日向市キャリア教育支援センター ブログ

2025.11.26

言語・漢字を覚える時期と教育

  最近はタブレットを使用した授業が多くなり、黒板に書かれた内容をノートに写し取るという作業を子どもたちが行う機会が以前に比べて減っているようです。どちらが良いという話ではなく、言語特に漢字を覚えるという観点でのお話になります。

私が小学校高学年や中学校で授業をしていた時のお話です。私が授業中に板書をします。するとそれを子どもたちがノートに書き写します。私は「黒板に書かれている内容を丸写しにするのではなく、自分の言葉にかみ砕いて要領よくノートに書きなさい」と話していました。ところが、それを実行していた子どもは三分の一ほどで、ほとんどの子はそのまま書き写していたようです。板書のスピードが速いので、頭の中で整理することの方に時間がかかってしまうからです。それでもこれが可能だったのは高学年児童あるいは中学生だったかもしれません。本日は「視写」という観点については脇に置いておきましょう。本題は言語をいつ獲得するかというテーマですから。

私は板書している最中にその漢字が国語の時間に学習済みであるかどうかはあまり考えませんでした。小学校の担任の場合、今国語の時間にどの漢字までを学習しているか分かっています。基本的に教科書は、前学年で学習した漢字のみ使用するようになっています。ところが私は、国語以外の時間では、板書でバンバン未修の漢字を使用していました。もちろん、極端に難しい漢字の使用はしません。すると決まって子どもたちから「センセー、その漢字まだ習っていませ~ん。」と声が飛んできます。そこで「じゃあ読めないの?」と聞くと「読めます。〇〇ですよね?」というので、「読めるじゃない!ならいいよ。」と素知らぬ顔でくるりと向きを変え、またひたすら板書します。子どもたちからは「えッ、書いていいの?」とボソボソと聞こえたり、「センセイ、書いていいんですか?」と聞いてきたりします。それで「書けるんなら書いたら?ここの筆順はこうだよ。」と言うとまたすぐに私は書き始めます。黒板を向いているふりをして、子どもたちの様子を伺っていると、「オオーッ」とか「うひょ」とか軽く奇声を上げたりして喜々として猛然とノートに鉛筆を走らせる子が増えるのです。もちろん、その一方で「何て読むと?」と隣の子に聞きながら平仮名で書いている子もいます。ここで私は書けることより読めることを優先していました。

私が言いたいのは、子どもは、いや、人は言語(漢字)を覚える(読める)年齢が決まっているのかということです。答えは明らかに「ノー」です。小学校で1026文字、中学校で1110文字(常用漢字を含め変更がある)、合計約2000の漢字を覚えて義務教育を卒業するようになっています。これは、約2000文字を覚えると新聞が読めるようになると学生時分に聞いたことがあります。すなわち社会的自立を目指す教育なので日本国民として一定の言語力をつけて欲しいという意図なのでしょう。さすがによく考えられた義務教育課程だと感心します。当然、その9か年の発達段階を考慮して漢字の編成も行われることになります。

平均的な記憶量として各学年に定量的に分散させている漢字数でしょうが、子どもの学習量に個人差があるのは当然なので、私の場合、当該学年の漢字量で限定して指導する必要はないと考えてのことでした。当時「難しいです」と数名の子からは速攻批判をもらったこともありますが、年度初めに「そういうもんだ」とか「そうするからね」とか理由を話し逃げ道(平仮名)も併せて理解させておくと、特にブーイングも起こらず、苦にもされなくなりました。難しそうなものはそんなに書くことはしませんでした。

さて、ここからです。今のは高学年あるいは中学生での例でしたが、低学年ではどうでしょう。幼児が言葉を覚えるのは耳からですよね?その子たちが英語をペラペラ覚えてしまうのも同じことです。では、幼児が絵本の言葉を指さしながら「ぞう」とか「本」とか言っているのは画像を見ているからですよね?そういうふうに、まだ脳が十分に発達していない小さな子たちほど、ものの名前を画像で認識するようです。つまり画像処理能力が高い訳です。ということは、漢字は小学校に入ってから習うものと限定しなくても、絵本に出てくる漢字がもしあったとしても、「これは読ませられない」と止めずに、子どもに見せながら読んであげると、そのまま物語として受け止めるはずですし実際そうされてますよね。子どもも「この本は漢字が難しいから嫌だ」とはあまり言わないはずです。つまり、漢字を耳から聞こえた言葉として認識しているのです。すなわち、その子にとってそこの漢字はただの画像でしかないのです。それで読み方を覚えてしまえばそれでよいではないでしょうか、ということが言いたくてここまで書いてきました。

するとどうでしょう。先日読んだ雑誌の中に対談があり、まさに同じようなことを言っているのだと納得したものがありました。以下に紹介します。

 東京いずみ幼稚園の園長小泉敏夫氏と安松幼稚園の理事長安井敏明氏の対談を要約します小泉氏「元小学校教師の石井勲先生が確立した『読み先習』とは、漢字を書くのはしっかり読めるようになってからで十分という考え方です。『はしのはしをはしをもってあるく』よりも『橋の端を箸を持って歩く』とした方が読みやすいし理解しやすいのです。幼児期の脳は『写真記憶』と言われる機械的記銘能力に優れていて、すぐに丸暗記できてしまう。漢字は難しく思えても、その分、ひらがなより識別しやすいから覚えてしまうんです。」安井氏「赤ちゃんは親が言葉を教えたつもりはなくても、一年半か二年半で日本語を獲得するでしょう。意味が分からなくても、家族が日本語で話しかけることがよい教育環境となったんです。幼稚園児に漢字を教えるなというのは、赤ちゃんに話しかけるなと言っているも同然です。違いは、話し言葉は耳から、文字は目から入るという点だけです。」

 私は現在小学校で行われている漢字などの文字指導を否定しているのではなく、ご家庭での言葉と文字(漢字)の扱い方については自分のお子さんに「適時に指導する」という考え方でよいのではないですかとお伝えしたいのです。

 うちの孫三歳児の話です。孫が二歳を過ぎた頃から食事中に左手を遠く離したまま食事する場面があったので、「左手を添えて」と私が言いながら左手を持って茶碗に添えさせていました。それが現在では「左手!」と言っただけで孫はサッと茶碗に手を添えるようになりました。これは上記で言う「話し言葉は耳から」に当たりますが、本人は「左手」の意味を「こっちがわの手のことね」などと理解しているのではないかと思います。そのうち、「左手」の漢字を見せてみようと思います。「写真記憶」するのではないかと楽しみにしています。

 そういう私はと言いますと、kindleで簡単にダウンロードした書籍が溜まる一方で一向に進みません。もっぱらペーパーバックと言われる文庫本を手にしながら読むのが好きですし、まだまだ山積みの未読本があるのが嬉しいです。随筆や小説、ビジネス本など色々なジャンルの本を読みながら多岐に渡る言葉の表現の違いを楽しむのも一つの言語獲得の方法かもしれません。その中にはまだ出会ったことのない漢字表記があったり、著者独特の風景描写があったりして実に楽しいものです。歳を取ると読書は一つの脳の若返り効果がありそうで、こちらが期待大ですかな。長々と文章のみの本日でした。失礼します。

コメント

孫に再確認の意味で一昨日「左手!」と言うとやはり定着していることが確認できました。今後「左手」の読みに続いて「麒麟」や「檸檬」も加えてみたいと思います。ありがとうございました。
実に深いお話です。確かに幼児でも麒麟や檸檬をさらさら読めるようになりますからね。
  • 2025.11.27 06:50
  • 三樹和幸

コメントフォーム

不適切なコメントを防止するため、掲載前に管理者が内容を確認しています。
適切なコメントと判断した場合コメントは直ちに表示されますので、再度コメントを投稿する必要はありません。

お問い合わせ CONTACT

お気軽にお問い合わせください。
0982-57-3522
受付時間 8:30~17:00