Hyuga City Career Education Support Center
2025.12.10
本日は、厳冬期のアラスカの路線バスに乗った日の出来事にお付き合いください。当時の記録(日記)から転用します。
フェアバンクスの空港からゲストハウスに帰る際に路線バスに乗ってみた。親切な運転手に降車場所から次のバスに乗り継ぐ道順を教えてもらい、なんとかバスを乗り継いだ。そのバスが発車し暫く進むと、次のバス停で私より少し若そうな夫婦なのか男女2名が乗り込んできた。何やら、乗り込んですぐ支払いの件で運転手と交渉している。どうやら「10ドルしか持っていなくて、両替はできないか。」と言っているようだ。バスは一日券が3ドルで一回乗車は2ドルなのだ。運転手は「できない。」という。それなら、「この先のスーパーで下りて両替してくるからその時でいいか。」と男性が食い下がると、運転手は渋々了承したみたいだ。
路線バスの対面座り
2人はこちらに向かって進み私の目の前の席についたが、まだ困ったようで落ち着きのなく、私に「10ドルを両替できないか。」と聞いてきた。私は1ドル札を3枚しか持っていなかったので、「できない。」と言った。が、間をおいて、「いくらいるの?」と聞くと「2ドルだ。」と言う。「じゃあ2ドルあげるよ、使って。」と渡した。すると男性は物凄く感謝して私にお礼を言って、運転手の所へ行くと、「彼がくれた、ハイ。」と支払っていた。
その後10分ほどで私は、降車するスーパー・フレッドマイヤーに着いたので席を立ちあがった。降り際にその男性と女性が凄く感謝し握手して別れた。旅は道ずれ世は情けだ。
冬季で客車3両、ダイニングカー1両
ところが話はここで終わらないのです。
その2日後、私はフェアバンクスからアンカレッジに向かうためにアラスカ鉄道を利用することにしていた。朝8時から12時間に及ぶ列車の旅は景色が雄大過ぎて飽きることがない。途中では何回か休憩停車をしてくれる。
列車が2回目の停車駅タルキートナに停まった時だ。乗客が休憩のために降車しようと立ち上がって動き出した。私は最後でいいと思いゆっくり座っていたら、乗客の一人の髭顔の男性が「あの時はありがとう。」と、いきなり言ってきて握手を求めたので応じたがその時は何のことか分かっていなかった。ほとんどの乗客が降車して行ったので、私も立ち上がって動こうとした時に思い出した。一昨日、フェアバンクスのバスの中で2ドルを渡した男性だ。そうか同じ列車に乗っていたのか。
私は降車後、すぐ彼とその隣にいる女性を見つけると、彼に「おおーっ、なんで僕って分かったの?」と話しかけた。なぜなら私は、列車の中で雪景色のあまりの眩しさにサングラスをしていたのだ。すると彼は「なぜかって?忘れないさ、その髭の感じとその顔だよ。」と言って、再会にガッツリとハグをした。いやあ、こんなこともあるもんだ。だから旅は面白い。
アンカレッジ駅に到着しタクシーを待っているときにも彼らと一緒になったので、奥さんの方にどこから来たのか聞いてみると、テキサスと言う。彼の方は笑って、「本当にあの時は感謝している。」と固い握手をし、またいつかどこかで会おうと別れた。
アンカレッジ駅到着
私の頭の中では、「赤い羽根共同募金」の歌が流れていた。「♪困った時は~ああ、お互い様~・・・」 世界中、人は皆同じ。助け合いの精神は「お互い様」でどこにいても自然に行動できるようでいたい。情けは人の為ならず、自分に帰ってくる。それはこのようにすぐに「この人と出会えて嬉しい」というプレゼントとして何倍にもなり返ってくることもある。そしていつか自分が助けられる。そう期待してはいけない。いや、すでにたくさんの方々に助けてもらっている。
この出来事を振り返る時、「旅は道連れ世は情け」という言葉も思い浮かべます。一人旅のこの時に道連れはいなかったのですが、「お互い様」の心が世界をぐっと身近に感じさせてくれ温かい気持ちになれることを実感しました。本日は、私自身がしたことの自慢話ではなく、きっと私自身がたくさんの人にお世話になるからこそ、できることは「お互い様」の精神で日常的にしていきたいという思いをお話したかったのです。
つい最近、東北地方では新たな地震に不安がつのることでしょう。それは他人ごとではなく、南海トラフを抱えている私たち九州も同じことです。災害大国日本においては、「共助」すなわち「お互い様」が復旧、復興への近道なのかもしれないと、各地の現場を見てきて思うことです。『私は能登を応援します』のステッカーは私のヘルメットに貼ってあります。お付き合いありがとうございました。
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