものがあるので、氏の言葉は重いものだと思われます。挑戦することに関してそう述べられているのだと解釈します。また、『経営と冒険』というタイトルの著書の中での言葉なので、経営者としての観点での話であると理解できます。私の遭難もどきの話に関しては、「困難な道」を選ばないことが「決断」だったのかもしれない、いや逆に、楽をしない方が「困難」であり、その時の通常の「尾根道」がそれに当たるのかもしれないと反省したところです。

 氏が、経営する際に必要と言われる「集中力、持続力、判断力、そして決断力」という一連の思考活動が経験則から身についていることが求められるのでしょう。自然を相手の遊びの際にも、仕事として突き進む際にも、判断力と決断力は、その前の状況分析の上に成り立ち、そして一歩を踏み出す勇気が求められるのだと多角的に考えるこの頃です。

 キャリア教育とどう繋がる話になるのか、あまり考えずに冬山の経験談を書きました。お付き合いありがとうございました。

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